壮絶な運命を負った猫たちに安らぎの場所を!一代限りの一生を全うさせて!

島の限界集落に捨てられた猫たちを地域猫として、一生を全うさせたい。山の中で捨てられた猫は、短期間でタヌキやカラスなどの外敵に殺されてしまう凄絶な運命を負っています。適切な手術、エサ代、寝場所確保をしてあげることで猫たちの一生を全うさせてあげたいです。

現在の支援総額

67,000

33%

目標金額は200,000円

支援者数

9

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/04/09に募集を開始し、 9人の支援により 67,000円の資金を集め、 2025/05/12に募集を終了しました

壮絶な運命を負った猫たちに安らぎの場所を!一代限りの一生を全うさせて!

現在の支援総額

67,000

33%達成

終了

目標金額200,000

支援者数9

このプロジェクトは、2025/04/09に募集を開始し、 9人の支援により 67,000円の資金を集め、 2025/05/12に募集を終了しました

島の限界集落に捨てられた猫たちを地域猫として、一生を全うさせたい。山の中で捨てられた猫は、短期間でタヌキやカラスなどの外敵に殺されてしまう凄絶な運命を負っています。適切な手術、エサ代、寝場所確保をしてあげることで猫たちの一生を全うさせてあげたいです。

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みなさま、本当にありがとうございました!あと4時間で募集は終わりますが、最後に猫たちの近影の紹介をさせていただきたいと思います。昼下がりのお庭に、ようやく緊張がとけた猫たちがわらわらと遊びだしました。いちばん中央にいる猫がお母さん猫で、それ以外は全部その子供たちです。かわいいでしょ?我が家を選んでしまった以上はしょうがありません!見捨てられません!全部に去勢手術をしていく予定です。現在、去勢手術1匹分と半年分の餌代に相当する寄付が集まりました。本当に感謝です。(全然関係ありませんが、写真に写っている大きな切り株は冬に積雪の重みで道路に倒れた木を、土木会社の方が好意で置いていったものです。我が家の薪風呂の薪にしていく予定ですが、現在はまだ猫のとぎ台&遊び台になっています。自然との共生はなかなか過酷です。)寄付をいただいた方からのメッセージで捨てて「いい場所」なんてない。というものが、ありました。本当にその通りだと思います。猫たちにとっての幸せ、それは遠からず人間の幸せにもつながるような気がします。どうか少しでも、猫たちが幸せに生きられますように。どうか私たちに、猫たちを幸せにできる余力が残っていますように。心から願って、最後の投稿にしたいと思います。ご覧いただき、ありがとうございました!どうか、みなさまが健やかで、幸せな日々をおくれますように。


「本当にいいんですか?」最初に支援くださった方への正直な気持ちでした。ビクビクしていました。猫を助けるのに理由はいらない、と思いつつ、実際、活動報告にも、そう書きつつ、自分にも迷いのような苦しい気持ちがありました。日々の生活で一杯一杯で、それでも猫を助けるなんて自分の欲でしかないんじゃないか?それで生活苦しいって自業自得でしょ、という自責もありました。自分の暮らしすらまともにできていない、こんな未熟な自分に、お金をだしてくれる人なんていないだろうなあ、もしかしたら、ひどい誹謗中傷もあるかも、とビクビクしてもいました。それなのに、応援したいと言ってくださる方がいた、しかも励ましのお言葉までいただけた…無常のよろこびでした。大げさかもしれませんが生き方を肯定してもらえた、くらいの激しい嬉しさに打ち震えています。本当にありがとうございます!猫たちに代わって、お礼申し上げます。これで明日、猫にエサを与えることができます!これから現れるであろう、さまよえる猫たちに、安全な寝床と処置をしてあげられます。本当にありがとうございます。応援メッセージをくださった方の中に「すべての生きものにリスペクトの気持ちがもてる社会になれるように」と送ってくださった方がいらっしゃいました。…壮大です。そこまで広く大きく考えていなかったことは、私の不得と致すところですが、本当にそういうふうになったら、と思います。願わくば、そういう願いを、口にだしても蔑まれない、夢を真摯に抱くことができる、そんな社会であってほしいと思っています。夢を実行するためには、夢を口にだすなりして、自分の内から外へ出さなくてはいけないと思うのですが、今はそれすらしにくい世の中です。この小さく、ささやかな活動が、その社会の実現のための儚く小さくとも「一歩」であるのだと、みなさまの支援で気づかせていただきました。改めてありがとうございます。冒頭の子猫は、少しぶれていますが、茶猫の子猫です。捨て猫独特の痩せ方をしているのが特徴的です。頬骨がやつれている感じ、わかるでしょうか?元気ではありますが、この子も栄養をもっと必要としている子猫です。支援金を元に、もう少し多めのフードをあげられたら、と思っております。(最近、少しだけ節制気味でした)


我が家にいる保護猫は、餌は食べるためには近寄ってはくれますが、決して体には触らせてくれません。頭なでなでとか、まずできません(泣)ちょっと近づくと、するっと逃げてしまいます。それなのによく去勢できたものだと思いますが、そこは、熟練の技!捕獲技術というか、結構な回数の捕獲回数で、慣れを身につけたのかもしれません。今回の写真は、我が家のアサツキ畑をベッドに寝転ぶ一番最近去勢手術をした若いメス猫ちゃんです。すんごくかわいいので、シャッターチャンスだと思って、撮りました。猫たちが幸せそうだと、癒されるし、何よりも、ありがたい。苦労した甲斐があります。近寄ると、起きて逃げてしまうので、一定距離をおいてシャッターを押しています。切ない話もたくさんあるけれど、やっぱり、小さくてもほっとできる幸せ、ほしいですよね。だからこそ、明日も頑張ろうと思えます。きっとこの子にとっても、今は一番の幸せだと思います。明日も、この子たちにとって、幸せと思える日がありますように。


 捨てられる野良猫は、我が家の猫ではありません。それなのに、なぜその猫に餌をあげ、月の収入の2割もの去勢費用までだして、猫の残された一生を生きさせようとするのか。 改めて考え、言葉を選んでみました。うまい答えになっているかどうか自信はありませんが、興味があったら読んでほしいです。 私はイラストレーターだけでは食べていけないので、フルタイムの仕事をしています。手取りは月10万円。お察しの通り、正社員ではありません。そこからの2万円の去勢手術は正直きつく、我が家の家計をストレートに圧迫させています。養わなくてはならない(人間のほうの)家族に了解をもらった上での手術ではあるが、言わせている感も正直あり、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 猫が捨てられることは、この国では日常茶飯事の出来事。 でも、捨てられた猫にとっては、世界中でひとりぼっちにされた恐怖が生半可ではないと想像します。戦災孤児みたいなものではないでしょうか。 近頃、読んだ本に、ドイツのアウシュビッツの様子が書かれたものがあってその一文を書かせていただく。 「ホロコーストによって迫害を受けた者たちは、財産も、住処も、尊厳も、名前も、命も、そして最後には存在も消された」とあり、胸をかきむしられます。存在すらかき消される「命」とは、一体なんなのだ?と思うのです。ユダヤ人は圧倒的な差別によって、その命を無価値以下のものとされ、殺されました。では猫は?  猫と人間と一緒にするな、と言われることは百も承知ですが、保健所に連れて行かれ「不要」とされた猫は、この日本で年に何千匹も、ガス室で殺されます。ナチスの所業と重なります。違うならば、どこから、違うのでしょう。そう、一体どこから?殺される猫と人間との差は? 私の頭の中で、一点に絞り込まれます。無価値であること。  私ごとで恐縮ですが、今年から、勤務する職場で、仕事量は変わらないのに、勤務時間を減らされ、減収に追い込まれました。正社員は毎年給料があがっていますが、臨時職員は職務内容が同等でも減収。労働組合を通してその処遇に対しての撤廃を求めていますが、簡単には戻らなそうです。 労働組合が「我々を人間扱いしていない」と憤慨して、はじめて気づきました。そうか、我々は「人間扱い」すらされていなかったのかと。そういうことすら気付けないくらい、私は今まで、そういう位置にいたよ。 じゃあ、私も猫と一緒じゃないか、と。 ああ猫よ。この世界は、なんとも世知辛く、優しくない世界じゃないか。お互い大変だ。同情するよ。でも嘆くな、同士よ。優しくされていないもの同士が身を寄せ合って、この限られたスペースだけでも、そんなには悪くない社会を作って互いに慰めあってもいいじゃないか。 そんなふうに思ったわけです。 人間扱いされていない人ひとりと、存在すら認められていない猫いっぴき。 こんなにも小さな空間の幸福くらいあっても、いいじゃないか。その小さな幸福に、私はなけなしの2万円を払う。明日の飯はその時に考えよう。 お読みくださり、ありがとうございます。支援いただいた方に多大の感謝を。


こちらの猫ちゃん(中央の親猫のほう)は、我が家に居着いて長い年数がたつ猫ちゃんです。見ての通り、ほっそりとしたスレンダーな猫ちゃんです。この写真を撮った直後は、子猫を産んだばかりで、見るからにげっそりとしてます。なによりも毛艶がパサパサでした。やはり出産はハードな経験です。周りにいるのは、産んだばかりの子猫ちゃんたち。子猫たちはチョロチョロと動き回っていてかわいいのですが、親猫はじーっと餌をくれるのを待っている様子が対照的。体力がない様子が伝わってくるんですね。こういうことが2度続いたので、親も子供も去勢手術をする決心をしました。で、それから半年後でーん。こんなに丸々と、太りました。(冬毛のせいもありますけどね)毛艶も見るからによくなりました。今も、触らせてはくれないのですが、距離をとれば、こういうシャッターチャンスもくれるようになりました。しみじみ、この子に去勢手術してよかった、と思っています。(もちろん、手術には賛否両論ありますけどね)もしもあのまましないでいたら、1年に2回も、子猫を3、4匹ずつ産んでは体がどんどん摩耗するハードな猫生をおくることになり、もしかしたら猫生が終わっていたかもしれない。かわいそうな猫が減ってほしいと、思っています。


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