戦後80年、被爆と復興を経た広島の地図。被爆遺産に託された平和の願いを届けたい!

原爆が投下され、80年を迎える広島。私たちはこの夏に向けて、 “原爆による被爆の概要”と“現存する被爆遺産”を表裏の地図に記した「被爆都市手帳ヒロシマ」を作成します。この手帳を手に取り、原爆の痕跡である被爆遺産を知り、みどり豊かな街を歩いてほしいと願っています。

現在の支援総額

874,200

58%

目標金額は1,500,000円

支援者数

142

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/05/11に募集を開始し、 142人の支援により 874,200円の資金を集め、 2025/07/29に募集を終了しました

戦後80年、被爆と復興を経た広島の地図。被爆遺産に託された平和の願いを届けたい!

現在の支援総額

874,200

58%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数142

このプロジェクトは、2025/05/11に募集を開始し、 142人の支援により 874,200円の資金を集め、 2025/07/29に募集を終了しました

原爆が投下され、80年を迎える広島。私たちはこの夏に向けて、 “原爆による被爆の概要”と“現存する被爆遺産”を表裏の地図に記した「被爆都市手帳ヒロシマ」を作成します。この手帳を手に取り、原爆の痕跡である被爆遺産を知り、みどり豊かな街を歩いてほしいと願っています。

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原爆投下前と投下後の広島の写真同心円の中心が爆心地。すぐ左上に目標の相生橋。画面右上の矩形は広島城。すごい範囲で本当に何もなくなってしまったのがよく分かる写真。3枚目はもっと広範囲の写真。(写真はwikipedia広島市への原子爆弾投下より拝借)


沢山の方々にご協力いただきやっと完成までまでこぎつけました。活動に共感いただきクラファンのご支援いただいてるみなさま、制作・ご相談にご協力頂いたみなさま「被爆都市手帳ヒロシマ」を置いてくださる書店、美術館のみなさま、取り上げてくださっているメディアのみなさま。本当にありがとうございます。今週から広島を中心に、東京、大阪、京都などの各店舗に並ぶ予定です。(一部先行して販売している場所もあり)よろしければ手にとっていただければ嬉しいです ckinocoに無理やりいれられ、長時間打ち合わせ付き合ってくれて文章も書いてくれた幼馴染のちゅんり広島の要所の方々を紹介してくださった、りえさん広島として内容間違ってないかチェックしてくださった広島市市民局国際平和推進部のみなさまこれは意味あるものだ!といって親身に色々紹介してくださっている広島観光コンベンションビューローさん文章全体を手直ししてくれたり、校正してくれたり、書籍のいろはを叩き込んでくれた久保さん会ったことはないけれど素敵な英文に仕上げてくれたKimiko Benjaminさんお金にならないのにプリンティングディレクターとして動いてくれて加工もしてくれた小林断裁の小林さん地図書き起こしてくれたり、ひたすら梱包、発送してくれている廣瀬くんこれからドイツで売り込んでくれるといっている井藤さん色々紹介してくれたり戦略を考えてくれてる、まーさんいつもいろいろ紹介してくれる、すしこさんこのあと続いて展示をやらしていただけるリーダンディートの清政さん内容についてありがたいご意見をくださった、渡邉先生、高木先生、説田さん、有川さん、ヒロコさん、井村さん、坪井さん、ガッキー、有澤さんここには書ききれない方もいますが皆様ありがとうございます 内容に共感してくださり個人出版なのに「被爆都市手帳ヒロシマ」を置いてくださる(本日時点)銀座蔦屋書店さま、誠光社さま、シカク出版さま、東京都写真美術館さま、FOLK old book storeさま、文喫さま、Bookshop TOTOさま、
エディオン蔦屋家電さま、おりづるタワーさま、紀伊國屋書店さま、ジュンク堂書店さま、T-SITE広島 蔦屋書店さま、広島現代美術館さま、広島県立美術館さま、広島平和記念資料館情報資料室さま、リーダンディートさま、本当にありがとうございます!!まだ道半ばですがckinocoは love&peaceの精神でかんばります!


とりあえず、今回で小平(アーティスト)がこの企画を始めた理由の説明を終えます。これ以外にも自分の作品の説明とかすると、何が言いたいかわからなくなっちゃいそう。まあ、僕の活動に関心がある人は僕のホームページとか見てください。さて、前回までは広島と自分のアイデンティティのつながりから被爆樹木をモチーフにした制作経験の話をしました。今回は原爆を違う角度から書いてみます。被爆した側の意見は、広島にいるとたくさん聞くことができます。でもアメリカ側の意見を聞く機会は意外と少ないです。僕がまだフランスに来て間もない時、アメリカ人観光客と話す機会がありました。彼に広島出身だというと、「あの原爆で戦争が早く終わってよかったな」と言われたことがありました。スマートな答えが出なくて、適当に受け流した記憶がある。でも後々、モヤモヤしてきました。日本からすれば、敗戦色の強かったあの時期に原爆2発、しかも違う種類を落とす必要がどこにあったのだろうか?非戦闘員を巻き込んで何が正しかったのだろうか?約14万人を虐殺するのが正しいのか?など今でも原爆の正当性を考えます。そして、その正当性はいまだにないと思っています。僕が話したアメリカ人のオッチャンはどこの州から来たかはわからないけど、日米戦争の参加経験はなさそうな歳だった。きっと彼はアメリカが落とした原爆の正当性を教え込まれたんだろう。アメリカ政府は、莫大な血税を使い原子爆弾を作ったのだから、正当性はなんとしても伝えなければならないだろう。そう考えていくとマンハッタン計画で作られた多数の試験場、精製場、施設はどこで?どうなった?今は?と疑問が湧いてきています。インターネットを介して大まかな情報は簡単に手に入ります。そこでわかるのは、原爆で被害があるのは、被爆国だけじゃない。アメリカ本土でも、汚染問題や、先住民が住む地域を無視した汚染処理など今でもその負の遺産を抱えているそうです。立ち入り禁止の区域ももちろんある。作り始めたが最後、現在アメリカは5000発以上の原爆を持っているんです。それをどう保管するの?アメリカ国民はそれを維持し続けなければいけない。ネット上で見つかる資料などでは感じられない、雰囲気、市民の声などは実際に現地に行かないとわからない。僕は、それらのリサーチをしたく、マンハッタン計画でとりわけ影響があったオークリッジ(テネシー州)、ロスアラモス(ニューメキシコ州)アラモゴード(ニューメキシコ州)、ハンフォードサイト(ワシントン州)の四箇所でのリサーチとピンホールカメラと録音機を使った制作をしたいと思い、2023年のアーティストインレジデンスに応募しました。残念だけど僕の提案は通らなかった。ロシアとウクライナの戦争が始まって間もなく、イランとイスラエルの爆撃がなかった時代だから原爆に関心がなかったのか?広島出身のアーティストの企画がアメリカ側にメリットがないせいなのか?否!僕の企画が甘かったに違いない。これからも学び、いつかは自費でもいいからこの制作とリサーチをしたい。原爆の闇はアメリカにもある。そこにフォーカスを当てないと、核爆弾は無くならない。広島、長崎は確かに被爆都市だ。しかし作ってしまった人たちも多分に被害を受けている。原爆そのものにメリットがなくて、原爆による平和はない。原爆の恐怖を回避するために、より多くの原爆を作り、原爆を使わない戦争をやり続けるしかない現実に僕らは生きている。そして第三の被爆都市がいつ現れるかわからない現状だという事を忘れてはいけない。そのために広島の歴史を知ってほしい。ヒロシマの思いを知ってほしい。これが世界の抑止力なってほしいとホンマに願ってる。僕も被爆都市手帳を作りながらたくさん学びました。これからは読者の皆さんと一緒に学んでいけるツールにしたいと思う。知ろう、作ろう、広めよう。ckinocoを始めた頃に考えたモットーをふと思い返した報告でした。Jack Aeby氏の写真は、アメリカのアラモゴードのトリニティ実験の際に撮影された写真。Wikipediaより引用


ようやくヒロシマをテーマに制作する決意ができた。さて、どうせやるなら原爆が投下された日にやりたいと思い、2023年8月5日、6日に制作を始めました。その季節に草木がどんな具合だったんだろうかと被爆樹木を目指しさまよい始めたけど、真夏の炎天下は想像以上にハードコアでした… 朝から機材を担いで撮影をしていたけど、水分補給はマスト! 秒で干からびるような灼熱。ちょっと当時の気温を調べると27度ぐらいだったらしい。え?温暖化ヤバ。とにかく… そんなこととはつゆ知らず僕は、無謀な撮影を続けました。8月6日となると広島はたくさんの人がごった返します。特に原爆ドーム、平和公園あたりは、県警が整備していて、お祭り状態。そんな中でも黙祷が始まる8月15分(原爆が投下された時刻)はあたりは静まり返っていました。そして黙祷が終わるや否や、大きな騒音でデモを繰り返す人や、市民マラソンをスタートし始めたりと大騒ぎ。なんやこの違和感…黙祷を捧げることは死者を弔う行為として大切なんだけど、8時15分以降に広島は焦土と化して、生き残った被爆者たちは、ここから苦しみ続けた。そう思うと、僕はその場にいられなかった。年に一度の平和活動の集大成として集っているのかもしれない。そんな人たちが集う場所として平和記念都市の役割なのかもしれない。彼らの平和活動に比べると僕の制作なんて、活動にもならない。でも僕は、その時、虚無感と切なさを感じ、同じところにいたくなかった。逃げるように僕は次の被爆樹木に向かい歩き始めた。歩くスピードが上がらない。ダレるように歩きながら僕は、被爆樹木にたどり着いた。平和公園の周りとは違い、そこは、蝉の鳴き声と遠くに聞こえる微かな騒音。日常と変わらないのかといえば、ちょっと違う気がする。車の通り、安芸門徒特有の盆燈籠を抱えてるお墓へ向かう人がチラホラといたりして、その場はモアっとした磁場のような印象だった。気を取り直して、カメラと録音機を準備する。被爆樹木に向けてシャッターが切る。中判カメラをピンホールカメラに改造しているから、露光時間は長い。その間僕は音を立てない。佇んで、被爆樹木を眺め、沈黙を続ける。滴る汗、蝉の叫びを感じながらただ立っている時間。撮影が終えて、樹木に一礼して次の樹木へと向かう。そこでもシャッターを切って佇むだけ。いつの間にか、制作の行為が、巡礼という行為に変わっていくようだ。原爆投下後、焼け野原となった真夏の広島。木陰で休むこともできず、水を求め川へ飛び込む人、やけ溶ける肌で彷徨う人。当時の気温は27度と記録にはあるけど、爆風は3000度から4000度。37度で熱いと言ってる自分がどうしようもない。ポカリや麦茶をがぶ飲みしながら歩いている自分が忌まわしい。それでも次の樹木へと歩いてみる。現在の自分と当時の広島を考えながら樹木から樹木へと歩いてみる。今生きている被爆樹木に挨拶回りをしているようだった。当時の爆風を乗り越え青々とした葉で木陰を作っている樹木もあれば、背丈くらいの樹木もある。みんなしっかりと生きている。そんな樹木にありがとう。そんな樹木を守ってくれる人にありがとう。ありがとうが虚無から解放してくれた、そんな僕の体験でした。被爆樹木はそれだけじゃない。会いに来てくれる一人一人に耳を傾けてくる。犬の散歩のついでだったり、ジョギングのポイントだったり。いろんな接し方があると思うし、それを受け止めてくれるような存在だと思う。辛い過去を抱えているけれど、そんな樹木を大切にしている街を僕は誇りに思う。あ、ちなみにこの制作は、未だ未完成です。でもいつか芽吹くタイミングが必ずあると思う。見せれる機会ができるまで気長に待っててください。


僕(小平)は、ckinocoのメンバーの一人で、フランスで現代アートの活動をしています。長年、日本を離れて暮らすとアイデンティティについてよく問われます。とりわけ広島出身というと、原爆について聞かれるのが常。でも僕の家系には被爆体験者もいないし、自分の作品に原爆を題材にするには、たいした知識もない。そんな思いで安易に原爆(ヒロシマ)をテーマにすることができなかった。アーティストとして経験が増えて、ヒロシマに直視しなければ、いけないなあと思い始めている頃、「広島には75年間草木も生えない」という言葉を知りました。それを知ったのが2020年になる前ぐらいかなあ。実家に帰ってくると現在の広島は緑豊かで沢山の人で溢れている。「え?ってか広島ブチ草木はえとるじゃん」って思いました。 自然の力と街の音がヒロシマの原動力。それなら僕の作品全体に底通する「エネルギーの循環」としてヒロシマをテーマに制作ができると確信しました。 そこが僕の出発点です。1945年に科学者が推測したヒロシマなんかじゃない、生命溢れるヒロシマを見せてやる!と意気込んでいたんですが、2020年(被爆75年)、それは、Covid-19の真っ只中。コロナに僕の企画も倒れてしまいました。しかし!広島は75年とか80年とかじゃなく、復興を経て絶え間なく平和を訴える都市。その企画はいつでもいいんだと考えて、2023年の夏に制作に入りました。作品はまだ完成していないけど、ピンホールカメラで被爆樹木を撮影して、その露光時間の環境音も録音しておきます。プリントした写真に撮影時の音を当てて、その音圧で振動するプリントに墨の粉を撒きます。そうすると視覚化された音がイメージに融合して、「光と音」が一枚の像となる作品です。この技法は、これまでに、パリ、マルセイユ、ブルターニュなどフランスで主に制作しています。こんな感じの作品です。これは、パリのセーヌ川マルセイユの大聖堂の麓。こちらは、旅行記のようにノート仕立てです。次回は、広島での制作について報告します。これが被爆都市手帳ヒロシマを作るのにとても大切な経験でした。乞うご期待!


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