クラウドファンディングを始めて、昔の仲間からの支援を頂いて久し振りにやり取りができたり、感慨深いものがあります。短い期間で多くの支援があり、改めて支援者の皆さんにはお礼申し上げます。 今回は冬場のクラブについて書くことにしました。 この地域は県内でも雪が多く降る所で、最近は少なくなったと言われていますが、去年、今年とよく降りました。 私は雪国育ちでないのでなかなか慣れないのですが、冬場は出勤のこともあって、次の日の朝の積雪具合が気になります。 身体に障害のある方は、冬場は外に出れずにどうしても運動量が減ってしまうので、冬場こそプールの活動を提案したいと思っていました。 ただ日曜日の朝、「この雪ではプールに行けません」という方はいるはずですし、自分で車に乗ってくる方が、車の乗り降りのあたりで転んだり、途中で事故にあったらどうしよう、と心配しました。 考えた末、冬場は来れる方だけで無理せずクラブをやろう、と決めました。急なキャンセルが多くなることも想定して、専用レーンのレンタルもやめておこうと考えました。 ただ予想に反して、多くのメンバーさんは雪の多い今年の冬もあまり休まれることなく、クラブに参加されました。 参加の有無は数日前までに確認をしているのですが、クラブの日の朝は「この雪のなか本当に来られるだろうか」と心配しながら、プールで待ちました。参加予定のメンバーの皆さんが無事に到着されると、ホッとしたものでした。結局、冬場も専用レーンは借りて活動を続けました。 雪が降ってもいつものように淡々とプールに通われるメンバーの皆さんの在り方に、雪国に生きる方の力強さを知りました。 そして、冬場であっても、プールの活動に参加したいという皆さんの気持ちに応えたいと、改めて感じた次第です。
クラブには髙村百花(たかむらももか)さんという中学3年生のプールサポーターがいます。 お母さんは、私が勤務する病院のリハビリテーションセンターの受付で勤務されていて、お母さん自身がクラブの着替えサポーターの一員です。 次女の百花さんは市の水泳協会のメンバーで、週に何回も競泳の厳しい練習に取り組んでいます。日曜日の午前中の練習中に、我々クラブが専用レーンで活動しているのを横で見て、自分もプールサポーターをやってみたいと思ったそうです。そして、お母さんを通して、クラブへの参加を希望されました。 クラブの活動を見て関心を持ってくれる方は時々いらっしゃって、声をかけてくれる方はいるのですが、実際に参加するというのは勇気がいることです。私はこの話をもらった時、本当に嬉しく思いました。 約5000mも泳ぐ競泳の厳しい練習をしてから、少しの時間で栄養補給をして、ほぼ休む間もなくプールサポーターとして、2時間一緒に我々と活動します。百花さんがいると、クラブの雰囲気が明るくなります。今やクラブのアイドルのような存在です。 最近は、40歳代の片麻痺の女性メンバーさんのサポーターに入ることが多く、色々な泳法に取り組んだり、ターンの練習など競技的な内容もどうしたら上手くいくか、一緒に考えたりしています。 百花さんのような素直でさわやかな中学生と出会えたことに感謝しつつ、百花さんの将来のために、クラブが何か役立てばいいなあと、そんなことも考えています。
今日はいい天気の日曜日、11人のメンバーさんと9人のプールサポーター、2人の着替えサポーターが参加して、賑やかに2時間の活動を行いました。 今日は近くに病院に勤務している脳神経外科のドクターがわざわざ見学に来てくれて、ありがたいことでした。 2レーンレンタルしているとは言っても、11人の方が一斉にスタートはプールのキャパシティ的に無理なので、前半後半の2グループに分けてやっています。 継続していると、明らかにメンバーさんの体力がついてきたことが実感できます。皆さん1時間以上はプールの中で活動して、サポーターは少し見守るだけで一人でも取り組めるようになってきました。 メンバーさん自身も自分の変化を感じているはずで、充実した表情というか、顔つきが変わってきています。 もっと多くの方にクラブに参加してほしい、仲間になってもらいたいと思いますが、それにはサポーターを増やすことが必要ですし、焦ってはいません。 麻痺があってもプールで活動したい人はチャレンジしてみましょう、という大らかで自主的なグループという立ち位置を大事にして、これからもやっていくつもりです。
自分がどうしてこの活動を始めることになったか、長くなりますがお読み下さい。 約20年前、自分が東京の西新宿にある初台リハビリテーション病院という病院に勤務していた頃、一人の脳出血後の患者さんの主治医になりました。三嶋完治さんという方です。 右片麻痺と失語症を後遺症として残しましたが、入院リハを経て自宅に退院されました。ある時、乗車したタクシーの運転手さんから「あなたはプールに行った方がいい」とすすめられたそうです。その運転手さんは過去に軽い脳卒中をされましたが、プールに通って回復した経験があったそうです。 三嶋さんは一人で外出できる方で、自分で新宿区の区営プールに通い始めました。最初は水中歩行から開始して、その後にトレーナーの指導が始まって、実際に泳ぎ始めたそうです。 自分は外来でも主治医としてお付き合いしていたのですが、三嶋さんの歩行が良くなったり、メンタル面も元気になっていく様子を感じていました。 一度、三嶋さんに誘われて実際にプールで泳ぐ様子を見に行ったのですが、麻痺がありながらもバランスを取りながらクロールなど上手に泳がれていました。自分は片麻痺の方が泳げるとは思っていなかったので、大変びっくりしました。 私は当時、病院の退院患者さんの友の会の設立や運営に関わっていたのですが、友の会の月例会に、一人の水泳インストラクターさんが見学に来られました。手塚由美さんと言って、過去にインカレで平泳ぎのチャンピオンとなったアスリートです。 手塚さんは水泳や水中でのエクササイズを子供達や高齢者に教えられていたそうですが、片麻痺の方のプールリハの指導を始めて、その有効性や本人の変化をすごく感じて、麻痺のある方のプールリハを進めたいと希望されていました。 その後、三嶋さんが一年間の水泳の練習の成果をお披露目する会を開くと聞き、手塚さんをそこにお誘いしたのが二人の出会いです。 三嶋さんは法律家という仕事柄もあって、手塚さんの活動を全面的に支援され、手塚さんが代表となって「輝水会」という法人を設立されました。手塚さんによると、三嶋さんのサポートがなければ法人化は難しかったと仰っています。法人となって、区などから助成金を得たり、障害のある方のプールだけでなくスポーツの提供のために活動を展開され、今日に至っています。 今の魚沼プールリハクラブの活動は、三嶋さんと手塚さんとの出会いが契機となったとも言えます。 手塚さんが主催されている輝水会の水中リハのオンライン講習会には、私を含めて魚沼プールリハクラブの多くのサポーターが参加して、技術的な基礎などを学びました。クラブの活動に大いに参考にさせて頂き、今後は手塚さんを招いて、サポーター技術指導などお願いをしたいと考えています。 輝水会のHPは以下ですので、是非ご覧ください。 https://kisuikai.com/
クラブには、メンバーさんと一緒にプールに入る「プールサポーター」と、女性メンバーさんの着替えを手伝う「着替えサポーター」がいます。 最初から役割分担をしたわけではなくて、「プールに入るのはちょっと・・・、でもメンバーさんの着替えなどのお手伝いなら」といって、参加して頂いています。 自分が会の名前もつけずにプールでの活動を始めた頃、ボランティアを募集したときに、最初に何人か手伝ってもいいという方から連絡があり、そのうちの一人が髙橋美輪子さんといって、最初の着替えサポーターの方でした。地域でケアマネジャーとして働いておられます。 髙橋さんから、職場や色々なところでサポーターになってもらえそうな方に声をかけてもらって、着替えサポーターは随分と増えました。皆さん、順番に来てもらっていて、このあたりの取り仕切りも髙橋美輪子さんがやってくれています。 着替えの際に手すりがあった方がいいと意見をもらって、ロッカーに吸盤で吸着して取り外し可能な手すりを購入したり、メンバーさんが使いやすいロッカーの番号を控えて、プールの受付の方に伝えてくれたり、力強い仲間です。 ただ、着替えも含めてメンバーさんは自分でできることはできるだけ自分でされていて、実際は更衣室からプールに入るまで着替え以外にも色々と支援することがあり、「プールに入るまでとプールから出た後サポーター」が適切な表現というのが、髙橋さんの意見です。 プールの最初と最後の着替えの間は、プールで活動しているメンバーさんの姿をプール外から見守ってくれています。メンバーさんが笑顔で取り組む様子を見ているのが楽しいし、自分も頑張らないと!という気持ちになると聞いています。 クラブの活動は、こういったプール外で活躍する方にも支えられています。