ようやくヒロシマをテーマに制作する決意ができた。さて、どうせやるなら原爆が投下された日にやりたいと思い、2023年8月5日、6日に制作を始めました。その季節に草木がどんな具合だったんだろうかと被爆樹木を目指しさまよい始めたけど、真夏の炎天下は想像以上にハードコアでした… 朝から機材を担いで撮影をしていたけど、水分補給はマスト! 秒で干からびるような灼熱。ちょっと当時の気温を調べると27度ぐらいだったらしい。え?温暖化ヤバ。とにかく… そんなこととはつゆ知らず僕は、無謀な撮影を続けました。8月6日となると広島はたくさんの人がごった返します。特に原爆ドーム、平和公園あたりは、県警が整備していて、お祭り状態。そんな中でも黙祷が始まる8月15分(原爆が投下された時刻)はあたりは静まり返っていました。そして黙祷が終わるや否や、大きな騒音でデモを繰り返す人や、市民マラソンをスタートし始めたりと大騒ぎ。なんやこの違和感…黙祷を捧げることは死者を弔う行為として大切なんだけど、8時15分以降に広島は焦土と化して、生き残った被爆者たちは、ここから苦しみ続けた。そう思うと、僕はその場にいられなかった。年に一度の平和活動の集大成として集っているのかもしれない。そんな人たちが集う場所として平和記念都市の役割なのかもしれない。彼らの平和活動に比べると僕の制作なんて、活動にもならない。でも僕は、その時、虚無感と切なさを感じ、同じところにいたくなかった。逃げるように僕は次の被爆樹木に向かい歩き始めた。歩くスピードが上がらない。ダレるように歩きながら僕は、被爆樹木にたどり着いた。平和公園の周りとは違い、そこは、蝉の鳴き声と遠くに聞こえる微かな騒音。日常と変わらないのかといえば、ちょっと違う気がする。車の通り、安芸門徒特有の盆燈籠を抱えてるお墓へ向かう人がチラホラといたりして、その場はモアっとした磁場のような印象だった。気を取り直して、カメラと録音機を準備する。被爆樹木に向けてシャッターが切る。中判カメラをピンホールカメラに改造しているから、露光時間は長い。その間僕は音を立てない。佇んで、被爆樹木を眺め、沈黙を続ける。滴る汗、蝉の叫びを感じながらただ立っている時間。撮影が終えて、樹木に一礼して次の樹木へと向かう。そこでもシャッターを切って佇むだけ。いつの間にか、制作の行為が、巡礼という行為に変わっていくようだ。原爆投下後、焼け野原となった真夏の広島。木陰で休むこともできず、水を求め川へ飛び込む人、やけ溶ける肌で彷徨う人。当時の気温は27度と記録にはあるけど、爆風は3000度から4000度。37度で熱いと言ってる自分がどうしようもない。ポカリや麦茶をがぶ飲みしながら歩いている自分が忌まわしい。それでも次の樹木へと歩いてみる。現在の自分と当時の広島を考えながら樹木から樹木へと歩いてみる。今生きている被爆樹木に挨拶回りをしているようだった。当時の爆風を乗り越え青々とした葉で木陰を作っている樹木もあれば、背丈くらいの樹木もある。みんなしっかりと生きている。そんな樹木にありがとう。そんな樹木を守ってくれる人にありがとう。ありがとうが虚無から解放してくれた、そんな僕の体験でした。被爆樹木はそれだけじゃない。会いに来てくれる一人一人に耳を傾けてくる。犬の散歩のついでだったり、ジョギングのポイントだったり。いろんな接し方があると思うし、それを受け止めてくれるような存在だと思う。辛い過去を抱えているけれど、そんな樹木を大切にしている街を僕は誇りに思う。あ、ちなみにこの制作は、未だ未完成です。でもいつか芽吹くタイミングが必ずあると思う。見せれる機会ができるまで気長に待っててください。






