アフリカの新しいオペラ!ブルキナファソで、現地の人々とじっくり・ガッツリ・コラボ

世界最貧国の一つ、西アフリカのブルキナファソで、現地の伝統音楽奏者たちとのコラボで新しいオペラを作っています。アフリカ人が自らの視点で語るアフリカの歴史、苦難と希望の物語を、アフリカの豊かな音楽を取り入れて描く、アフリカ独自のオペラの誕生をサポートし、見守ってくださいませんか。

現在の支援総額

695,500

115%

目標金額は600,000円

支援者数

61

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/08/22に募集を開始し、 61人の支援により 695,500円の資金を集め、 2021/11/08に募集を終了しました

アフリカの新しいオペラ!ブルキナファソで、現地の人々とじっくり・ガッツリ・コラボ

現在の支援総額

695,500

115%達成

終了

目標金額600,000

支援者数61

このプロジェクトは、2021/08/22に募集を開始し、 61人の支援により 695,500円の資金を集め、 2021/11/08に募集を終了しました

世界最貧国の一つ、西アフリカのブルキナファソで、現地の伝統音楽奏者たちとのコラボで新しいオペラを作っています。アフリカ人が自らの視点で語るアフリカの歴史、苦難と希望の物語を、アフリカの豊かな音楽を取り入れて描く、アフリカ独自のオペラの誕生をサポートし、見守ってくださいませんか。

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通常、2時間もかかるオペラの舞台の仕込みは遅くとも前日から始めなくてはなりません。ブルキナファソでの過去の公演でも3日間会場を借りて仕込みをし、リハーサルを重ねてから公演してきました。ところが今回の万博公演では、当日の午前中に式典があり、それが終了するのが12:00、その後の1時間はホールスタッフの休憩時間、13:00から仕込みという有り得ない状況でした。しかもオペラの開演時間は16:00。当初それを何とか17:00にしてもらおうとお願いしました。ブルキナファソ政府の万博担当官も懸命に交渉してくれましたが、18:00からレセプション(ビュッフェ式晩餐会)があるから絶対に駄目だと万博事務局から断られました。そのため、まさにアクロバット的な迅速さと正確さで作業しなければならない羽目になりました。この無理やりな条件を突き付けられた我がオペラチームのテクニカルスタッフ達の献身的な働きと能力の高さがなければ、この離れ業は実現しなかったでしょう。とはいえ、日本人、ドイツ人、デンマーク人、台湾人、という混交チームで、出演者たち(ブルキナファソ人)との言語の壁もありましたし、70名近い小学生たちも5つの場面に出演したのですから、非常に難しい状況でした。

いろいろなハプニングもありましたが、あれだけの厳しい条件のもとで、なかなか良い公演が出来たのではと自負しています。

ともあれ、予定時間通りに公演を終えた私たちは、1時間余りレセプションに出席したあと、撤収作業を終えるために再びホールへ向かいました。規則では21:00までに完全撤収すれば良かったのですが、翌日はウクライナのナショナルデーで、彼らが仕込みをなるべく早く始めたいと言っているので出来れば早めに撤収してほしいと万博事務局から言われていたのです。レセプションへ向かう前にステージはほぼ空にしてあったので、私たちが戻ったとき、ウクライナチームは既にステージの仕込みを始めていました。黙々と働く大勢のウクライナ人たちを見ながら、戦争の最中にありながら、こうして文化事業にお金を掛けられるのは、彼らの文化への意気込みなのかという疑問が浮かびました。実際にどれほど複雑な準備を要する文化イベントをウクライナが行ったのか知りませんし、もしかしたらセキュリティなどの別の理由で準備を周到にしたかったのかもしれません。ともあれ、前夜からホールを借りるためには別途、相当のお金を支払わねばならず、私も実はそうしたかったのですが、それは到底無理なことでした。私の呟いた疑問に「本来、国(ブルキナファソ)がやるべきところを、あなたは個人でやっているのだから仕方がないよ。ウクライナはきっと国が払っているんでしょう」とテクニカルスタッフのひとりが返しました。

確かにそうなのでしょう。それにしても、私が個人でこんなことを背負い込んだのは、何もブルキナファソへの愛のためなんかではありません。縁あってブルキナファソへ行ったわけですが、今回の万博公演は私の芸術家としての使命の一環として行っているのであって、特定の人や特定の国家のためにしているわけでは決してありません。でも、それはなかなか理解してもらえず、様々に誤解されやすいのは仕方がないのですが、私の経済状況を心配してくれた身近な人々から「(そんなに頑張らなくても)万博に出演することで、バンドのブルキナファソ人たちも箔が付くのだし、そのうえ少しのギャラでも貰って帰れば喜ぶんじゃないの?」と言われたときは、さすがにショックでした。悪気なく言ったのだと思いますが、こういう発言は最も差別的な「上から目線」で、私からすると本来、許し難いものなのです。でも、もしかしたらバンドメンバーたちの中にも「そうだよ」とあっさり同意する人もいるかもしれませんから、一概に否定することも出来ませんでした。この発言は、私がまだ大学院生だった頃にドイツへ行ったとき、ドイツのラジオ局が私の作品を放送するという話を聞いたあるドイツ人に「自分の曲がドイツで放送されるなんて、あなたはさぞかし名誉に感じるでしょう」とあけすけに言われたときの違和感をそのまま蘇らせました。その時感じた不快感は40年経った今も忘れません。

でもこれは根の深い問題に違いありません。芸術活動も「自由主義経済」の支配する世の中にあって、ブランディングだの、パブリシティだのといった「消費者」へのアピールの必要性と無縁でいることは難しいからです。「芸術は消費の対象などではない」などと正論を振り回しても始まらないのが現実で、アーティストたちも皆、あの手この手の自己宣伝に大忙し、結局は「売れたもの勝ち」の世の中だという考え、そして「いかにも(すでに)売れているように見せかける」手法を競ってでもいるかのような印象を視聴者(あるいは「消費者」?)に抱かせるSNS投稿やプロフィールの作り方...そういうものを見慣れている人々から「箔が付いて嬉しかろう」などと侮られるのも、ある意味では仕方のないことです。

今回の私のように、単に作曲家や出演者ではなく「プロデュース」をする立場であると、より直接的にお金の問題に巻き込まれますので、自分のプロジェクトのブランディングはより切実な問題になります。「より多くのお金をどこかから持って来られないのは無能の証拠」とあからさまに批判を受け、挙句の果てには「作曲家なんぞにそんな能力のあるはずもないのだから、誰かに委託するべきだ」「有能なマネージャーを雇うべきだ」「お金が余りまくっている助成金もあるのになぜ応募しないのか」「クラウドファンディングで数日で大金を集めた人もいる。あなたはやり方が悪いのではないか」等々、まぁ本当に言いたい放題の「ご忠告」を山ほど受けました。確かに結局合同会社まで起こさざるを得ない羽目になりました。初めてそういう立場でお金を扱う立場になってみると、今まで見えていなかったことが見えてくるのも事実です。クラウドファンディングにしても実際にやってみなければわからないこともいろいろありました。

でも、そんなさまざまの経験を経た今も、変わらず思うのは、「自由」というものはかけがえのない、大切なものだということ。そして、その自由を守り抜くことは、実に「高く付く」ということです。芸術家として本当に自由に制作するためには、限りなく「自由個人」として在ることが大切なのです。金策に駆けずり回って、ついぞ作品に集中することのできなかったこの1年半を振り返ると本当に辛いですが、それ以前の、何の縛りもなく、何かのプログラムの一員でもない状態で、完全に自腹でブルキナファソへ渡って自由に過ごした数年間があったからこそ、ある程度納得のいく形でこのオペラが制作できたと思っています。

8月4日夜、万博会場を後にしてホテルへ戻るバスの中で、「あなたは今日の結果に満足したの?」と友人の台湾人作曲家が私に訊ねました。(彼女は今回の公演で字幕のプロジェクションを手伝ってくれました)私は啞然として答えに窮しました。ちょっと待ってよ、そんなに急かさないでよ。ある程度の手応えはあったといえども、終演直後というのは、細かいミスなどが大変気になるものです。そしてまた、自分の気付いたことなどはきっとほんの一部に過ぎず、会場で起こっていたことのすべて、私たちはいったい何ができたのか、そして何ができなかったのか...観てくれた人々に何が伝わったのか。それらはなかなかわからないことですし、これから私の人生がまだ続いていくとしたら、その中でふとした瞬間に何かがわかることもあるかもしれません。もちろん、すぐにフィードバックを書き送ってくれる人々もいるけれど、彼らだってすべてを言い尽くしているはずはないですから。公式配信、私を含めた各人がSNSに投稿する写真やビデオに対するフィードバックも次々とあるでしょうけれども、公演以来自分の心の奥底でうごめく感覚を、まずはじっくり捉えて、それを理解することに務めたいと思います。「人からどう見えるか」ばかりを気にして、「人の評価」ばかりを気にして、フォロワーの数や高評価の数、再生回数を気にして、自らの芸術をそんなもので査定するようになってしまっては、もはやシステムの奴隷、自由主義経済という名を騙る多国籍企業の巨大勢力の掌で踊る駒にすぎません。

さて、万博で公演したことは私たちのプロジェクトに箔を付けたのでしょうか?

いいえ、「万博」という催し自体に最初からステータスがあるのではありません。多くの人々の反対を押し切って開幕した今回の「万博」にステータスを与えられるかどうかは、ひとつひとつのイベントの内容、一人一人の参加者の心意気にかかっています。戦火の消えることのない世界、深刻な環境破壊が止められていない状況、その中で開催された大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン(Designing Future Society for Our Lives)」です。このテーマは、多様ないのちの尊重と一人ひとりが輝く未来を追求することを掲げています。経済だけでなく、環境・人権・教育・健康など多方面から持続可能な社会の実現を目指して。万博におけるひとつひとつの催しは、このテーマにどれほど貢献したのか...その審判を受けるのにもまた、一定の時が必要でしょう。

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