2025年 Ikuhart 企画のアーティストインレジデンスは二年目を迎えます。その二年目にはイタリア、韓国、アメリカ、と多様な国のアーテイスト達が淡路で滞在製作されます。クラウドファンディングにご協力いただいた皆様にはこれらのアーティストの滞在中に様々なイベントにご招待し、アートのタニマチとして、世界中のアーティストにご紹介できることを楽しみにしております。このクラウドファンディングも残すところあと一週間となりました。ご家族、ご親戚、お知り合いの方にもお声がけいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
こんにちはIkuhart企画 レジデンス担当の竹内です。アーティストインレジデンスをやっていると話すと多くの人が用語がわからないか、わかっていても、なにをするものか理解できないという顔をされます。今回はそのレジデンスの歴史と理念について、Transartisrsの記事の内容をピックアップしてご紹介したいと思います。https://www.transartists.org/en/artist-residence-history現在でも知られているアーティスト・イン・レジデンス プログラムの最初の波は、1900 年頃に起こったそうです。英国と米国では、芸術を愛する支援者たちが、個々の芸術家にゲスト スタジオを提供しました。同じ時期に、芸術家たちも田舎に定住し、集団で芸術的アイデアを実現しようとしました。ブレーメン近郊の小さな村ヴォルプスヴェーデの芸術家コロニーやフランスのバルビゾン村などが挙げられると思います。1960 年代には、アーティスト イン レジデンス プログラムの新たな波が生まれました。新しいモデルの 1 つは、アーティストたちが、隔離された状態で自分だけのユートピアを作り出すことです。もう 1 つの新しいモデルは、社会活動を目指し、一般の人々を巻き込む試みでした。村や都市のゲスト スタジオは、社会的、政治的変革の拠点として機能しました。1970 年代から 1980 年代にかけて、多くの新しいレジデンシーがこの新しい取り組みを行いました。1990 年代には、新しいレジデンスの取り組みの巨大な波が急増し、もはや西洋世界に限定されず、ブラジルから台湾、エストニアからカメルーン、日本からベトナムまで、世界中に広がり多様性が増しました。強い草の根のつながりがこの新しい波の特徴です。発起人たちはアーティストをもてなすだけでなく、芸術に関する知識と経験を提供するための、地域に根ざしたオルタナティブなセンターを作りたいと考えていました。特に非西洋諸国におけるレジデンシャル アート センターは、地域の現代アート シーンにおいて触媒としての役割をますます果たしており、地域のシーンと世界のアート界を結びつける上で欠かせないものとなっています。
こんにちは IKUHART企画 レジデンス担当の竹内です。前回書かせていただいた水没馬小屋を再生したスタジオでどのような作品が生み出されたかをご報告したいと思います。オーストリアから韓国経由で日本に来たタニアは(韓国のアート展でキュレーターをしておられたらしいです)レジデンス滞在2日目に画材を買いに神戸のユザワヤへ。そこで墨やうちわなど日本ならではの沢山のツールを購入。(漆売ってないかと言われましたが、さすがにユザワヤにはないので、、)その後制作にかかるのかと思っていたらできたばかりのUMAYADO スタジオにこもることなく、淡路の中を見学したり篠山や東京、金沢へ出かけ様々な人と交流しておられました。おまわりさんとも仲良くなりました!淡路の名工!宮大工の江戸さんにも色々レクチャーしていただきました。淡路で生活するうちにずっとひっかかっていることがあると繰り返し言われたのが、”捨てられた瓦”です。私達なら目にもとめない程度の瓦でしたが、彼女の中ではとても大切な存在だったようです。このまま作品を作らないで帰っていくのか?と思われた滞在最後の方になって突然彼女は制作活動につながる行動をはじめられました。泳ぐはずで行ったビーチや道端で瓦のかけらを拾い、それを作品にする構想をスケッチしましたが、制作はIKUHARTのメンバーに丸投げし(笑)しばらく旅に、、、旅から帰ったタニアは滞在最終日前日のアーティストトークに向けてUMAYADO Studioにこもり猛然と作品を作りはじめました。そしてアーティストトーク当日気が付けばスタジオいっぱいの作品が飾られていました。彼女によれば「”ちゃっちゃっ”と作っているみたいだけど、そこまでくるには何十年もの修練があってこそよ!」とのことでした。日本での沢山の経験と沢山の人との交流の集大成をUMYADO Studioの空間がうまく導きだし作品を完成に導いてくれたのだと思いました。アーティストトークはUMAYADO Studioで行われ、沢山のお客さんが来られとても楽しい時を過ごしました。そして彼女が構想した瓦の作品は、今レジデンスの玄関に飾られここに滞在されるアーティスト達を迎えています。
Ikuhart レジデンスの横にかつて牛小屋として使われていた建物がありました。長年放置されていたため、カバーの写真のような状態で、雨が降ると水がどこからともなく入りこみ、床が水浸しになっていました。この小屋になにか可能性を感じたIkuhart の代表理事のJun Tambaは「ここをスタジオにする!」と宣言しました。まずは水の流入を止め、排水をスムーズにするために真夏の炎天下、沢山のメンバーで敷地内の溝の土をさらいました。その後、小屋を片付け、ゴミを撤去しボランティアの学生さんにも手伝ってもらいながら、高圧洗浄機で何度も汚れを落としていきましたその後床を貼ることも検討されましたが、Jun Tambaは「この牛小屋の時の痕跡を残すことがアーティストのイメージの幅を広げる!」と床はそのままで上からペイントすることになりました。床のペイントは酷暑の中、総勢10人近くで行われました。更に電気工事をしてライトをつけてもらい、椅子とテーブルを入れ、ようやくアーティストが利用できる最低限のスタジオになりましたしかし、真夏の蚊の襲撃に悩まされたアーティストは自分で蚊除けの網を設置今後はアーティストが外部の環境に左右されず作品づくりに集中できるように、網戸の設置、壁土の補修、サッシの導入、二階の整備、外部にデッキを設置、水道工事、など様々な工事が必要になってきます。皆様のサポートをお待ちしています。どうぞよろしくお願いいたします。次回はこのスタジオで産み出された作品のお話しをする予定です。
プロカメラマン、山口順ニさんに撮っていただいた韓国人アーティストの作品です。カメラマンの鋭い感性で嵐の中の作品を叙情的に切り取り、作品の魅力を余すところなく私達に伝えてくれます。現地で作品をご覧になる際はこのビデオもあわせてご覧ください。