皆様のご支援ありがとうございます。さて、研修のため上京いたしました。少しでも「曲り家再生プロジェクト」を知っていただきたいと思い、東京銀座にある岩手県アンテナショップ「いわて銀河プラザ」に伺い、クラファンのチラシ配架とポスター掲示をお願いいたしました。事前に電話にて許可をいただいていましたので、責任者の方にチラシとポスターをお見せしたところ、すぐに配架・掲示していただきました。※写真撮影はお店の許可をいただいています。岩手県アンテナショップに初めて足を運びました。多くの方々が訪れて県産品を買い求めている様子を見ました。賑わっていますね。近隣各所にチラシを配架させてもらっています。「ここに置いたらいいよ」といったご提案がございましたら伺います。引き続き皆様のご支援宜しくお願いいたします。
皆様のご支援ありがとうございます。岩手日報(令和5年11/7付)の2面に「曲り家再生プロジェクト」クラウドファンディングを掲載していただきました!https://www.iwate-np.co.jp/article/2023/11/8/153305県内の方々に「新聞見たよ」とのコメントを多数寄せていただきました。二次元コードも掲載していただいたので、ここから寄付していただいた方もいらっしゃいました。本当にありがたいことです。国の施設がクラウドファンディングを行った事例として国立科学博物館が有名です。科博のクラファンキャッチフレーズが「地球の宝を守れ」。私たちは、岩手ならではの伝統文化である南部曲り家ですので、「郷土の宝を守れ」という思いで、広報に取り組んでいきたいと思います。本日、NHK盛岡放送局の取材クルーの皆さんが来所。プロジェクトと曲り家を取材していただきました。ローカル枠の「おばんですいわて」にて、なんと即日放送していただきました!詳細は後ほどご報告いたします。小生は研修のため、明日から東京出張です。行きすがら、銀座の岩手県アンテナショップ「いわて銀河プラザ」に伺い、チラシを配架する予定です。残りあと27日。引き続き皆様のご支援、お知り合いへの声がけをお願いしたく存じます。
ご支援ありがとうございます!曲り家の民具について、養蚕関係のほかに米づくりに用いられたものなどがあります。高校日本史の教科書に出てくる「唐箕」もあります。おそらくこういったものは歴史資料館や博物館にあるぐらいで、ほとんど残っていないのかもしれません。当施設は体験活動がメインですから、直接触れてみて、唐箕を回してみるような体験もできたら面白いだろうと思っています。ちなみに、民具には寄贈者のお名前と住所(町名まで)の札が付いています。「大船渡市猪川町 ○○○○(人名)」と書かれたものが多くあり、どういった経緯で沿岸の大船渡から内陸の滝沢まで寄贈されたのか、興味が湧きます。(余談ですが、大船渡市猪川町といえば、佐々木朗希投手の母校である大船渡高校があるところです。)臼と杵もあります。これを使って餅つきもできます。岩手県の県南部では今も餅文化があり、祝儀不祝儀どちらにも餅が出されますし、臼と杵を所有している方々が多いと聞きます。臼と杵を使い、1月の教育事業「モチモチ!冬あそび編」で餅つき体験を行う予定です。賑やかに餅つき、餅の実食をしようと思っています。当施設の所長が四国の香川県出身で、そちらでは餅にあんこ等をくるんで焼く食べ方をするそうです。私たち東北の民から見れば、「焼き餅あんこ」または「あんこ焼き餅」です。1月のモチモチ!冬あそび編では、親子の皆さんにこの食べ方を体験していただこうかと考えています。昔の曲り家で餅つきをし、囲炉裏を囲んで餅を食べる。この曲り家再生プロジェクトは、そうした「ふるさとの原風景、原体験」をこれからも続けられるように環境整備をしていきます。来週、テレビ局の方々が取材に来てくださる予定です。多くの方々に曲り家の価値が伝わればと思っています。引き続きご支援宜しくお願いします!
ご支援ありがとうございます!当施設の曲り家には「馬」がいます。とはいっても、本物の馬ではなく、工芸品の「忍び駒」です。ある方から「忍び駒を曲り家を置いてみては?」一瞬、この言葉の意味することが分からなかったのですが、利用者玄関にある「忍び駒」を曲り家に置いて、この曲り家でかつて馬を愛育していたことがイメージできるようにしたらよいのではないかというお話でした。ナイスアイディア!ということで、忍び駒を曲り家に移動。「馬」のいる曲り家となっています。ちなみに、この忍び駒は平成元年4月に階幸男先生から寄贈されたもの。現在、階先生は当施設の創作活動「チャグチャグ馬コ(工芸品)」の指導をされています。この曲り家には民具が多くあります。夏の「曲り家フェスタ」で講義していただいた岩手県立博物館の主任専門学芸員である近藤良子先生に、何をするための民具なのかを教えていただきました。当施設にある民具のほとんどは、養蚕(ようさん)で使用されていたものだそうです。かつて日本の農家では蚕を育て蚕の繭(まゆ)から生糸(絹)を紡いでいました。屋根裏でも蚕を大切に育てていたということで、「家畜」と同じ存在だったようです。そのため、1匹、2匹…ではなく、1頭、2頭…と蚕を数えていたとのこと。https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000221574今後、民具についても、博物館等のご協力をいただきながら、何に使われたものなのかを説明するキャプションをつけていこうと考えております。さて、「曲り家再生プロジェクト」のクラウドファンディングについて、岩手日報さんに取材していただきました!近く掲載されるとのこと。楽しみです。掲載されましたら改めてご報告する予定です。引き続きご支援のほどよろしくお願いいたします!
クラファンへのご支援ありがとうございます!以前の活動報告でもお伝えしました新聞社からの取材について。河北新報さんに取材していただき、10月24日付の新聞紙上にて「岩手山南部曲り家再生プロジェクト」を掲載していただきました。取材では、記者のかたにうまく問いかけていただき、 自分たちの中で思いとしてはあったものの、なかなか言葉にできていなかった部分を問いかけをとおして明瞭にしてもらったような感じでした。勉強になりました。 そして、新聞記事を通して、多くの方々に曲り家のもつ魅力や価値を伝えていただいたことに感謝です。河北新報さんとはご縁があり、今回のプロジェクトの準備段階として、2月に隣の宮城県で行われた茅刈り体験に参加した折、河北新報の記者の方に私の感想を記事にしていただいておりました。河北新報2/27付 ヨシ原の風景、いつまでも 石巻・北上川河畔で刈り取り体験https://kahoku.news/articles/20230226khn000017.html今回の取材について、記者のかたがおっしゃるには全くの偶然とのこと。それでも、茅をキーワードに北上川水系の下流から上流へとつながっていることに驚くとともに何かに導かれているような感覚です。先人たちの思いを宿した曲り家。大事にしないとの夢に座敷童が出てきてこっぴどく叱られる?!のではと身が引き締まる思いです。もとい、お近くの方々にクラファンのことを伝えていただけますと幸いです。皆様のご支援のほど宜しくお願いいたします。