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アフリカの新しいオペラ!ブルキナファソで、現地の人々とじっくり・ガッツリ・コラボ

世界最貧国の一つ、西アフリカのブルキナファソで、現地の伝統音楽奏者たちとのコラボで新しいオペラを作っています。アフリカ人が自らの視点で語るアフリカの歴史、苦難と希望の物語を、アフリカの豊かな音楽を取り入れて描く、アフリカ独自のオペラの誕生をサポートし、見守ってくださいませんか。

現在の支援総額

695,500

115%

目標金額は600,000円

支援者数

61

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/08/22に募集を開始し、 61人の支援により 695,500円の資金を集め、 2021/11/08に募集を終了しました

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現在の支援総額

695,500

115%達成

終了

目標金額600,000

支援者数61

このプロジェクトは、2021/08/22に募集を開始し、 61人の支援により 695,500円の資金を集め、 2021/11/08に募集を終了しました

世界最貧国の一つ、西アフリカのブルキナファソで、現地の伝統音楽奏者たちとのコラボで新しいオペラを作っています。アフリカ人が自らの視点で語るアフリカの歴史、苦難と希望の物語を、アフリカの豊かな音楽を取り入れて描く、アフリカ独自のオペラの誕生をサポートし、見守ってくださいませんか。

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#keikofujiie の付いた活動報告

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この数ヵ月、オペラの完成版公演の準備の間に、あまりにもいろいろな困難が立て続けに起こり、毎日これが現実とは信じられないような思いで、なぜこうも苦難が連続するのかと、考えたところで答えなど見つからないし、一つ一つ問題に対処するのが精一杯でした。結局私は、フランス語の会話の通訳からバイクの運転まで、多くをマブドゥに頼らざるを得ないのです。様々の用事で各省庁を訪ねたり、ポスターや招待状を刷ったり、テーラーに行ってコスチュームを縫わせたり、足りない機材を知り合いのスタジオに借りに行くのすら、他のチームメンバーにはほとんど何ひとつ任せられないという状況が、マブドゥと私の二人を精根尽き果てるまでヘトヘトにさせた一因です。ですが、字がちゃんと読めない・書けない、公用語で込み入った会話ができない、そもそも大臣のような人々に会うこと自体に怯んでしまう、というような仲間に何かを任せることはとても難しいのです。ブルキナファソは多言語社会で、母語が異なる相手と話す機会が多いこともありますが、基本的にほとんど誰しも、相手の話を半分しか聞いていない印象で、早とちりがとても多く(これは喫茶店での注文などでも同じですが、間違いは頻繁に起こります)、コスチュームにしても、様々の不具合が生じて、何度やり直させたかわかりません。時間や期日も全然尊重されませんから、心配や気苦労は尽きることがありません。読み書きが不自由な場合は、やるべきことをリストにして一つ一つ確実に済ませていく - というような、先進国社会ではごく当たり前の方法もとれませんので、複雑で長い行程を全部頭に入れてもらうのは至難の技です。また、物事の全体像を見渡す力、それはオペラのストーリーや構成の全体像でもあり、またプロジェクトの全体像でもありますが、これを理解しようと努め、また実際に理解できる人がほとんどいないのです。それは意思の問題であると同時に、やはり経験と能力の問題でもあります。人生で、与えられた仕事をこなす、ということしかしてこなかった人々は、全体像を見ようとする気もないし、それを把握する能力が育っていないのでしょう。立て続けに起こる難題- 例えばバラフォニストのブレイマがデング出血熱にかかってしまい重症に陥ったこと(彼以外にも多くの人がこの期間、デング熱で倒れました)、教育省からの重大な手紙が、どこでどう間違ったのか、二週間以上も手元に届かなかったために、子どものための公演に児童たちを招待するのが直前になってしまったこと、ドイツから来てくれる音響技術者たちのために借りようとしていた家が、彼らの到着二日前に漏電火事を起こしかけたことがわかり、急遽他を探さなくてはならなくなったこと、4つ借りることになっていたマイクロポートが直前になって3つしか借りられなくなったこと(12台あったはすが、あとはすべて壊れていることが判明)、本番前日に合唱団員のお母さんが亡くなり、急遽お葬式があり(こちらでは人が亡くなると即日お葬式をするのが常です)、合唱団全体がほんの少しの時間しかゲネプロに来られなかったこと - なとなど様々ですが、それらの事態への反応や考え方が日本の常識とはまるで違うところが、私にとってはさらに状況を難しくします。いかに手作りオペラとはいっても、裏方をやってくれる人々の存在なしに、すべてをマブドゥと私で仕切るのは、かなり無理があったということです。彼は主役を歌っているのだし、私たちは作曲もし、私は演出もしているのですから。この事がわかっていなかったわけではないのですが、オペラとはどんなものなのか?という青写真を知る人がこの国のどこにもいないので、チームのなかにも外にも、裏方を任せられる人材が見つからなかったのです。ただ、あまりにもいろいろな苦難が立て続けに起こると、誰かに呪われていると考えるのが、こちらの人々の常です。そうなると、お祓いや生け贄を捧げての祈祷などが、忙しい最中に必須事項となりますから(マブドゥはいちいちそれを私には話しませんが)尚更忙しくなります。そして、曲がりなりにもすべての困難を乗り切って、公演が成就したとなると、やはりそのお陰だという話になります。念願叶った折りには、あらかじめ約束してあった捧げ物をしなければならないそうですから、それはまたそれで大変です。以前、あるアメリカ人が日本社会の特徴を「出る杭は打たれる」と表現していましたが、それはなにも日本に限ったことではないらしく、ブルキナファソでも、オペラプロジェクトが少しずつでも発展しているせいで、いろいろな方面から嫉妬され、身に覚えのない恨みを買っていることは大いにあるらしく、マブドゥが時々おうかがいをたてに行くフェティッシュからも、大勢の敵がいるだの、仲間から裏切りが出るだのと忠告を受けているそうです。それらの人々がやはりフェティッシュの力を借りて私たちにかけている呪いに打ち克つために、こちらもフェティッシュに頼らざるを得ないというわけです。もともと、物事をきちんと考え詰めて、前もって十分な用意をするという習慣が極めて根付いていないここの文化圏で、更に、いかなる場合も(冠婚)葬祭があらゆることに優先されてしまうというリスクを抱えつつ公演を成就させるには、確かに神仏や霊の力を借りる必要もありそうです。「○○人は~」などという言い方で、出自や人種で安易に人々を評価するような態度は極力避けたいのですが、正直なところ、やはり、公演の4~5日前にベルリンから駆けつけてくれた友人たち(ドイツ人と日本人)、現地に5年住んでいる日本のダンサー・吉田さんらには安心してそれぞれの持ち場を任せられました。それは彼らが本番から逆算して、どの時点でどれだけのことが必要かという計算をすることに慣れていて、彼らは彼らでそれぞれに予想外の困難に見舞われていはするのだけれども、それらをクリアしつつ一定の結果を出す能力が備わっているからです。(例えば、ベルリンから来てくれた二人のトーンマイスターは、ワガドゥグで一番設備の整っているはずの今回の会場で、故障しているケーブルの修理に3日の間、毎日数時間ずつ費やしました。それでも尚、公演の途中でケーブルの不具合から効かなくなってしまったマイクもあったのです。)実際に彼らは皆それぞれに、こちらの期待以上の仕事をしてくれて、そのお陰で実際面のみならず、精神面でもとても助けられたという気がします。(不意打ちの困難に見舞われ続ける中で)良い意味の驚きは、プロジェクト内部に素晴らしい高揚感をもたらしてくれるからです。結果に対する強い責任感とビジョンを持って行動するのは、社会のなかで培われていく能力です。ところが、そのような考え方がほとんど存在せず、責任という感覚も異なる地平に存在している文化圏においては、仕事をする上で相手をどこまで信用して良いのやらわからなくなってしまうことがままあります。何事も神の御意志で起こるのであって、なにかがうまくいかなかった場合、それは神がそう望まなかったか、あるいは誰かに呪いをかけられたせいであると考え勝ちな精神性と、失敗の原因をあくまでも自己、あるいは他の誰かの行動のなかに追求し、それを反省し、次回の改善に備えようとする精神性には大きなギャップがあります。余談ですが、「改善」という日本語がブルキナファソのエリートたちの間でもかなり流行っていて、最初にこれを聞いたときに私は、そんな当たり前の考え方の何に彼らが感動しているのか、さっぱりわかりませんでした。今は、それが当たり前の考え方として根付いていないからだということが、はっきりわかります。文化の多様性を認め、互いを尊重しながら協働していくことの難しさは、まさにここにあると思います。しかしながら、崖っぷちギリギリまで追い詰められた人間の底力、危ない橋を渡らざるを得ない一か八かの悲惨な覚悟というものも、思いがけない成果を発揮させることもあります。実際に今回何が起こったかということは、いわゆる裏話の類いですので割愛しますが、そんないろいろな力が混ざりあって出来上がったのが、よくも悪くも公演という結果なのです。ここまでの文章で、私は彼らの文化圏の良さにについてほとんど言及していないことに気付かれているかもしれません。全くその通りなのです。それはきっと、この怒濤のような苦難の日々に、私はいつしかそれを見失ってしまっているからだと思われます。マブドゥはマブドゥでまた、彼らにとって特に大切ではない細部が、私にとって大変重要であることがなかなか理解しがたいということを漏らしていました。彼と私は、互いの文化圏のエッジに立っていて、例えば彼はこちらでは大変珍しいことに時間厳守であるし、私は私でかなりブルキナファソ的な振る舞いに慣れてきてはいるのだけれど、それでもやはり、互いに川の両岸から手を差し伸べ合って、プロジェクトが崩壊せずに発展を遂げるよう協力しているような感覚があります。数多いといわれる"敵"の狙いもまさにそこだそうで、マブドゥと私が決裂するようにと、様々に呪いをかけていると言います。実際にそういう危機は何度も訪れたのであり、それを乗り切ってここまでたどり着いたのは、互いの我慢と、共に見た夢に賭ける熱意だけではなく、奥底にある人間同士としての信頼だったと今になってわかります。彼はもともと批判を受けたり、激しい口論などによる衝撃に弱く、これまではそういうことが起こる度に演奏には悪い影響しか出ませんでした。しかし、今回はそれを克服して、直前までの様々の葛藤、それに加えて出番の直前まで席の暖まる暇もないくらい雑事に駆け回っていたにも関わらず、見事に、ほぼミスなく、主演の大役を果たしました。彼が自分自身を乗り越えたこの公演の成果は、何よりも私を感動させました。暫定軍事政権のもと、現在の政権に対する二度にわたるクーデター未遂があり、夜8時以降は交通規制と厳重な警戒態勢が敷かれ、今回の会場CENASAの回りも夜は人通りが極めて少なくなります。外交団はその地域への夜間立ち入りがほぼ禁止されているそうです。午後4時からの子どものための公演が満席だったのに引き換え、夜の公演は人数がまばらだったことの一因はそれだと思います。公演から5日後には、地方の村でテロのために百人近い人々が虐殺されるという痛ましい事件が発生しました。また、原因はわかりませんが、今年はデング熱が大変な勢いで蔓延しており、病院はどこも一杯の状況です。そんな中、二つの公演を無事に終えられたことはすでにそれ自体、幸運なのだと思います。最後になりましたが、オペラの主役を歌いながら4つの楽器を弾きこなし、私のアシスタントとしてあらゆる面で大活躍し、このプロジェクトを支えてきたマブドゥとはいったいどんな人物なのか、彼のプロフイールを紹介したいと思います。彼は来年40歳を迎える、なかなか優れた作曲家・歌手・楽器奏者ですが、他のミュージシャンたちがフランスやベルギー、あるいは中国などに演奏旅行に行く機会を得ていくのを横目にしながら、不思議といまだにそのチャンスに恵まれたことがありません。外国といったら隣国のガーナとベナンにしか行ったことがなく、飛行機に乗ることが長年の夢で、今回ドイツから来た友人たちが残していった機内用スリッパと歯ブラシ・耳栓のセットをもらって子どものように喜ぶマブドゥ。そんな無邪気で素朴な面を残しながらも、彼は一族の実質的な長の役割を果たしていて、親類縁者のあらゆる揉め事・厄介事は彼のところへ持ち込まれます。それを解決したり助けたりすることは、真から性に合っているようでもありますが、やはり疲れはててしまうこともありますし、慢性的な不眠症に悩まされてもいます。リセ(高等学校)を中退したそうですが、バンドのなかではもっとも高学歴で、彼がリセで習った英語をメインに、私の下手なモレ語とそれより更に下手なフランス語を混ぜてやり取りし(マブドゥはこれらの言語はかなり得意ですし、それに加えて母語であるジュラ語とボアモ語を話します)、これで4年間のプロジェクトを支えてきたのですから、誤解がちょくちょくあったのも驚くには値しないわけです。この文章を書き終えようとして、マブドゥこそが孤独なのかもしれないと、あらためて思い当たります。ドイツから駆けつけてくれた友人たちを私が安心して頼れるのは、文化的背景だけではなく、彼らが友人であるからという理由が大きいのかもしれません。だとしたら、いつでも他人を助けるために奔走しているマブドゥに、彼にとっても晴れの舞台であるこの公演に際して、オーバーワークの彼に(普段彼から助けられている人々から)助けの手が差し伸べられないのは、何故なんでしょう?それもある種の嫉妬なのか、気後れなのか、単に彼が人に頼ることが下手なのか、私にはよくわかりません。私が昨夜、ブルキナファソを離れて南アフリカへの1ヶ月の旅に発つのを、空港までバイクで送ってくれながら、軽やかにオペラの曲を口ずさんでいたマブドゥ。オペラの曲はマブドゥと私で半分ずつ作曲していますが、それは私の曲でした。マブドゥ、遠からずして、あなたが飛行機に乗る番が来ると思うよ。それが現実的な夢になったとあなた自身思えるからからこそ、そんなに軽やかに口ずさんでいるんだよね?(追記を数日後に投稿します。写真はSophie Garciaの撮影したものです。)


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ご無沙汰しております。皆様その後いかがお過ごしでしょうか?皆様のご支援により実現したボボ·ディウラッソでの公演から一年が経ちました。あらためて御礼申し上げます。その後あまりにもいろいろなことが起こりましたので、一年前とはいうものの、遥かに昔の出来事のように思われます。ボボ公演の直前にクーデターが起こり、ダミバ政権が誕生しましたが、昨年9月末には2度目のクーデターが起こり、現在はイブラヒム·トラオレの政権下にあります。首都·ワガドゥグでは状況は比較的安定していますが、地方ではテロリストとの激しい攻防が繰り返され、人命が失われ、多くの人が難民となってしまっている毎日です。10月末から11月初頭にかけて開催が予定されていたSIAO(ワガドゥグ国際工芸見本市)はアフリカ全土から10日間で、のべ30万人が訪れるといわれる大きなイベントですが、9月のクーデターの後、延期が発表されました。私たちのオペラはSIAOの野外オープンステージで(部分的にですが)公演を行う予定でしたので、怠りなく準備を続けて開催を待ちました。その間に、日本から送金した資金が着金しない、知人に原付バイクを貸したところ、その人が大事故を起こしてバイクが大破してしまった等、思わぬ困難が相次いで、なんとも心もとない日々でした。私のバンドのメンバーの故郷Nounaはテロリストが猛威をふるい、とりわけひどい状況に陥っている地域のひとつですので、皆故郷の家族に仕送りして援助していますから、私もなんとかして資金を調達して公演を行い、メンバーにギャラを支払うことでそれを助ける必要に迫られていました。10年程前にブルキナファソで日本大使をしておられた杉浦勉元大使は丸紅株式会社の方で、現在丸紅ギャラリーの館長をしておられます。昨夏帰国の折にお目にかかり、SIAOへのオペラの参加の話を聞いていただき、ご支援をお願いしたところ、ご尽力くださり、幸いにも丸紅株式会社がSIAOでの2公演分の資金を提供してくださいました。しかしSIAOの新日程はなかなか決まらず、もうキャンセルされてしまうのではという憶測が巷で飛び交いました。「そんなはずはない。トラオレ大統領はきっと市民の願いを尊重してSIAOを実現してくれる」とメンバーと語り合って練習を続けましたが、私たちの経済状態は逼迫するばかり…。そこで、ただSIAOの開催を待ってばかりもいられませんので、当地のゲーテ·インスティテュートに提案して、一般の若者を公募してオペラに参加してもらう道筋を開くため、歌とダンスを教えるワークショップを行うことになりました。これは楽しい経験でしたが、ウクライナ戦争の影響でドイツ政府が文化予算を軒並み25%カットしたため、経済的には大変厳しい状況でした。12回のワークショップの成果をお披露目する公演を12月9日にゲーテ·インスティテュートで行いましたが、毎度のことながらテクニカル·スタッフ(音響·照明)の技術不足·知識不足のため各種混乱が生じ、思うような上演が出来ませんでした。これはとても残念なことですが、ブルキナファソの多くのミュージシャン、そしてイベントの主催者たちが共通して抱える悩みなのです。私も次回からは必ず、オペラプロジェクト専任のテクニカル·チームとリハーサルを重ねて本番に臨むことが不可欠だと肝に銘じました。そうはいっても、ボボ公演のときのようにドイツからトーンマイスターに来てもらうには相当な費用が掛かりますので、毎回というわけにはいきません。そこで地元のThéâtre Soleil(太陽の劇場という名前です)のオーナーで、優れた演出家でもあるThierry Hervé Ouéda氏と契約して、オペラ完成版公演は彼の劇場で今年5月に行うことにし、その劇場でリハーサルを重ねていくことにし、Thierryさんと劇場のハウス·エンジニア(劇場の専任の音響係と照明係)のチームが演出に取り組んでくれることになりました。Thierryさんとは12月半ばからリハーサルを開始しましたが、豊富なアイデアとみんなを鼓舞する独特の力を持った人で、彼の演出に大いに期待しています。そうこうするうちに、ようやく発表されたSIAOの新日程は1月27日から2月5日とのことでした。実は、1月1日から23日まで私の書いた別のオペラの公演のためドイツに行くことが決まっていましたので、私にとってはかなり厳しい日程でした。ですのでSIAO当局と交渉して2月1日と3日に出演することにし、私がドイツに行っている間は私抜きでしっかりリハーサルをするようにバンドのみんなに指示をしてからドイツに向かいました。ところが私はドイツで体調をひどく崩して入院してしまったのです。退院から6日目にまだフラフラする身体を引きずるようにしてなんとかワガドゥグに戻り、リハーサルに参加し始めたのが25日でした。開幕日の1月27日、私のオペラチームは午前中いっぱいThéâtre Soleilでリハーサルをした後、さらに次の月曜日、火曜日の追加のリハーサルの必要性を話し合い、解散後昼食を摂りながらマブドゥと追加分のリハーサルに関する支払いについて相談しているところへ、SIAO当局から突然WhatsAppのメッセージで今夕17:00からの出演だから直ちに会場へ来てサウンドチェックをするようにとの指示がありました!一度解散してしまっていたので、全てのメンバーに再び電話してすぐに準備を整えて会場へ向かってもらうのは至難の業でした。「いくらブルキナだからといっても、これはあまりに酷い。断るべきだ」と言う人達もいて、元の日程に戻すよう交渉しろと言われましたが、交渉したくても担当者にもそのボスにも電話はめったに繋がらないのです。開幕日はなおさら不可能でした。その上、その日の昼に公表された日程表を見ますと、私たちの出番は元の日程とはまるで異なる、1月27日(金)、30日(月)、2月2日(木)の17:00からとなっていました。メンバー全員を説得して楽器を急遽車に詰め込み、会場へ到着したのは16:10でしたが、そこからは延々待たされ、しかも12月半ばに提出した必要機材表に明記していたマイクロポートは用意されていませんでした。驚いて知り合いの音響会社から借りようと電話しましたが、折悪しくテレビ局にすべて貸し出してしまったとのことで、この時点でせっかくThierryさんと用意してきた演出の殆どは(マイクロポートなしでは歌手が動き回ったり、踊りながら歌うことができないので)実行不能になってしまい、代替案を楽屋で練る羽目になりました。SIAOのオルガニゼーションは混乱を極めており、ある程度予想はしていましたが、まさかこれほどまでとは想像しておらず、本当に呆れました。すべての混乱をここへ書き記してもキリがありませんが、まぁめちゃくちゃなんです。いつ再入院しなければならない事態に陥るかと心配しながら、毎日無理しすぎない生活を心掛けていたところへ、この大混乱!!自分が果たしてちゃんと演奏できるかどうか心配しましたが、チームのみんな共々異様な緊張の中で頑張って、結果は上々でした。開幕日の演奏の後「とても良かったよ!」とみんなに労いの言葉をかけたときの、みんなの嬉しそうな顔が忘れられません。しかしSIAOにおいても音響面のテクニカルな問題は少なからず起きました。とにもかくにも3公演を終えてホッとしています。3度目の公演は予定になかったので資金をどうしたものか、予定外のことだからお断りしようかと迷いましたが、奇特な方が500€をご寄付くださり、それでメンバー全員に出演料を支払うことができました。今は5月初旬の完成版公演のため、プロット全体を再考して手を入れている段階です。最近一番嬉しかったことは、コメディアンのLamissaがLa paix (平和)という曲の中でグリオの流儀でソロを歌わせてほしいと申し出て、やってもらったところとても良いので採用したことです。みんなが作品が少しでも良くなるようにそれぞれのアイデアを持ち寄って臆せず挑戦する姿勢が育ってきたこと、そういう雰囲気が作り上げられてきたことはこの数年の何よりの成果です。その部分の動画をどうぞご覧ください。


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皆さま、大変長らくお待たせしてしまいました。ようやく、2月4日のボボ公演の動画をプレミア公開する準備が整いました。こんなにも長く掛かってしまったのにはいくつか理由があるのですが、最大の理由は日本語字幕を作成していたからなのです!支援者の皆さまにご覧いただくのに、やはりフランス語字幕だけではなく日本語字幕を付けたほうが良いと、在ブルキナファソ日本大使がおっしゃり、最初はとても無理だと思ったのですが、なんとか頑張ってみようと思い直しました。下手な訳で申し訳ないですが、精一杯頑張って作りました。内容をご理解いただく一助になれば幸いです。英語はYouTubeがフランス語からの自動翻訳で提供したものを少し手直ししただけではありますが、これもご覧いただけます。フランス語、日本語、そして英語の中からお選びいただいてご視聴くださいませ。オペラの中で主人公と母親が着ている衣装は、リターン製品のストールとほぼ同じ柄です。公開用リンクはこちらです。https://youtu.be/g2xa_LDflXI


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ニュースでご覧になったかもしれませんが、ブルキナファソでは1月23日の日曜日にクーデターが起こり、カボレ大統領は拘束され、辞任させられました。現在は暫定政府が統治しています。ボボでの集客戦略や会場設置、アンプリファイや録音録画のための機材の確認と調達…それらのためにマブドゥと私がボボへ向かって出発した日の朝早くクーデターは起こったのです。私たちの住まいからも明け方銃声が聞こえました。私たちは予定通りボボへ向かいましたが、その日の夜から夜間外出制限令が出され、21時までに帰宅することが義務付けられたため、2月4日に控えたボボでの公演の開始時間を大幅に繰り上げねばならないか、そもそも公演が可能かどうか、大きな不安を抱えたまま準備を進めるためには強い信念と精神力が必要でした。ボボには2泊して、できる限りの事をしてワガドゥグへ戻ってきました。外国人は外出しないようにとの指示が出ていたので少々不安ではありましたが、無事に戻って来られました。ワガドゥグへ戻ったタイミングで、公演を延期すべきだの、キャンセルすべきだの、18時開演に変更すべきだの、いろいろなアドバイスが来て、ますます不安を掻き立てられました。そのようなことを簡単に言われても、このような比較的大きな公演を延期すると多大な費用が発生し、次はいつやれるのか、どうやって経済を立て直せばよいのか、主催する立場には大問題なのです。どうしても出来ないときは仕方がありませんが、慌てずに状況の変化を待って落ち着いて決断しなくてはなりません。幸い、27日木曜日の夜には、夜間外出制限が24時までと延長されました。慌ててキャンセルなどしていたら元には戻せなくなっていたところでした。話が前後しますが、12月下旬にブルキナファソのプロフェッショナルの演出家とそのチームと契約し、オペラ制作に加わってもらうことにしました。ところが12月30日の、演出家との初リハーサルで、彼女の仕事の進め方に大きな疑問を感じ、翌31日にはその疑問は決定的な不信となり、この演出家との協働の話は白紙に戻す決断をしました。先払いた分の費用は無駄になってしまいましたが、そのまま進めていたら、きっと私たちの思い描くオペラとは似ても似つかないものになってしまったのではないかと思います。ブルキナファソにはオペラの歴史はないのですから、もちろんオペラの演出家などいるはずもなく、この演出家も演劇やコメディ、そして一度ミュージカルを演出したという話でした。人選ミスといわれれば誠にそのとおりで、貴重な財源を結果的にいくらか無駄にしてしまったことは、大変心苦しく、支援者の皆さまに幾重にもお詫びします。このことで年末年始はいろいろ揉めて、ストレスからなのか体調を大きく崩してしまい、散々でした。でも、もうこれ以上新しい演出家を探す時間もお金もないと腹をくくり、自分で演出する決心がつきました。これはある意味、長年の夢でしたが、思い切って挑戦することをたじろいでいたのです。ヨーロッパで数々のオペラを見てきたけれど、一度として演出に感動したことはなかったし、それどころか大いに疑問を感じることがしばしばでした。自分のこれまでのオペラの公演の演出家に関しても、必ずしも満足というわけではなかったのですが、オペラの演出はとても難しいので、自分でやるのはますます無理だと考えていたのです。でも、崖っぷちまで追い詰められてみると、アイデアが湧いてきて、仲間たちにもそれを示して、彼らのアイデアも募りました。すると、みんな次から次へといろんなアイデアを出してきて、様々な経緯で打ち沈んでいた雰囲気が一挙に回復しました!小道具大道具も友人たちの力を借りたり、マブドゥと私でマリオネットを作ったり、そのプロセスもまた楽しいもので、みんなの隠れた才能を発見しました。手作りのオペラですが、へたに「プロフェッショナル」に頼ろうとするより、この方が新しいオペラを作るにはふさわしいという気がしました。ヨーロッパのクラシックオペラでは音楽監督(指揮者)、演出家が大きな権力を持っており、歌手や演奏家たちはいわば彼らの手足となって働くような光景がまま見られます。自分では1音も出さない人たちが全体を仕切るという構図の、メリットも確かにあるでしょうが、デメリットについても再考する必要があります。「プロフェッショナル」という概念が発達したことによって、仕事が細分化され、ピラミッド型の階級制度によって報酬も権限もごく少数の人々に集中する現状は必ずしもよい結果を生み出しません。誰かの手足となって働いているだけだという感覚は、参加者ひとりひとりのクリエイティビリティを制限してしまいます。ブルキナファソの国の体制が大きく揺らぎ、変わろうとする今、過去から積み重なった不条理や不公平をどのように改善していったらいいのか、それは私たちのオペラ作りとも決して無縁ではないと感じます。いよいよ来週の金曜日に公演です。クーデターが起こったばかりのブルキナファソに、ドイツから二人のトーンマイスター(録音とそのプロデュースのドイツ国家資格です)が29日に来てくれます。彼らの知恵と力を借りて素晴らしい録画をお届けできるように、皆で最善を尽くします。どうぞ楽しみにお待ち下さい。ちなみに動画は、ブルキナファソの国営放送RTBが流してくれる宣伝用スポットです。


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https://www.facebook.com/emissionscanalplusafrique/videos/848005999243984/Canal+はフランスのテレビ局で西アフリカでも大きな影響力があります。撮影と取材は私がベルリンへ行っていた8月にブルキナファソのTV Omegaが行い、私は参加できませんでしたが、新メンバー二人を加えたリハーサル風景がご覧になれます。コンサート映像と私のオンラインインタビューも入っています。ブルキナファソの首都ワガドゥーグーの風景もお楽しみください。