鍛冶をしていると現代の我々が真似し難い仕事をやっている事に気づきます。
まず火縄銃。この筒の部分は鍛接と火造りで制作されました。
鍛冶屋にとって筒状のものをつくることは至難の業です。
昔、種子島の鍛冶屋さんが鍛造火縄銃の製法で筒を鍛造する映像が数秒ありました。
実際やってみると和包丁より難しいと感じました。
戦国時代、火縄銃の筒部分を造ろうとした刀工が一年掛かったそうです。(それでも一年励めばできた。)
その後本州における鍛造火縄銃の保有量は世界一だったそうです。ちなみに本場ポルトガルでは鋳造だったそうです。
江戸期、各国(藩)で製法が異なった銃の製法を、ひとつのものにして幕府がまとめた製法書が著されました。
現代は、火縄銃の筒を作れる鍛冶屋さんはパッタリ消えてしまいました。
堺の鉄砲鍛冶の子孫でも、失伝し実際にできるかどうか分からないそうです。
古墳時代。鉾(ほこ)
技法の不明なのが筒の部分。
筒は分からない事だらけです。
出土する筒はつなぎ目が鍛接されています。 正倉院には大量に当時の鉾が現存しています。
現代の鍛冶屋がつくる筒状の筒は開きっぱなしです。古代の国産の鉾の筒は完全に筒です。外国産は開きっぱなしです。
日本の鍛冶屋さんなら鍛接で筒をつくらねばいけません。
。。。
そして。筒と刀身の接合部分も謎です。
七支刀。知っているところでは韓国の鍛冶屋さん、新潟、そして関西の刀工の方が制作されています。一振りはおそらく鍛造、一振りは鋳物だったような。
重要なのが七支刀が日本刀式で鍛造で制作されたものか大陸式の鋳造ものかという点です。
韓国の鍛冶屋さんは鍛造で制作されていましたが、それでも焼きが入っているのかどうかまではわかりません。
巷では鍛造か鋳造かと議論されているようです。
これは十文字槍です。現代ではこれもパッタリ消えてしまった。妙技です。
先人(戦国期)は幾つもやってのけています。
十文字槍が縦に三つ並べば“七支刀”です
現代ではお手上げでも先人なら可能な事って“実に”多いです。
鉾。金象嵌両添刃鉄鉾
やすり。正倉院の時代にもやすりがありちゃんと収められていました。
刀鍛冶が過去の刀剣を真似し制作することを“写す”といいます。
現代の刀工が火縄銃や十文字槍を写したとは聞きません。
出来そうだけど出来ないもの。
ピラミッドとか奈良の大仏とかも同じです。
因州小鍛冶は先達の技に少しでも近づきたいと願っております。
どうぞ支援よろしくお願いします。