こんにちは、故郷喪失アンソロジー主催者の藤井佯(ふじい・よう)です。
今回からは、いよいよ各作品のご紹介に入っていきたいと思います。
全4回にわけてご紹介していきます。
①いとーさん、城輪アズサさん、闇雲ねねさんの作品 ←今回はこちら
②オザワシナコさん、江古田煩人さん、伊島糸雨さんの作品
③万庭苔子さん、藤井佯、湊乃はとさんの作品
④灰都とおりさん、神木書房さん、犬山昇さん、玄川透さんの作品
並び順を考えるにあたって意図したわけではなかったのですが、たまたま冒頭3作品は論考・エッセイが続きました。
いとー「あらかじめ決められた喪失者たちへ」(約4700字)
故郷は始めから喪失されている。「故」という失われたものに対して用いられる記号がついた郷(ふるさと)。そう呼び名された領域はだから、あらかじめ喪失されている。
いとーさんは、普段は舞台関係の仕事に従事されています。今回は、故郷喪失とは何かについて、パレスチナで起こっていることに対して特権的傍観者としてしか存在しえない「私」の立場から書かれた論考をお寄せいただきました。「今これを書かざるを得なかった」ことがずしりと伝わってくる文章です。読んだ瞬間、これを冒頭に据えなければと思わされました。故郷喪失者によりそう文章として、故郷喪失を考えていく「はじめのテキスト」として、これ以上のものはありません。
城輪アズサ「ロードサイド・クロスリアリティの消失」(約6100字)
——その店の名前を、僕はもはや思い出せない。
ロードサイド、県道沿いにその店はあった。恐らくゲームの専門店だったのだと思う。入口からすぐの場所にはモニターが置かれていて、据え置きゲームの宣伝ムービーを流していた。
城輪アズサさんは創作・批評を中心に活動されています。県道沿いにあったゲームの専門店についての回想と、城輪さんにとってのもう一つの故郷、「ミーバース」についての思い出が交差します。どちらも「平成」の印象が強いエピソードであり、すでに失われた時代、故郷としての平成が浮き彫りにされるエッセイに仕上がっています。故郷喪失というと失われた場所を思い浮かべがちですが、区切られたある時間、すでに過ぎ去ってしまった時代も故郷となりうることがわかります。
闇雲ねね「これはあくまで私の話」(約2760字)
そこに闇雲ねねの故郷はあると他人は言うでしょう。生まれ育ったあの町があるじゃないかと。でも、私にとっては生まれ育っただけの、家族が今も住んでいるだけの町なんです。
闇雲ねねさんは小説を書かれています。今回はエッセイでご参加いただきました。闇雲ねねさんは同性愛者を自覚しており、十八歳で上京しました。「カミングアウトという術を速効で身につけて、それをきっかけに社交性を人並みに取り戻した」闇雲さんでしたが、思春期のころの自分が今の自分に向ける暗い目には気づいていました。ジェンダーマイノリティの直面する故郷喪失が真っ直ぐと描かれます。
今回は以上となります。引き続き作品紹介をお楽しみに!