海老原さんと一緒に活動する中で、中学時代の自分が介助員から虐待を受けたのは、自分が普通学校に通ったからではなく、障害児の支援を、当時大学を卒業したばかりだった介助員1人に任せ、介助員が障害児との関係に悩んでいても、誰にも相談できない環境や、障害児が毎日、学校の階段から転がり落ちていても、誰一人、教員が異変に気づかない環境が悪かったからだと気づいた私は、自分の過去と向き合うことにした。そうすることで、同じ経験をする障害児が出てくるのを防げるのではないかと思った。
でも、そのときの私は、中学時代の介助員や担任のことを気にするあまり、当時の経験を公にしてもいいのか迷っていた。TIPの他の仲間からは「自分を傷つけた人のことをなぜそこまで気にするのか」と叱られたこともあったが、海老原さんは何も言わずにただ見守ってくれた。
そして昨年夏ごろから、偶然、色んな機会が重なり、私は中学時代に受けた虐待について、色んな所で話すようになった。(海老原さんが亡くなってから聞いた話によると、私が中学時代の虐待について話すようになった1つのきっかけを作ったのは、まさかの海老原さんだったらしいが。恐るべき策士(笑)
もう自分の経験を全て公にし、もう二度と同じ経験をする障害児が出てこないようにするために、自分の経験を活かしていこうと決意し、そのことをFacebookで書いたとき、海老原さんから「よく生きてきた。舞ちゃん、大好き」というコメントをもらった。短いコメントだったが、とても嬉しかった。
これからはもっとインクルーシブ教育について深い話を海老原さんとできるといいなと思っていた矢先に、海老原さんの訃報が届いた。(続く)