株)文化財マネージメントの宮本です。源宗寺や地区との地域連携事業について、立正大学 地理学科・准教授の原美登里さんと学生さんにご執筆いただきました。今回含めて4回続けて掲載します。源宗寺護持会、源宗寺本堂保存修理委員会、熊谷市平戸地区、立正大学地理学科 原美登里研究室における地域連携事業立正大学地理学科 原美登里立正大学地理学科原美登里研究室のゼミ生は、2020年度より源宗寺平戸大仏の維持・継承を目的にした地域活性化に取り組んでいます。2020年度は棟上げ式や落慶式のお手伝いなどを中心に活動しました。2021年度では、地域資源調査を実施し、データベースを作成しました。研究室の3・4年生の学生が、観光マップ作成班、イベント企画・運営班、グッズ企画・作成班、動画作成班の4つに分かれ、それぞれ精力的に平戸地区に関わってきました。これらの活動に際し、源宗寺護持会や地域の方々から歴史的経緯をご教示いただいたり、班ごとの成果について意見交換会を開催しご助言を頂戴したりと、学生は普段の学生生活では学べないことを経験し、成長しています。現在は、ご助言いただいた内容を精査し、成果物をバージョンアップするよう取り組んでいます。源宗寺および平戸大仏に関する談話会 各班の活動に関する詳細な内容は、このコラムのあとに掲載していきますので、そちらをご覧ください。また、学生たちが取り組んだ地域連携事業について、6月3日(土)立正大学熊谷キャンパスにて開催される立正地理学会で発表します。参加費無料なので、興味のある方はぜひお立ち寄りください。
観音菩薩像持物の巨大な蓮華。木彫した物に、糊漆で麻布を貼っている。(株)文化財マネージメントの宮本です。第1期修復に引き続き、今回も修復をご担当いただいている吉備文化財修復所・代表の牧野隆夫さんにコラムをご執筆いただきましたので、掲載します。「平戸のおおぼとけ」第2期修復の意味吉備文化財修復所 代表 牧野隆夫熊谷市指定文化財、通称「平戸のおおぼとけ」こと源宗寺本尊の第2期修復は、諸般の事情から、令和4年度から5年度にかけて実施することとなり、この7月中には完了します。第1期修復が、本堂再建に伴い必要であった巨像2体の大規模な移動を可能とするための、構造的な補強が主な作業であったのに対し、第2期修復では、外観の整備が中心となっております。像に生じていた亀裂の処理や、白毫や部材の大きな欠損箇所の復元、表面に塗られている漆の劣化の強化、などもさることながら、特に両像の持物(じもつ)=薬師如来像の薬壺と観音菩薩像の蓮(未開蓮)=と、観音菩薩像に取り付けてあったことが判明した装飾の復元は、第2期修復の最も目立つ作業内容と言えます。観音菩薩像に厚紙で制作した頭飾と蓮華を仮設置し、バランスを確認している。学術的な資料としての意味合いが重視される文化財修復では、新たな制作物を加えることが厭われる傾向がありますが、今回はあえてそれを行なっております。ここではそのことの意味について、ご支援頂く皆様方にご理解を賜るため、紙面をお借りして説明します。平成末年、壊れかけた旧本堂の中で、2体の巨大な「おおぼとけ」と初めて対面した時の感動は、今でも鮮明に残っております。ただただ「圧倒」されました。しかし同時にそれは、なんだか分からない大きなもの二つが狭い空間を占めていることに対する物理的な圧迫感と、関心が薄れ日常的に人との交流が希薄になった仏像の発する悲しみだったようにも思います。仏像というものは、悟りを開いた「如来」、修行中の「菩薩」、など大きく幾つかのカテゴリーに分かれ、その中にも多数の種類があります。外観を一目見て「阿弥陀如来」だとか、「薬師如来」だとか、「観音菩薩」だとか、像の名前を判断するのは、仏像の専門家でも容易ではありませんが、その時、役に立つのがそれぞれの像の、持物(じもつ)=持ち物や、印相(いんぞう)=指先の形・サイン、なのです。今から400年前、「平戸のおおぼとけ」は、薬師如来と観音菩薩という全国的にも極めて珍しい組み合わせの、同じスケールの巨像として、多額の資金を用いてこの地に制作されました。ここでは詳しい見解は省きますが、その造像企画自体に極めて明確な意図があったことを疑う余地はありません。「なんだか分からない2つの像」であってはならぬのです。まず、拝観者にそれを明快に伝えることこそが、この像の保存の「肝」であり、修理に関わる人間の責務である、と私は考えています。欠損している部分の復元にこだわるのはそれ故です。観音菩薩像に木彫した蓮華を仮設置したところ。 新しく復元する予定の持物や装飾を仮に作り取り付けた両像の姿は、観音菩薩像がより華やかになるのはもちろんですが、それに負けることなく、飾り気のない薬師如来像の静かな荘厳さが強調されることも実感しました。江戸時代の造像に関わった多くの方々の思いに、今回ご支援を賜った方々の熱い気持ちが加わり、今後長きに渡り「平戸のおおぼとけ」が分かり易いお姿で伝え続けられることを願ってやみません。
(株)文化財マネージメントの宮本です。ソプラノ歌手で、源宗寺保存修理事業広報大使を務めていただいている土田彩花さんからメッセージをいただきましたので、掲載します。源宗寺保存修理事業広報大使の土田彩花です。熊谷の文化財プロジェクトに向けて、現在、声楽の研鑽を積むイタリアからメッセージをお送りします。「平戸の大仏」こと源宗寺の木彫大仏坐像は、その大きさや迫力もさることながら、地域の人々によって今日まで守られてきた、大切な宝物です。本堂の改修は無事に終了し、保存修理委員会では、引き続き薬師如来坐像と観世音菩薩坐像の修復と復元に取り組んでまいります。私と今回の大きなプロジェクトとの関わりは、約7年前に遡る、熊谷市下川上にある愛染堂・愛染明王の保存修理事業のPR大使を拝命して以降、出身地の熊谷市の文化財保護の取組みを積極的に発信してきたことにあります。地元の人々の力で守られてきた文化財も、少子高齢化や地域コミュニティの変化、さらにはコロナ禍により、その継承が難しくなるなど岐路に立たされています。平戸の大仏も例外ではなく、今後とも仏像を愛する皆様や、郷土の文化遺産を大切に思ってくださる皆様とともに、国や県や市の枠を超えて協力し合い、連携し合い、次世代へ引き継ぐことが大切と考えております。皆様のご理解ご協力を宜しくお願い申し上げます。 源宗寺保存修理事業広報大使土田彩花土田彩花(つちだあやか)ソプラノ歌手。埼玉県熊谷市出身、国立音楽大学附属高等学校、国立音楽大学音楽学部演奏学科声楽専修卒業。二期会オペラ研修所終了後、イタリア国立ピアチェンツァ音楽院大学院留学。ミス・ワールド・ジャパン2016ファイナリスト。熊谷市文化財保護事業PR大使。https://www.youtube.com/@ayakatsuchida9456/about?app=desktop
(株)文化財マネージメントの宮本です。前回前々回に引き続き、熊谷市立江南文化財センター・学芸員の山下祐樹さんにご執筆いただいたコラムを掲載します。このコラムはこれが最終回です。源宗寺大仏(おおぼとけ)ファンタスティック―地域の文化遺産という名の希望③熊谷市立江南文化財センター 山下祐樹文化財保存をめぐる「熊谷モデル」の発信令和3年12月上旬、二体の仏像を元に戻し、本堂の改修工事は終了する。今後は令和4年8月頃まで仏像本体の不足部分の追補などの保存修理事業を継続する。今後は適宜、一般公開を行うなど、情報発信と啓発を行う予定である。そして、令和3年10月に発見された薬師如来坐像内の制作者及び制作年に関する墨書の研究などとともに、本尊の二体の仏像の保護に向けて新たな知見等を活用しながら次世代に継承する下地作りを進めていくことになる。源宗寺本堂保存修理事業は、産官学連携と市民間連携で実現した一つの成果でもある。新たなコミュニティの確立という特色を有しながら、文化財保存に関する「熊谷モデル」と言うべき独自の方策を世界に向けて発信できると感じている。主要参考資料・山下祐樹『熊谷ルネッサンス』「源宗寺の大仏」2017年・同「源宗寺本堂保存修理事業の歩みと仏像保護に向けた試み」2021年
(株)文化財マネージメントの宮本です。前回に引き続き、熊谷市立江南文化財センター・学芸員の山下祐樹さんにご執筆いただいたコラムを掲載します。源宗寺大仏(おおぼとけ)ファンタスティック―地域の文化遺産という名の希望②熊谷市立江南文化財センター 山下祐樹源宗寺旧本堂の概要源宗寺は鴻巣市の勝願寺末寺で、江戸時代以降の寺院状況を示した「源宗寺過去帳」によると、開基は祖先の藤井雅楽之助が行い、源宗大法師が開山したとされる。源宗寺は、官や当時の権力者による支援を受けずに建立を果たした私寺であり、江戸時代には近村の人々を中心に信仰を集めた。令和の改修事業において判明した基礎の状況から、当初は茅葺屋根であった可能性が高い。これを前身本堂として寛文2年(1662)に勝願寺の第一四世玄誉上人による一万日念仏供養が成されたと伝わる。その際に本尊となる二体仏像の制作が進められことが推定され、令和の改修時に発見された墨書がその証明となり得る。以降、正徳3年(1713)に大仏は損傷し、近隣村々の援助を受けて修復されたが、寛保2年(1742)8月の大洪水では再び二体の大仏は破損したとされている。その後、第八世喚誉上人が本堂を瓦葺にするなどの再建を行い、大仏の修復にも努めたと伝わる。源宗寺は、江戸時代後期には僧侶を配置しなかったため、近隣の久下にある東竹院が仏事を担い、檀家組織の護持会が今日まで維持管理を続けてきた。そして、平成28年2月、建物全体の老朽化が著しくなる中、「源宗寺本堂保存修理委員会」が発足し、令和の改修事業及び二体の仏像保存修理事業の実施へと結び付いたのである。源宗寺本堂改修事業の要点平成30年(2018)に本事業を担う組織としての源宗寺本堂保存修理委員会(会長:木島一也)が始動し、改修工事の主体者として事業運営を進めてきた。建造物の新築費用約4000万円+周辺整備等工事費400万円の事業計画の中で、約1000人からの寄付金、熊谷市からの補助金500万円、檀家組織の負担金などを含め、費用工面の完了と以降の保存維持に向けて寄附募集を続けている。施工業者は社寺建築の保存修理に関する県内外の業績を上げている株式会社大島工務店(深谷市柏合)であり、令和2年(2020)8月に実施したプロポーザル(事業内容提案型)入札によって決定した。加えて、仏像の保存修理を吉備文化財修復所が担うことになった。解体前には、使用可能な部材を再利用する計画であったが、想像以上に劣化が激しいことが分かり、一部の彫刻や鬼瓦などの再利用に留めることになった。改修内容は概ね復元新築となった。改修のコンセプトとしては、明治時代以降、奈良の東大寺の大仏殿に模して改修が行われてきた経緯があることから、屋根に「鴟尾(しび)」や「二の鬼」などの古代寺院建築の意匠を加えることで、新たな時代への継承という念願を込めた。保存修理事業では、令和2年12月末に源宗寺の旧本堂を解体し、大仏坐像2体(観世音菩薩・薬師如来)の仮設小屋への人力での移動を実施した。令和3年(2021)4月から基礎工事を始点に新調復元工事を開始。6月以降は木工事業を開始。7月上旬には瓦の設置工事が開始。7月下旬、屋根の大棟両端に「鴟尾」が設置された。新本堂の正面(右側に仮設倉庫)新本堂屋根の鴟尾旧本堂からの仏像の移動(令和2年12月23日)本堂東側を解体し移動される直前の薬師如来単管パイプを移動用のコロとして利用し東側に導出した。