私は、岩手県釜石市で生まれ育ち、釜石市立釜石高等学校を卒業しました。現在は、慶應義塾大学総合政策学部に所属し、防災の研究会に所属しています。「夢団」の設立当時、私も夢団のメンバーの一人として一緒に東日本大震災の経験を語り継ぎ、未来の命を守るための活動を行なっていました。卒業した後も、同じ思いを抱く地元の後輩たちが未来へ繋げるために活動を行なっていることを誇りに思います。このプロジェクトが、釜石から横浜そして次へとつながる「新たな動き」を生み出してくれると思います。東日本大震災やコロナ禍と戦いながらも、前向きに活動する後輩たちへ温かいご支援宜しくお願い致します!※画像は2019ラグビーW杯釜石会場での語り部活動慶應義塾大学総合政策学部 洞口留伊
3月のイベントの企画にも関わってくださる高校生防災士の橋本玄さんより、クラウドファンディングと3月のイベントに寄せてメッセージをいただきました。ぜひご覧ください!!-------------------------------------------------------------------------みなさんこんにちは、防災普及学生団体玄海共同代表・高校2年生防災士の橋本玄です。弊団体は、鎌倉を中心とした中高大学生27名で『体験×楽しむ=学び』をテーマに防災を楽しく学ぶプログラムの実施や映像を通じて防災を身近に考えてもらう活動を学生目線で行なっております。災害は、いつどこで起こるかわからないと言われるように、我々もいつどこで災害に遭っても落ち着いて行動できるスキルを身につけていくことが重要です。絶滅危惧種たる『学生防災活動家』をどんどん生み出していきましょう!釜石と横浜が『防災』という一つのテーマを通じてつながり、起こり得る未曾有の大災害に対して学生らしい発信方法を生み出すことで、多くの市民に防災の重要性を再確認してもらえるのではないかという熱い思いを抱く事ができました。また東日本大震災を風化させない重要性を再確認できたとても良い機会でもありました。パネルディスカッションでもお話があったように、東日本大震災を知らない世代に伝える術を模索していかなければなりません。3月に行われる『釜・横トライ!』では、釜石の高校生と横浜の高校生が同じ目線で震災・防災を語り合える非常に貴重な機会になると思います。災害からの避難、復興において学生の力は決して侮ることはできません。必ず、地域を救うキーマンとして活躍できるはずです。過去から学び、未来につなげることの重要性を皆で語り合いましょう。
私は、事務局を担当しています守田と申します。このページに目をとめていただき、どうもありがとうございます。私は、昨年3月までよこはまユースで事業企画課課長をしており、この企画について小林実行委員から相談を受けた“大人”の一人です。 実行委員長の言葉にありますように、私は一昨年の11月、大学生たちのお世話役として釜石を訪れました。そこで、石井光太さんのご紹介で初めてお会いしたご住職から開口一番いただいたのは「悪いけど釜石の人間は神奈川県の人のこと、あまり良く思っていないよ」というお言葉でした。それはすなわち「震災後大量に生じた“被災物”を神奈川県の人は『放射能汚染の危険性がある』ということでいっさい処分のための“ひきとり”を受け入れてくれなかった。当時岩手県の新聞では、一面に取り上げられたが、神奈川県ではほとんど報道されなかったと聞いている。」「わたしはもう忘れちゃったけど、あの時散々苦労した人の中にはまだ覚えている人はたくさんいるよ。」と仰るのです。 また、釜石の「遺体安置所」で想像を絶するご苦労をされた歯科医師の方からは、当時釜石の被災状況は地元からはなかなか入って来ず、東京のメディアが発した情報が東京に住む人たちから一歩遅れて入ってきた。誰が当事者なんだ!今でも不信感は消えないと仰っていました。 遅ればせながら、私は釜石で購入した何冊かの本の中からこんな言葉を目にしました。 凄惨な現場を目にして「壊滅」を語るのはたやすい。「壊滅」する前に、そこになにがあったのかを知らなければ、軽々に「壊滅」などということばは使えないのではないか。「復」や「再」や「新」もそうだろう。「復する」にしても「再び」にしても「新たに」にしても、<3・11>以前にそこになにがあったのかに思いを致してはいただけまいか。 まずは、東北を知って欲しい、学んで欲しい。このような緊急事態に迂遠と思われるかもしれない。そうではあっても、東北とはどのような地であったのかを知らずして「壊」も「滅」も「復」も「再」も「新」もあり得ない。話はそれからだ。そうでなければ東北は浮かばれない。二万人もの死者・行方不明者は浮かばれない。(『瓦礫から本を生む』土方正志) いずれの言葉も私の胸を重くするものでした。 その後の勉強の中で、釜石市の面積は横浜市のそれとほとんど同じ。一方、釜石市の人口は約4万人に対し、横浜市のそれは約370万人ということを始めて知りました。またさらに深めると、縄文時代の晩期、日本の人口は7万5800人。うち東北には実に52%が暮らしていた。ということも知りました。 このような<歴史>や<地理>を広く、長いスパンで学んだ時に思ったことは、私たちは「高齢者」とか「若者」、「釜石」とか「横浜」というような小さな区分にもう拘っていてはいけないのではないか。目に見える事象にだけ一喜一憂し競い合うのではなく、もっと想像力を働かせて、大きなスパンで一緒に日本の将来のことを考えなければいけないのではないかということです。そのためにはもっとお互いを良く知らなければ始まらない、それもメディアやSNSだけを通じてだけではなく、もっと直接に。相手の気持ちが少しでも伝わるように、もっと近づいてです。 きっと“さんつな”の伊藤さんがわざわざ、横浜まで出向いてキックオフミーティングで話してくださったように「千年先を見据えて活動する」必要があるのではないかということです。 このような将来の展望を見据えた活動として、スウェーデンの環境活動家・グレタ・トゥンベリさんの実践があります。彼女は2018年11月24日ストックホルムで開かれた「TED」会議でつぎのようなことを発言しています。 「もし私が100歳まで生きるとしたら、その時は2103年になっています。いま、あなたたち(大人)が未来を考える時、2050年より先のことは考えないでしょう。でもその時私は運が良ければ、まだ人生の半分も生きていないことになります。 たった今、あなたたちのしていること、あるいはしていないことが、私の全生涯と私の子どもや孫たちの人生に影響するのです。 たった今、あなたたちのしていること、あるいはしていないことの結果を、私たちの世代が将来、帳消しにすることはできないのです。」 と語り、大人たちは逃げきれると思っているが、私たち若者には逃げ切れない“事実”として確実にある。というようなことを言っています。 きっと、いつか必ずやって来る「大地震」や「大津波」「自然災害」についても同じことが言えるのではないでしょうか。大人たちはもっと若者たちの言葉に耳を傾け、謙虚に一緒に<防災>に取り組む必要があるのではないでしょうか? 大自然の仕組みを軽視して作り上げてしまった、東京一極集中主義、エネルギー政策、利益至上主義、環境破壊、若者施策の貧困、タイパ社会、想像力の貧困・・・。 このような社会を作ってきた“大人”の責任として、私は今回の活動を応援しています。 風化を憂うだけでなく、「自分ごと」として。 若者たちのこの<真っ直ぐな意志>を理解し、一緒に応援してくださる“大人”の方のご協力 をどうかよろしくお願いいたします。
みなさんこんにちは。今回、企画運営に携わらせていただいています、慶應義塾大学総合政策学部1年、つなぐつながるプロジェクトメンバーの飛川優と申します。私は東京生まれ東京育ちで、中学校のスタディツアーで初めて東北の太平洋沿岸部を訪れました。当時防災には特段関心はなく、「他人事」のような気持ちで伺った宮城で、地震や津波の恐ろしさ、そして、同じような規模の震災が今後東京で起こるということを学び、いてもたってもいられずに友人と共に防災の活動を始めました。中高時代は、子供向けの防災動画の作成や、小学校での防災授業の実施などの活動をする傍ら、宮城や岩手に通い、現地の方からさまざまなお話を聞いて参りました。高校1年生の時には、今回横浜にお招きする防災団体「夢団」の活動拠点である釜石にも伺いました。中高時代の活動で最も感じたことは、東日本大震災の教訓が、なかなか未災地に伝わっていない、そして未災地での防災に生かされていないという現状でした。被災地の教訓から学び、備えることで助けられる命が必ずあるはずです。未災地の私たちは、「東北を忘れない」というメッセージを訴え、風化を憂うだけでなく、「自分ごと」として、私たち自身が教訓を学び、私たち自身の防災に繋げていくことが求められていると強く感じています。今回の活動を通して、夢団の皆さん、釜石の皆さん、そして神奈川で防災に携わる皆さんと共に、教訓の伝承、そして防災啓発のあるべき姿について模索したいと考えています。この文章をお読みいただいている皆さんにも、この機会にぜひ、私たちと一緒に、防災や伝承について考えていただけたらと思っております。プロジェクトへのご支援、また夢団の皆さんの参加する3月のイベントへのご来場、お待ちしております。よろしくお願いいたします。つなぐつながるプロジェクト 飛川優
今回、イベントの企画運営に携わっております、つなぐ、つながるプロジェクト(慶應義塾大学有志団体)の岸うららと申します!このプロジェクトは「震災」や「防災」に関する問題意識をもとに集まった5人の学生から始まりました。どうすれば、被災地での経験が伝承され、未災地の防災行動に活きていくのか。防災を自分ごととして捉えられるのか。実行委員会の皆さんと協働しながら、プロジェクトメンバー一同日々考え、活動に取り組んでおります。震災当時、私は地元の小学校で授業を受けておりました。経験したことのない大きな揺れに戸惑い、恐怖感を抱きましたが、家族と合流し安心を取り戻しました。大変お恥ずかしい限りですが、当時の私は、東北で起きた悲惨な出来事が自分ごとに感じられていなかったのです。それから11年後。大学に入学し、お声がけいただいた、福島県浜通りのまちづくりインターンに参加しました。福島県浜通りとは福島県の東部地域で、津波が押し寄せた地域であるとともに、原発事故で放射性降下物が一帯に降り注いだ場所です。今でもその一部が帰還困難区域になっています。このインターンで、私は、そこに暮らしていた人々の声を聴きました。そして、今私たちが生きている状況と何ら変わらないものがそこにあり、地震で、津波で、原発事故で、それが一気に失われてしまったのだと痛感させられました。大切な人、思い出の詰まったまち、居心地の良い景色と空気。インターンを通して、また、プロジェクトメンバーと勉強していくうちに、東北で起きたことは決して他人事ではないことを強く感じました。私がそうであったように、そして、私自身がまだそうであるように、遠い地域での災害を教訓として、自分の、自分のまちの防災行動につなげるのは本当に難しいと思います。でもだからこそ活動を通して、大切な人と場所と想いを守る「防災」のはじめ方を考え、学びたいのです。そして、それを他の地域でも実践へとつなげていきたい、そう思っています。これまでの活動では、メンバー同士での勉強会、クラウドファンディングキックオフイベントの企画運営、インスタグラム・チラシ等での広報を行いました。今後は、実行員会との皆様とより関係を深めながら、神奈川版クロスロードの作成にも力を入れていきたいと考えております!