画像は山集落、左手奥の水平線近くに与路島・請島。うっすらと加計呂麻島がみえます。
徳之島・山集落と瀬戸内町・与路島はかつて一つの「間切り※」という伝承があります。
(間切り(まきり)…行政区分のこと、町や集落の集合体ともいえる)
「山と与路島節」という島唄があります。 朝崎郁恵さんや、中孝介さんなど多くの唄者がうたっておられ、奄美島唄ではメジャーな唄。 恋人を想う気持ちと別れの切なさを旋律に、2島を治める親ノロ(女性司祭者)がいたこと、悲しい海難事故があり間切りが分かれたことを歌っています。
実は山集落には「与路ぬ与路くまし」という与路島の美田を歌った歌があります。他にも珊瑚礁の瀬溜まり(クムィ)や浜の名称に舟の各部の名前がついており、ノロ舟の沈船の残骸が漂着したためその名がついたという伝承があります。 また、山集落のテラ(守護の山・拝所)である「ナゴリ山神社」には男性器を示す自然石が、与路島の聖地には「カマイシ」という女性器を示す自然石が祀られているようです。
町史編纂事業で色々と聞き書きしたり、瀬戸内町側の伝承や調査状況を聞いて、「山と与路島」に謳われているのは史実では?ということが浮かび上がってきます。(ただ、現在まで「山と与路島が同じ間切りだった」ことを示す文献や歴史的資料は見つかっていません。)
物ではなく人伝い・歌い継ぐことで残された切ない歴史とその欠片に触れ、海を介して二つの島がつながっていたということや、先祖たちは風や潮流を利用し・業と腕力(かいなちから)で海を行き来していた姿を想像して感慨深いものがありました。
ロマンや切なさ、喜びや悲しみ、先輩たちの努力や逞しく幸せな生き様の延長線上・・・現代に生きる私は何をすべきか? これからも全力で”生を全う”しようと思わせます。
そんなことを感じられるのも「島暮らしの幸せ」と思います。 みなさんも何か感じたりし、同じ思いを共有する仲間になっていただけると嬉しいです。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。 支援の残り日数あと5日(ヤバい!!)ぜひとも多くの方にこの取り組みや島の良さを「シェア」していただけると嬉しいです。