これまでに寄せられたメッセージです。
2014年12月26日~2015年1月4日 Kさん
2015年、札幌にきて4回目のお正月を迎えました。
福島で働く主人が札幌にきて、9泊も一緒に過ごすことができるのは息子にとって一年に一度だけの特別なことです。
元日には北海道神宮にお参りをして絵馬に願い事を書きました。
「今年こそ家族一緒に暮らせますように」
志望大学合格、就職できますように、結婚できますようにと周りで若い人達が次々に絵馬に願いを書く中、私の願い事は何か次元が違う願い事のような、そんな気がしながらも、4年目の母子避難の私にとっては切実な「祈り」でした。
息子が3才の時です。「お父さんと暮らしたいよね?」と福島に帰る主人を見送った後で、息子に尋ねたことがありました。
「あきらめた」ときっぱり息子は答えました。
物心がつく前から父親とは離れて暮らしているので、母子避難が日常の息子にとっては家族一緒に暮らせないのは特別なことではないのかもしれません。
しかし、まだ3才の子どもが家族一緒に暮らすことを諦めさせる原発事故っていったい何なんだろうと胸が潰れる思いでした。
家族で過ごす9泊のうち、息子の6才の誕生日がありました。
ケーキを焼いて、息子の好きな生春巻きとカレーを準備して、主人と私でお祝いをした後、息子は「お父さん、お母さん、お祝いしてくれてありがとう」と言いました。
家族一緒。9泊は本当につかの間の家族で過ごす時間でした。
9泊の間、息子はお父さんとおふろも一緒、寝るのも一緒、タバコ吸う時間以外は一瞬一秒を惜しむかのように、片時も離れずにいました。
主人が福島に帰った後で、息子が「お母さん小さくなったね」と言いました。
息子はお父さんだけを見つめていた9日間だったので、しばらくぶりに見た私の体が小さく見えたのでしょう。
すぐに別れがくるのでいつも一生懸命、全力で父親と遊びます。今回は主人が福島に戻った後で、疲れからか熱をだしました。もうお父さんと全力で遊ばなくてもいいんだよ、ずっと一緒だよと言ってあげれたらと思います。
原発事故さえなければと、そんな思いが何度も頭をよぎります。
そんな思いを全部飲み込んで、2015年の新しい年も母子避難の日常を続けます。
放射能の感受性は人それぞれで、普通に福島で暮らしている人が多く、家族バラバラという心理的負担を子どもに負わせ、さらに経済的補償もなく二重生活の上に面会のためにかかり続ける交通費をかけてまで、そこまでして自主避難をする必要があるのか?と思われる方もいるかもしれません。
アレルギー体質で気管支が弱い息子は、福島に帰省をすると気管支を患います。
同じく母子避難の子どもの中にはアトピーが悪化する子もいます。
よくわかっていない放射能の影響ですが、ごく少数でも事実として持病が悪化する子ども達がいます。父親と暮らしたくても暮らせない、大好きな人に会えないまま暮らしている沢山の小さな子ども達。その存在をどうか知ってください。
パパに会いたいプロジェクトに参加させて頂き、このプロジェクトを運営して頂いているみんな地球のこどもじゃんの木村様、スタッフの皆様、プロジェクトに賛同してくださった皆様、すべての方々にに深く感謝致します。
原発事故からもうすぐ4年。日に日に原発事故や自主避難者の存在が風化しつつありますが、父親に会いたい子ども達の気持ちに寄り添ったこのプロジェクトの存在が心強く思います。
ありがとうございました。