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皆さんこんばんは!声松優一です。僕は、千葉県の船橋市立船橋高等学校(通称、市船)に通っていました。運動部の強さは全国区ですし、吹奏楽部も全国大会で金賞を取るほどの、体育会系文化両方強豪の高校です。(ちなみに僕は水泳部でした。)僕が入学したのは、【留学教育コース】と言って、英語に特化したクラス。一学年に一クラス、三年間クラス替え無しという、特殊なクラスでした。つまり僕は、中学生の頃【通訳になるための英語が勉強したい】と思ってこのクラスに入ったわけですが、いろいろなところで語ってきたのですが、高校の途中から英語ではなく、音楽の道を目指すようになりました。特に僕の【通訳じゃなくてミュージシャンになりたい】という思いを応援してくれた友人がいました。一緒に廊下で歌ったり、ライブを見にきてくれたり、時には厳しいダメ出しも。「あー今のは好きじゃねーな!全然良くねぇわ!」鮮明に覚えています。その友人も、英語ではなく水族館で働きたい。という夢を抱き始めていました。そのためには、理系の大学に進まねばなりません。ですが、このクラスは英語系なので文系。理系の大学を受験するために必要な科目を受けることができない。しかも、3年間クラス替えなし=文系を学び続けることになる。今から転科できないか?先生方も、彼の夢を応援するために必死になってくれました。ですが、転科できないという結論になりました。(理由などは割愛。)その日から、彼の猛勉強に拍車がかかりました。なんとしてでも叶える。まずは大学だ。大学にいかないと話にならない。と。遊ぶ時間も無く、とにかく猛烈に勉強に励んでいました。お互いに、入学当初抱いていた目標とは違ったものを目指すようになったこともあり、励まし合い、叱咤激励を飛ばしあって、折れそうになる心を起こし合いました。無事に北里大学に合格し、水族館で働くための学を深めるために大学院まで行く!と決めて実行した彼の努力は、あの時のことを思い出して彼の気持ちを考えるとちょっと吐き気がするほどです。笑この投稿の写真は、写真が好きだった彼が撮ったものです。そんな忙しい彼でしたが、僕のメジャーデビューが決まった時、その時住んでいた岩手県から車を飛ばして会いに来て、おもいきりハイタッチをし、おめでとう!おめでとう!!!じゃあ俺、帰っから!と、滞在わずか10秒で颯爽と帰っていきました。その日の夜、次はお前の番な。とメールをしたら、まずお前に報告すっから待っとけや。と返信。そして時が経ったある日、その彼から着信があり、電話に出るなり「ついにやったぞ!!決まったぞ!!叶えてやった!!やったぞ小松!!!!」飛び上がって喜び、近々会えないか?と聞くと、就職先がある陸前高田に引っ越したり色々とバタバタしているから、落ち着いたら祝杯あげようぜ!と。これでやっと、お前の分のハイタッチできるな!長かったぞこのやろー!待ってるかんな。と言って電話を切りました。間も無くして、東日本大震災が発生。津波に飲まれて亡くなりました。約束のハイタッチ。祝杯をあげられていたらかけたかった言葉や、話したかったこと。会おうと思えばいつでも会えるし。という思いによって、結果行き先を無くした言葉たちが、未だに僕の頭の中をさまよっています。この後悔が消えることはきっとこの先無いと思います。でもそのおかげで、このてとてと☆ファイブの活動に対する思い入れと、風の電話に対する思い、映像作品【風の電話ボックス〜あなたの声が聴きたくて〜】に対する思いも高まり続けています。なんと、あと5名で支援者が100名に達します。あと約10万円で目標達成です。こんなにたくさんの方に関わっていただけること、毎日毎日感謝が募るばかりです。皆さんなら、まごころ記念日は誰に、何を伝えたいですか?