私がインクルーシブ教育を語るうえで、欠かせない人がいる。インクルーシブ教育とは何か、権利とは何か、私に教えてくれた人。去年のクリスマスイブの夜に天国へと旅立った海老原宏美さん。
私が海老原さんと初めて会ったのは5年ほど前。人工呼吸器から出る空気の音とともに聞こえてくる、軽やかで優しい、でも時々鋭いその言葉に、私は惹きつけられた。自立生活センター東大和の理事長で、普通学校に通う障害児の支援もやっていると話す海老原さんに、「自分もインクルーシブ教育に興味があるが、自分は普通学校でつらかったことが多く、障害児が普通学校に通うのは本当に良いことなのか分からない」と話した。そんな私に、海老原さんは「今度、私の活動を見においで」と誘ってくれた。
数か月後、東大和の事務所を訪ねた。私はすぐに海老原さんの活動に惹きつけられ、いつの間にか、海老原さんが代表を務める東京インクルーシブ教育プロジェクト(TIP)に参加するようになり、いつの間にかTIPの運営委員になっていた。海老原さんには人を惹きつけ、人と人をつなぐ魔力(?)がある。
海老原さんは、いつも「どんな障害児にも普通学校に通う権利がある」と言っていた。当時、「権利」という言葉に固く重苦しいイメージがあった私は、「権利って何だ?」と思っていた。TIPの仲間と一緒に権利条約の一般的意見第4号を読んでいるとき、難しい言葉が並んでいたが、海老原さんは1つ1つ丁寧に解説してくれた。「どんな障害があっても、合理的配慮を受けながら、普通学校に通う権利があるんだね。」その軽やかな口調で、「権利」という言葉を何度も何度も当たり前のように聞いているうちに、「権利ってそんなに難しいことではなく、他の人が当たり前にやっていることを障害者も当たり前にできるということなんだな」と理解した。
統合教育とインクルーシブ教育の違いを教えてくれたのも海老原さんだ。「そのままの普通学校に障害児を入れるだけではダメで、どんな障害があっても過ごしやすいように、普通学校の環境を変える必要があるんだね。」海老原さんの言葉が、私には「舞ちゃんが普通学校でつらっかたのは、舞ちゃんが悪かったのではなく、舞ちゃんが過ごしやすい環境に普通学校が変わらなかったのが問題だったんだよ」と言ってくれているように聞こえた。これが、私が自分の子ども時代を肯定できるようになっていくきっかけだった。(続く)