アフリカの新しいオペラ!ブルキナファソで、現地の人々とじっくり・ガッツリ・コラボ

世界最貧国の一つ、西アフリカのブルキナファソで、現地の伝統音楽奏者たちとのコラボで新しいオペラを作っています。アフリカ人が自らの視点で語るアフリカの歴史、苦難と希望の物語を、アフリカの豊かな音楽を取り入れて描く、アフリカ独自のオペラの誕生をサポートし、見守ってくださいませんか。

現在の支援総額

695,500

115%

目標金額は600,000円

支援者数

61

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/08/22に募集を開始し、 61人の支援により 695,500円の資金を集め、 2021/11/08に募集を終了しました

アフリカの新しいオペラ!ブルキナファソで、現地の人々とじっくり・ガッツリ・コラボ

現在の支援総額

695,500

115%達成

終了

目標金額600,000

支援者数61

このプロジェクトは、2021/08/22に募集を開始し、 61人の支援により 695,500円の資金を集め、 2021/11/08に募集を終了しました

世界最貧国の一つ、西アフリカのブルキナファソで、現地の伝統音楽奏者たちとのコラボで新しいオペラを作っています。アフリカ人が自らの視点で語るアフリカの歴史、苦難と希望の物語を、アフリカの豊かな音楽を取り入れて描く、アフリカ独自のオペラの誕生をサポートし、見守ってくださいませんか。

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8月5日の万博でのコンサートの模様

今回の投稿はお金に関する話です。皆様とはご支援という浄財を通してのご縁がありましたので、この国におけるお金のあり方の一端をご紹介させていただきたいと思い立ちました。

ブルキナファソは多民族・多言語社会で、以前公用語だったフランス語を含めて様々な言語が話される、いわば言語のるつぼです。その中で一つ不思議なのが、お金の数え方です。未だに、事実上フランスが発行するCFA(フランセーファ)が通貨として使われていますが、例えば1,000CFAを地元各種言語では 200と呼ぶのです。25CFAは5、5,000CFAは1,000、というように常に5で割って呼ばねばなりません。これは何故かというかというと、一番小さい貨幣が5セントだからだそうです。1セントのコインは存在しないので、5セントを1と数えざるを得ないそうです。ともかく、今でこそ慣れましたが、初期の頃はよく頭が混乱しました。私は買い物の時にもなるべく現地語を使うようにしていますが、実はCFAだと感覚的にむしろしっくりくるのです。紅茶1杯が100CFA、ランチセット(汁物、ご飯、水)が300~500CFA、アボカド・サンドイッチが100~150CFAというように。実際に円換算するためにはこの数字を4で割るのですが、そうすると現地の数え方に近い数字になります。(ブルキナファソへ来た頃はユーロが今ほど強くなかったので、5で割ればほぼぴったりでした)そういえば、この前、日本へ出発する直前にある音楽フェスに参加したときのバンド全体のギャラが40,000CFAでした。この時、10,000CFAを出発直前に空港前喫茶店で行う予定だった私の誕生日祝いのために取り除けておいて、残りの30,000CFAを6人で割りましたので、1人あたりの取り分は5,000CFAでした。円換算すると1,250円ですが、ワガドゥグにいれば日本における5,000円相当くらいの価値はあります。

さて、今回の万博公演は純粋なボランティアで、1円のギャラも支払われませんでしたが、日当1日11000円✕6日、および宿泊費25000円✕5泊分が各人に支給されました。実際に泊まった宿はもっと安いところで、(後で知ったのですが)差額は返さなくてよかったのです。

日当は、もちろん食事や交通費として支給されたのですが、途中から貨幣価値に気付いたバンドメンバーたちが、可能な限り自炊をして節約に努めたことは想像に難くないでしょう?といっても、最初の宿に付いていたキッチンはIH式でしたから、普段は炭か、せいぜいガスボンベで調理している彼らにはなかなか火加減が難しく、結局調理は私か、日本人ダンサーの吉田さんが主にやりました。

それやこれやで一生懸命節約したお金を関西空港でブルキナファソへ送金し、ワガドゥグへ戻った時には現地通貨で引き出せるようにしておきました。その金額は5人分合わせて約150万CFA。つまりワガドゥグでは150万円ほどの価値がある金額です。それが証拠に、銀行ATMでの1日の引出し限度額は100万CFAですので、2日に分けて引き出さねばなりませんでした。

注目していただきたいのはこの後の経緯です。つまり、一人当たり平均30万の現金を手にしたというのに、10日経った頃には、それらは跡形もなく消えたと言うのです、それも一人を除いて全員が!皆さんは、彼らが山のような借金を清算したとか、喜びのあまり、バイクか何かの大きな買い物をしたとか、そんな想像をなさるかもしれません。でも、違うのです。

日本のような先進国へ行ったからには、相当なお金を持ち帰ったに違いないという勝手な想像で、毎日毎晩、近隣やワガドゥグのあちらこちらからは無論のこと、遠い村からまでも噂を聞きつけて多くの人々がお金を無心してくる、あるいは奢ってくれと迫る…などなどの連続で、お金は瞬く間に無くなったというのです。実はこれは十分に予測された事態なので、ヤクバは到着の翌朝早く、壊れていたバイクのエンジンを買い変え、マブドゥはこの先2ヶ月分の米袋を買いに行ったりと、それぞれ必要最低限の自衛はしていました。それにしても、無心されたらお金を渡さなければならないという感覚が、ちょっと理解し難いかもしれませんが、それがこの社会の実態なのです。私もブルキナファソへ来て長いので、分かっていたつもりでしたが、それにしても30万CFAが瞬く間に消えてしまうとはあらためて呆れました。ところがバンドメンバーがいうには、この件で私は「女を上げた」(通常は男、ですが)というのです。人々はこの経緯で私のことを今までにも増して尊敬しているのだとか…。つまり自分たちのところにお金が流れてきた、その川上にいる存在として私を有難がるという意味なのでしょう。

そういえば、私が1年4ヶ月もワガドゥグへ帰ってこなかった間、心無い人々は「彼女はもう二度と帰ってこないつもりなんだ。マブドゥたちはナサラ(白人)と一緒にいて良い気になっていたけど、結局は相手にしてみれば大した金額でもないのに、自分たちにとっては大金を支払ってもらっていると喜んで一緒に仕事していたけど、見捨てられたのさ」と噂していたそうです。まぁ、噂好きな人々が勝手なことをいうのは、どこの国にもあることですから、目くじらを立てても始まりません。

ちなみに、もう一つ驚いたことは、1年4ヶ月ぶりに帰宅してみると、居候が4人も増えていたことでした。正確にはマブドゥの家に3人、隣家のヤクバの家に1人ですが、隣家といっても境界はなく、トイレ兼風呂場は我が家(マブドゥの家)のを使っているのですから、感覚的には一つの家です。居候が1CFAもお金を入れないで居続けるのに苦情も言えない、あるいは言う気もない、というのがまた理解し難いところですが、まぁ、それでも持ちこたえていける自分の状態を天に感謝する、という気持ちといいますか、そのような意識で過ごしているとしか思えません。

確かにそういう考え方は美しいし、私もそう考えることにしています。でも、やはり時々不条理を感じることがあります。今まで、一番こたえたのは、私の留守中にマブドゥがバイクを人に貸して、その人が大事故を起こし(衝突事故で、相手は即死したそうです)、バイクが大破損した上、2ヶ月も警察に押収されたままになったときでした。私はベルリンでその報せを受け取りましたが、マブドゥの説明は私にとっては支離滅裂で「もしそのバイクに乗っていたのが自分だったと考えると非常に怖ろしく、身代りに事故に遭った従兄がどうか死なないように祈るばかりだ」というような内容でした。その人は私にとってはほとんど見知らぬ人でしたが、マブドゥにとっては従兄なので動揺していたのはわかりますが、バイクは彼と私が共有しているもので、もちろん買ったのは私でした。オペラプロジェクトのために街中のあちこちへ行く必要がありましたから、その度に他人のバイクを借りるわけには行かないし、その後マブドゥが兄から譲られたバイクに乗っていた時期もありましたが、ボロのバイクだとしょっちゅう不具合が起きて、修理しているうちに約束の時間に大幅に遅刻してしまうこともあったので、一念発起してヤマハのオリジナルバイクを買ったのです。これには、家を建てた時よりも高いお金がかかりました。ヤマハのバイクをこちらで買うと、フランスの課す関税のせいで日本で買うよりも高いのです。

だんだんにわかったことですが、その事故は早朝に起こり、双方がスピード違反を犯していたそうです。幸いマブドゥの従兄はわりと早く回復し、亡くなった相手の遺族も訴えないという決断をしたので、マブドゥはホッとしたようでした。

私が納得できなかったのは、マブドゥからも事故った本人からもきちんとした謝罪がなかったこと、そして当然のように修理費は私がもつと思っているかのような態度でした。「次からは保証のあるバイクを買ったほうがいい」と、ベルリンから戻った私にマブドゥが告げた時、内心怒りが込み上げました。当時の私にとっては、バイク代は本当に大金でしたし、次のバイクなんて買う余裕はなかったのです。自分よりは遥かに金持ちだと私のことを考えているのでしょうが、勝手にバイクを貸して、それが壊れたのになぜ私が次のバイクを買わなくてはならないのでしょうか?

内心は彼もビビっていたのでしょうが、ビビった時ほど強気に出るという変な癖が当時の彼にはありました。でも私もこんな理不尽な話があるものかと憮然としていましたので、案の定大喧嘩になりました。当時、ワガドゥグを訪ねてきていたマブドゥの一番親しい従弟で警察官のバキスが、片言の英語で一生懸命取りなそうとしてくれましたが、理解し合うのは難かしく、私はバイクが事故を起こしたのではなく、早朝からスピード違反で走らせたドライバーが事故を起こしたのだから、断じて身代わりの犠牲などではないと一歩も譲りませんでした。バキスだって何もそんなマブドゥの考え方を支持していたわけではなかったと思います。

結局バキスが、当時臨月だった彼の奥さんのバイクをワガドゥグにおいて行くから、警察からバイクが戻ってきて修理が完了するまで使うようにと申し出てくれました。このありがたい申し出により、次のバイクを買う云々の話はしなくて済むようになりましたが、結局バイクはどんなに八方手を尽くして頼んでもなかなか返してもらえず、2か月後にようやく返してもらい、修理に出しました。

この時、私が136,000CFA、マブドゥが66,500CFA、事故った本人は10,000CFAを支払い、バイクは何とか再び走行できる状態に戻すことができました。日本円にして5万円強ですが、壊れたときの無惨な写真を見た日本の知人が「買い替えた方が良い」と即座に言ったことを思えば、案外安価で修理出来たと考えるべきかもしれません。

しかしご想像に難くないでしょうけれども、その後事故った本人は1CFAたりとも(5CFAたりとも、というべきですが)補償しに来ません。私は数回、マブドゥを通じて毎月1,000CFAずつでも返すように言いました。自分で直接言いたいのは山々でしたが、そこはグッとこらえて、西アフリカ式に仲介人(マブドゥ)を立てたのです。しかしながら、あれこれの言い訳で、そのうち払いますという返事が間接的に伝えられるだけで、3年近くが経過していますが、何も起こりません。

遂に私は、万博公演から帰って来て、最初のバンドのミーティングでこのことを問題提起したのです。

それは、マブドゥが日本で行ったワークショップの謝金を受け取ったら新しいバイクを買い、今のバイクは妻に譲ると私に話したからです。これは単にアイデアとして話しただけですが、私の心にくすぶっていた割り切れぬ思いが、再び頭をもたげました。1週間ほど経ってから、私は「賛成しかねる」とはっきりマブドゥに伝えました。まだ損害賠償を受けていないバイクを、たとえ妻であっても譲るのは賛成できない。もしも新しいバイクを買って、今のバイクが不要だというのなら、それを売って修理費を穴埋めすべきだ、と。

これが理に適っているかどうかは、自分でも半信半疑でした。中古バイクはどんなに状態が良くても、250,000CFAで売れればラッキーですから、ちょうど初期の修理費に相当するくらいにしかなりません。それよりも、我が家に2台のバイクがある方が何かと便利だとマブドゥは考えたのでしょう。

しかし、1台だろうが、2台だろうが、ここの風習では誰かが貸してくれと頼んでくれば貸さざるを得なくて、借りた挙句に使ったガソリンすら補填しない人も大勢いますし、挙句に自分で買わない(買えない)人々に限って使い方は荒く、しばしば故障して戻ってきます。その修理代も全てこっち持ちですから、たまったものではありません。いかに「郷に入れば郷に従え」と言われても、限界があります。今回も日本滞在を終えて帰ってみると、誰が使ったのか、バイクのブレーキがおかしくなっていました!

こんな状況で、2台のバイクの面倒を見るなんて私は真っ平なのです。

マブドゥとはこの5年余りの間、何度か激しくぶつかりましたが、「雨降って地固まる」というように、より深い信頼と相互理解を築いて来たと信じています。しかしこの一件は未だに未解決なのです。そこで遂にバンド全体の意見を求めました。

驚いたことに、これまで誰も私に告げていませんでしたが、事故った人は、その後第二の事故を起こしていたのです。

それに加えて、(これはバンドのミーティングに先駆けてマブドゥ自らが私に話したのですが)、マブドゥもかつて(私に出逢う前に)大事故を起こして2週間ほど入院しましたが、その時真っ二つに壊れて修理不能になった(人から借りた)バイクに関して、1CFAも補償しておらず、何故かと問うと「持ち主が全く要求してこないから」と答えるのです。

彼にとっては、自分もかつて他人を同じ目に遭わせたから、自分もそういう目に遭っても仕方がないということなのでしょうか?

私は、バンドの皆が日本まで行って、単にボランティアとして万博公演を行っただけで、何のお金も稼ぐことが出来ずにワガドゥグへ戻るなどということにならないように、日本で1年以上も全力を尽くして画策しました。労働ビザが発給されるケースではなかったのですから、合法的に彼らに何らかの収入を得させるためには、どうしたら良いのか、それを考え、実現するのは本当に難しい課題でした。マブドゥは他のメンバーの数倍働いて、私の片腕としてプロジェクトを支えて来たのですから、彼には特に報いたいと思ってきました。

彼には9月に、相当の支払いをする準備をしていますが、彼はそのお金を手にしても、以前壊した他人のバイクの補償をするつもりはなく、自分に新しいバイクを買って、また無責任な他人に貸し出して、もしかしたらまた誰かがそれを傷つけて、心ならずもその「つけ」を私に回すことになるのでしょうか?交通事故が異常なまでに多発するワガドゥグで、このような心配をするのは当然のことです。

このバイクをめぐる一件は、私がブルキナファソを身をもって理解するための最後のハードル、あるいは通過儀礼なのでしょうか?

お金とは、結局何なのか?水のように常に循環して全ての人を潤すのがお金のあるべき姿なのかもしれません。貸し借りを厳しく追及すべきではなく、無いときは悪びれず貰って、入ったときは紀伊国屋文左衛門よろしく、ぱーっとばら撒くのが人徳なのでしょうか…。

マブドゥが故郷へ帰って留守の間、ヤクバやラミッサ、他の友人たちと中国茶のお茶会をしながら、私はぼんやり考え続けていました。

その夜、故郷のヌナから遊びに来ているマブドゥの姪っ子の一歳半の息子の、すさまじい叫び声で目が覚めました。ひきつけというのでしょうか?呼吸困難のようになってしまっていて大騒ぎになり、その子どもは病院へ連れていかれました。翌朝早く、バンドのバラフォニストのブレイマが「マブドゥから電話があり、10,000CFAを病院へ持っていかねばならないと言っている」と私に告げに来ました。それは10,000CFAを私に払ってくれと頼んでいるのか、それとも貸してくれということなのか、それとも彼はそのお金を既に送金していて、それを引き出して払いに行けということなのか、ブレイマは一向にちゃんと説明しません。ただただ「10,000CFAを病院へ持っていかねばならない」と大声で繰り返すばかりです。

後で、ヌナから急遽引き返してきたマブドゥに聞くと、彼はブレイマにお金を出してくれるように頼んだのであって、私に出させるつもりはなかったから、私に電話しなかったというのです。ブレイマ唯一人が日本から持ち帰ったお金を死守していることを、皆知っていました。けれどもブレイマはお金を出したくないので、私に「10,000CFAを病院へ持っていかねばならない」と伝えに来たのです。そう伝えれば、私が何とかすると思ったのでしょう。ブレイマは病院へ見舞いには行きたいけれどガソリン代がないから支払ってくれとヤクバに頼んだらしく、ヤクバは呆れてそれを断りました。

朝の時点では、ブレイマと話してもらちが明かないし、マブドゥの到着は午後3時ころだと聞きましたので、とりあえず20,000CFAを持ってヤクバと病院へ向かいました。こちらの病院の常ですが、次から次へと処方箋を出して、病人の家族を薬局へ行かせてそれらの薬を購入させ、それを使って治療するのです。しかも看護師という存在がいませんので、病人の家族が交替で付き添い、夜も寝泊まりしなければなりません。庶民は保険などにもほとんど加入していませんから、病院にかかるとその出費は途方もない金額になります。

昨夜は、戻ってきたばかりのマブドゥがさっそく夜の付き添いをしましたが、子どもの母親のみが病室での付き添いを許され、彼は外のテラスで蚊の猛攻撃に悩まされながら眠ったそうです。今、子どもはすっかり元気を取り戻しているそうですが、かと言ってなかなか退院はさせてもらえません。すでに20,000CFAはほぼ使い果たされています。マブドゥは数日前にヌナですっからかんになって、早くも私に借金を申し込んでいたくらいですから、病院への行き帰りのガソリン代すら、その借金から工面しているのです。

これが日本から戻って、たった二週間後の実態なのです。

「お金を持っていない」ということはある意味強みですらあり、持っていなくても結婚はする、子どもは産む、病院にもかかる、必要と考えれば何でもするのであり、その代金は誰かが支払ってくれる...支払うだけの力がある人が支払うのだから、別にありがとうすら言わないことも珍しくはなく、時に「神があなたに長寿を授けますように」というような常套句を言われるのみで終わりです。

病院からいったん家へ戻る途中で、マブドゥがバイクの後ろの私に「またあなたに借金を作っちゃったね」と溜息交じりに声をかけた横を、かつて私たちのバイクで事故を起こしたマブドゥの従兄が(また誰かに借りたバイクの後ろに)息子を乗せて「やあ!元気?」と満面の笑みで笑いかけながら、追い越していきました。




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