「頭ではインクルーシブ教育がいいと分かっているのに、自分は普通学校に通えてよかったと素直に思えないのは、私が偏屈だからかな。」
大学院時代、インクルーシブ教育を研究したいと思っているくせに、自分の子ども時代を思い出すのが苦しかった時、そんな自問自答をしていました。
大学院退学後、東京インクルーシブ教育プロジェクトの仲間と、障害者権利条約の「一般的意見第4」を読む機会がありました。条約の審査機関である障害者権利委員会が、条約の定める「インクルーシブ教育の権利」をより詳しく解説したものです。
そこでは、インクルーシブ教育と統合教育は全く違うものだとし、こう説明してます。
「統合は、障害のある人は既存の主流の教育機関の標準化された要件に適合できるという理解の下に、彼らをそのような機関に配置するプロセスである。インクルージョンには、……(通常学級の)教育内容、指導方法、アプローチ、組織体制及び方略の変更と修正を具体化した制度改革のプロセスが含まれる。たとえば組織、カリキュラム及び指導・学習方略などの構造的な変更を伴わずに障害のある生徒を通常学級に配置することは、インクルージョンにならない。」
これを読んだ時、少なくとも中学時代まで、私が受けたのはインクルーシブ教育ではなく統合教育だったのだと気づきました。同じ学校に通っていたのに、知的障害のある生徒は他の生徒と違う教室でほとんどの時間を過ごしていたことが、当時の私に「自分も障害があるから、勉強まで出来なくなったら、みんなと一緒にいられなくなるのだ」というプレッシャーを与えました。私が先生に話しかけているのに、先生はすぐに介助員の方を向き、私の言葉を直接聞いてもらえない環境が、私の言語障害に対する劣等感を増大させました。
知的障害のある生徒も、静かな別室で自分のペースで学習したいと本人が望んだ時以外は、同級生と同じ教室の中で、支援を受けながら過ごせるように、教室の環境や授業の在り方が工夫されていたら。私が先生に話しかけた時、聞き取れなかったら、先生が私に直接聞き返してくれるのが当たり前の環境だったら。当時の私はもっと安心して普通学級にいられたでしょう。
私が受けたのは統合教育だったから、あんなに苦しかったのかと気づいたとき、障害があっても安心して同級生と同じ教室で過ごせるように、普通学校を変えていき、日本でも本当のインクルーシブ教育を実現できるようにしたいと思いました。これが、私がインクルーシブ教育の運動に力を入れる原点です。