またまたハウルさんの写真です。可愛いですよねえ。ハウルさんは私のFB友達ですが、花の写真のほかに、いつもランチの写真を載せてくださるのですが、それが私の食べたいものばかり!(^^)!いつか写真のお店ぜ~んぶに行ってみるつもりです。(^_-)-☆
さて、今日は昔の話にしましょうか(^^)/私が鍵林に嫁いだのは、昭和43年(いや~大昔だこと!)今とは違い大きな門柱の奥に住居も工場もありました。
当時は主人と舅とパートの男の人3人で早朝3時から煎餅の生地の仕込みをしていました。うるち米を蒸して撞いて柔らかな餅にするまでが朝仕事。
終わって朝食を済ませた8時から本格的な煎餅作りが始まります。練り機から出てくる生地を大きなローラーで反物の生地のように薄く幅広く延₍の₎し、缶の蓋が横並びにいくつもついたようなローラーで型抜きをします。
型抜きをして余った生地を長い棒でクルクルっと長い棒で巻き上げて練り機に戻すのは。チョーベテランのオバさんで、これが上手にできる人は大ボス。姑も頭が上がらなかったとか。
生地は生き物のようで、気温、湿度、温度、加える水分などで状態が変化。柔らかすぎたときなどは、普通の人の手に負えるものでなく、巻き取ることのできなかった生地と製品とがぐちゃぐちゃになって大変なことになりました。
平らな四角い網に並べられた煎餅の生地は、今度は工場の屋根に並べて天日干しをします。今もその屋根が残っていますが、黒いコールタールという塗料を塗ってあり、暑い日などは屋根用のゴム草履がべたべたくっついたりしていましたっけ(◎_◎;)
な~んもできない私はただの傍観者。
のちに経理部門を任されましたが、それが一年に一回しかやらない昔の家内工業のどんぶり勘定。1年分の入出金伝票の整理から始まるので結構大変だったので、私が現場に出て手伝ったのはずーっと後のことです(;^ω^)
家のことは何もしなくてよい(布団を敷くことでさえも!)と主人が言うのを頭から信じ込んで嫁に来た私を、その頃の女ボスや、姑などの女たちは、きっとあきれ返って見ていたことでしょうね(;^_^
でも単純な私はそれでよいのだからと思い、また周囲も我慢していてくれたので、あまり嫌な思いをしたこともなくのうのうと暮らしていました(;´Д`)
もっといろいろ記録しておけば良かったと今頃になって思うのですが、主人も舅もいなくなった現在その頃の話はぼんやりとしか覚えていないのが、今となってみれば残念(;'∀')
今日は大昔の話でした。今日も応援ありがとうございました<m(__)m> また、明日ね♡