「どうして『戦争』によるさまざまな悲劇が起きたのか?」
その理由を考えることができるような展示ができないか・・・
そのことを考えられる展示を目指した、今年の『平和のための戦争展』(8/31~9/1)でした。
図面上20mの展示スペースと計算して、家でゴソゴソ…
TICO PLACEにある実物資料や写真を活用しながら、「考える」展示ができないものかと、かなりの時間考えました。
まるで、もう一度資料室の展示をやり直しているような、そんな感覚になりました(笑)
結局、時間切れで、考えたことを十分に表現することはできませんでした・・・
まだまだ、「言葉」や展示の仕方に工夫が必要です。
これを土台に、また、来年に生かしたいと思っています。
しかしながら、私の中には、戦争によって苦しんだ人(自国他国を問わず)が、それまで以上に強く住みつきました。それまで以上に、「戦争にならない方法」を真剣に考えています。
9月には2度も、小学校に平和学習に行く機会をいただきました。
修学旅行で大刀洗平和記念館に行く6年生には、『特攻』という事実があったことを知ってもらうだけでは、不十分だと思いました。
「どうして、死ぬことを前提とした体当たり攻撃をしたのか?することになったのか?」
と、そこを考えることが、本当の平和をつくる力になるのではないかと考えました。
そういう気持ちに至らせた『教育』の話を、当時の小学生(国民学校)の日記をもとに話をしました。
5年生の子どもたちには、少しでも戦争を自分事として捉えてもらいたくて、戦争中の日常の様子の写真をいくつか提示しました。
今の自分たちと変わらない笑顔の人たちが、悲惨な体験をすることになってしまう・・・
いろいろなことを学び、自分の頭で考えられる人になろう!と話しました。
修学旅行で長崎に行く6年生には、どうして、北九州に原爆が投下される予定だったのか?と、当時の北九州のことを伝えました。
そして同時に、原爆によって苦しんだ方(吉田勝二さんと谷口すみてるさん)の話をしました。
一発の原爆により、人生がめちゃくちゃになること、また、生き残った自分の命を「二度と自分のような経験をする人が出ないように」と、「反戦」「核廃絶」に捧げた人がいて、今の平和がつくられていることを知ってほしいと思いました。
この夏。
出張展示を考えたり、出張学習を考えたりすることを通して、私の中にまた強く深く、戦争体験者の体験や『平和を願う声』が刻み込まれました。
それに加えて、宮古島と石垣島に伺い、軍事化の現状と今を生きる人たちの『平和を願う声』を聴き、心に刻んできました。
そして今、
令和6年度日米共同統合演習(実動演習)「キーン・ソード25」について 2024年9月 防衛省より 令和6年度日米共同統合演習(実動演習)「キーン・ソード25」について 2024年9月 防衛省より
新しく「特定利用空港」に指定された北九州空港をはじめ、沖縄や九州、全国で、これまで以上に大規模な日米共同演習が行われようとしています。
この現状を、私の中に生きる多くの平和を願う人たちの声と重ね合わせて、今、自分にできる事を考えています。
「『戦争のない世界』をつくる方法」を考えています。
頭が痛くなるくらい考えています。
私が考えたところで、何か変えられるわけではないことは分かっています。
でも、考えずにはいられないのです。
戦争は、人間がつくる。
ならば必ず
戦争をなくすことができる!!
いつかきっと。
その道筋を作りたいのです。