(田中加代さんの写真です。龍ヶ崎から見える筑波山)
台風16号と言う嵐で始まった10月。クラウドファンディングも大詰め、こんなにもたくさんの支援者がいてくださるなんて、私の人生無駄じゃなかったかも(^^♪
同時に政治も、経済も、コロナ禍の行く末も大きな変化をとげようとしていますよね(^^)/
コロナ禍は私が人生で経験した一番大きな変化かも・・第一の変化は昭和49年にフランスから新しい製菓機械が日本に入って来たとき。トウモロコシやイモなどを粉にしたものを圧縮して成型して味付けした、「カール」や「かっぱえび煎」などが爆発的に売れ始め、昔ながらの米の粉を使って成型した固焼き煎餅などは振り向きもされなくなりました。
当然固焼き煎餅一筋に製造してきた鍵林製菓も存続の危機。製造に関わっている人から近くの親戚迄集まって今後どのようにすればよいのか、話し合いが続きました。
同じ頃世の中はIC基盤産業がスポットを浴び、県内にも中小のIC基盤産業が増え脚光を浴びました。
すると、周囲の人がみんなで、もう煎餅なんか作っていてもだめだ、煎餅作りなんかやめて工場をIC産業に変えようという話になり、まず嫁の私を筆頭に若い女性が作り方を習ってこいみたいな話が出てきたのです。内心はギャー、針仕事もできないボタンも付けられない私にそんな細かい仕事できるはずない(-_-;)
大反対しているうちに餅製造機械の大手さんが今千葉で流行っている生切り餅を作ったらどうか、と言う話を持ってきたのです。生切り餅と言っても杵でつくのではなく粉を蒸して練って冷やして切る、いわば餅のインスタントラーメン。米と水と火で作る餅なら煎餅に近い、私も賛成してそこからピークの平成5年頃まで、煎餅と生切り餅を作るメーカーになり、鍵林の煎餅は今も生き残っている、と、言うわけです(^O^)/
ま、次々変化は起こるのですが長くなりますのでこの辺で・・
今日もたくさんのご支援ありがとうございました<m(__)m>