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マインドフルネスの第一人者、熊野宏昭先生の対談集紙書籍を刊行します!

マインドフルネスの第一人者の熊野宏昭氏の対談集を刊行します。自身の瞑想体験を縦軸に、禅、初期仏教、日本的霊性、能楽、障害者教育、数学理論という多様な分野を横軸に、日本的マインドフルネスの可能性と、意識の本質とは何かを対話を通して探求します。クラウドファンディングで、皆様からの事前予約を受け付けます!

現在の支援総額

1,636,908

109%

目標金額は1,500,000円

支援者数

308

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/02/18に募集を開始し、 308人の支援により 1,636,908円の資金を集め、 2022/04/03に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

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現在の支援総額

1,636,908

109%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数308

このプロジェクトは、2022/02/18に募集を開始し、 308人の支援により 1,636,908円の資金を集め、 2022/04/03に募集を終了しました

マインドフルネスの第一人者の熊野宏昭氏の対談集を刊行します。自身の瞑想体験を縦軸に、禅、初期仏教、日本的霊性、能楽、障害者教育、数学理論という多様な分野を横軸に、日本的マインドフルネスの可能性と、意識の本質とは何かを対話を通して探求します。クラウドファンディングで、皆様からの事前予約を受け付けます!

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熊野宏昭先生からクラウドファンディング最終日のお礼のビデオメッセージが届きました!お釈迦様のエピソードであるローヒタッサ経と最新の宇宙論、量子物理学そしてクラウドファンディングには深い関係があるという話です!本日、クラウドファンディング最終日、どうぞよろしくお願いいたします!残すところあと6時間、現在達成率95%です。クラウドファンディングは4月3日(日)23時59分までです。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!https://camp-fire.jp/projects/view/537381


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柴田先生のお仕事、実践は、臨床心理学の教育の中では語られていないこと柴田先生のご本『沈黙を越えて』(萬書房)を読ませていただいて、本当に私も驚きました。本当にこんなことがあるんだと。今日もこの会に、心理を専門にしている方々が何人も来ていただいていると思うのですが、ぜひ読んでいただきたいです。今回のこの対談集の私と柴田先生の対談も読んでいただきたいですし、この柴田先生が書かれた『沈黙を越えて』も、ぜひ読んでいただきたいです。臨床心理学の教育の中では、こんなことは語られていないです。でも私は自分の目で見てきたし、それは実践されているんです。私が、今回のこの対談本をぜひ世の中に出したいと思った1つの意図は、この柴田先生のお仕事を、もっと多くの人に知ってほしいということです。これが1つです。それと最後6人目の対談者の光吉先生の仕事も知ってほしい。この2つが、とても大きな動機になっています。柴田先生の開催されている「きんこんの会」というところに一度お伺いしました。障害の当事者の方々が30人くらい集まっておられ、家族の方、柴田先生、そして何人かの通訳をされる方が参加されている会でした。知的障害の方、けっこう重い自閉症の方、普通にしゃべれない方々、そういう方々の手を取って、自分の手のひらにその当事者の方の指を乗っけるんですね。そして、自分の手のひらに言いたいことを書くようにしてもらうと、ちょっと動くだけでも読み取っていけるということなんですね。これを指筆談とおっしゃっていました。そして、この読み取るスピードがすごいんです。普通にしゃべる速さなんです。ということは、「これって本当にその人が、話していることなの? 柴田先生が自分の思いを書いているだけなんじゃないの?」と、そんな風に思われてしまいますよね。でも、私は見てきましたので、そうではないと。どんな感じなのかというと、みんな順番に話していくんですね。知的障害の当事者の一人の方が司会をして、柴田先生が順番に一人ひとりの隣に行って、座って、手を取って、こういうことを今話そうとしていますということを、柴田先生の口から話してくださっている。そうすると、みんな静かにして聞いているんですね。一人ひとり、聞いているんです。自閉症の方で、奇声を発して、全然じっとしていられない方もいらして、ギャーギャー言っているんですけど、柴田先生が隣に行って、手を取ると、すっと静かになって、そして考えていること、年相応に考えていることを、お話されるんですね。後で聞いて分かったのですが、自閉症の方というのは、不随意運動が出てしまうんですね。自分の言いたくないことを情動行動のようなものが出てきて、言っても仕方のないようなことをずっと繰り返してしまう。しかしそれは、自分にとって不本意なので、なんとかそれを抑えようとする。その抑えようとするところで、我々の心のキャパシティ、ワーキングメモリを全部使ってしまう。それで自分が言いたいことがあってもそれが言葉にならない、ということなんですね。だから、こちらがそれをサポートして、言葉にしてあげるということで手伝ってあげれば、自分が話したいことがそこからずっと出てくる、ということなんですね。なるほどなと思いました。身体を通して、うたがそのまま聞こえているそして、もしこれが本当に通訳をしている方々の考えていることを話しているだけであれば、みんなも聞いていないと思うんですね。だけど、みんな黙って静かに聞いている。私も静かに聞いている。鎌田先生が完全受動態についておっしゃった、日本の和歌とか俳句というのは生きとし生けるものが歌っているそのうたを聞いて、それをそのまま写し取っていく。それが和歌や俳句なんだ。完全受動態になれば、生きとし生けるもののうたが聞こえてくるんだ。鎌田先生はそういう風におっしゃっていました。これは古今和歌集の仮名序というところに、紀貫之が書いたらしいのですけれども、そういうことが書いてある。それと同じだ、と私は思ったのですね。柴田先生がやっておられることは、この人たちのうたがそのまま聞こえているんだ。そのまま聞こえる。どうやって聞こえるかというと、身体を通して感じるのだと。非常に不思議で、最初は運動感覚を感じている、掌の上で相手の指が動く運動感覚を感じているのだけれども、それがそのうち必要なくなるというんですね。手を持っているだけでわかるようになってくる。これは何なんだろう? 運動しようとする、神経インパルスでもいいですけど、神経インパルス自体を感じているのか?そのひとの本当に言いたいことが、柴田先生の口を通して出てくる――言霊という言葉がありますが、鎌田先生は言霊の研究者ですが、柴田先生は言霊実践家だと、私はその時思いました。中途障害か何かで動けなくなった方がその時来ておられて、全くしゃべれない。その方は横になって、やはり通訳の方に手を取っていただいて、お話をされた。その時におっしゃっていたことが、私は凄く印象的でした。「ここに来ている人たちは、みんな本当にやさしいですね」と。「身体でわかるんです」と、その時おっしゃったんです。私もそう感じたんです。ちょうど津久井やまゆり園で非常に悲惨な殺人事件があった後でした。当事者の方が巻き込まれた。あのことについてみんな怒っているんですね。私も皆さんのお話を聞いて、その怒っている内容に、本当にそうだなと思いました。「みんな言葉が話せなくても、知的障害でも、命なんだから大切にしなくちゃいけないでしょう」と、そんな感じでいう人たちは大勢いる。でも、そうじゃない! われわれは喋れる! 我々は言葉を持っているんだ! 我々はいろんなことを考えているんだ! それを知ってもらわないと、という話をみんなされていました。私も、そこの場にいさせていただいて、心洗われるというのはこういうことだなと思いました。鎌田先生のところでお話したことで言えば、超パワースポットという感じでした。そういうことができるんだということを、我々はもっと素直に認めていくことで、自分というものの出来ること、あるいは人とのつながりも広がっていくんじゃないかな、ということを思わせていただいた対談でした。(熊野宏昭)* * * * *260人を超える方にご支援いただきました!最終日です! よろしくお願いいたします。クラウドファンディングは4月3日(日)23時59分までです。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!https://camp-fire.jp/projects/view/537381


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西平直先生には「無心」の働きについて伺い、ここまでの話題のまとめをお願いしました西平先生は日本マインドフルネス学会に来ていただきお話をお聞きして、いつかお話お聞きしないとと思っていました。西平先生との対談でテーマとなる「無心」というのは、鎌田先生とお話しをしているときに、すでに私は気づいたんですね。観察瞑想の方法というのは注意を分割して、いろんなものに気を配っていく。そうすると、我々の心のキャパシティが全部使われてしまって、様々なものを同時に感じ取るんだけれども、それ以上もう我々の注意資源がなくなり、思考も浮かんでこない。思考が浮かんでこないので、自分も成立しない。しかし感じ取っているのは現実なので、現実と一体になって現実がありありと感じられる。そういう進め方をしていくんですね。でも、我々は学習するんですね。そうすると、注意の分割をしていっても、だんだん上手になっていく。そうすると、最初は注意の分割をして心のキャパシティを使い切っていたのが、余ってくるんです。余った心のキャパシティって、どうするんだろうか。注意というのは能動的にいろいろなものに注意を振り向けていく、転換する、分割するということをしていくわけです。これは注意資源を使うことになるんですね。でもなにか、突然、ドーンと音がして、そこに注意が惹きつけられる。こういうのを「受動的注意」というのですが、受動的注意では注意資源は使われないんですね。完全受動態で世界と関われば注意資源は使われない、心のキャパシティは残る。完全受動態になったとき、我々の能動的な能力を使っていない。では残った心って何なんだ?それを実は、日本の文化では「無心」といってきたんですね。そこにようやく私はたどり着いたんですね。「無心に」という言い方を日本語ではするんです。無心にパチンコやるでもいいですが、日常用語としても使われています。ですが、「無心」というのは実は、心の大きな大きな働きのことなんですね。マインドフルネスや完全受動態で、感じることが上手になってくる。心キャパシティが余ってくる。でも余ってきた心は最初にやっていたように後悔したり、取り越し苦労したり、自分のことばかり考えたりしないんですね。余ってきた心というのは、自由にいろんなことで動く。非個人的な心なので、広がりをもっていろんなことが実現できていく。その代表的なものが能なんですね。世阿弥が大成し発展させた能です。「無心に」舞を舞うんですね。もっと正確に言うと「無心が」舞を舞うんですね。西平先生も鎌田先生も、世阿弥の研究者です。そういうところがどうなっているんだろうか、というところを西平先生に教えていただいた、というのがこの回です。身体は個人を超えて響き合う。五蘊は個人を超えて響き合うあと、身体性についてもお聞きしました。その中で、「なるほど」と思ったことがあります。身体というのは言葉でコントロールされていない。一方「自分」というのは言葉の働きで作り出される、思考の働きで作り出されるのが自分である。なのでこれは個人的な枠の中にはまってしまっている。そこから非個人的なところに移っていくというのが、瞑想が目指していることなんです。身体というのは、もちろんこれは自分の身体なんですけど、身体の仕組みというのはみんな変わりませんよね。だから、身体というのはもともと非個人的なものなんですね。ということは、身体というのは、個人を超えて、個体を超えて、感応するのではないですか、ということもお聞きしたんです。西平先生はそういうことも本の中にお書きになっていたので。「我々の身体というのはどのくらいまで感じることができそうですか」とお聞きしたら、「それはかなり遠くまで感じるのではないですかね」とおっしゃっていました。「地球上だったらどこでも感じるのではないでしょうか」ということまでおっしゃって。哲学者の先生がそこまで言ってしまうのか、と思いました。アフガニスタンで活動されていた医師の中村哲さんが銃撃されて亡くなった事件があり、それを聞いた時、私も身体もすごく動揺しましたとおっしゃって。この対談の後、私は井上ウィマラ先生と対談させていただいたのですが、その時井上ウィマラ先生がおっしゃっていたのがこういうことです。人間というのは五蘊でできている。色受想行識。色は身体です。受は五感です。感じた後動く心。想は表象を作り上げる心の働き。行は思考パターン、行動パターンで、ここに認知行動療法が扱う問題がある。あるいは俺が俺がというのも行のところにある。そういう習慣的なパターンです。そして識は対象を取って自分と対象というふうで認識をする働き。あるいは、記憶も含まれている。この色受想行識のご蘊の中のどこに自分があるかと探しても、どこにもない。「俺が」というのをどこにも位置付けることができない。無常に変わり続けていく五蘊があるだけなんだ。これが仏教の大きな発見なわけです。「私」というのが出てくると、これは個人的なもので、枠組みを作って、そこから出られなくしてしまうのものなので、この私というものがあると、我々は響き合うことができない、共感することができないんですよ、とウィマラ先生はおっしゃっていました。もし、この私というものが落ちていくと、それぞれのレベルで共感する、それぞれのレベルで響き合うんですよということをおっしゃっていました。だから、身体は身体のレベルで、感受は感受のレベルで響き合うのだと。西平先生からは、そういうところにもつながるお話をお聞き出来たかなと思います。ここまで横田老師、スマナサーラ長老、鎌田先生といろいろなことをお聞きしてきたのを、哲学者である西平先生はどのようにまとめてくださるのか、ということもありました。ここまでのところのまとめの章として、読んでいただければと思います。(熊野宏昭)* * * * *最終日です! よろしくお願いいたします。クラウドファンディングは4月3日(日)23時59分までです。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!https://camp-fire.jp/projects/view/537381


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スマナサーラ長老の宿題に、鎌田東二先生の完全受動態からヒントをもらったクラファンのキックオフの時もお話したのですが、鎌田先生というのはとっても不思議な方で、「日本の山野がそのまま人の形をとった」というような方なんですね。それで京都大学の名誉教授だったりするんでまたびっくりするんですけど。修験道の山伏みたいな存在と言っていいかもしれないです。その鎌田先生に、「〈俺〉がいろんなことを知りたいんだ、〈俺〉が悟るんだ、〈俺〉が気づくんだという、この〈俺〉がは何とかなりませんか?」ということをお聞きたかったんです。対談の準備のために改めて鎌田先生の本を読んでいたのですが、その中に「完全受動態」という言葉が出てきました。完全受動態になれれば、心が開くし、生きとし生けるもののうたがそのまま聞こえてくるんだ、ということが書かれていました。「これだ!」と思いました。実践していると「ただ気づいているだけ」という瞬間が出てくることがあるんですね。「気づこう、気づこう」としている、今の自分の身体の状態、五感を通した感覚に気づこうとしているのですが、「ただ気づいているだけ」という瞬間が訪れることがあって、この時には、俺が俺がという自分がいないわけです。スマナサーラ長老の本のほかに、もう1冊、私がマインドフルネスを学んだ本がラリー・ローゼンバーグの書いた『Breath by Breath』です。この本は『呼吸による癒し』(春秋社)という邦題で井上ウィマラ先生が翻訳されています。これは本当に素晴らしい本で、日本語で3~4回、英語で7~8回読みました。ウィマラ先生の訳も本当に素晴らしいです。この本の中に、「呼吸を観察していると、呼吸だけを感じられる瞬間がある。それはどういう感じかというと、There is no breather. 呼吸している人なんかいない、呼吸だけがそこにある。そういう経験が出てきますよ」ということが書かれているんですね。呼吸しようと思わなくても息が続いていく、死ぬまでの間。そういうことに気づくというのがマインドフルネスの目指しているところなんだと。だから、ただ気づいているだけというのが、マインドフルネスの目指していることなんだけど、ではどうやったらそうなるの? 「鎌田先生助けてください」という感じで、お話を聞いてみたくなったんですね。鎌田先生の本の中に見つけた「完全受動態」になれれば、向こうからやってくるものを受け取るだけだから、自分が気づこうって気持ちはないよな。そして感じているということが実現できる、と。でもどうしたら、そうなれるの? と思っていました。そして、鎌田先生の『神道とは何か』(PHP新書)という本の中に、それはユーミンの「やさしさに包まれたなら」あの歌だと書いてあるです(笑)。やさしさに包まれた状態になれたら、自分の五感があらゆる方向に開かれて、完全受動態になって世界が自分の中に流れ込んでくるでしょう、ということが書かれていたんですね。そこから私が気づいたのは、マインドフルネスとか瞑想とか意識とかを考えていく時に、常に「こちら側」で考えてしまう。自分がどうすれば気づけるんだろうか、自分がどうすればわかるんだろうか、自分がどうすれば自分をなくせるんだろうか……無理ですよね。ではどうすればいいかというと、環境の側なんです。環境に鍵がある。たとえば円覚寺のようなところに行って座れば、すっと気持ちが落ち着く。日本人のパワースポット好きもそういうことと関係があるんじゃないか。パワースポットと言われるところに行って身を置くと、全身こう全方位に間隔が開いてそこにあるものをそのまま感じる取ることができるんじゃないか。なるほど、だから鎌田先生は日本の山野のような人なんだ、と私は腑に落ちました。「俺が、俺が」と思わなくても、場所の力を使えばいい。その場所というのも、例えば日本人がずっと大切にしてきた場所がある。その場所に出かけていくと、私たちはすっと気持ちが落ち着く。そして場と一体になる。これ何なのか。場所自体が、我々の先祖がそこに通いながらいろいろなことをしてきたことによって、その場所が変わってきているわけです。大昔から、我々の先祖がそこでお祈りをして、耕して、活動して、その場所自体が変わっていってるわけですよね。だから我々が、その場所に出かけていくと、場所の中に織り込まれている、先祖がその場所とかかわってきた記憶に我々が感応して、我々自身もまた先祖が体験したことと同じようなことを体験できる。これが、完全受動態なんだな。そんなことが、この対談を通して発見できたことなんじゃないかな、と思います。(熊野宏昭)* * * * *最終日です! よろしくお願いいたします。クラウドファンディングは4月3日(日)23時59分までです。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!https://camp-fire.jp/projects/view/537381


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スマナサーラ長老から、私の方法はものすごく回り道でくどいよと、やんわりと示唆していただいた私は人から習うのが上手ではないのですが、何もないところで実践はできませんので、勉強しながら、その都度いろんな人に教えていただき。あと、本をいろいろ読んで、そこに書いてあることに基づきながらやってきました。マインドフルネスやヴィパッサナーに関しては、スマナサーラ長老の『自分を変える気づきの瞑想法』、今は第4版まで出ていますが、これの最初に出た本を買って、その本に基づいて私はヴィパッサナー瞑想を覚えました。そしてそれを実践して今に至っている、まぁそんなつもりだったんですね。なので心の中では、スマナサーラ長老に教えていただいて、私のマインドフルネスは始まったし今も実践しているんだと思っていたわけです。一度、ゴータミー精舎という幡ヶ谷にあるお寺に行って、一度だけですけど何人かの人たちと直接スマナサーラ長老のお話をお伺いしたことがありました。本書に収録した対談の時は公開のワークショップだったので、私もマインドフルネスの実践指導をして、10分くらいやっていただいたんです。それが会の前半でした。後半でスマナサーラ長老のお話と対談でした。休憩に入るときにスマナサーラ長老から言われたのは、「熊野先生、私は熊野先生のおっしゃったことを全部否定しなくちゃいけないですね」と。私も「わかりました、ありがとうございます。私もまた、勉強させていただきます」と後半に参加させていただいたのですが、心中穏やかじゃないです。何を言われるんだろうと(笑)もちろん、私が行なったことを否定するような形でお話になったわけではありません。そんな意地悪な方ではないですから。ただ、私がやったのとは全く違うやり方で教えられました。その中で仰っていたのは、「私は気が短いんですよ」と。だから最短距離で進んでいく。そういう質なんだと。前半で私が皆さんにお伝えしたことは、ものすごく回り道でくどいよということを、やんわりとおっしゃったわけなんですね。そこから私が学べたことはものすごく大きかったですね。私のやっていることはものすごくくどいんだ、最短距離はこうなんだということを感じましたた。実際それがどういうことだったかというのは本に書きましたので読んでください。一言で言うと、誰が瞑想するのか、誰がヴィパッサナーするのか。私が瞑想するわけですよね。自分が瞑想する。俺が幸せになりたくて、俺が苦しみから抜け出したくて、瞑想するわけです。「それじゃ瞑想にならないでしょ」ということなんです。「俺」を手放す、「俺」から離れるのが、ある意味瞑想の目標なんです。自分で作り上げた「俺」ですよね。「これは譲れない、これは好き、これは嫌い」、そういう自己イメージや自己概念から自由になるために瞑想するのに、そこから出発してどうするの? そういう話なんですね。それが、私がスマナサーラ長老から教えていただいたことじゃないかなと思います。私はその教えを胸にしまいながら、その後の対談を続けていったということになります。おそらく、その宿題のかなりの部分には答えられるところまで来たかな、とは思います。まだ完全にってところではないですが。その後の4人の先生方の対談で、答えがどのように進んでいったか、皆さん楽しみに読んでいただければと思います。(熊野宏昭)* * * * *最終日です! よろしくお願いいたします。クラウドファンディングは4月3日(日)23時59分までです。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!https://camp-fire.jp/projects/view/537381