こんにちは!CITOROSです。この度も提携農家様である加茂谷すだちパークさんからエピソードをいただきましたので、活動記録にてご報告させていただきます!↓↓↓ごあいさつとプロジェクトへの感謝皆様、こんにちは。加茂谷すだちパークの代表井出雅文です。 2025年の夏が始まってもう1ケ月以上経過しても、まだまだ連日の暑さに身体がなれないですね。暑さ対策にはしっかりと、すだちのクエン酸を摂るのがおすすめです。 この度はシトロスのクラウドファンディングに関心を寄せて頂き、誠にありがとうございます。 前回では、すだちおろし金シトロスのプロジェクトに「相乗り」させていただく形で、私たちの地域再生活動が未来にどう繋がるかをお伝えしました。今回は、その活動の核心にある、「ではなぜ、すだち農家は減るのか?」という課題について、現場の声をもとにもう少し現状を詳しくご説明します。 _____________________________________________________________________________すだち産業の栄光の歴史徳島県はスダチの生産量が全国一位で、全体の9割以上を占めています。少し普及の経緯をお話しますと もともと酢橘(すたちばな)と呼ばれ自生していたすだちの木。江戸時代には食用として栽培されて、1960年代に徳島県神山町から家族経営での商業的生産が本格化しはじめ、70年代に徳島県庁もすだちを県花として指定して特産品としてPRに注力し、80年代には神山町の隣、佐那河内村でみかんが寒凍害を受けてたのを機に代わりにすだち生産が拡大、 90年代には年間生産量8000トンまで一気に右肩上がりで拡大しました。 徳島県マスコットの「すだちくん」が第1回ゆるキャラ大賞で審査員特別賞(山田五郎賞)を受賞したり、東京の目黒さんま祭りですだちが無料配布されはじめたりと、すだちが全国的に認知されるような取組があちこちで広まっていきました。 ここまでは生産量が拡大していた時代の話。 _____________________________________________________________________________徐々に始まった衰退と後継者問題そこから2000年代までの10年間は8000トンが維持されていましたが、基本は家族経営タイプなので、栽培技術を継承する担い手が家族内に見つけられないと縮小したり閉園したりという家庭が出始めていました。2010年代に6000トンへ、2020年代には4000トンへ減少。 80年代から社会的な流れとして専業すだち農家より会社に就職した方が安定した生活が送れるのが当たり前になってきたので、進学や就職の為に市街地や県外への引っ越しとなり、すだち産地では3世代同居から核家族化が一気に進んだ事が影響して、専業農家から兼業農家で安定した生活を得ていくスタイルへシフトが進みました。山でおじいちゃんとおばあちゃんがすだち畑の管理をして、会社勤めする息子世代は収穫時期だけ、会社が休みの週末を利用して収穫を手伝うスタイルでなんとか乗り越えていたという訳です。それも限界があり90年代から2000年代に、家族の協力が得らないという理由での規模縮小や閉園も目立ち始めました。 _____________________________________________________________________________なぜ後継者不足に対処できなかったのか?2000年代あたり、すだちはすでに徳島県内では特産品というのが定着して、関係者団体も多くなり、生産量が拡大してきたのを前提とした業界となっていたため、当時からすでに顕在化していた「家族内に継承する担い手がいない」問題が農業関係者だけで対応できる範囲を超えていたと私は考えています。むしろ生産量が減るのは社会問題なので、その動向をうまく活かして取引単価をあげ、意欲的な一部の生産者の所得向上を目指すのが農業関係者の間で主流になっていきました。 人間の脳は、新しいことを学習したり、未知の状況に直面したりすると、ストレスを過度に感じるため、できるだけ安定した状態を保とうとします。これが無意識に働く人間の脳のメカニズムなので、大きな組織になればなるほどそれが安定の源泉になり、ちょっとした未知の状況の直面でもびくともしないほどの安定している状況が手に入ります。 生産量は減る、新規担い手も増えないという根本的な前提条件を疑う道が閉ざされてしまいました。 その社会的な流れの中で、それでもあの手この手ですだちの生産を続けていく意欲的な生産者にとっては所得向上ができるように支援を尽くそうと、 神山町で当時の地域おこし協力隊がすだち生産者を支援するNPOを立ち上げたりした動きが出てきました。これはすだち業界だけというよりも、農家は大変だから助けよう、政府としても農家は特別に保護して国民の食料を守る役割を担ってもらおうという特殊事情が影響していそうです。 _____________________________________________________________________________地域の衰退とすだち農家の未来家族内に担い手が見つからない、集落営農へシフトできない多くの集落は、近隣住民同志での農業継承も順調に進まない状態が続くことになり、そのような生産者家族ばかりの集落では、集落で唯一の食料品店もお客さん減少で閉鎖を迫られ、公共交通も、診療所も、小学校も閉校となる。。。高齢化するから老人ホームが集落のあちこちに建設されるかと思えば、老人ホームで働く若い医療福祉有資格者が採用できないので、都市部に新設される老人ホームに入居するために高齢者が集落を離れるという状況が加速していく。日本の田舎のほぼすべてがこれに似た状況ではないでしょうか。 _____________________________________________________________________________すだちが“幻の果実”になる未来?すだち生産者の平均年齢は現在2025年現在で70歳代後半ですが、新規就農がほとんどでていない状態が続いているので、高齢化と生産量減少は今後もさらに進み、2030年には2000トン、2035年には500トンも視野に入ってきます。 徳島県外のあちこちのスーパーの店頭で見かけることがなくなる生産量になることが予測されます。県外のお近くのスーパーで見かけないようになるのが、もう2030年から始まり、2035年にはかなり見かけない事が定着してしまうというものです。 視点を変えると、小売で見かけなくなっても、高級料亭などの飲食店では見かけるような存在へシフトしているとも見えますが、大衆文化としてのすだちは、かなり限定的なものとなるでしょう。あまり想像したくありませんが、昔は人気だったと幻の果実扱いになる日も来ることでしょう。 _____________________________________________________________________________持続可能なすだち生産に向けた挑戦弊社はすだちは大衆が手に届きやすい価格で取引するものであり続けてほしいと強く考えているため、これまで通りの生産量を維持する活動に独自で研究しています。 その研究の中で、「生産量が減る、新規担い手も増えないという根本的な前提条件にまず注目していこうとなりました。 生産量が減る点について、長期的にはこれまでなかった大規模な新規植え付け、短期的には、近所のすだち畑をお借りしていくこと、 新規担い手も増えない点については、「担い手像」を日本人移住定住者に限定せず幅広く可能性がある状況を作り出そうと模索を始めました。 担い手として今では年間300名近くがボランティアとしてヨーロッパやアジアから集まってきてくれはじめており、その取組みに農業の担い手候補として成長してきました。 現在年間累計300名が一年間を通じて弊社に滞在してくれていますが、今後この人数を年間累計5000名規模へ増やし、年間常時100名が滞在してくれている状況へ拡大していこうと考えています。 今回の支援金は、そのボランティアの受け入れに必要な食材費や水道光熱費に利用させて頂きます。これまでは自費負担で賄ってきています。 _____________________________________________________________________________人を呼び込み、未来をつくる地域づくり生産量が減るのも、新規担い手がいないというのもどちらも人の動き。 つまり人が集まり続ける地域になれれば、この2つの根本課題は解決の糸口が見つかるということです。 人が集まる地域には、①安く借りられる空き家(特に単身向けがよい)、空き店舗、②食材が買えるお店、③都会で得た経験スキルが活かせる職場、そして④子供達のための教育環境の整備が効果的ということは全国の地方創生事例で判明してきています。私達の加茂谷地域はこのいずれも十分でないため、できるところから可能な限り同時に進めていくことにしました。 ①空き家の発掘は、私も一員になっている地元NPOが活動してきたものがありそことの連携をしていきます。 ②食材が買えるお店は、地元NPOがすきとく集荷場を運営しており、集荷場との連携して軽トラ市を準備することになりました。ここも今年かなり動きだすことになりそうです。 ③年間通じた職場環境をどう作るのか、まだまだ課題があります。私も一員になって農泊プロジェクトが始まったので、そこで民宿や自然体験ツアーなどの新しいビジネスを作り出していく動きが動き始めています。 ④子供向け教育環境について。よい子供に高いレベルの教育を与えたいというのは世界中の共通事項であることも分かってきましたので、今私たちは地域の小学校や中学校、放課後児童クラブと連携しながら、毎週集まってきている国際ボランティアと一緒に英語でのグローバル教育授業を作り出そうとしています。7月は吉井小学校と4回、加茂谷中学校と2回、放課後児童クラブと2回、授業形式で実施してみました。吉井小学校は校区外からでも通学可能が公認された小規模特認校に選任されたことをきっかけに一気に定期的な授業化実現へ進み始めています。 _____________________________________________________________________________次回予告次回はこれまでなかった大規模な新規植え付けの実施状況をレポートしていきます。やってみてわかってきた課題も浮き彫りになってきたところなど生々しい様子をお伝えしていければと思います。 第2回(今回):なぜすだち農家は減るのかの部分をもう少し詳しく解説、今回の支援金がどのように活用され、具体的な進捗。 第3回(次回):未来のすだち農家を育てる大規模植え付けの実施、今後の展開、具体的な進捗 第4回:国境を超えて、ボランティアがなぜすだち畑に集まっているのかの謎 第5回:これからの働き方を考えられていなかった反省 第6回:インベント・オン・ザ・ウェイ 第7回:しわしわいく 第8回:ご質問にお答えします。またリクエストがあった件それぞれについて進捗報告 第9回:幼児グローバル教育で地域がインターナショナルになっていく姿をレポ 第10回:今後の展開、具体的な進捗






