「Legacy3.11」発起人、Nippon AWAKES共同代表の平井有太です。有太マンという名前で、仕事をしてきました。
私は3.11を受けた福島で食の安全、農の復興に従事し、人生が変わった人間です。
唐突に降り注いだ放射性物質が、もともとあった問題すべてを早送りさせ、見えにくかった問題も白日の下に晒され、「地域」そして「顔の見える関係」の威力、当時頭になかった言葉で言えば「自律分散」や「循環型経済」の大切さを思い知らされました。
今回の取り組みである、はじめて日本を出て国外へ発信するグループ展「Legacy3.11」は、その成り立ちと存在から、ここで言う「大切さ」を体現しています。
アートであるけれども、アートの外のものである。チームであるけれども、それぞれが個である。大きな点のようでいて、必然的な偶然が連なった文脈の上で、小さな取り組みの蓄積として、遂にここまできました。
歴史的に新しく、後世に語り継がれる表現は、社会の歪みやシワ寄せが凝縮された時代や場所から生まれてきました。平和で、誰もがのびのび幸せに生きている環境からは、心を突き動かしたり、触れてしまった人間の一生を変えてしまうアートは出てきません。それは小説に音楽、舞台や漫画など、どんな表現にも通底しています。
私が福島で見つけたのは「生命を軸とした判断の蓄積でつくる社会」でした。それが結局、よく期待されがちな「民主主義」では、そこで語られていることはしょせん「民=人」を主とした価値観です。
むしろその結果が、今。
福島に住んだ約2年半、対話を続けた幼子を抱えた若いお母さんや、その土地の土と作物と生きる農家さんの話から見えてきたのは、人間はもっと謙虚に、そこに住まわせていただいている存在。
覚えた四字熟語で語るなら、「身土不二」。
つまり考えるべきは、私たちが生きる環境そのものをつくってくれている微生物や植物を含む、あらゆる生命を尊重し、判断を積み重ねていく社会の在り方でした。
ましてや現在は、誰もが加速度的に感じている気候”崩壊”(”変動”どころか、もう”危機”でも足りない)、戦争2つ、新しいウイルス、格差に貧困に差別と、あらゆる社会課題が溢れています。それらはもう、付け焼き刃の対処療法では、どうにもなりません。
根底からの、国境も人種も超え、時には宗教まで、そこはたとえ超えられなくとも同じ課題意識の中で結束できる、そのような価値観が必要なのです。
瓦解しかけた世界を治すため。
地球をリジェネレイト(環境再生)するため。
その方法が、実は3.11以降の東北から生まれていた証明をまずミラノから、世界に向けて発信していきます。
*クラウドファンディングは残り61日、671万。達成率16%。
ご協力、どうぞよろしくお願いいたします。