
本記事は3回にわたって公開します。
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10年ぶりの外な世界は全てが新鮮でした。
スーパーで買い物をするのも、
お風呂に毎日入るのも、
イヤホンをつけずにテレビを見るのも、
外来受診で待つことも、
僕にとっては新たな経験でした。
大学生活では、介助者がおらず、食事やトイレ以外の身の回りの支援は、全て周りの学生さんにお願いせざるを得ませんでした。
エレベータを押してもらう→教室のドアを開けてもらう→リュックからパソコンを出してマウスを手元にセットしてもらう→授業が終わるとパソコンをリュックにしまってもらう→教室のドアを開けてもらう…
通りすがりの学生さんにお願いをすることが必死で、人見知りと言ってる場合ではなかったんです。
そんな大学生活を送っているとき、テレビや新聞の取材、講演会の依頼をいただくようになりました。
過去の僕が同じ病気の起業家に希望をもらえたように、僕の姿が人生の選択肢を広げるきっかけになると思っていました。
でも現実はそうじゃなかった。
「赤石くんだからできたんだよ」
「僕には関係ないよ」
「みんなができることじゃない」
「希望を与えるな」
自分ごととして聞く人は多くありませんでした。
こんな声を聞くたびに、自分の人生は変えれないって言ってる、僕自分の可能性も閉ざされる気がして、聞きたくなかった。
自分の人生は行動で描いていける。
そう証明するために、PC1台で開業することを決めました。
在宅でフルオンラインで働ければ、働かないって言い訳ができない。
この言い訳を全て無くしてやる。
そんな叫びのような決意から、僕の社会人生活は始まりました。
そこから4年が経った今、ふと気づいたことがあります。
「言い訳をなくしたい」「悔しい」と思えること自体、実は僕は恵まれていたのかもしれない、ということです。
人は、過去の経験の延長線上にしか、未来を描けません。
社会との接点が少ない僕たちにとって、そもそも「目標を描く」こと自体が、とてつもなく高いハードルだったのです。
振り返れば、退院したばかりの僕は、
• スーパーで自分のご飯を選ぶこと
• 居酒屋の暖簾をくぐること
• 一人で新幹線に乗ること
そんな一つひとつが、震えるほどの決断でした。
でも、その小さな「できた」の積み重ねがあったから、福岡への移住があり、起業という未来を描くことができた。
人は誰しも、いつか介護が必要になる時が来ます。
その時、ただ「生かされる」だけの人生を甘んじて受け入れるのではなく、最期まで夢を描き、自分らしく笑って過ごしてほしい。
だから僕は、新しい福祉事業を立ち上げます。
あの頃から、手段は変わりました。
でも、目的は1ミリもブレていません。
「できない言い訳」を、この世からなくすこと。
「諦めるクセ」を、この社会からなくすこと。
そんな未来を一緒に作りませんか?



