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江戸時代から続く伝統の「麦わら細工」を広めるために魅力を感じる個展を開催したい!

麦わらの持つ「真の輝き・美しさ」を“もう一度”知って欲しい!個展名「再興・RERISE 麦わら細工 」麦わらの魅力は原石を磨いた宝石が輝くが如く、職人の手にかかると独特な輝きを放つ美しさを秘めた素材。素朴なだけじゃない艶の魅せる作品、麦の持つ可能性を多くの人に目撃者になって欲しいのです!

現在の支援総額

1,265,000

194%

目標金額は650,000円

支援者数

132

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/09/18に募集を開始し、 132人の支援により 1,265,000円の資金を集め、 2023/10/17に募集を終了しました

江戸時代から続く伝統の「麦わら細工」を広めるために魅力を感じる個展を開催したい!

現在の支援総額

1,265,000

194%達成

終了

目標金額650,000

支援者数132

このプロジェクトは、2023/09/18に募集を開始し、 132人の支援により 1,265,000円の資金を集め、 2023/10/17に募集を終了しました

麦わらの持つ「真の輝き・美しさ」を“もう一度”知って欲しい!個展名「再興・RERISE 麦わら細工 」麦わらの魅力は原石を磨いた宝石が輝くが如く、職人の手にかかると独特な輝きを放つ美しさを秘めた素材。素朴なだけじゃない艶の魅せる作品、麦の持つ可能性を多くの人に目撃者になって欲しいのです!

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個展開催へ向けて
2023/10/13 11:35
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のこすところ あと4日早いもので、スタートしてからあっという間に1ヶ月が経過しようとしています。スタート5日目で目標達成させて頂き、昔昔に1度挑戦したクラウドファンディングの苦い経験を、大きく塗り替えてくださった皆様の多くのご支援や応援は、あれからの麦わら細工を知ってもらうんだ!という信念と努力が報われた瞬間でした。本当にありがとうございます。そして、今はネクストゴールとして200%130万を新たな目標に最終日まで全力で進めております!どうか最後まで共に走り続けていただけたら嬉しいです!SNSでは毎日お騒がせしていますが、もう少しの間、温かく見守って……、できれば熱く応援やご支援してください!現在は個展開催まで間もなく1ヶ月。作品制作も含め準備を着々と進めております。本当に楽しいです!たくさんの方が個展を楽しみにして下さっている事が、本当に嬉しいし!麦わら細工って素敵!っていう楽しみを共有して下さる皆さんが大好きです!昨夜は個展のDMチラシを入稿しました!初めての手作り。デザイナーさんにお願いするには日程が無さすぎて、ここは計画漏れの私のミスで反省の致すところ。自力なので写真を並べただけですが、麦わら細工そのものが魅力的なので、個人的には満足してます。クラウドファンディング終了まであと4日秋の気配にもおされて、終わってしまうことに少し淋しさがありますが、個展の大成功を目指して毎日大切に進めて行きたいと思っています!引き続き、ラストまで修善寺麦わら細工の応援、そして、ご支援をよろしくお願いいたします!民藝麦わらの店 晨    三代目  辻󠄀享子


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活動報告5  2023年9月23日 お彼岸中日昨日は二代目(母)とお墓参りへ。初代あしたの父にもクラウドファンディングの経過の報告と今後の目標を伝えてきました。今日は、22年前に76歳で他界した、修善寺麦わら細工には欠かせな人物「辻󠄀 晨吾」について少しお話します。活動報告3で少し触れていますので、その続きから。なぜ、父が麦わら細工を引き継ぐことになったのか。それは、多くの悲劇をもたらした第二次世界大戦のお話をしなければなりませ第二次世界という。昭和元年生まれの父は戦時中は血気盛んな若者でありました。9人兄妹の上から3番目の長男。9人の中で男は父と1番末っ子。歳はかなり離れていました。そんな父にもその当時の男性と同様に、容赦なく召集令状、いわゆる、赤紙は送られてきました。そして、任務は「特攻」生きて帰ることは叶わぬ飛行機乗りとして出征したのです。TOP画像には当時父が肌身離さず持っていた寄せ書き。見送る側にも覚悟が滲んでいる寄せ書きは、見ているだけで辛くなります。皆さん達筆で読み取れない文章も多々ありますが、見送る側も死を受け入れ、死を勇気づけるような言葉を綴る。本心は…計り知れません。父はこの寄せ書きを身につけ戦地に赴きました。戦争の話は父自身は私には多くを語ってくれませんでした。 父  飛行機に乗ってたんだ。 私   えー飛行機運転できたの?!        すごーい!かっこいい! 父   … 私  どんな飛行機?どこまで行ったの?と、子供頃は戦争の宿題や話題が出る度に聞いてましたが、多くは語ってくれませんでした。私が知ったのは大人になってから。周りの人から色々聞きました。幸か不幸か。幸に決まってる。今の時代ならそう言えるけど、当時は散ることの美徳というか、死してお国に報いる時代。父は出撃したもののフィリピン沖で墜落。泳いでフィリピンに渡り一命を取り留め、終戦を迎えた。時を同じくして、お隣の山本さんのご子息も戦地に赴いていたが、ご子息は帰らぬ人となっていました。父は修善寺に戻る事ができた。国鉄で働く時期もあり、その後、修善寺バナナ園を軌道にのせ、そんな中で子どもの頃から目にしていた美しい麦わら細工がこのまま絶えてしまうことを何とか食い止めたいという思いで、受け継ぐことを決意。ヤシの実細工や、様々な材料で色んな作品を作っていた父は、麦わら細工も手がけるようになったのです。鳥取出身の職人さんから、修善寺生まれの父に麦わら細工のバトンが繋がった出来事です。  お彼岸の中日。父、そして、山本さん、ご子息、先の人がいるから、今、私たちがこうしている。先の人が残したものがあるから伝統、歴史となっていく。時の積み重ねは、物も事も、さらに深みのある物にしていく。私は昭和に生まれ、平成、令和を生き、この令和でも江戸時代から伝わる麦わら細工の技術の素晴らしさを誰よりも伝える事ができる最前線にいます。最前線の私が声を大にして言いたい。 麦わら細工は本当に美しい!素朴でありながら艶やかでぬくもりがある素晴らしい素材!知らぬは損ですよ。さぁ、今回は修善寺で麦わら細工のバトンが繋がれたお話をしました。これは、城崎温泉も長く伝統としている技術。さて、では、今度は東京はお江戸、日本橋からスタートする東海道五十三次の大森発祥の麦わら細工のバトンが何故修善寺に渡されたか。をお話しますね。続きはまた。活動報告6で。民藝麦わらの店 晨  三代目  辻󠄀 享子辻󠄀 晨吾 作


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 ◆  4日と16時間!!★ご支援いただいた皆さま★拡散していただいた皆さま★応援してくださっている全ての皆さま本当にありがとうございます!!クラウドファンディング開始から4日と16時間で目標金額65万円を達成する事ができました!!多くの方に「修善寺麦わら細工」に興味を持って頂いた事が、また、この上なく嬉しいです!!修善寺麦わら細工の個展を成功させる為に、益々精進して参ります!!クラウドファンディングは10/17(火)まで日程がありますので、この後はネクストゴールを目指します!目標を定めて、改めてプロジェクトページを更新しますので、引き続き応援、ご支援をよろしくお願いいたします!【福をお届け :麦わら張り細工 色紙】本日の活動報告4は昨日の続きをと思っていましたが、昨日の続きのお話は戦争というヘビーな中へ入って行きますので、今日のHappyモードへ盛り込むには、お話が薄れてしまいそうなので、次の活動報告5でご紹介することとします。過去に失敗したクラウドファンディングのトラウマを乗り越える事ができました!本当にありがとうございます!目標達成したのが今日の未明。嬉しさでなかなか眠れず、興奮覚めやらぬ本日。感謝に尽きる毎日です。引き続き応援よろしくお願いいたします。民藝麦わらの店 晨   三代目 辻󠄀 享子


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◆ クラウドファンディング4日目の朝◆  59名様 547,200円  84%  ご支援本当にありがとうございます!campfireでもTOPで表示になるなど、修善寺麦わら細工が多くの方の目に留まる位置を作り上げて頂き本当にありがとうございます!目標金額まで102,800円と言うところまできました!本日のTOP画像は、漫画家のきむらひろき先生が父を描いてくれたもの!とっても素敵に描いてくださっているので、先生に許可を頂いて掲載させて頂きました!さて、昨日の続きになります。「修善寺麦わら細工のはじまり」に欠かせない人物それは民藝麦わらの店晨(あした)初代  辻󠄀 晨吾 (享年76歳)大正15年(昭和元年)6月20日に修善寺温泉に誕生。手先が器用で文章を書くのも絵を描くのも得意。運動神経抜群で、地元の駅伝にも選手として参加。イケメンでモテてた。という話をよく聞きます。笑 自分の父親なので複雑です。確かに父は、見た目も悪くはないですが、器用な上にエンターテイナーな一面があり、人を楽しませて惹きつける魅力のある人だと、小さい頃は感じてました。どこに感じる要素があったのかは、また別でお話しましょう。人気者の父でしたが、喧嘩っぱやい所もあり、地元では嫌われてたりする要素も多かったかもしれません。住んでる地域は温泉場で気性の荒い人も多かったみたいですからね。それくらいでないと舐められたのかもしれません。そんな父(故 辻󠄀 晨吾)が麦わら細工に出会ったのは、小学校へ通う頃。辻家のお隣さんが師匠山本さんのお家。そして、通学路に麦わら細工のお店があったため、帰りにお店に寄り込んでは、麦わら細工の美しさやその職人の作業に魅了されていったようです。ん? 家系が麦わら細工じゃないって事は?なんで写真、オウムが肩に乗ってるの?実は、辻家の家業は当時「修善寺バナナ園」という屋号でして…大きな温室があり、熱帯植物、バナナ、ヤシの木、あと最近騒がれてるポーポーなど、植物園を経営していたんです。訪れたお客さんに楽しんで貰えるよう、動物好きだった(動物にも好かやすかった)父はオウム、やインコ、猿3匹、犬と一緒に暮らし、芸をさせたりしていました。私もかろうじてオウムのムーちゃん(羽が緑のとっても綺麗な子)と喋っていた記憶があります。猿さんはあまり記憶がないげど、仏壇のミカンをよく盗まれたと話してました。↑↑↑左 ムーちゃんではないけどインコさん、右がムーちゃんの麦わら張り細工(父作)修善寺バナナ園は庭にも地元の山野草も植えてあったり、動植物に囲まれた生活をしている中で、父は収穫したヤシの実でヤシの実細工なども作成して販売してました。↑↑↑修禅寺の境内前でヤシの実細工の実演をする父(辻󠄀 晨吾)↑↑↑1点だけ我が家にのこる父の作品↑↑↑繋ぎ目や噛み合わせ、ストラップとかも全部こだわって作られてます。修善寺麦わら細工の始まりはなかなか奥が深いので、今日はこの当たりまで。次回はヤシの実細工から麦わら細工も手がけるようになった経緯をお話ししますね。10/17のクラウドファンディングが終了するころには、この活動報告を読んだ皆さんは修善寺麦わら細工のスペシャリストになれるかも?引き続き応援よろしくお願いいたします。民藝麦わらの店 晨 三代目  辻󠄀 享子昭和52年 三代目 工房の前での写真。後ろに見えてる引き戸は今でも変わらずそのままです。


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クラウドファンディング2日目は夜に動く昨夜未明に確認した時から目が覚めるまで。私が眠りについている間にも、プロジェクトページを見て頂き、共感して頂き、またご支援もして頂き、本当にありがとうございます!現在3日目の昼間ですが52名さま 460,400円  70%の達成となっております!3日目で70%に到達できるとは思っていなかったので本当にびっくりしているとともに感謝の気持ちでいっぱいです。そんな、皆さんがご支援して下さっている「修善寺麦わら細工」をもう少し深堀したいと思います。修善寺は麦わら細工、実は発祥の地ではありません。  では、なぜ修善寺で今なお?麦わら細工自体が始まったのは江戸時代中期。兵庫県城崎温泉に宿泊した旅人が始めたのが最初と言われています。ただ、これは美しい張り細工。いわゆるお土産物として販売された時期。それより以前から、麦を生産している生活の中で、虫かごや花かご、木の実を集めるカゴなど、また、草遊びのような身近な素材として身近にありました。 で、話を戻しまして、なぜ修善寺か。修善寺で麦わら細工を始めたのは、城崎温泉で職人をしていた山本亀久二さん。明治に修善寺へ移住定住。修善寺温泉のメイン通りの日枝神社の横に小さなお店を構え、実演販売を始めたのが修善寺の始まりです。↑↑↑三代目の私は日枝神社は子供の頃よく遊んだ思い出の場所。↑↑↑氏神様なので三代目は時々お参りに行ってます。(写真:spica撮影。三代目のほたるかご屋灯火  冬の寒い中の撮影でした。)さて、山本さんが移住定住してきて始まった修善寺麦わら細工は、ちょうど場所も良く、温泉場の中心である修禅寺のすぐ横。しかもメインの通りなので湯治客の目にも留まりやすく、当日は修善寺温泉では多くの文豪や画家が老舗旅館に滞在しており、中でも、川端龍子や横山大観といった日本でも有名な方々も。その川端龍子や横山大観は修善寺麦わら細工の美しさに魅了され、麦わら細工の代表的な作品、張り細工の下絵を描いたほどで、柳宗悦の著書「手仕事の日本」の中でも、伊豆と言えばお土産は修善寺麦わら細工と記載しているのです。そんな麦わら細工が今後どんこんながあって、晨(あした)が引き継ぐ経緯となったのか。それはまた明日。引き続き、10/17まで御支援や拡散よろしくお願いいたします。⟡.·*.···········································⟡.·*.✦11/17(金)〜11/19(日)修善寺麦わら細工 東京個展【再興 Rerise 麦わら細工】場所  :  Territory Gallery 151-0051東京都渋谷区千駄ヶ谷1-23-6 サンビューハイツ北参道101号室⏱12:00~19:00(最終日は17:00終了)