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「パパに会いたいプロジェクト」原発事故自主避難の子どもたちに家族の時間を届けたい

原発事故自主避難の多くは母子避難です。父親は福島県に残り家族の生活を支え続けています。母親は一人我が子を育て、子どもたちは年に数回しかパパに甘えることが出来ません。そんな子どもたちにパパを届けたいのです。

現在の支援総額

160,000

32%

目標金額は490,000円

支援者数

24

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/05/20に募集を開始し、 24人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/07/19に募集を終了しました

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現在の支援総額

160,000

32%達成

終了

目標金額490,000

支援者数24

このプロジェクトは、2016/05/20に募集を開始し、 24人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/07/19に募集を終了しました

原発事故自主避難の多くは母子避難です。父親は福島県に残り家族の生活を支え続けています。母親は一人我が子を育て、子どもたちは年に数回しかパパに甘えることが出来ません。そんな子どもたちにパパを届けたいのです。

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2014年12月29日~2015年1月14日 Fさん

私達母娘3人は、2011年5月松戸市より実家のある上川郡鷹栖町に避難しております。
2011年3月11日は、娘の学校の為と、義妹のお産扱いの為(義母が他界している為)、旦那の祖国スリランカにて住まいしておりました。


2010年11月に義妹は無事元気な男の子を出産し、娘の学校も学期の切りがいい 3月頃まではいて、見てあげる予定でおりました。

その3月に、震災が起こりました。
旦那の住む松戸市が局地的放射線量の高い地域だという事が分かり、日本に帰りたくても帰るに帰られないまま毎日ニュースをインターネットで見るだけの日々を過ごし、何も出来ない事も不甲斐なく、そして帰る事が出来なくなり愕然としていました。

2005年12月、スマトラ島沖地震の際、スリランカにいて大津波を経験した私達。
当時は私は、臨月で精神的にも不安定な中の震災、日本からのエールや送り物に心を助けられました。今回は日本での震災をスリランカにいて歯痒い思いをすると思ってもみませんでした。

親戚知り合いは無事でしたが、目に見えない被害がある松戸市に旦那がいる事はとても不安でした。色々家族とも話合い、実家で母がよんでくれたので、ありがたく北海道に身を寄せる事となりました。主人は、仕事があるため松戸市に残る事にしました。

仕事の休みを連日で取ることは出来無い為、娘の学校の夏休みや冬休みに帰り、年に2回程父親と会う生活を送りながら、今日にいたります。

今年初めて学芸会を見に北海道に来てくれる事が出来ました。
単身生活での嵩む出費、離れている私達への学費や生活費など、他やっと支払いをこなすだけで、貯金など出来ない状況の中、交通費を捻出するのはとても難しい状態です。
そにため、松戸に帰ると私の以前の仕事をし、(和太鼓の指導など)なんとか交通費を捻出しながら、行き来するという状態です。

仕事をしてもプラスにはならず交通費の工面だけというのが毎回悲しいものです。
飛行機の利用など到底出来る訳もなく、毎回片道20時間のフェリー、前後9時間のバスに乗り自宅までは、往復60時間余りの道のりです。

ご飯も手弁当やライスパックなど船内で調理出来る物を持込み、節約節約の移動をしています。(大分節約の旅も慣れて子ども達は不便がりはしません。)

3才だった次女は1年生に、1年生だった長女は、4年生になり、北海道からの野菜などの重たい荷物も嫌な顔せず手分けして運んでくれます。頼もしい限りです。

北海道に戻って来た途端、次はいつお父さんに会いに行けるの?と聞きます。お金貯めて行こうね。と答えるのです。
今回はこのような機会を与えてくださり、大変ありがたく思っております。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

パパに会う事が出来ない子どもたちが大勢います。

皆さまの力をお貸しください。

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