消えゆく創造の源を救いたい!日本画の巨匠・堂本印象の「山のアトリエ」復活への挑戦

キャンプファイヤー 寄付型のバッヂ

日本画の巨匠・堂本印象が、最高裁判所大法廷に飾る巨大壁画(三部作)を制作するために造った「山のアトリエ」。建築から75年を経たアトリエは老朽化が進み、このままでは文化財としての価値を維持することが困難な状況にあります。この空間を、次世代へ確実に引き継ぐためにリノベーションを行います。

現在の支援総額

2,263,000

45%

目標金額は5,000,000円

支援者数

85

募集終了まで残り

38

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消えゆく創造の源を救いたい!日本画の巨匠・堂本印象の「山のアトリエ」復活への挑戦

現在の支援総額

2,263,000

45%達成

あと 38

目標金額5,000,000

支援者数85

日本画の巨匠・堂本印象が、最高裁判所大法廷に飾る巨大壁画(三部作)を制作するために造った「山のアトリエ」。建築から75年を経たアトリエは老朽化が進み、このままでは文化財としての価値を維持することが困難な状況にあります。この空間を、次世代へ確実に引き継ぐためにリノベーションを行います。

京都の北西部、衣笠山の麓にひっそりと伸びる一本の道があります。金閣寺から龍安寺を経て仁和寺へと至る全長約2.5キロメートルの「きぬかけの路」。三つの世界遺産を一筋の道でつなぐこの散策路は、京都でも屈指の贅沢な道のりです。真夏に雪を夢見た天皇の故事「きぬかけの路」という名は、平安時代の第59代宇多天皇にまつわる風雅な逸話に由来しています。真夏のある日、天皇は雪景色が見たいと所望されました。すると衣笠山に白い絹布を掛けて覆い、あたかも雪が積もったかのように見せたと伝えられています。この故事から衣笠山は「きぬかけ山」とも呼ばれるようになりました。もっとも、この道がこの美しい名を得たのは意外にも最近のことです。1963年(昭和38年)に観光道路として開通して以来、長らく単に「観光道路」と呼ばれていました。転機となったのは1991年(平成3年)のこと。前年に地元の商店主たちが結成した「衣笠古道会」が中心となり、沿線の有力寺院や自治会の関係者、有識者らによる公募委員会を組織して、この道の愛称を全国から募集しました。1249通もの応募の中から選ばれたのが、宇多天皇の故事にちなむ「きぬかけの路」だったのです。今ではこの名が公式の地図や観光情報にも記され、広く親しまれています。緑の衣笠山に抱かれた歴史街道きぬかけの路の沿道は、美観風致地区および歴史的風土保存区域に指定されています。衣笠山の緑を背景に、北山文化を象徴する金閣寺(鹿苑寺)、枯山水の石庭で世界に知られる龍安寺、そして御室桜で名高い仁和寺と、三つの世界遺産が並びます。金閣寺から龍安寺まで徒歩約18分、龍安寺から仁和寺まで約11分。わずか30分ほどの道のりにこれほどの名刹が凝縮されている場所は、京都でもなかなかありません。さらに等持院や妙心寺、北野天満宮といった名所も周辺に点在し、道沿いにはカフェや和菓子店、ギャラリーなどが軒を連ねています。ちなみに、京都のローカルフードとして知られる「衣笠丼」も、この衣笠山に由来するとされています。お揚げと青ねぎを卵でふんわりとじた姿が、青々とした木々に白絹のかかった衣笠山を思わせることから、その名がついたのだそうです。そしてこの道沿いにあるのが堂本印象美術館です。金閣寺の荘厳、龍安寺の静謐、仁和寺の雅。そしてその道すがらに出会う堂本印象美術館。きぬかけの路は、千年の古都が持つ多彩な表情を、一歩ずつ足で味わえる稀有な道です。大正から昭和にかけて、木島桜谷や土田麦僊、山口華楊など多くの日本画家たちがこの地に住んでいたため、「きぬがさ絵描き村」とも呼ばれるようになりました。次の京都旅では、ぜひこの絹の伝説が残る道を、ゆっくりと歩いてみてはいかがでしょうか!


館内パネル写真の中から人気の写真をご紹介します。 印象さんのコスプレ?写真。自宅の庭にて。お似合いです。 クラウドファンディングは昨日、150万円達成しました。これもご支援・応援をいただいている皆さまのお力があってこそ。ありがとうございます。残り60日となりました。最後まで応援をどうぞお願いいたします。


文化庁のYouTubeチャンネルにあるコーナー「身近な名建築へいこう!」に、堂本印象美術館が紹介されています。こちらが文化庁のYouTubeページにある当館の紹介です!「身近な名建築へいこう!」vol.2。番外編の続きとして、2025 年 3 月 21 日に登録有形文化財への登録が決まった「身近な名建築」からお届けします。戦前から戦後にかけてさまざまなジャンルの芸術作品を手掛けた日本画家・堂本印象がデザインした、アートにあふれた名建築を学芸員さんと一緒にご紹介します(第 110 回答申)。堂本印象美術館は、大正時代から昭和の初めにかけて多くの画家が居を構えた「衣笠絵描き村」にあります。建物は印象が自らデザインしたもので、建物の外壁から内装、椅子や案内板まで、館内のすみずみに印象の想いがいきわたっています。日本画家として、具象から抽象まで幅広い活躍を見せた芸術家・堂本印象の世界観に直接触れることができる、建築好き、アート好き必見の美術館です。動画の後半には、印象の作品と装飾性にあふれた内装が見事に融合した、通常非公開の部屋に潜入します。お楽しみに。クラウドファンディングの20,000円以上のご支援者の皆様には、年間パスポートをお届けします。ぜひ足をお運びください。


西陣織の名門、龍村美術織物の初代龍村平藏は1876年(明治9年)に大阪の両替商の家に生まれ、1894年(明治27年)、18歳のとき京都で織物業を始めました。西陣織にジャカード機による機械化の波が押し寄せる中で、初代は織の技術開発だけでなく図案の重要性にいち早く着目し、若い画家たちを多数起用し、従来にない画期的なデザインの織物制作に取り組んだのです。堂本印象は京都市立美術工芸学校図案科を1910年(明治43年)に卒業しますが、父の事業失敗と死去により、家計を支えるため図案家として働き始めます。大阪三越図案部を経て、龍村平藏の織物店で帯の図案制作にたずさわりました。 初代は堂本印象を図案家として招き入れており、当時誰もやったことがないような新しい表現を常に模索していたといいます。 龍村の店で図案家として活躍しながらも、印象は画家になる夢を捨てていませんでした。ここに両者の関係の核心があります。かねてからその才能を認めていた龍村による支援を受け、1918年(大正7年)、26歳の時、遂に京都市立絵画専門学校に入学しました。10万円のリターンには、龍村美術織物のポーチを用意しました。印象と初代龍村平藏との絆を象徴する龍村のポーチを手にしながら、巨匠の創造の原点「山のアトリエ」の復活を応援してみませんか。


堂本印象美術館ガラス扉の把手は、単なる建具金物ではありません。一つ一つ、印象が描いた芸術作品です。館内には全部で28点の把手があり、すべてが1点もの。現在締め切りの扉もあるため、すべてを見ることはできませんが、それぞれが異なるデザインで来館者を楽しませています。美術館入口(正面玄関)把手原画(昭和41年/1966年)― 全16点美術館の顔ともいえる正面玄関のガラス扉には、16点の把手原画が配されています。印象が晩年に多用した紫・金・黒の色彩を感じさせる、抽象的で格調高い作品群です。段作品名(左から順に)1段目主動、陽光、爽美、創造、興趣、精髄、新生、陽極2段目旋律、誠實、爽快、精華、耽美、清廉、良識、思潮「創造」「旋律」「耽美」「清廉」といった、美や知性にまつわる抽象的な概念が作品名として選ばれており、印象が美術館という空間全体に込めた理念が伝わってきます。美術館扉(新館)把手原画(昭和43年/1968年)― 全12点新館側の扉には、正面玄関の2年後に制作された12点の作品が並びます。段作品名(左から順に)1段目啓示、潮流、濃艶、主潮2段目芳醇、仙境、精密、接触3段目豊艶、美観、優雅、雅致「芳醇」「仙境」「優雅」「雅致」など、より洗練された美の世界を感じさせる名前が並びます。クラウドファンディングのリターンをチェックこのクラウドファンディングのリターンとして、美術館ガラス扉の把手をモチーフにした限定ブックマーカー(しおり)が用意されています。「ドアの把手(とって)のブックマーカー」は、堂本印象がつくった美術館ガラス扉の把手がデザインされた、クラウドファンディング支援者だけのための限定品です。このブックマーカーを手に美術館を訪れて、モチーフとなった把手がどこにあるのか探してみてください。きっと、宝探しのような体験が楽しめます!


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