改めて、このプロジェクトにご協力頂いた皆様、心から感謝申し上げます。このプロジェクトで頂いた資金は1円たりとも無駄にせず、全て「日本代表になる」という目標に向けて使わせて頂くことを約束します。ご支援頂いた皆様には、一つ一つ丁寧にご連絡を返させて頂こうと考えてますので、少しだけ連絡までにお時間がかかる事をご了承ください。このプロジェクトの目的は・日本代表になる・タンブリング競技をより多くの日本人に知ってもらうこれらに間違いはありませんが、27歳 佐野貴飛 としての人間の価値を確かめ上げる目的もありました。「お金」=「信頼」自分がこれまで誠心誠意を尽くし、進んできた螺旋階段のような道のり。そこで得てきた信頼は本物なのか、そこに価値はあったのか、もしそこに信頼、価値があればこのクラウドファウンディングは成功する。僕はそう考えていました。もしもその信頼、価値が偽りのものであれば、自分自信の歩んできた人生に自分で泥を塗る事に他なりません。これまでの人生を手札にした真剣勝負でした。悔しいこと。苦しいこと。理不尽なこと。沢山ありました。それでも歩みを止めるわけにはいきません。それは僕の中では死んでるのと同じです。結果は目標金額達成率129%まだ結果もない、ただの凡人にしては上出来だったのではないかと思います。僕はただの凡人で、おまけに不器用ですが、1年に一度自分の中でのビッグイベントを一つは起こさないと生きてる感を味わえないタチです。来年2022年のビッグイベントはもちろん「日本代表になる」ことです。今回のプロジェクトを通して、佐野貴飛の歩んできた道のりは応援して頂いている皆さんによって肯定されました。あとはそこに結果を付け加えるのみです。皆さんに面白がって頂けるよう、これからも体を張って挑戦し続ける人生を歩んで参ります!!ありがとうございました!!
クラウドファウンディングに挑戦するにあたり、多大なるご協力を頂いた偉大な先輩がいます。鈴木涼平さんです。日体大時代の先輩で、卒業後5年経った現在も仲良くさせて頂き、良い時も悪い時も応援してくださいます。この記事は一人で完成させたものではありません。そんな僕にとって偉大な先輩に2ヶ月間、毎日記事の校正を手伝って頂き、やっとの思いでひと様にみせられる記事になりました。時にはビデオ通話を通して意見を交換する日もありました。僕ひとりの力では到底無理な作業の数々でした。共に作業を進めていくにあたり、第一線で活躍する人間の仕事のスピード感に圧倒される日々でした。常に一歩も二歩も先の事を想像した行動や提案の数々。そんな先輩と作業を進める日々はプレッシャーでもありましたが、とても楽しいものでした。お忙しい中、僕の為にこんなにも多くの時間を割いて頂き本当に感謝しても仕切れません。そんな思いではじめたクラウドファウンディングを通して気付いたこと、得たものは形の見えるものから見えないもの本当に沢山のものがあります。懐かしい再会、涙の再会さらに新しい出会いも沢山ありました。再確認したものもありました。「ご支援金を頂く」意味は僕にとってかなり大きいものでした。それは、必ず結果を出すぞというプレッシャーに変わり、そこに責任を持つという意味づけに成り得ます。そして「日本代表になる」という目標は、このプロジェクトを機に自分だけのものではなくなることを意味しています。僕はこの世界で自分を表現していくと決めました。今まで歩んできた全ての過程を成功にする心持ちで「日本代表になる」という目標に向かい日々精進していきます。ありがとうございました。※明日がクラウドファウンディング最後の日です。最後まで宜しくお願い致します。
2020年2月下旬から5月中旬にかけてデンマークではロックダウンが行われていました。朝一の突然の知らせに皆、戸惑いを隠せず普通の日常が突然姿を変え、生活を共にしていた先生方含め、僕たちは混乱に陥ったのをよく覚えています。ロックダウンのおかげで自分は成長できた。僕はこう言い切ります。ラッキーな事に、2020年分の1年間の生活費は、前の年に命を削る覚悟で用意していたので、このロックダウンの時間をうまく使う事が出来ました。留学先の学校も、先生方の計らいで、トレーニング施設などは開放して頂いていたので、24時間全てを、トレーニングと英語学習に充てることが出来ました。自分の弱みにひたすらに向き合いました。沢山悩みました。毎日トライアンドエラーの繰り返し。その時の自分が出来る事や、しなければならないことなど自分の頭の中を、ノートに整理しては改善策を書き出す日々でした。自分が一番体操が下手。自分が一番英語が下手。これらは目を逸らせない事実でした。ロックダウンが明けた時に、自分はドカンと行くんだ、オレは成り上がる為にはるばるデンマークにいるんだと自分に言い聞かせる毎日でした。「大学から体操を始めても、ここまで出来る、皆んなが驚くような景色を見られる」とういう事を世界に見せつけ、知らしめてやろうという覚悟でした。それが日本という恵まれた国に生まれた人間が最低限やるべき事だと思っていました。それくらい真剣に物事に向き合わなければ、失礼だと思いました。だって、体操なんかしなくても生きられます。それどころか、生きる事に精一杯な人間も世界には沢山いるはずです。体操に真剣に向き合う余裕がある事自体、ラッキーな事です。毎日が弱い自分との戦いです。いつも、もっと時間を上手く使えないかと試行錯誤する毎日です。貪欲な気持ちを忘れず、信頼する仲間とまた頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。
数々のチームを行き来する中でもちろん寂しさはあります。中でも思い入れのある転向が男子新体操へ転向した時です。大学在学時、それまで所属していた徒手体操部のみんなとは、お互いをかなり信頼し合っていました。「信頼を得る」というのは日々の積み重ねで、大学ともなればお互いが育ってきた背景がかなり違ってきます。考え方も違えば、物事の捉え方も違う。それだけにまとまるのはかなり大変な事です。尚更、人数が多ければ多いほど大変です。毎日のようにミーティングを重ねた事を覚えています。ミーティングでお互いが本音を言い合うに連れて、お互いの違いを認め合い、チームの結束力が増していきました。そんなチームを離れるのは名残惜しい気持ちでした。チームメイトが自分の存在を認めてくれるチームを離れる戸惑いはもちろんありましたが、一回きりの人生です。憧れを憧れのままで終わらすのは絶対に嫌でした。そしてチームを離れる決断をします。大学2年時の終わり頃でした。そしてそんな彼らと、またいつか同じ舞台で一緒に体操をしたいと心から願っていました。そんなわがままな想いはお互いが大学4年時、先生方の粋な計らいで叶いました。日体大徒手体操部が主催する演技発表会にゲストとして当時僕が練習でお世話になっていた国士舘大学男子新体操部がゲストとして呼ばれました。徒手体操部演技発表会の50年以上の歴史の中で過去にそんな歴史は一つもありません。その中で、僕も国士舘大学男子新体操部員に混じり演技をさせて頂きました。この演技発表会を機に、日体大徒手体操部の同期27人は全員引退です。最後に彼らと同じ舞台に立てた事は大学4年間の物語の中でやはり特別な瞬間でした。彼らの演技を見た時に、自然と涙がこぼれました。このような特別な機会を作って頂いた先生方。世界からも絶賛される国士舘大学男子新体操部の集団演技に参加させて頂いたこと。そしてチームを離れてからも、練習場は違えど、仲間として切磋琢磨した日体大同期27人。あれから5年経った今でも感謝は忘れていません。
見ず知らずの僕を暖かく迎えてくださった大切なチーム静岡産業大学クラブです。一人一人がチームの事さらには、日本でのタンブリング競技発展を考え、行動に移すメンバーが集結します。やはり日本のトップ選手が集まるチームなだけあり、「トップ」の意味を真剣にとらえて自ら考え行動しています。彼らの意識や行動を間近で見て「トップ」の役割というのは、、自分自身の技術向上のみならず、競技発展の為、自らが行動する事だと、勉強させてもらいました。そんな中、日本タンブリング競技の歴史が途絶えないよう次世代の育成に力を入れるメンバーの存在があり、自分にも何か出来ないかと考え調べた結果が、このクラウドファウンディングに挑戦する事でした。微力たるベイビースッテップですが、このプロジェクトを通し、まず自分の周りに自分がやっている事を知ってもらう。体操一筋ではないこの人生の有効な使い道だと考えました。もちろん自分を応援して頂きたい気持ちもありますが、自分の周りの仲間ですらタンブリンング競技を知らない状況。この状況をまず打開し、応援してもらう為の良い手段だと考えました。最終的には次世代の子達の為に、競技の勝ち負けは関係なしに、世界の大勢の人達の前で練習の成果を発表する場を設けてあげられる事が出来たらなと思っています。少なくとも、僕が27の年齢で競技を続けていられるのも、大学時代、勝敗の関係ない海外での発表会があったからこそだと感じています。世界の広さ、同じ「体操」というスポーツに関わる世界の人々と関わって、彼らの世界観を自分自身で広げてほしい。そんな野望、願いが僕にはあります。その為にも、自分自身の夢と英語学習については、特に怠れません。静岡産業大学タンブリングチームの応援宜しくお願い致します。