戦後80年、被爆と復興を経た広島の地図。被爆遺産に託された平和の願いを届けたい!

原爆が投下され、80年を迎える広島。私たちはこの夏に向けて、 “原爆による被爆の概要”と“現存する被爆遺産”を表裏の地図に記した「被爆都市手帳ヒロシマ」を作成します。この手帳を手に取り、原爆の痕跡である被爆遺産を知り、みどり豊かな街を歩いてほしいと願っています。

現在の支援総額

874,200

58%

目標金額は1,500,000円

支援者数

142

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/05/11に募集を開始し、 142人の支援により 874,200円の資金を集め、 2025/07/29に募集を終了しました

戦後80年、被爆と復興を経た広島の地図。被爆遺産に託された平和の願いを届けたい!

現在の支援総額

874,200

58%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数142

このプロジェクトは、2025/05/11に募集を開始し、 142人の支援により 874,200円の資金を集め、 2025/07/29に募集を終了しました

原爆が投下され、80年を迎える広島。私たちはこの夏に向けて、 “原爆による被爆の概要”と“現存する被爆遺産”を表裏の地図に記した「被爆都市手帳ヒロシマ」を作成します。この手帳を手に取り、原爆の痕跡である被爆遺産を知り、みどり豊かな街を歩いてほしいと願っています。

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広島の安古市という街で焼肉屋をやっていたおばあちゃんおばあちゃん家に行ったときのおやつは高確率で生卵がのって、りんごが添えられたユッケでした。そのばあちゃんが持っていたピンク色の被爆者健康手帳。それは被爆したってことになり健康診断や医療費を自己負担をせずに受けれる手帳その頃おばあちゃんが住んでた街は爆心地から10kmくらいで被爆範囲には該当しないけど、黒い雨を浴びたから貰えたのか?とか聞いたことがあって、そうじゃないと。知人を探しに爆心地の辺りまで、生まれたばかりのおじさんをおぶって歩いていったらしい。だから入市被爆者扱いになり手帳を貰ったって話してた。0歳だったおじさんも貰ったって。帰りはトラックに乗せてもらって帰ってきたらしい。お婆ちゃんは在日朝鮮人だったから色々手続きは大変だったみたいだけど貰えたって。貰いたかったのか、貰いたくなかったのかはわからない。けど持ってた。選挙権はもらえないのに被爆健康手帳はもらえるのかと不思議に思った記憶がある。この手帳は色々問題があるみたい。症状が出ても範囲外で貰えなかったり、証言がなくて貰えなかったり、帰国した在日朝鮮人は貰えなかったり、被爆したことで差別を受けるからあえて貰わなかったり、などなど。黒い雨の降雨地域も未だに解決していないことが多いけど、当時の被害者はどんどん亡くなっていく。この地図を作ることで自分の中で曖昧だった事を知ることが多いなぁ。 2枚目の被爆者健康手帳の写真は「中国新聞[ジュニアライターがゆく] 被爆者と認め救って」より拝借https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?junior=2021-11



広島のいろんな被爆範囲を示した地図。このインパクトある地図を見たときからヒロシマの地図を作ろうと思った。被爆に関して悲壮な写真やインパクトある映像はよく見るけど範囲って漠然としか分かってなかった気がする。 1枚目の赤い部分は全焼地域。1945年の被爆範囲を示す地図で米軍が翌年作成したもの。2枚目は赤い斜線(濃い赤)の地域が全壊地域、赤い点(薄い赤)の地域が半壊地域。地図で見ると自分暮らしていた街がこんなに広範囲が被害にあったのかと...原子爆弾の威力は改めて恐ろしいこれを見て歩いてどの地域がどのような被害があったのか知ってほしいと思った。だから被爆都市手帳ヒロシマをつくってあの時と今の広島を総観できるものを作りたかった。 (地図はwikipedia広島市への原子爆弾投下、Earth No War NGO (ENWN) 広島原爆の爆心と被爆地図 、毎日新聞 被爆の実相明らかに 国泰寺高校より寄贈された地図より)


原爆投下前と投下後の広島の写真同心円の中心が爆心地。すぐ左上に目標の相生橋。画面右上の矩形は広島城。すごい範囲で本当に何もなくなってしまったのがよく分かる写真。3枚目はもっと広範囲の写真。(写真はwikipedia広島市への原子爆弾投下より拝借)


沢山の方々にご協力いただきやっと完成までまでこぎつけました。活動に共感いただきクラファンのご支援いただいてるみなさま、制作・ご相談にご協力頂いたみなさま「被爆都市手帳ヒロシマ」を置いてくださる書店、美術館のみなさま、取り上げてくださっているメディアのみなさま。本当にありがとうございます。今週から広島を中心に、東京、大阪、京都などの各店舗に並ぶ予定です。(一部先行して販売している場所もあり)よろしければ手にとっていただければ嬉しいです ckinocoに無理やりいれられ、長時間打ち合わせ付き合ってくれて文章も書いてくれた幼馴染のちゅんり広島の要所の方々を紹介してくださった、りえさん広島として内容間違ってないかチェックしてくださった広島市市民局国際平和推進部のみなさまこれは意味あるものだ!といって親身に色々紹介してくださっている広島観光コンベンションビューローさん文章全体を手直ししてくれたり、校正してくれたり、書籍のいろはを叩き込んでくれた久保さん会ったことはないけれど素敵な英文に仕上げてくれたKimiko Benjaminさんお金にならないのにプリンティングディレクターとして動いてくれて加工もしてくれた小林断裁の小林さん地図書き起こしてくれたり、ひたすら梱包、発送してくれている廣瀬くんこれからドイツで売り込んでくれるといっている井藤さん色々紹介してくれたり戦略を考えてくれてる、まーさんいつもいろいろ紹介してくれる、すしこさんこのあと続いて展示をやらしていただけるリーダンディートの清政さん内容についてありがたいご意見をくださった、渡邉先生、高木先生、説田さん、有川さん、ヒロコさん、井村さん、坪井さん、ガッキー、有澤さんここには書ききれない方もいますが皆様ありがとうございます 内容に共感してくださり個人出版なのに「被爆都市手帳ヒロシマ」を置いてくださる(本日時点)銀座蔦屋書店さま、誠光社さま、シカク出版さま、東京都写真美術館さま、FOLK old book storeさま、文喫さま、Bookshop TOTOさま、
エディオン蔦屋家電さま、おりづるタワーさま、紀伊國屋書店さま、ジュンク堂書店さま、T-SITE広島 蔦屋書店さま、広島現代美術館さま、広島県立美術館さま、広島平和記念資料館情報資料室さま、リーダンディートさま、本当にありがとうございます!!まだ道半ばですがckinocoは love&peaceの精神でかんばります!


とりあえず、今回で小平(アーティスト)がこの企画を始めた理由の説明を終えます。これ以外にも自分の作品の説明とかすると、何が言いたいかわからなくなっちゃいそう。まあ、僕の活動に関心がある人は僕のホームページとか見てください。さて、前回までは広島と自分のアイデンティティのつながりから被爆樹木をモチーフにした制作経験の話をしました。今回は原爆を違う角度から書いてみます。被爆した側の意見は、広島にいるとたくさん聞くことができます。でもアメリカ側の意見を聞く機会は意外と少ないです。僕がまだフランスに来て間もない時、アメリカ人観光客と話す機会がありました。彼に広島出身だというと、「あの原爆で戦争が早く終わってよかったな」と言われたことがありました。スマートな答えが出なくて、適当に受け流した記憶がある。でも後々、モヤモヤしてきました。日本からすれば、敗戦色の強かったあの時期に原爆2発、しかも違う種類を落とす必要がどこにあったのだろうか?非戦闘員を巻き込んで何が正しかったのだろうか?約14万人を虐殺するのが正しいのか?など今でも原爆の正当性を考えます。そして、その正当性はいまだにないと思っています。僕が話したアメリカ人のオッチャンはどこの州から来たかはわからないけど、日米戦争の参加経験はなさそうな歳だった。きっと彼はアメリカが落とした原爆の正当性を教え込まれたんだろう。アメリカ政府は、莫大な血税を使い原子爆弾を作ったのだから、正当性はなんとしても伝えなければならないだろう。そう考えていくとマンハッタン計画で作られた多数の試験場、精製場、施設はどこで?どうなった?今は?と疑問が湧いてきています。インターネットを介して大まかな情報は簡単に手に入ります。そこでわかるのは、原爆で被害があるのは、被爆国だけじゃない。アメリカ本土でも、汚染問題や、先住民が住む地域を無視した汚染処理など今でもその負の遺産を抱えているそうです。立ち入り禁止の区域ももちろんある。作り始めたが最後、現在アメリカは5000発以上の原爆を持っているんです。それをどう保管するの?アメリカ国民はそれを維持し続けなければいけない。ネット上で見つかる資料などでは感じられない、雰囲気、市民の声などは実際に現地に行かないとわからない。僕は、それらのリサーチをしたく、マンハッタン計画でとりわけ影響があったオークリッジ(テネシー州)、ロスアラモス(ニューメキシコ州)アラモゴード(ニューメキシコ州)、ハンフォードサイト(ワシントン州)の四箇所でのリサーチとピンホールカメラと録音機を使った制作をしたいと思い、2023年のアーティストインレジデンスに応募しました。残念だけど僕の提案は通らなかった。ロシアとウクライナの戦争が始まって間もなく、イランとイスラエルの爆撃がなかった時代だから原爆に関心がなかったのか?広島出身のアーティストの企画がアメリカ側にメリットがないせいなのか?否!僕の企画が甘かったに違いない。これからも学び、いつかは自費でもいいからこの制作とリサーチをしたい。原爆の闇はアメリカにもある。そこにフォーカスを当てないと、核爆弾は無くならない。広島、長崎は確かに被爆都市だ。しかし作ってしまった人たちも多分に被害を受けている。原爆そのものにメリットがなくて、原爆による平和はない。原爆の恐怖を回避するために、より多くの原爆を作り、原爆を使わない戦争をやり続けるしかない現実に僕らは生きている。そして第三の被爆都市がいつ現れるかわからない現状だという事を忘れてはいけない。そのために広島の歴史を知ってほしい。ヒロシマの思いを知ってほしい。これが世界の抑止力なってほしいとホンマに願ってる。僕も被爆都市手帳を作りながらたくさん学びました。これからは読者の皆さんと一緒に学んでいけるツールにしたいと思う。知ろう、作ろう、広めよう。ckinocoを始めた頃に考えたモットーをふと思い返した報告でした。Jack Aeby氏の写真は、アメリカのアラモゴードのトリニティ実験の際に撮影された写真。Wikipediaより引用


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