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音楽史年表データベース開発プロジェクト

音楽の楽しみを生き甲斐のひとつとしたい方のために、30年にわたり蓄積してきた音楽史年表を無料公開するデータベースシステムを開発します。音楽史年表は、1350年頃から1975年まで約600年にわたり、年表項目数約15000ステップ、作曲者数約200名、掲載楽曲数約6000曲から構成されます。

現在の支援総額

114,000

4%

目標金額は2,500,000円

支援者数

14

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/07/22に募集を開始し、 14人の支援により 114,000円の資金を集め、 2022/09/20に募集を終了しました

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現在の支援総額

114,000

4%達成

終了

目標金額2,500,000

支援者数14

このプロジェクトは、2022/07/22に募集を開始し、 14人の支援により 114,000円の資金を集め、 2022/09/20に募集を終了しました

音楽の楽しみを生き甲斐のひとつとしたい方のために、30年にわたり蓄積してきた音楽史年表を無料公開するデータベースシステムを開発します。音楽史年表は、1350年頃から1975年まで約600年にわたり、年表項目数約15000ステップ、作曲者数約200名、掲載楽曲数約6000曲から構成されます。

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音楽史をまとめて行きますと、作曲家やその関係者の間に不可解な謎がいくつか現れました。音楽史原稿は最初にモーツァルトに取りかかりましたが、モーツァルトは初めてウィーンを訪問した折には、ウィーン宮廷に招かれ女帝マリア・テレジアやその夫の皇帝フランツ・シュテファンから歓迎されましたが、2回目のウィーン訪問以降、マリア・テレジアから歓迎された様子はなく、イタリアのミラノではフェルディナンド大公の婚礼祝典オペラ「アルバのアスカーニョ」K.111が大成功を収めたにも関わらず、マリア・テレジアはフェルディナンド大公にモーツァルト父子を侮辱する手紙を送りました。マリア・テレジアはオーストリー国民からは国母として慕われていますが、モーツァルト冷遇の原因は何だったのか。一般に言われているように、婚礼祝典時に同時に上演されたマリア・テレジアの音楽の師であるハッセのオペラが不興に終わり、ハッセが気の毒だという理由だけではないように思われます。この原因を探るために、なぜマリア・テレジアが国民から慕われているのかということを理解するために、オーストリア継承戦争、7年戦争についての資料を作成しました。オーストリア継承戦争では、マリア・テレジアは若くして皇帝であった父カール6世を亡くし、しかもカール6世の跡継ぎがいない状況の中で四面楚歌に陥り、しまいには神聖ローマ帝国皇帝位を親戚にあたるバイエルン選帝侯に奪われてしまいました。ハンガリー王となっていたマリア・テレジアはハンガリー軍の援軍を得て、バイエルンと戦い、皇帝位を奪い返し、夫のフランツ・シュテファンを皇帝位につけ、オーストリア・ハプスブルク家を再興しました。これによりマリア・テレジアは国民から国母と慕われるようになりました。そして、ハプスブルク家の皇帝位継承を盤石なものとするために、これまで敵対してきたフランスと同盟を結ぶという外交革命を行いました。そして、長男のヨーゼフの妃に、フランス王ルイ15世の孫でありスペイン王フェリペ5世の孫でもあるパルマ公女イザベラを迎え入れ、娘のマリア・アントーニア(マリー・アントワネット)を次期フランス王ルイ16世に嫁がせるなどの婚姻政策を進め、7年戦争では、オーストリア継承戦争では数少ない同盟国であったイギリスとは縁を切り、フランスに加担しました。このような時期に、モーツァルト一家は西方大旅行で、イギリスにまで足をのばし、ロンドンの王宮を訪れ、オーストリーと敵対するプロイセンと同盟を結んでいたイギリス国王ジョージ3世から暖かくもてなされたという話は、マリア・テレジアを不快にさせたと思われます。話が、長くなりそうなので続きは、本編の音楽史関連記事で述べて行きます。SEAラボラトリ 早川明


プロジェクトの近況報告ですが、本プロジェクトはデータベースのもととなるデータの構築に長い年月をかけてきており、最終段階がWEB上での公開ということになりますので、これまで行ってきた取り組みの状況や、音楽史年表作成中に考えたことなどをご紹介したいと思います。構想から数えますと30年ということになりますが、写真でご覧いただけるように原稿の作成はモーツァルトの原稿作成開始が平成15年10/25ですから、19年前からということになります。その後、平成17年12/25にはベートーヴェンの原稿作成にかかっています。創作史年表作成の動機は、作曲家が作曲した時点でどのような作品が世の中に存在し、どのような動機で作曲家が音楽を生み出したのかということが、分かるようにしたいというようなことだったように思います。その後、バッハ、ヘンデルのバロック期に移り、シューベルト、ロッシーニ、ロマン派作曲家へ取り組みを広げて行きました。しかし、このあたりで、ただいろいろな著作から歴史的事実としての年表を寄せ集めて何になるのかという疑問に突き当たりました。そして、創作史年表を作るからには、その創作史年表から得られるものを取りまとめる必要性があると感じ、ベートーヴェン「女性と作品」や分野別創作史などを作るようになりました。創作史はバロック期から始めていましたが、ミサ曲創作史を作成しますと、ミサ曲においては更に歴史をさかのぼる必要があり、中世、ルネサンス期まで創作史の範囲は広がることとなりました。この時期には、原稿のEXCELへの入力作業に取りかかっています。先月にはようやくショスタコーヴィチの最後の作品であるビオラ・ソナタOp.147の入力を終え、現在までの原稿の入力をすべて終えることができました。長かったです。一時は指が腱鞘炎のようになり、動かなくなることもありました。写真は1803年の原稿ページです。当初は見開きで、左ページにはベートーヴェンの情報を、右ページにはハイドンなど他の作曲家の情報を記入しはじめましたが、情報量は増え、1803年で9ページを費やしています。この年には、ベートーヴェンは交響曲第2番ニ長調Op.36やクロイツェル・ソナタ イ長調Op.47などを初演しています。原稿量は全部で厚さが11センチありましたから、厚さ3ミリのノートで36冊分になります。今後、20年以上放置してきたLPレコードの復活の話なども交え、これまでの状況について報告して行きます。今後もよろしくお願いします。プロジェクト代表 早川明