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「パパに会いたいプロジェクト」原発事故自主避難の子どもたちに家族の時間を届けたい

原発事故自主避難の多くは母子避難です。父親は福島県に残り家族の生活を支え続けています。母親は一人我が子を育て、子どもたちは年に数回しかパパに甘えることが出来ません。そんな子どもたちにパパを届けたいのです。

現在の支援総額

160,000

32%

目標金額は490,000円

支援者数

24

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/05/20に募集を開始し、 24人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/07/19に募集を終了しました

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現在の支援総額

160,000

32%達成

終了

目標金額490,000

支援者数24

このプロジェクトは、2016/05/20に募集を開始し、 24人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/07/19に募集を終了しました

原発事故自主避難の多くは母子避難です。父親は福島県に残り家族の生活を支え続けています。母親は一人我が子を育て、子どもたちは年に数回しかパパに甘えることが出来ません。そんな子どもたちにパパを届けたいのです。

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それまでは、インドネシアの子どもたちが学校に行くための様々な支援を行ってきたみんな地球の子どもじゃんですが、東日本大震災後、その活動は一変しました。


なかでも、原発事故後の福島県から北海道への自主避難のアテンドでは、問い合わせから住宅の申請、許可取得、北海道までの同行と、その全てを行ってきたのですがそこで見た現実は、今でも頭から離れる日はありません。

 

その時、福島の人たちはどういう状況だったのか・・・

 

当時、福島県全域は「災害救助法適用地位」に指定され、北海道だけで無く全国の自治体が、2年間家賃無償で、公営住宅などを開放し受け入れをしていました。
ところが、私たちが2011年5月に福島入りした時は、そのことをほとんど人が知らなかったのです。
そこで、その2日後に北海道庁へ行き交渉の結果、正式に受け入れ団体と認定され、北海道への避難を呼びかけることとなったのです。

 

呼びかけ人としてプロジェクトを牽引したのが、ラッパーで現在松戸市議会議員のDELIさん。

緊急を要する避難者受け入れに手順、決まり事を超え、尽力いただいたのが、当時北海道庁支援対策本部の今野徹さん。

そして、ともに福島県に入り現地で避難の方法があることを呼びかけたのが

参議院議員の「山本太郎」さんでした。子どもたちを何とかしなければと手探りの中、とにかく行動を起こすことが優先される状況だったのです。

 

これはその時避難を呼びかけた時、送られてきたメッセージです・・・

 

2011年5月28日
いま私は福島県郡山市に住んでいます。原発事故から家の窓・通気口をテープでふさぎ週末は車で遠くに子供を遊びに連れてっています。
これから夏が来るのでここで閉めきりの生活も限界がくるのではと不安でいっぱいです。


まわりの同意もなかなか得られませんが北海道への一時避難も本気で考えています。
ただネックなのが家族と簡単に会える距離でないことや北海道への交通費やあちらでの生活用品の調達についてです。
今回の震災でパパの仕事もストップしてしまい貯蓄も使い果たしてしまいました。
それでもやはり子供を外で遊ばせられないこの環境が怖いので、なんとか必死で情報収集に毎日あけくれています。
0歳児を育てていくには不安で仕方ありません。
住宅ローンを組んだばかりですが命には代えられません。
可能であれば北海道への移住を希望しております。

 

こうした問い合わせが毎日届きました。
電話も朝から晩まで鳴りました。

 

避難当日の郡山駅前の光景・・・

 

当日、郡山駅前で集合をするのですが、お会いしたこと無い家族でもすぐにわかります。
大きな荷物をかかえ、子どもたちはマスクをしています。
バスの前では、父親がいつまでも我が子を抱きしめ、バスの出る直前まで別れを惜しみます。これからはじまる2重生活をささえるため一人福島に残る父親たち。

 

必要とする人へ情報を届けたにすぎない私に向かい、2歳くらいの小さな女の子を胸

に抱きしめながら「この子をお願いします」と、何度も何度も頭を下げるその光景が、一日足りとも私の頭から消える日はありません。
そこから仙台港へ行き、フェリーに乗り込み15時間をかけ苫小牧へ、さらに移動して目的の住宅へ。
ひと月に一度、支援が打ち切られる、2012年の年末まで私はこうした光景を見て来ました。

 

あの子はどうしているだろう、あのパパはどうしているだろう・・・

 

あの時した選択は人それぞれです。
どちらも正しいとか間違っているとか言うことは出来ません。
しかし、私が目にした現実は引き裂かれる家族です。
私にも小さな子どもが3人います。震災以降生まれた子どもたちです。
家族と過ごす時、眠りにつく時、考えるのです。
我が子の成長を近くで見守ることの出来ない父親を
新しい土地でひとりで小さな子どもを育てる母親を
パパに甘えることが出来ない子どもたちを・・・

 

子どもたちにパパを届けたい・・・

 

今、行っている「パパに会いたいプロジェクト」は、福島に残る父親が、移住先の家族へ会いに行くための交通費支援です。
そうした現実があることを、このプロジェクトを通じて発信し続けなければならないと私は思っています。
ご家族から寄せられるメッセージには、数ヶ月ぶりに、一年ぶりにパパと過ごす子どもたちの姿、喜び、悔しさが書かれています。
この小さな声を、伝えなければならないのです。
そして、そこから自分のこととして考えた時に、大切な人のため、何をするべきかを、ひとりひとりが考えるところから、新しい未来が開けるのだと思うのです。
私が今家族とともに過ごせていることは、奇跡であり、これほどの幸せはこの世にありません。
「私たちは何をするべきか」
大切な誰かと離れなければならないとき、あなたはどういう決断をしますか?

 

どうか力を貸してください。

子どもたちにパパを届けさせてください。

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