【岩見沢ねぶた祭を100年先へ!】祭の技と夢と心のバトンを次世代へ繋ぐ。

2021年から毎年8月に北海道岩見沢市で実施している「岩見沢ねぶた祭」の技術を後世に伝え、担い手を育てていくためのプロジェクトを行います。 祭のお囃子技術やねぶた制作技術を、子ども達や市民に伝える機会・環境を整えることで、100年先に祭を繋ぐための土台を作っていきたいと考えています。

現在の支援総額

1,546,000

30%

目標金額は5,000,000円

支援者数

200

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/12/25に募集を開始し、 200人の支援により 1,546,000円の資金を集め、 2026/02/14に募集を終了しました

【岩見沢ねぶた祭を100年先へ!】祭の技と夢と心のバトンを次世代へ繋ぐ。

現在の支援総額

1,546,000

30%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数200

このプロジェクトは、2025/12/25に募集を開始し、 200人の支援により 1,546,000円の資金を集め、 2026/02/14に募集を終了しました

2021年から毎年8月に北海道岩見沢市で実施している「岩見沢ねぶた祭」の技術を後世に伝え、担い手を育てていくためのプロジェクトを行います。 祭のお囃子技術やねぶた制作技術を、子ども達や市民に伝える機会・環境を整えることで、100年先に祭を繋ぐための土台を作っていきたいと考えています。

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私は、大学に進学してから初めて「ねぶた」というものに触れました。最初は、岩見沢ねぶたプロジェクト実行委員会の紹介が授業内であり、それがきっかけで所属を決めました。「今でしかできない、ここでしかできない」と思い、参加を決めました。早くも参加して今年で 3 年目になりますが、この活動は、今しか、ここでしかできない経験だと活動を通して感じました。1年目も2年目も新しく、新鮮な気持ちでいっぱいで、目まぐるしく日々は過ぎていきました。私が、この活動を続ける理由には、やはり「ねぶたを制作する」ということが 1 番に挙がります。当初は、大学生だけでねぶたなんて作れるのなどと疑問や不安といった気持ちが沢山あったと思います。実際にねぶたを作ってみて感じたことは、「作るのはやっぱり難しい、けどそれ以上に楽しいしやりがいがある」です。先輩方が作り方を丁寧に教えてくれて、最初は上手くいかなくても、続けていくと容量が掴めるようになっていきました。針金でねぶたの形を作り、そこに和紙を張り、色を塗る。私も含め、実行委員一同、こだわりを持って作っています。十分な人が集まらず制作の進みが遅くなっているときも、皆で励ましながら、必死になって取り組んでいたのも、思い出だと感じています。それでも、ねぶたのクオリティを下げないように丁寧にでも速く制作していました。実際に本場の青森に、ねぶた制作の現場を見学にも行きました。私は本場のねぶたを見るのが初めてだったのですが、想像していたより何倍も大きく、力強さと美しさに息を呑みました。その時は紙貼りの行程だったのですが、しわが一つも寄らず、本当につるんとしていました。絹豆腐のように滑らかで、柔らかそうにまで思えました。針金は綺麗な円弧を描いており、ブレなんて一つもありませんでした。あの感動はかなりの制作へのモチベーションに繋がったと思います。プロの技を間近で見て活かせることは何でも活かしたい、はっきりそう思いました。1 年生の時、ねぶたの完成に携われた時、本当に達成感、感動を味わいました。作り始めて約 3 ヶ月長いようであっという間でした。締め切りが近くて焦った時も、制作が上手くいかない時も、皆で鼓舞し合いながら乗り越えてきました。そこには必ず情熱が灯っていたと思います。大勢で 1 つのことに真正面から突き進んで、何かをやり遂げる。改めて思うと、人生でこれを経験できるのは僅か数回なのではないかと思います。同時に 1 つのことに夢中になれる、これって容易くできることではないと思います。ねぶたは、「青森のもの、青森でやるもの」と今までは感じていました。ですが場所は関係なく、現地の方と同じくらい、それ以上に岩見沢にいる私たちにも情熱があります。私の場合は、道外出身でねぶたに縁もゆかりもありませんでしたが、今こうやって岩見沢ねぶたプロジェクトとして活動しています。ねぶたは見る人を必ず虜にしますし、ましてや作る人なんてもっともっと虜にさせてしまうと思います。今日では、岩見沢ねぶた祭の認知度が高まっています。この情熱の輪をもっともっと広げていきたい、岩見沢市外の方々にも知っていただきたい、そして長く続くお祭りにしたい、本当にそう思います。やる気、情熱に溢れる人が集まるので、新体制になっても、ねぶたに対する情熱が冷めることはないと思います。それは、これからもそうだと確信しています。この祭りを 10 年、50 年、100 年と続けていけるようにしていくためにも、今できること今しかできないことを見つけて取り組んでいきたいです。私は実行委員としてあと 2 回ねぶた祭りに携わることができます。積極的に行動して、貢献したいと思います。今年は、去年よりもフットワークを軽くして、何でも取り組んでいきます。大事な事なので 2回言いますが、ねぶたに縁もゆかりもない生まれの私が、こんなにもねぶたに魅了されているんです。ねぶたの魅力は底を知らない、計り知れないものだと自信をもって言えます。これからも、ねぶたに対して情熱を宿し、岩見沢ねぶた祭りを盛り上げていきます。その手伝いができること、携われること本当に誇らしく思います。山﨑 樺乃


お祭りはなくても、人は物理的に不自由なく生きていけるはずです。それでも、なぜお祭りは地域に根づき、残り続けるのか?岩見沢ねぶた祭に関わる中で、私は何度もそのことを考えてきました。最初は正直、「一緒に活動しているメンバーが好きだから」それだけの理由で活動していました。でも気づけば、「この祭をなくしたくない」と本気で思う人たちのそばにいる内に、私自身も同じ気持ちを抱くようになっていました。お祭りは、ただの『イベント』ではありません。人が集い、技術や文化が何度も受け継がれ、『またここに帰ってきたい』と思えるような場所をつくりだせるものだと思います。お祭りはなくても生きていける。でも、もしなくなったら、きっと私たちの中で、何かがぽっかり欠けてしまう。お祭りとは、そんな心の拠り所なんだと思います。青森で初めてねぶた祭を見たとき、その理由が少し分かった気がしました。ねぶたをつくる人、動かす人、魅せる人。そして、それを全力で受け止める街の人たち。お祭りは必ずしも、「必要だから」残るのではなく、「人と人との関係や想い」によって、生かされ続けているのだと感じました。私は昔から岩見沢に住んでいるわけではありません。札幌から通っているだけの大学生です。それでも、岩見沢とねぶた祭があったから、これまでの大学生としての3年間を、こんなにも濃く、彩ることができました。大学の夏は、毎年岩見沢ねぶた祭で一色でした。制作が間に合わなくて焦ったり、運営に不安になったりしながらも、「来年もこの景色が見たい」その気持ちだけで走り続けてきました。きっと、実行委員のみんなも同じだったと思います。岩見沢は、学生の挑戦を受け止めてくれる街です。名前も知らない私たちの話を聞いて、応援してくれる人がたくさんいました。気づけば、私にとってこの街そのものが大切な場所になっていました。でも、岩見沢ねぶた祭は、決して最初から恵まれた環境で行われているわけではありません。道具や材料が十分に揃わず、本来向き合うべき制作や継承の時間が削られてしまうこともあります。今の世代が卒業したら終わってしまう祭りにはしたくありません。技術も、想いも、ちゃんと次につないでいきたい。そのためには気持ちだけではなく、続けていける環境そのものが必要です。悔しいですが、環境整備はまだ道半ばです。私は今年で4年生になります。学生として関われるのは、最後の年です。だからこそ、今年は一年を通して岩見沢ねぶたと全力で向き合い、微力ながら、将来的に岩見沢ねぶた祭が少しでも運営しやすくなる体制を残したいと思っています。そして、最終的に私が岩見沢ねぶた祭を残したいのは、お祭りそのもののためだけではありません。この祭りを通して、人が集い、挑戦し、そしてまた帰ってこられる場所としての「岩見沢」そのものを、未来に残したい。そう心から思っています。岩見沢ねぶた祭を、100年先へ!!副実行委員長  鎌田 綾花


私にとって岩見沢は、もう一つの故郷。私が生まれ育ち、18歳まで住んだ場所は、県内1の少子高齢化、人口減少が進んだ、人口は5000人の地域でした。そんなまちに住んでいた私の命題は地域活性化になりました。高校受験でも大学受験でも、語ることは「まちを活気づけたい。」ということ。そんな私に、学生が祭りで地域を盛り上げている活動をしている岩見沢の大学を高校の先生が勧めてくれた。コロナだったこともあり、書類だけで通った私。18歳でひとり、初めて北海道に、岩見沢に来ました。友達も知り合いもいなくて、4月は一人でずっと泣いていました。誰かと関わらないと!って、寮の友達ができ、サークルに入り、「岩見沢ねぶたプロジェクト」に入りました。そこからみるみる私の輪が広がりました。私がこのまちを大好きになったきっかけが、ねぶた祭りでした。この活動は、私にたくさんのものをくれたと思います。ゆうへいさん、ちひろさん、そういちろうさん、先輩たちが作ってきたこの祭が大好きになりました。初めて岩見沢にきて、一緒に岩見沢ねぶた祭を、つくってくれた、てとらさん、こうしさん、せなさん。えーすけさん、北辻さん、前野さん、、、もっともっーっといます岩見沢で出会った大好きな人の名前を出すとキリがありません。この祭を通して出会った大切な人たちがたくさんいて、祭を継承していく人がいて、私が全く知らない学生がまたこの祭を作っていって遠くからでもいろんな形で岩見沢に関わって、帰れる場所になっていく、そんな祭。今まで、たくさんの新聞に取り上げられ、数えきれない活動をして、今の「岩見沢ねぶた祭」があります。広報部として活動してきましたが、地域の人と関わり、この祭をそんな素敵な人たちと一緒に作り上げて、岩見沢を見てきた私は、関係人口の1人となりました。岩見沢に住んでいる人、応援している人、関わっている人が1人でも増えるよう、私は岩見沢をこれからも愛していきます。そのきっかけが「岩見沢ねぶた祭」です。応援のカタチは様々。祭の継続には資金が必要です。ねぶた祭に欠かせぬお囃子の音を、活気を絶やしたくない。クラウドファンディングでこの祭を岩見沢を応援していただきたいです。2024年度卒業生 メンター  大倉 芽依


【まちづくりと岩見沢ねぶた祭】まちづくりって難しいなと思いながら生活してます。私のまちづくりのゴールってなんだろう。多分私が今ねぶた祭を頑張ってる理由は、「岩見沢がなくなってほしくないから」なんだと思います。自分が育ててきたものには愛着が湧きます。私が生まれ育った札幌はこのままでも大丈夫な自信があるけど、岩見沢は、私がもっと大きくなってもこのまま残っている自信がないです。この愛着がある岩見沢を止めたくない。せっかく藤本さんが押してくれた“再生ボタン”を、止めたくないです。「岩見沢がなくなってほしくない」「藤本さんが押してくれた再生ボタンを止めたくない」この2つの気持ちは、まちづくりの原点そのものだと思います。まちは“つくる”ものだと言われるけど、本当に難しいのは“続ける”ことだと考えます。誰かが止めたら、動かなくなってしまう。別に誰も止めたくて止めてるわけではないのに。だからこそ、今私が感じている「愛着」や「止めたくない」という気持ちは理屈ではなく、生きている人の温度があります。それは、プロジェクトのゴールよりもずっと深い理由になっているのではないかと思います。藤本さんが押した再生ボタンは、「岩見沢ねぶた祭」だけじゃなく、この街がもう一度動き出すきっかけだと思います。ねぶた祭りのおかげでできた友達や繋がりが沢山ある。そして今、この祭りを再生し続けられるのが私たちです。私のゴールはきっと、「まちが動き続けるための熱を絶やさないこと」ねぶた祭りは、そのための火種のひとつであり、それを守るのが実行委員の役割だと思っています。祭りは“形を残す”だけでは続かない。人と人がつながり、「やろう」という気持ちが受け継がれてこそ続いていくんだと日々考えてます。今は再生させた祭りを、私たちが継いで、広げている。 しかも、ただ真似するのではなく、自分たちの想いで動かしている。ここが大切だと思います。それはもう「再生の次のフェーズ」。再生 → 継承 → 発展。今私が感じている「止めたくない」という気持ちは、次の世代へ託す“熱”になっているのかもしれません。今はただ、岩見沢の一員になれていることが嬉しいです。お祭りは完成した形に見えて、本当は参加する人によって毎年形が変わるもの。だからこそ、いろんな学生や地域の人が「ちょっと手伝ってみようかな」と思える雰囲気をつくることが、お祭りの命を長くするんだと思います。運行ディレクター  植松 歩楽


私は生まれも育ちも青森市で、物心ついた時からねぶたがありました。家の目の前をねぶたが通るというすばらしい立地に恵まれ、小さい頃から熱狂的なねぶた祭を毎年楽しみにしていました。幼稚園の頃は兄と自転車を10分ほど漕いでねぶた小屋を見に行って絵を描いたり、解体の時にはねぶたの一部をもらいに行ったりしていました。今考えると、よくあんなに炎天下で通っていたなーと思います。小学校に入ると、地域ねぶたに参加することができるようになり、そこで初めてお囃子を演奏する側になりました。小さい頃は身体中に響くような大きな音が怖かった太鼓を自分で叩き、大きな掛け声で観ている人を巻き込むのがとても楽しくてたまらなかったのを今でも覚えています。冬でも太鼓のリズムを口ずさむほど太鼓が好きになり、本祭にも出るようになりました。難しいところもあったけれど憧れの場所で太鼓を叩けて幸せでした。高校は地元の青森を離れ、ねぶたに接する機会がなくなりました。ねぶたのシーズンになると喪失感を感じ、親から送られてくるねぶたの写真を見て「ねぶた行きたいなー。」と、しんみりしていました。岩教大に進路が決まり岩見沢について調べると、ある記事を見つけました。それは、「岩見沢ねぶた祭」について。岩見沢にねぶたがある。しかも学生主体。3年間ねぶたから離れていた私は「俺がやるしかない。」と本能的に責任感を感じ、身体に衝撃が走りました。大学に入学し、当時の実行委員長であるハヤトくんに1人で「ねぶたやりたいです」と気持ちを伝えに行きました。実際に活動に携わり、異なる専攻の学生が「ねぶた」をツールとして一生懸命岩見沢を盛り上げようとしている、そんな姿を実際に見て「岩見沢ねぶたって、おもしろい。」と感じました。そんな岩見沢にはいいところがあります。それは「ちょうどいい」ってことです。岩見沢って、「ちょうどいい」んです。必要最低限のお店があり、不自由なく生活できるし、札幌方面にも、旭川方面にも、ちょっと頑張ればどこへでも行けちゃいます。もうちょっといろんなお店ができてくれたら嬉しいのですが(笑)あとはとにかく人が良くて優しい!何かと助けてくれることが多い!けど、ちょっとシャイ。お祭りの時もシャイな人が多いので祭のときはもっとはっちゃけてほしいんです!めっちゃ煽ってる声が大きな男子がいたらそれは自分なので、ぜひ乗ってきてくださいね!私が思う岩見沢ねぶたの将来の理想は、ねぶたのために岩見沢に帰ってくる人が増えたらいいなと思います。それだけ岩見沢にねぶたの文化が芽生えたら青森人としてうれしいです。ここからは個人的な夢ですが、企業にねぶたを出してもらったり、国道12号線でねぶたを運行したり、最終的には青森ねぶた祭に岩見沢ねぶたとして出陣したい!なんて大きな夢を1人でみたりしています。私は大学でサッカー部にも所属しており、部活動が多忙でなかなか活動に参加できないのですが、ねぶたの仲間たちはそんな自分を理解し、いつも歓迎してくれます。いろんなわがままを言っても受け入れてくれる仲間には感謝しかありません。そんな仲間のためにも、本場のねぶたを経験している自分だからこそできることを必死にやっているつもりです。岩見沢ねぶたプロジェクト囃子方 岩鳴  川村 晃生


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