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ゲームのルールを覚えると青森県りんご栽培の歴史をマスターできるカードゲーム

りんご生産量日本一の青森県にりんごがやって来たのは149年前。明治維新後新しい産業を作りたかった日本政府が海外から苗木を輸入し、職を失った藩士達に配布したのが始まりです。その歴史を役に練り込んだカードゲームを開発しました。役の意味を知る事でりんご栽培の歴史がぐっと身近になりました。

現在の支援総額

2,180,000

121%

目標金額は1,800,000円

支援者数

177

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/12/29に募集を開始し、 177人の支援により 2,180,000円の資金を集め、 2024/01/31に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

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ゲームのルールを覚えると青森県りんご栽培の歴史をマスターできるカードゲーム

現在の支援総額

2,180,000

121%達成

終了

目標金額1,800,000

支援者数177

このプロジェクトは、2023/12/29に募集を開始し、 177人の支援により 2,180,000円の資金を集め、 2024/01/31に募集を終了しました

りんご生産量日本一の青森県にりんごがやって来たのは149年前。明治維新後新しい産業を作りたかった日本政府が海外から苗木を輸入し、職を失った藩士達に配布したのが始まりです。その歴史を役に練り込んだカードゲームを開発しました。役の意味を知る事でりんご栽培の歴史がぐっと身近になりました。

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締め切りまであと3日となりました。この1カ月、頑張ってこられたのも皆さんのお陰です。マラソンしたことが無いのですが、走り終えた人がよく、応援があったからゴールできたとコメントするその意味を初めて知ったような気がします。これまで162名の方にご支援頂きまして本当にありがとうございました。最後に今一度、このプロジェクトのシェアして頂けましたら幸いです。セカンドゴール300万円達成で登録いただいた団体様全部にあっぷるぱい(牌)を届ける事が出来ます。どうかよろしくお願いいたします。


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皆さま、応援ありがとうございます。ルールを覚えると青森県りんご栽培の歴史が頭に入るカードゲームあっぷるぱい(牌)のクラウドファンディング残り4日となりました。締め切りは1月31日(水曜日)23:59これまで暖かい応援ありがとうございました!お陰様で目標金額180万円に達し、次の目標300万円にて、参加して頂いた団体全部にあっぷるぱい(牌)を届けたいと思っております。今まで、ご支援頂いた方には更なる支援と拡散をまだこれからという方には是非ご支援を頂きたく最後のお願いをさせて頂きます。因みに、今日1月27日(土曜日)16:30~青森市スタートアップセンターにて体験会があります。青森県の経営・創業・起業相談|AOMORI STARTUP CENTER (ao-sta.com)参加無料なのでお気軽にお越しください。ネクストゴール達成まで、応援よろしくお願いいたします。こちらのURLをお使いください。https://camp-fire.jp/projects/view/713544?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show


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りんご栽培の歴史に興味を持ったきっかけの一つに弘前市にあります瑞楽園に飾られた1枚の写真がありました。(写真提供:弘前市文化財課)この写真に津軽地方に於ける第一次産業のあり方があるような気がしたのです。瑞楽園とは、http://zuirakuen.com/黒石市の金平成園、https://kuroishi.or.jp/sightseeing/kanehiranarien平川市の盛美園と共に、http://www.seibien.jp/この津軽地方の一帯に300から400か所現存する大石武学流庭園の代表です。https://city.hirosaki.aomori.jp/jouhou/koho/kouhou/r020501_02-03.pdf大石武学流庭園とは江戸時代末期からこの地に伝わる庭園の流派で、日本庭園とは趣も異なり、必ず施されるポイントを押さえ、岩木山を借景に計算される造園文化です。この写真、初めて見た時鳥が肌立ちました。余りの迫力に打ちのめされた感じです。大きな石を積んだそりを100人以上の人出が引っ張ってる写真なんです。(実物は先頭がずっと先までいます。)瑞楽園の庭はこのような石が400個以上必要なんだそうで、夏の間、岩木山麓で巨石を掘り出し、冬、雪の上をそりで滑らせ100人総出で里まで引っ張るのです。大きな庭園を訪ねて感じた事は「お金持ちが道楽で作った庭でしょう~」ぐらいの感じでした。浅はかな私。実はこれ、農民の為の冬場の雇用対策なのだそう。施工期間が、金平成園は明治15年から明治35年まで。盛美園は明治35年から明治44年まで。瑞楽園は明治23年から明治38年まで。庭を造る時期を少しずつずらす事で雇用を常に作ってきた「共助」がそこにあったのです。金持ち道楽説の中にいた私はちょっと泣きました。今からおよそ130年前のその写真に写る農民は米農家の小作人。土地を持たずに稲作業で生きている小作人に冬時期仕事がある事はさぞかし心強かったと思います。津軽の冬は寒いだけじゃない。雪との闘いは今でも壮絶です。厳しい冬も共に乗り越える必要を解っていたからこんなシステムが生れたのではないか。助け合いの造形物として庭園を造る。なんて、粋なんだろう。かっこ良すぎる。ピラミッドも公共事業だったらしいけど、後世まで、庭を愛でる人の事を考えて造られたとしたら私達もしっかり伝えていかなければと思ったのです。この写真が撮られた頃、りんご栽培をしていたのはまだほとんど元津軽藩士達か地主。菊池楯衛達のりんご栽培が成功しりんご産業が高嶺の花になりつつあったころ、日本全体で見てもこの津軽はかなり活気があったそうです。大きなりんご農家さんだった庭に、大石武学流の庭園が多いのは、地域全体で助け合ってきた証なのではないでしょうか。第一次産業を守ってこそ人は、そこに文化を育てる事ができる。この民意の高さが、私が津軽を大好きな理由です。いつまでもそういうところであってほしい。


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りんご栽培の歴史に興味を持ったきっかけの一つに弘前市にあります瑞楽園に飾られた1枚の写真がありました。(写真提供:弘前市文化財課)この写真に津軽地方に於ける第一次産業のあり方があるような気がしたのです。瑞楽園とは、http://zuirakuen.com/黒石市の金平成園、https://kuroishi.or.jp/sightseeing/kanehiranarien平川市の盛美園と共に、http://www.seibien.jp/この津軽地方の一帯に300から400か所現存する大石武学流庭園の代表です。https://city.hirosaki.aomori.jp/jouhou/koho/kouhou/r020501_02-03.pdf大石武学流庭園とは江戸時代末期からこの地に伝わる庭園の流派で、日本庭園とは趣も異なり、必ず施されるポイントを押さえ、岩木山を借景に計算される造園文化です。この写真、初めて見た時鳥が肌立ちました。余りの迫力に打ちのめされた感じです。大きな石を積んだそりを100人以上の人出が引っ張ってる写真なんです。(実物は先頭がずっと先までいます。)瑞楽園の庭はこのような石が400個以上必要なんだそうで、夏の間、岩木山麓で巨石を掘り出し、冬、雪の上をそりで滑らせ100人総出で里まで引っ張るのです。大きな庭園を訪ねて感じた事は「お金持ちが道楽で作った庭でしょう~」ぐらいの感じでした。浅はかな私。実はこれ、農民の為の冬場の雇用対策なのだそう。施工期間が、金平成園は明治15年から明治35年まで。盛美園は明治35年から明治44年まで。瑞楽園は明治23年から明治38年まで。庭を造る時期を少しずつずらす事で雇用を常に作ってきた「共助」がそこにあったのです。金持ち道楽説の中にいた私はちょっと泣きました。今からおよそ130年前のその写真に写る農民は米農家の小作人。土地を持たずに稲作業で生きている小作人に冬時期仕事がある事はさぞかし心強かったと思います。津軽の冬は寒いだけじゃない。雪との闘いは今でも壮絶です。厳しい冬も共に乗り越える必要を解っていたからこんなシステムが生れたのではないか。助け合いの造形物として庭園を造る。なんて、粋なんだろう。かっこ良すぎる。ピラミッドも公共事業だったらしいけど、後世まで、庭を愛でる人の事を考えて造られたとしたら私達もしっかり伝えていかなければと思ったのです。この写真が撮られた頃、りんご栽培をしていたのはまだほとんど元津軽藩士達か地主。菊池楯衛達のりんご栽培が成功しりんご産業が高嶺の花になりつつあったころ、日本全体で見てもこの津軽はかなり活気があったそうです。大きなりんご農家さんだった庭に、大石武学流の庭園が多いのは、地域全体で助け合ってきた証なのではないでしょうか。第一次産業を守ってこそ人は、そこに文化を育てる事ができる。この民意の高さが、私が津軽を大好きな理由です。いつまでもそういうところであってほしい。


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りんご栽培の歴史に興味を持ったきっかけの一つに弘前市にあります瑞楽園に飾られた1枚の写真がありました。(写真提供:弘前市文化財課)この写真に津軽地方に於ける第一次産業のあり方があるような気がしたのです。瑞楽園とは、http://zuirakuen.com/黒石市の金平成園、https://kuroishi.or.jp/sightseeing/kanehiranarien平川市の盛美園と共に、http://www.seibien.jp/この津軽地方の一帯に300から400か所現存する大石武学流庭園の代表です。https://city.hirosaki.aomori.jp/jouhou/koho/kouhou/r020501_02-03.pdf大石武学流庭園とは江戸時代末期からこの地に伝わる庭園の流派で、日本庭園とは趣も異なり、必ず施されるポイントを押さえ、岩木山を借景に計算される造園文化です。この写真、初めて見た時鳥が肌立ちました。余りの迫力に打ちのめされた感じです。大きな石を積んだそりを100人以上の人出が引っ張ってる写真なんです。(実物は先頭がずっと先までいます。)瑞楽園の庭はこのような石が400個以上必要なんだそうで、夏の間、岩木山麓で巨石を掘り出し、冬、雪の上をそりで滑らせ100人総出で里まで引っ張るのです。大きな庭園を訪ねて感じた事は「お金持ちが道楽で作った庭でしょう~」ぐらいの感じでした。浅はかな私。実はこれ、農民の為の冬場の雇用対策なのだそう。施工期間が、金平成園は明治15年から明治35年まで。盛美園は明治35年から明治44年まで。瑞楽園は明治23年から明治38年まで。庭を造る時期を少しずつずらす事で雇用を常に作ってきた「共助」がそこにあったのです。金持ち道楽説の中にいた私はちょっと泣きました。今からおよそ130年前のその写真に写る農民は米農家の小作人。土地を持たずに稲作業で生きている小作人に冬時期仕事がある事はさぞかし心強かったと思います。津軽の冬は寒いだけじゃない。雪との闘いは今でも壮絶です。厳しい冬も共に乗り越える必要を解っていたからこんなシステムが生れたのではないか。助け合いの造形物として庭園を造る。なんて、粋なんだろう。かっこ良すぎる。ピラミッドも公共事業だったらしいけど、後世まで、庭を愛でる人の事を考えて造られたとしたら私達もしっかり伝えていかなければと思ったのです。この写真が撮られた頃、りんご栽培をしていたのはまだほとんど元津軽藩士達か地主。菊池楯衛達のりんご栽培が成功しりんご産業が高嶺の花になりつつあったころ、日本全体で見てもこの津軽はかなり活気があったそうです。大きなりんご農家さんだった庭に、大石武学流の庭園が多いのは、地域全体で助け合ってきた証なのではないでしょうか。第一次産業を守ってこそ人は、そこに文化を育てる事ができる。この民意の高さが、私が津軽を大好きな理由です。いつまでもそういうところであってほしい。