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(株)文化財マネージメントの宮本です。今回修復を目指している大仏の内部から、制作されたときに書かれた銘文が発見されました。今まで曖昧だった制作年や仏師が明らかになる大発見です。この件について、修復を担当していただいている、吉備文化財修復所・代表の牧野隆夫さんから詳細と意義についてご寄稿いただきましたので、掲載します。令和3年10月15日熊谷市平戸源宗寺「おおぼとけ」 薬師如来像頭部内の墨書発見について吉備文化財修復所 代表 牧野隆夫本堂再建に伴い仮屋内で保存修理を進めている「おおぼとけ」薬師如来像から造像銘と考えられる墨書が発見されました。台座光背を新本堂へ入れ、広くなった周りに作業用足場を組み、二体のお像の清掃作業を始めました。像内は空洞になっており、仮台の下から内部に入ることが出来ます。まず像内の昔年の汚れや蜘蛛の巣の清掃から始めたところ、薬師如来坐像の頭部内(後頭部の内側)に墨書きがあることが分かりました。薬師如来像の頭部を上方から清掃している像の内部を清掃している[銘文]寛文三年卯 八月廿五日江戸 仏師 松田 庄兵衛 正重作 花押今まで文献上には、本像そのものの造られた時期が明確に示されてはいませんでした。今回発見された年号寛文三年(1663)は、寺伝にある寛文二年(1662)に勝願寺代14世玄誉上人による一万日念仏の勤行の折に造られた、とされる記述と合致する点で、造像時の墨書であることは間違いなく、その後の資料に出てくる元禄十四年(1701)に再興された、とされる「再興」の意味を明確に「修理」と解釈できる上でも極めて重要です。像は、その後正徳三年(1713)にも修理が行われ、さらに寛保二年(1742)の大洪水による損傷で修理が行われたようです。県内でも最大級の木造仏である本像2体は、大きさゆえに材料の木材の制約は感じられるものの、その造りは木で彫り上げた表面に全面布貼りし、漆下地、漆塗りを施し、その上での肉身部の漆箔という極めて丁寧なもので、江戸時代前期の「良い時代の造像技法」を示しており、また巨像制作の知恵を知る上でも貴重な作例と言えます。修復者としては、今後さらに多くの方々の支援を受け、より適正な保存がなされることを強く望むものです。