首から上しか動かない私が、重度障害者の夢を叶える訪問介護事業所を創ります!

「人生を諦めるしかなかった」難病当事者の私が、重度障害者の夢の実現に特化し、業界の離職課題を解決する全く新しい訪問介護事業所を福岡市で設立します。 障害当事者としての経験と新たな仕組みで、ヘルパーが輝き、利用者が安心して夢を描き挑戦できる「福祉の未来の当たり前」を創ります。

現在の支援総額

1,155,500

38%

目標金額は3,000,000円

支援者数

72

募集終了まで残り

24

首から上しか動かない私が、重度障害者の夢を叶える訪問介護事業所を創ります!

現在の支援総額

1,155,500

38%達成

あと 24

目標金額3,000,000

支援者数72

「人生を諦めるしかなかった」難病当事者の私が、重度障害者の夢の実現に特化し、業界の離職課題を解決する全く新しい訪問介護事業所を福岡市で設立します。 障害当事者としての経験と新たな仕組みで、ヘルパーが輝き、利用者が安心して夢を描き挑戦できる「福祉の未来の当たり前」を創ります。

本記事は3回にわたって公開します。前回の記事はこちら。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━僕がいた学校は小中高合わせて20人弱の小さな学校でした。クラスメイトは3人。2人は不登校が主な理由で、僕のいた特別支援学校に転校してきました。学校はもちろん、放課後も、休日も、常にオンラインゲームを3人でするくらい常に一緒で、僕の障害や入院生活のバリアを感じることもなく過ごしていました。しかし、高校受験が迫ってくると周りは大きく変化していったのです。僕らの学校はエスカレーター式で高等部へ進学することが一般的でした。彼らも当然、一緒に進学するとばかり思っていました。「あのさ、俺たち普通校に進学するわ」その時、自分がどんな顔をして、どう返答したかも覚えてません。当たり前だと思っていた未来が崩れ、僕だけ置いて行かれた孤独感に襲われたことだけは覚えています。彼らに置いて行かれたくないとの思いで「僕も退院して高校に行きたい」と言うも、前例もなく「それは難しいよ」という声で未来が塞がれました。障害があっても自分が動けば変わると信じてきた僕にとって、前例がなくどれだけ頑張っても変わらない事実は絶望そのものでした。それから、彼らが必死に勉強して、合否結果に一喜一憂する姿を離れた場所で見ることしかできませんでした。僕は形式上の高校受験で、適当に埋めた解答用紙で合格しました。悔しかったし、情けなかった…分かっていたけど、気づかないふりをしていた。彼らとは生きる世界が違うと正面から突きつけられました。それから、夢や目標なんて概念を捨てて、ただ病院のルーティンをこなす日々を過ごしていたとき、担任の先生が一冊の本を持ってきてくれました。『寝たきりだけど社長やってます』著者は僕と同じ障害を持ち、わずかに動く親指だけで起業をした佐藤仙務さん。障害者である自分に何もできないと思っていた僕にとって、一般社会でビジネスをされている佐藤さんの存在が希望になったのです。一文字一文字が僕を浄化するかのように、気づけば泣きながら読んでいました。「佐藤さんのように、働いて社会に関わる」ことを目標に、大学進学を目指すようになりました。できるかどうかは、前例がないからわかりません。看護師さんも全員が応援してくれるわけではありません。「どうせ口だけよ」「勉強してるふりでしょ」「まだそんな夢を持ってたの?」数々の言葉を聞きながら、自分を信じ、とにかく勉強し続けました。大好きなゲームもやめ、体の運動機能が低下しても、勉強し続けました。だって、唯一僕が取れた選択肢だから。大学受験当日。緊張のあまり面接官の前で用意した回答が抜け、頭の中が真っ白になりました。本来なら焦りますよね。僕は感謝の気持ちがどんどん湧いてきました。高校受験すらできなかった僕が大学受験の舞台に立っている。そして合格すれば前例のない退院もできる。もう幸せでしかないじゃないですか。2018年3月18日。10年ぶりに退院し、僕の新たな人生がスタートしました。※退院時に持って帰った荷物━━━━━━━━━━━━━━━━━━━本記事は3回にわたって連載します。続きをお待ちください。


あけましておめでとうございます。今年はみなさんと共に新たな景色を見れることを楽しみにしております。クラウドファンディング終了後も事業の進捗は随時共有させていただきます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。本日は株式会社神崎工務店 福岡営業所 所長の吉村純一さんの応援メッセージを紹介します。吉村さんは、ライターとして初めて取材させていただいた方です。「福祉住環境コーディネーターを知った瞬間雷が落ちたようだった」と語る吉村さんのストーリーを聞きながら、「誰かの人生を聴く」楽しさを知りました。営業職を選んだのは、誰よりも人の話を聴くだけでなく課題解決を伴走できるからです。仕事において大切にしたい価値観を吉村さんから学ばせていただきました。今も定期的に情報交換をさせていただき、これからは同じ福岡で新しい福祉を実践できることを楽しみにしています!━━━━━━━━━━━━━━━━━━━赤石さんとの出会いは、私個人の記事を取材していただいたことがきっかけでした。あの記事は「お互いのターニングポイントになったね」と今でも話すほど、深い出会いでした。その後も、迷いや壁に向き合いながら前へ進み続ける赤石さんの姿に、私はいつも大きな勇気をいただいています。そんな赤石さんが「人生を掛けたプロジェクト」に挑まれると聞き、応援しない理由はありません。誰かの人生で最も輝く瞬間をつくりたい——職種は違えど、目指す場所は近いと感じています。赤石さんの挑戦が、多くの方の未来を照らすと確信しています。皆様の温かい後押しを、どうかよろしくお願いいたします。福祉住環境コーディネーター株式会社神崎工務店福岡営業所所長 吉村純一


あと6時間で、2025年が終わろうとしています。今年は、僕の人生で最も「もがいた」一年でした。 営業マンとして数字を追いかけ、がむしゃらに走り続けた日々。 代表の背中を追い、必死にその言葉の意味を噛み締めた時間。「自分は何者になりたいのか?」 答えが出ないまま、ただ「この人と一緒に新しい景色を見たい」という衝動だけで駆け抜けてきました。大きな転機は6月、福岡への移住を決意したことでした。正直に告白します。 僕の病気は進行性です。 来年には、今よりも動けなくなっている可能性が極めて高い。「障害があるから、県外に住むなんて無理だ」 無意識のうちに、自分自身で限界を決めていました。でも、本当に体が動かなくなった時、選択肢が消えてしまった時、僕は「あの時、福岡へ行けばよかった」と一生後悔すると思ったのです。2026年4月、福岡に行く。 震える声で宣言したあの瞬間から、全てが動き出しました。リスクも、手続きも、何もわからない。 でも、その覚悟が、僕の使命を運んできてくれました。それが「訪問介護事業での起業」です。自分の人生を諦めない。その原点に立ち返ったとき、僕は「人生の選択肢を広げる」というスタートラインにようやく立つことができました。ここで改めて、強く宣言させてください。私は、2026年4月に福岡へ移住し、6月に訪問介護事業を立ち上げます。 福祉の「当たり前」を塗り替え、誰もが安心して夢を描き、人生を選択できる社会を創ります。ビジネスで培ったすべて、そして当事者として感じてきたすべての痛みを、希望に変えるために使い切ります。ですが、これだけは言わせてください。この挑戦は、僕一人の力では、絶対に成し遂げられません。僕の体には限界があります。できないこともたくさんあります。だからこそ、あなたの力が必要なんです。僕の「覚悟」に、あなたの「力」を貸していただけないでしょうか。一緒に、まだ見ぬ景色を見に行きませんか? 2026年、最高の挑戦を共にしましょう。


今年も残すところ、あと2日となりました。本日もたくさんのご支援・応援をいただきありがとうございます。本日は、リターンの1つである「バーチャルオフィス空間の入室電子カード」について、用意した背景についても含めて説明させてください。私はこれまで1人の利用者として8年間、訪問介護を利用させていただきました。そこで気づいたのは、現場のヘルパーさんは驚くほど「孤独」だということです。一人で現場に行き、悩みがあってもその場で相談できる相手はいない。管理者や経営者との距離も遠く、報告は事務的なものばかり。そんな「孤独な働き方」をしているヘルパーさんが、利用者さんの夢を支える余裕なんて持てるはずがありません。スタッフ同士が、そして経営陣が、まるで隣にいるかのように笑い合い、すぐに相談できる環境を作る。 この「風通しの良さ」こそが、利用者さんが安心して明日を夢見ることができる、本当の福祉の土台になると私は信じています。そのための手段の一つとして、メタバース空間のバーチャルオフィスを活用します。今回のリターンは、私たちのバーチャルオフィスに入室できる管理です。リターン購入後、お届けした電子カードをスマホでかざすと、入室が可能です。支援者の皆さんは、私たちと一緒に福祉の当たり前を変える同志だと思っています。ケア・イノベートがどんな熱量で、利用者さんに向き合うのか。どうやって課題を解決するのか。そんな空気を近くで感じていただき、時には私やスタッフを交えてオンライン飲み会等で語り合いましょう!新しい福祉について語り合える日を心から楽しみに、弊社のバーチャルオフィスでお待ちしております。


小学2年生の春休み、父親と祖母の3人でいつもとは違う病院に行き、病棟を案内されました。「綺麗な部屋だし、住んでみたいな」何気なく言った、一言が決めてとなり、以降10年間にも及ぶ入院生活がスタートしました。当時の僕は何もわかっていませんでした。入院当日、いつもとは違う雰囲気を感じて、車のラジオで流れる青山テルマさんの「そばにいるね」が、どこか不安を仰ぐBGMのようでした。これまで人見知りで、家族以外と話すことが苦手だった僕が、突然病院でひとりぼっちになりました。初日は泣いて、泣いて、また泣いて。最後は涙が枯れて泣き疲れて眠った。それが入院生活の1日目でした。同級生もおらず、周りは障害のある大人ばかり。病棟のルールも分からず、とにかく大人の顔色を伺いながら集団生活を学んでいきました。<当時の生活>◼︎5:30:起床◼︎7:00:朝食◼︎8:00:トイレ◼︎9:00:リハビリ◼︎9:30:入浴(週2回)◼︎10:30:学校◼︎12:30:昼食(病院に戻る)◼︎13:30:学校◼︎16:00:下校◼︎17:00:夕食◼︎20:00:ベットへ移る◼︎21:30:就寝最初はトイレの時間が決まっていることに衝撃を受けるも、徐々に慣れて、このルーティンを繰り返す日々を送るようになりました。もちろん、家族に会いたい気持ちは毎日続きました。そして、すぐに退院できるとも思っていました。僕の居場所はここじゃないって思っていました。そこから気づけば、6年。僕は中学3年生に。いつしか、病院の外で暮らすイメージがわかなくなり、病院が僕の居場所だと思うように変化していました。同年代の患者さんと毎日遊び、学校のクラスメイトともオンラインで四六時中ゲームをして、実家に帰らなくても楽しい日常がありました。週2回しかお風呂に入れない、昼休憩で一緒にお弁当を食べられないこと以外は、何も不自由を感じていなかったんです。そんな僕が、絶望を感じたのは、高校受験の時でした。人生で初めて障害者である現実を痛感する出来事でした…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━本記事は3回にわたって公開します。続きはこちら。


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