平成9年に、浦河に移住して、まずやったのは、アスパラとラベンダーを植えることでした。100坪あり、(こちらでは猫の額)住宅と車置き場の他に50坪ほどの空間がありました。ラベンダーは2年ほどで消えましたが、アスパラは20年楽しませてもらいました。そして、同時に犬を飼ったのです。車の窓から顔を出している光景をよく見かけ、私も飼いたいと思っていたのです。よく行く牧場で、子犬が生まれ、その中の元気そうな女の子(写真1)を「かなえ」と名付けました。やはり牧場生まれなので、馬も怖がらず、どこにでも付いてきてくれました。しかし、私が東京に撮影に行っている時、車の前に飛び出してしまい、6ヵ月の短い付き合いでした。すぐ、似ている姉妹犬の(写真2)「のぞみ」をもらい受け10年、本当に楽しい時間を過ごさせてもらいました。のぞみのお陰で、近所の方とも仲良くさせていただき、田舎生活を満喫できたのです。子馬は怖がらないのですが、やはりオグリキャップにはビビってしまい、写真集「白の時間」に載っていますが、この表情、猫のキンギョのようにはいきませんでした。もともと病気がちの子でしたが、亡くなると、もう一匹の姉妹犬の「たまえ」を迎えました。姉妹犬3匹が私を支えてくれたのです。そして、沢山の写真のモデルをしてくれました。本当に有難う!
内藤律子ホームページ/ダイアリー更新いたしました。今回はとねっこカレンダー、https://blue-wind.wixsite.com/ritsuko-naito/複製-diary-11 です。6/18分はサラブレッドカレンダー、それぞれ、全絵柄のコメント付きです。ご覧ください。この活動報告を続けるのは大変です。まず、テーマが浮かびません。長くやっているので、当たり前のことばかり、それでも少しは興味を持っていただけることをと今回は私が行ったサラブレッドの故郷の話はどうでしょうか。サラブレッドの写真を撮り始めて、4・5年経った頃、81年にアメリカ ケンタッキー州レキシントンへ、本場のサラブレッドの故郷を見たくなったのです。英語がからっきしダメで、大学にも行けなかった私が6ヵ月、たった一人で部屋を借り、車をレンタルして・・・。今なら考えられません。でも若いって凄いですよね。社台グループの吉田善哉氏のご好意で、アメリカ事務所のスーザンさんの全面協力を頂きました。又、クレイボーンファームで働いていらした菅原氏に場長のコフマン氏をご紹介頂き、朝7時から夕方5時までの滞在許可を得たのでした。セクレタリアト、ニジンスキー、サーアイバー、ミスタープロスペクター等、よだれの出るようなメンバーでした。菅原氏のアドバイスで、優駿編集部にコレクトコールで電話し、世界の種牡馬のシリーズを頂きました。ただ、やはり、日本で基本的なことを習っていて良かったと思いました。アメリカは仕事の役割が分担されていて、そのクラスの人として扱われます。又、アメリカが何もかもいいわけではなく、日本との違いなど自分なりに判断する基準が必要でした。スカンクを引くこともなく、あっという間の6ヵ月、普通、英語だけの環境にいれば、喋れるようになるといいますよね。でも私は全く進歩ありませんでした。<笑> 写真1 セクレタリアト。写真2 ニューマーケットの丘。写真3はアガ・カーン殿下に認めていただいた写真。そのうち続きはパカラに書かせていただきます。パカラ次回はハギノカムイオーとオグリキャップです。そちらもよろしくお願いいたします。
写真絵本が作りたくて、久しぶりに追いかけたのが、今、北海道競馬に所属しているソイカウボーイです。残念ながら、まだ絵本は出来ていませんが、この馬を追いかけたことで、又、もっと馬に近づいたように思います。写真1は生まれて2週間ぐらいのまだお母さんべったりの頃。写真2は、大雨の中じっと雨に耐えている姿。今まででしたら、雨の日はお休みしていました。絵本にするには、うんちをしているところも、必要だと言われ、なら、当然雨の中もだと、カメラを庇いながらの撮影、新鮮でした。朝、太陽の出る前から、夕方まで、出来るだけ時間を作って会いに行きました。当然、側にいるのはいつもの事なので、馬は自然な姿を見せてくれます。寝そべっても、誰も気にしません。おかげでカレンダー用の写真も撮ることが出来ました。今は残念ながら、2度の怪我のため、背骨の軟骨が潰れ、長時間続けて撮影するのは厳しくなりました。それでも身体、気力の続く限り馬の側で私らしい撮影が出来たらと願っています。写真3「友情の契り」
日高に入って、初めは若駒や内国産種牡馬を中心に撮影していましたが、1979年の夏、「競馬報知」の依頼でカムイオー(競走名ハギノカムイオー)に会いに行きました。母イットーが、今風に言うと最優秀2歳牝馬&古馬牝馬に選ばれたような馬で、初子のハギノトップレディが、函館の新馬戦を日本レコードで勝った後でした。カムイオーは4/1生まれでしたが、どちらかというと小さい方でした。それでも放牧されると、母さんとは反対方向にいる仲間の方に一直線、戦いの中心にいるような子馬でした。子馬の成長を追いかけるのもいいかなと思った初めての馬でした。そして14戦8勝(重賞6勝)で、戻って来たカムイオーの子馬や孫達を追いかけるようになったのでした。牧場に泊めていただき、お産も沢山撮らせていただきました。その時「汗かいたら、洗ってもらったら気持ちいいだろう!」とお産後の母馬を洗う姿に感動したものでした。写真1 初めて会った時のカムイオー(2014年とねっこ表紙)。写真2 レディとダイイチルビー誕生の瞬間(2017年サラブレッド2月)。写真3 レディの子供ウメノアスコット(2014年サラブレッド6月)。生産牧場の内側から撮るチャンスをいただき、これが私の撮影スタイルになったように思います。
ファストフォースが生まれ、育った三嶋牧場野深分場、2017年、1月、9頭の1才牡馬がいた。その馬達が、なんと、オープン馬ファストフォース・マスターフェンサー・スマートセラヴィー・メイショウウズマサ・エルモンストロ(残念ながら引退)そしてオープンまでもう一歩のサターンだったのだ。一番のボス馬だったグリーンダンディ2016は残念ながら、育成中に亡くなったが、他の2頭も勝ち上がっており100%の勝ち上がり、そんな馬達を撮影出来たのだ。雪も多く、何しろ馬達が動いたので、楽しくてしようがなかった。ファストは一番小さく、ダンディにいじられていた。今回のサラブレッドカレンダーの表紙は、マスターフェンサーとサターン。1月はマスターフェンサーとダンディ、写真1は手前、左よりファストフォース・スマートセラヴィー・エルモンストロ、奥がマスターフェンサーとサターン。まだまだ、お見せしたい写真もありますが・・・。今週のプロキオンSにセラヴィーとウズマサが登録しています。頑張れ!!写真2はファーストフォース誕生翌日、桜の頃なので、桜の放牧地へ(残念!)。写真3は7月、母さんと。さあ、これからですね、応援しています。