AM7:30に起床し、1限に向かう。もう12月にもなり、冷たくなった冬の朝の空気の中を、向かい風に逆らって自転車を漕ぐ。寮祭期間中は大学に行かず、寮祭に全力を尽くす人も多いと聞く。しかし、出席点の重い授業も多いため、出席しないわけにはいかないのだ。寮で過ごしていると、単位数が2桁に乗れば耐えだ、などという発言も聞く。だが、寮外生はフル単すら当然として、GPAで競っている。コース配属で彼らと競う必要がある身としては、彼らの感覚をないがしろにすることはできないのだ。 2コマ180分の授業をこなし、寮に戻る。食堂に入ると、スパイスの香りが広がっている。金曜日の昼寮食で恒例となっているカレーとヨーグルトサラダを食べ、バンド練に向かった。寮内では音楽活動が盛んで、楽器をもっていなくても、借りることができるというのは非常に魅力的だ。私がバンドに加入したのは僅か2ヶ月ほど前のことだが、もうライブに出演する機会をいただいている。寮に入らなければ得られなかっただろう幸運に感謝するばかりだ。練習が終わり、今日行われる企画の買い出しに向かった。 寒空の下を歩いて買い出しに向かい、2時間ほどして帰ってきた。少しすると、全寮コンパが始まった。寮内では時折コンパが開かれる。コンパというと、酒のイメージが強く、酒を飲まない人には近寄りがたいものではないか、あるいは、アルハラがあるのではないか、などと思う人もいるかもしれない。だが、寮のコンパでは、非飲酒者も料理とソフドリを楽しめるし、ハラスメント対策も万全だから安心だ。今回のコンパには、厨房が作った寄せ鍋、おにぎり、唐揚げ、そしてサツマイモの素揚げが並んだ。料理を食べながら、様々な人との会話を楽しむ。数百人もいる寮生の中で、普段はかかわりがない人とも、コンパの場では交流を持てるのだ。さらに、今は寮祭期間中であるため、寮生だけでなく、寮祭に来ている寮外の人ともかかわりを持てる。様々な人と心を通わせられるのもコンパの魅力だ。 さて、寮祭コンパというのはそれ自体が一つの企画だ。しかし、その中にも複数の企画が含まれている。買い出しに行ったのも、寮祭コンパ内で行われる企画の一つだ。本日20歳の誕生日を迎える寮生が、自身の生誕祭を企画した。歌でのお祝いから始まった企画で、彼は子供のころからの夢を次々に叶えていく。缶に入った駄菓子を丸ごと食べ、マカダミアナッツの2個同時食いを敢行し、アイスクリームをディッシャーで食べる。そして、《初めての》酒を堪能する(※お酒は20歳になってから)。 多くの人が、酒を飲み、料理に舌鼓を打ち、歓談しながら、夜は更けていく。楽し気な笑い声と、楽器を奏でる音が聞こえてくる。時間が経つにつれ、あちこちに酔いつぶれて転がっている人の姿が見え、麻雀の卓も立つ。さらに時が過ぎ、恒例企画「ファミマと連帯」が始まった。暗い通りにシュプレヒコールの声が響き渡り、食堂の熱は冷めない。今日も熊野寮は平和である。
ところで皆さんは今年の寮祭Tシャツをお持ちでしょうか?私は勿論買いました。それを来て先日サークルに行ったら同期に「なんだそのTシャツ、初めてみた!いつものやつより全然オシャレ!え、寮祭Tシャツなの?」と大変驚かれました。私が普段着ているTシャツのセンスはさて置いて、確かにこの寮祭Tシャツはなかなか洒落ています。今年のデザイン責に感謝ですね。来年のデザイン責には さらに頑張ってもらって寮生のおしゃれなニキネキたちに変身させて欲しいです。 さて、私が本日参加したみかん祭りは毎年行われている恒例企画というやつでしてみかんを美味しく食べるみたいな生ぬるいお祭りではなく、民青池の周りでみかんを投げ合うハチャメチャな祭りになってます。それもビニール袋が一袋二袋という単位ではなく段ボールで言うと8箱程度、重さにして約80キログラムのみかんです。しかもこのみかんは食べれないみかんではなく(お祭りまでに10個以上のみかんを腐らせてしまいましたが)むしろ大玉でめちゃくちゃ美味しいみかんなんですよ。(勿論みんなで美味しく頂いたみかんも沢山あります)そんなみかんを投げるのは、、、、、、、、、、、、、、、、 めちゃくちゃ楽しかったですね。それぞれ陣営に分かれて池の対岸同士でみかんを投げ合ったり、共闘したり、裏切ったり。めちゃくちゃ汚れましたし、腐ったみかんの匂いがなかなか手から取れないし、疲れたし、片付け大変だし。でも 凄い解放されている感というかなんというか。これぞ寮祭って感じがして良かったです。 今年も、来年もこの寮祭がずーっと続けばいいなーと思いました。
目が覚めたのは19時である。よくあることだ。 寮祭のホームページを眺めて、面白そうな企画がないか確認する。どうでもいいが、今年の寮祭HPは実にクオリティが高い。デザインもいいし、軽くて便利だ。一体誰が作ったのだろう。 「人狼したい!」という企画があった。17時かららしい。19時でもまだやっているはずだ。食堂に行くと、ちょうどひとを集めている最中だった。時間があるので寮食を買うと、「nグラム量れ!」が開催されていた。 残念ながら、17gオーバー。1回生では、修行が足りないようだ。 ちなみに寮食は1食たったの、390円。自炊能力のない貧乏学生には天佑である。 晩ごはん(ぼくには朝ごはんだけれど)を食べながら、人狼をする。 初戦は占い師。対抗の狂人が出てきたが、両方吊るされることになった。今考えると戦略ミスで、占い師2人を無視して人狼の可能性があるひとを吊るすよう仕向けるべきだった。結局僅差で敗北。 2戦目は人狼で、3人いた人狼のうちの1人が初手で吊るされてしまった。怪しまれるわけにもいかないので、かばいきれず、そのまま市民サイドに押し切られてしまった。 3戦目は村人。今までしゃべりすぎたせいで、人望がなくなったのか、最初に吊るされた。 ここで部会の会議がはじまった。部会というのは、寮の運営をつかさどるシステムのひとつである。全寮生は、複数ある部会のいずれかに所属することが義務で、部会の会議は週1度開催される。ぼくの場合はたまたま今日だったわけだ。 きりがよかったので、人狼を抜けて部会の会議に参加した。それが終わると、「チーズコンパ」がはじまった。 ラクレットをパンやジャガイモに載せている。炙りたてのチーズは、舌触りがなめらかで、ジャガイモの甘みと融け合ってゆく。実家の近くにラクレットを食べさせる洋食屋があって、その味を思い出した。舌鼓を打っていると、京大構内でケイドロをするので、よければ来いという放送が流れた。せっかくなので行ってみる。 深夜23時というのに、呆れた人数である。どうも大学生というのは暇な生きものらしい。聞いてみると、寮外のひとの割合もけっこう高かった。 ケイドロのルールは簡単だ。警察と泥棒とに分かれて、鬼ごっこをする。泥棒は捕まったら牢屋に入るが、味方がくれば助かることができる。ぼくは警察なんてまっぴらなので、泥棒サイドについた。 1試合目はひたすら隠れていた。終了間際に仲間の救出に向かうも、挟み撃ちにあってあえなく捕縛されるところとなった。 さっきの反省を踏まえて、2試合目は戦略を練ることにした。Discordで連絡を取りあって、みんなに呼びかけてみる。 囮作戦を敢行して、ある程度は成功したが、結局泥棒サイドの惨敗に終わってしまった。 3試合目は、ルールが変わって、少し泥棒有利になった。ぼくも数回捕まったが、そのたびに先輩が助けに来てくれて、実に頼もしい。終了1分前に仲間が全員解放されて、ついに泥棒が圧勝した。 終わると1時になっていた。キリがいいので、ここで帰寮することにした。 帰宅してから風呂に入って、ネットニュースを見た。韓国で非常戒厳が発令されていた。しかも議会によって解除されたという。まことに自由には、『不断の努力』の要ることを実感した。 そして今、この文章を書いているわけだ。 明日は2限がある。好きな女の子がいるので、早めに寝ることにする。やっぱり愛って偉大だ。
こんにちは!クラファン担当ゆそゆねです。寮祭期間中ということもありしばらく見ていなかったのですが、いつの間にか目標達成してました。皆様、本当にありがとうございます。正直、今年は例年よりも達成金額を高めたので集まるか不安でしたが、何とか集まったということでもう本当に良かった。うれしい気持ちでいっぱいです。ありがとうございます!!さて、話は変わりますが熊野寮祭は非常に厳しい予算の中やりくりしています。もっとお金があれば、企画もより良いものになるのに...そんな場面が数多く見られます。目標を達成したとはいえ、それでもまだまだ足りていません。これからの寮祭をさらに盛り上げるためにも、どうかさらなる支援のほどよろしくお願いいたします。
ぶっ潰してぇ!! 綺麗事なんかじゃねぇよ!言葉が感情に追いつかない。思い通りにならず抱えきれない叫びやわだかまりがあって、それをそっくりそのまま他の人に伝えることができない絶望。叶わぬ救いを待っている。 絶対的な救いではなかったかもしれない。でもピンチの時にわたしの話に耳を傾け、寄り添ってくれる多くの人間の温かさ。だからわたしはここにいられる。______________ こんばんは。企画責の青春ですねぇ⤴︎と申します。いよいよ今日から寮祭が始まりますね。受験期以上に命を燃やし、輝かしくも辛い過酷な日々を送った寮祭準備もこれで終わりだと思うと感慨深いです。自分はこの寮祭で前半企画責の仕事をして、後半は責の仕事から離れて主に「寮祭とは?」の文章を書いて地獄をみました。今回「寮祭とは?」について書こうと思います。 まず「寮祭とは?」が何なのか説明しますと、これは去年から始まったパンフ冒頭に載せる文章でして、熊野寮祭の意義を確認し伝えようとする試みにあるものです。これを書く人間はその年の寮祭実行委員の、寮祭って何だろうね?という哲学をまとめるゴーストライター的な役回りをするのですが、何を思ったか私は自分の言葉で書こう書こうとしてごちゃついてしまいました。 去年は現小説家の寮生の方が書いていらして、自分も最終的には文章で生きたいという野望があるので、今年自分が後継となれば縁起がいいな?と思って名乗りを上げました。 結局自分の文才を過信し痛い目をみて丸一ヶ月かかったし、ちょうど企画責の醍醐味の仕事であるタイテ作りと時期が被ってしまいそちらに関われなかったこと、思い返すと胸が痛いです。 その一方で寮祭とは?を引き受けて良かったと感じています。自分の文章スタイルを知る。きっかけになったし、追い詰められたときの自分の底力を再確認することができて自信につながりました。 この執筆は自分にとって極限経験でした。自分は高校時代自分が何者なのか分からなくなり、思うこと感じることを時間を忘れ日記に書き殴ることによって辛うじて存在を保っていました時期がありました。なので文章は自分のアイデンティティであり、今回文章面で己の限界を突き付けられたことで自己内部から破壊される心地がしました。 何時間も画面と睨めっこして結局数ワードも変わらなかったり、論理展開がキモすぎる!わー!ってなって合計5回くらい書き直したりしました。「むりすぎる〜〜〜」と談話室や自室、トイレで叫んだこと数知れず。絶望して血の涙を流していました。文章って終わりがなくて呪いのように付き纏っていました。自分はこだわりが強く半端なものは認められないので拒否感でギャンギャンになり、背後に死がある思いで向き合っていました。 当初は無理だと思って執筆から降りようとしたこともあったけれど、結果なんとか書き上げることが出来たのは周りの人々のおかげです。 自分のメンタルがブレた時に泣きついて助言をもらったり、文章の指摘を受けることで進むべき方向が見えました。ありがとうございました。何度も〆切を伸ばしてしまいパンフ責の方には特にご迷惑をお掛けしました。ごめんね。おかげさまで書けました、ありがとう。______________ 私にとって寮祭とは自分との闘いであり試練でした。また一方で仲間達が美しく命を燃やしている瞬間を目撃できる甘美なときでもありました。(嫉妬でその姿を直視できなくなる時も多くあったけれど。その生命力や意志に惹きつけられます。) 自分たちの力で寮全体や社会を巻き込みプロジェクトを展開していくことの面白さや、睡眠時間を削り昼夜逆転し、授業もあまり行けずシャワーも3日に1回しか入れないくらい没入して命を燃やすことの苦しさと充実感。替えのきかない仲間達。 若さの体現のようで、こんな極まりって人生で二度とない。渦の中心に居れることに喜びを感じます。人間根源が知れる、魂が震える。このような経験をさせてくれるこの寮のことが大好きです。寮祭に携わることができて本当に良かった。