【MOTTAINAI20周年】ワンガリ・マータイさんの生家修復プロジェクト

環境分野で初のノーベル平和賞を受賞し、「もったいない」という日本語を世界に広めた故ワンガリ・マータイさんの生家を修復し、彼女の功績を偲び、世界中から訪れる人たちが環境保護の大切さを再確認できる聖地にしたい

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「ワンガリ・マータイ生家修復プロジェクト」について、日本に在住しているケニア人男性から「在日ケニア人にこのプロジェクトを広めたい」という連絡が届きました。来日して24年になるというマイナ・ヴィクタさんです。当キャンペーンの公式サイトに5月19日に掲載されたギタヒ・クニュガさんと妻の山上遊さんの記事を読んだのがきっかけで支援を思い立ったそうです。マイナさんにオンラインでインタビューしましたので、その内容を紹介します。Q:自己紹介をお願いします。マイナさん:高校卒業後、日本に留学し、大阪大学の大学院を出た後、IHIという会社に入り、今は海外での橋梁建設案件のプロジェクト管理をしています。来日して24年になります。奥さんと子供は大阪にいて、私は東京に単身赴任しています。 Q:今回のプロジェクトをどうやって知ったのですか。マイナさん:在ケニア日本大使館のFacebookに、ギタヒさん夫妻の記事が紹介されているのを読んで知りました。ギタヒさんは高校の先輩で、同じように日本に留学していたという共通点もあり、SNSをフォローしていました。それで「自分も協力したい」と連絡しました。 Q:プロジェクトについて、どう思われましたか。マイナさん:素晴らしいプロジェクトだと思い、在日本ケニア人に伝えたいと思いました。「MOTTAINAI」という言葉やマータイさんのこと、環境のことを在日ケニア人に広めるために出来ることがないかと考えました。 Q:日本に住んでいるケニア人はどれくらいいるのですか。マイナさん:だいたい1300人ぐらいといわれています。その人たち全員にアプローチするのは難しいと思います。SNSやコミュニティを使って、できるだけ多くの人たちに協力を呼びかけたいと思っています。 Q:MOTTAINAIキャンペーンのことは知っていましたか。マイナさん:マータイさんが創設したグリーンベルト運動やワンガリ・マータイファウンデーションの活動のことは知っていましたが、MOTTAINAIキャンペーンのことはそこまでは詳しく知りませんでした。今回のことをきっかけにマータイさんが亡くなった後も継続して活動していることを知りました。 Q:「MOTTAINAI」という言葉はどう思いますか。マイナさん:生活している中でいろんな場面で出てくる言葉です。モノだけでなく、時間とか、チャンスとかに関しても。一つの単語ですが、いろんな意味合いが含まれているということも理解してきているところです。 Q:日本で暮らしていて、日本社会の「ここがもったいない」と感じることはありますか。マイナさん:これはちょっと難しいですけど、文化とか伝統、生活面とか、いろんな知恵とかが日本にはあると思うのですが、それが海外に、特に発展途上国に伝わっていないのではないかなという思いはあります。日本では一畳あればいいみたいなミニマリスト的な考え方がありますが、途上国ではアメリカのようなライフスタイル、大きい方がいいとか、沢山の方がいいとか、そういう考え方が受け入れられているのが、もったいない気がしています。日本の考え方をもうちょっと発信してもいいような気がします。Q:将来の夢は?マイナさん:当初は日本の会社で数年働いて、その知識をケニアに戻って、ケニアの発展につなげたいと思っていましたが、気づいたら、もう24年経っていました。このまま、日本を拠点にするとしても、今まで経験してきたことや学んできたことをケニアの人たちに伝えられればと考えています。 


毎日新聞6月12日朝刊の「記者の目」に「マータイさん没後15年」をテーマに記事を書きました。◇マータイさん没後15年◇MOTTAINAIの力 次世代へ 環境分野で初のノーベル平和賞を受賞し、MOTTAINAIキャンペーンを提唱したワンガリ・マータイさんが亡くなって9月で15年になる。森林破壊や紛争が続く世界の現状を知ったら、どう思うだろう。「私たちはあらゆる生物種の現在と未来のため、立ち上がり、進み続ける義務がある」と指摘した彼女の遺志を改めてかみ締めたい。それは運命的な出合いだったのかもしれない。ノーベル平和賞受賞2カ月後の2005年2月。毎日新聞社の招きで来日したマータイさんは、当時の本紙編集局長とのインタビューで「もったいない」という日本語に出合った。  通訳を務めた女性によると、次の会場に向かう車内で「もったいない」の意味を重ねて尋ね、「MOTTAINAI、MOTTAINAI」と何度もつぶやいていたという。翌月、ニューヨークの国連本部で「MOTTAINAIを環境を守る世界の合言葉に」と提唱したのを受け、毎日新聞社が事務局を設置し、キャンペーンは始まった。  以降、毎年のように来日し、各地を回った。明るい笑顔と力強い演説、圧倒的な存在感で人々を魅了し、一緒に木を植え、「MOTTAINAI」を唱和した。地球資源への畏怖(いふ)と感謝の念が込められた「もったいない」の精神を日本人に再認識させた。広島では被爆者の証言に涙を流し、核兵器廃絶の署名に快く応じた。東日本大震災の際には「世界は皆さんとともにある」と励ましてくれた。◇地球資源に感謝 世界中へ広げる  キャンペーン開始から20年余。「モノを大切にする」「ゴミを減らす」といった、主に個人の行動変容を促す運動は、企業が「MOTTAINAI」の精神を事業活動に組み込む動きに進化した。規格外で廃棄されていた果実や低流通魚などを使った商品が相次いで販売されている。商品名に「MOTTAINAI」を付けることで、環境に配慮した商品だと消費者も認識できる構図ができつつある。昨年末には権威あるオックスフォード英語辞典に「MOTTAINAI」が掲載された。キャンペーン事務局に着任して4年、この言葉の力と、着目したマータイさんの眼力にいつも感心させられてきた。マータイさんは米国留学を経て、ナイロビ大学初の女性教授になった。「約束された人生」が待っていたはずだったが、環境破壊や女性たちの貧困を看過できず、植林を通じて社会参加を促すグリーンベルト運動を立ち上げた。独裁政権の弾圧を受け、投獄されたこともあったが、決して屈しなかった。◇緑の中の生家 資金募り保存  その輝かしい経歴から、裕福な家庭の出と思わせるが、生まれたのはケニア山近くの農家で、木々や小川、鳥のさえずりに囲まれた生活が原点だった。  私は昨年末、マータイさんのノーベル賞受賞20周年式典に出席するためケニアを訪れた際、長女ワンジラさんの案内で生家に足を運んだ。首都ナイロビから車で3時間。小高い丘の上の緑に囲まれた小さな家に今は住む人はなく、土壁は崩れ、トタン屋根ははがれていた。ここからマータイさんのはるかなる旅が始まったと思うと、自然と厳かな気持ちになった。ワンジラさんの話では、ここには今も、環境問題に関心を持つ人々が世界中から訪れているという。彼女は敷地全体を整備し、環境保護のサンクチュアリ(聖域)にする夢を抱くが、それには多額の費用と相当の年月がかかる。資金が集まる前に肝心の家は崩れてしまいそうだった。破れた屋根の隙間(すきま)から差し込んだ陽光が、壁にかけられたままの05年のカレンダーを照らしているのを目にした時、「この家がなくなるのは、もったいない」と強く思った。 帰国後、資金を募るため「ワンガリ・マータイ生家修復プロジェクト」というクラウドファンディングを立ち上げるとすぐ、日本に留学経験のあるケニア人から連絡があった。「ケニアでも寄付を呼びかけたい。両国が協力して彼女の記憶を未来に伝えるようにしたい」。「もったいない」の精神を日本人に再認識させ、世界に広めてくれた恩返しの意味も込め、国内で始めた取り組みが海を越えたプロジェクトに発展した。 グリーンベルト運動は来年、50周年を迎える。MOTTAINAIキャンペーン事務局は企業や個人からの寄付金を植林費用として送り続け、植えられた苗木は5100万本を超えた。  マータイさんがまいた種は着実に育ってはいるが、世界はまだ、彼女が指摘した「あらゆる生物種に対する義務」を果たせていない。地球の破滅という究極の「MOTTAINAI」を避けるため、彼女の遺志を次の世代に伝えたいと思う。キーワードとなる「MOTTAINAI」には大きな力があると確信している。


ワンガリ・マータイさんの長女で環境保護活動家のワンジラさんが構想するサンクチュアリ(聖域)についてまとめた文章を紹介します。マータイさんの活動の原点となった生家周辺の情景も描いています。ワンガリ・マタイは、ケニア中央部の肥沃な高地にあるイヒテ村で育ちました。彼女の自伝『Unbowed』はこの農村風景の自然の美しさに囲まれた幼少期を生き生きと描いています。イヒテは先住民の森林、清流、豊かな生物多様性で特徴付けられた緑豊かな地域でした。土地は肥沃で、多様な作物を支え、地元のキクユ族コミュニティを支えていました。子供時代、ワンガリは家族とコミュニティから、キクユの伝統に根付いた自然への深い尊敬を学びました。彼女は清らかで泡立つ水の流れの近くで遊び、神聖な木、例えばイチジクの木を尊重するように教えられました。イチジクの木は「神の樹」とされ、切り倒したり薪にしたりしてはならないとされていました。環境は食料だけでなく、アイデンティティと精神的なつながりを提供していました。イヒテ自体は、ケニア山のふもとに位置する典型的な農村でした。豊かな原生林が広がり、多様な樹木、植物、野生生物が生息し、清らかな水の流れや小河川が人々と作物の命脈を支えていました。子供の頃、オタマジャクシに夢中になったことは、川の水がいかに清らかで新鮮だったかを示していました。彼女は肥沃な農地に囲まれて育ち、家族がトウモロコシや豆などの主食を栽培する風景や、特に外部のキッチンなど、伝統や物語が受け継がれるコミュニティの空間に囲まれていました。コミュニティと環境の密接な関係はワンガリの価値観と後の活動家としての姿勢を形作りました。彼女は、土地の健康がコミュニティの福祉と密接に結びついていることを直接目撃しました。イヒテでのこの理想的な育ちはワンガリに自然への生涯にわたる敬意と、環境保護へのコミットメントを植え付けました。彼女が後に目撃した森林伐採、土壌侵食、水不足などの変化は、彼女に深い影響を与え、グリーンベルト運動を設立するきっかけとなりました。この運動は、彼女の幼少期の風景を回復し、農村部の女性をEmpowerすることを目的としています。ワンガリ・マタイがノーベル平和賞を受賞してから20年が経ちました。この受賞は彼女の素晴らしい業績を称えるだけでなく、環境の健全性、民主主義、平和のつながりに関する重要な議論の扉を開きました。今年、彼女の遺志を特別な形で称えるため、彼女のビジョンに共感する3つの団体がこの画期的な成果を祝う一連のイベントを年間を通じて開催します。今年実現したい大きなアイデアの一つが、ワンガリのサンクチュアリです。私たちはこの空間をイヒテの丘陵地に位置する活気ある緑のオアシスとして想像しています。ここには、彼女の母親ワンジルゥが植えた雄大な古木がレジリエンスと希望の物語を囁きます。この聖なる土地はわずか2エーカーの広さながら、ワンガリの自然への深い愛を育み、フェミニズムと環境保護の強力な擁護者としての彼女の道を形作りました。この場所は、訪れる数多くの若者にも同じ影響を与えることでしょう。生涯を通じて、ワンガリは真の先駆者であり、2004年にノーベル平和賞を受賞した際、またしても歴史的な快挙を成し遂げました。彼女はアフリカ人女性として、そして環境活動家として初めてこの賞を受賞した人物です。ワンガリの受賞は、平和の捉え方における重要な転換点となりました。それは、真の平和は環境の健全性と良い統治なしには存在しないことを強調しました。この関連性が議論の的だった時代から、現在では普遍的に認められています。彼女は、環境の持続可能性と民主主義、平和を結びつけたグリーンベルト運動の卓越した活動により、この賞を受賞しました。私たちは、彼女が育った簡素な木と泥の二部屋の家を、温かく居心地の良い空間に改装し、ゲストが私の母が住んだまさにその家で一夜を過ごせるようにしたいと考えています。私たちは、祖母や叔母たちの物語に笑いながら、数え切れない時間を過ごした屋外キッチンを再現することを想像しています。ワンガリのサンクチュアリは、訪問者センターとして機能し、静かな避難所として、人々がリラックスし、温かい紅茶(ニエリは世界最高品質の紅茶を生産しています)や伝統的な粥を楽しみ、ワンガリと彼女の母親の精神にインスパイアされた自然の美しさを堪能できる場所となります。彼女の著書を読んだ人なら、イヒテが彼女の人格形成になぜ特別な意味を持つのか理解できるでしょう。ここは彼女の慎ましい始まりからインスピレーションを得られる空間となるでしょう。ワンガリの環境保護への情熱の多くは、ケニア山とアバーダレスのふもとの幼少期の経験に根ざしています。これらの山々は単なる背景ではなく、彼女の環境保護活動家としてのアイデンティティに不可欠な存在でした。私たちのビジョンは、ワンガリの遺産と地球を育むという彼女のコミットメントを称える瞑想の聖域を創造することです。興味深いことに、現在の状態でも、世界中のジャーナリストやファンがイヒテを訪れ、ワングアリの旅からインスピレーションを求めています。彼らはしばしば涙を浮かべながら歩き回り、草の上に座って静かな瞑想に浸り、彼女の精神とのつながりを求めています。私たちは、ワンガリの遺産に永続的な tribute を創り、次世代の若い女性と少女たちにインスピレーションを与えることを楽しみにしています。Wangariの聖域へようこそ。


「自分たちケニア人もこのプロジェクトに貢献したい」とMOTTAINAIキャンペーン事務局に連絡をくださったギタヒ・クニュガさん・山上遊さん夫妻が、ケニアの募金サイトにページをアップしました。とてもありがたい取り組みです。プロジェクトの内容文を翻訳し、紹介します。ワンガリ・マータイ氏の名を知らない人はいないでしょう。彼女の勇気、先見の明、そして人々と地球への揺るぎない愛は、ケニアを変革し、世界に希望を与えました。イヒテ・ニエリから世界の舞台へと、彼女の遺志は、尊厳、民主主義、そして環境のために闘う世代の道しるべとなり続けています。そして、今、その驚くべき旅が始まりました、イヒテ(ニエリ県)にある質素な生家は、老朽化が進んだ状態にあります。日本では、「MOTTAINAIキャンペーン」がワンガリ・マータイ財団と提携し、その修復に向けた募金活動を開始しました。 「MOTTAINAI」は単なる「無駄」だけでなく、大切なものを失う悲しみを表す、深い意味を持つ日本語です。マータイ教授はこの哲学を受け入れ、従来の3R(リデュース、リユース、リサイクル)に「リスペクト(尊重)」を加え、地球の保全、感謝、そして思いやりに根ざした世界的な運動を牽引しました。毎日新聞が主導するこのキャンペーンは、この重要な場所の再生を支援するため、ワンガリ・マータイ財団を後押ししています。私たちもまた、ケニアの人々が力を合わせ、この生きた歴史の一片を守ることができると信じています。ワンガリ・マータイ財団は、この土地を「ワンガリ・マータイ・サンクチュアリ」へと変貌させることを目指しています。そこは平和、内省、学び、そして行動の場となるでしょう。未来の世代が、自然、コミュニティ、勇気、そして希望と再びつながることができる聖域です。人と自然の調和という彼女の理解を形作った風景の中に佇むこの小さな家は、いつの日か、生きた記念碑の中心となるでしょう。


「自分たちもこのプロジェクトに何らかの形で貢献したい」と、MOTTAINAIキャンペーン事務局にメールを送ってくださったギタヒ・クニュガさんと妻の山上遊さんとのインタビューを紹介します。オンラインミーティングの前のメールでクニュガさんは次のように記していました。「ケニアと日本の協力はまさにマータイさんの遺志を継ぐことになりますし、両国の絆をより深めることにつながると信じています。ケニア人コミュニティへの周知や広報のアドバイスなど、僕にできることがあればいつでも言ってください。素晴らしいプロジェクトのために動いてくださって、本当にありがとうございます」Q:このプロジェクトはどうやって知ったのですか?クニュガさん:奥さんの遊さんが日本大使館のFacebookで流れていたのに気づいて、教えてもらいました。Q:プロジェクトを知った時、どう思われましたか?クニュガさん:マータイさんの家がこんなにボロボロになっているということが大きな驚きでした。できるだけ早く修復しなくてはいけないと感じました。山上さん:ちょっと嫌な言い方になりますが、なんで日本人がサポートして、ケニア人がサポートしないんだろうっていうふうに思いました。「本来、このプロジェクトはケニア人がやるべきだよね」と、夫にちょっと愚痴ってしまいました。 Q:マータイさんの長女・ワンジラさんは、敷地全体を整備して、マータイさんのレガシーを引き継ぐサンクチュアリにしようという構想をお持ちです。ただ、その中心となる家が崩れる寸前に思えたので、修復を優先した方がいいのではないかと考えたのがプロジェクトのきっかけです。それで日本で呼びかけてみることにしました。クニュガさんから連絡をいただいた時は本当にありがたいと思いました。クニュガさん:ワンジラさんが考えているサンクチュアリも素晴らしい構想だと思います。でもその実現にはある程度の時間がかかると思いますので、私もまずはできるだけ早く家を修復できるよう協力したいと思いました。山上さん:ケニアでこのプロジェクトのことを多くの人に知ってもらい、支援の輪を広げたいと思います。  クニュガさんは1999年に留学生として来日し、北九州市の高専を出た後、東京工業大学から大学院に進み、修了後に就職した証券会社を退職するまで約10年間、日本で暮らしました。帰国後、大学の研究室で働いていた時に、住宅設備会社「LIXIL」の社員として、途上国向けトイレの研究開発のために赴任していた山上さんと知り合い、結婚しました。現在は、ケニア西部、ビクトリア湖近くのキスムという町でラム酒の製造にチャレンジしています。本題からは逸れますが、その話もお聞きしました。Q:ラム酒の製造をしようと思った背景は?クニュガさん:ケニアの田舎では若者が働ける場所があまりなくて、多くがナイロビに出て行ってしまったり、スラムに住んでいたりとかしているので、田舎で何か事業ができないかと考えた時にラム酒造りを思い立ちました。私がラム酒を好きだっていうのもあるんですが、原料となるサトウキビがケニアでは沢山採れますし、いろいろなことを考えたり、調べたり、奥さんと話し合ったりした結果、キスムでのラム酒造りにたどり着きました。法律上の問題とか、いろいろなバリアがありましたが、あともう少しで販売できそうです。Q:将来の夢を聞かせてもらってもいいですか。クニュガさん:・・・・・。山上さん:彼はシャイで、あまり夢を語るのが好きじゃないんですよね。私にボソボソよく言っているのは、埋もれてしまっているケニアの酒文化を守りたいという話です。「ケニアに昔からあった伝統的なお酒がなくなるのは、もったいない」とよく言っています。彼が大学で勉強したのは培養、生物化学なので、そこで培ったことも活かせるので、ラム酒造りが成功したら、そのお金で研究所を作りたいとか、いろんな話はしています。Q:マータイさんはケニアではどんな存在ですか。クニュガさん:一言で言うのは難しいですが、ナイロビにあるカルラフォレストやウフルパークを独裁政権による開発の手から守ったことも大きな功績だと思います。私たちもナイロビに住んでいる時は行きましたが、とてもいい憩いの場所です。Q:MOTTAINAIキャンペーンのことはご存じでしたか。クニュガさん:MOTTAINAIキャンペーンは私が日本にいる時に始まったので知っていました。今回のプロジェクトを知ったのをきっかけに改めて自分で調べて、具体的な活動内容も知りました。「MOTTAINAI」という言葉はケニアで今、必要なのかもしれません。経済的に成長し、人口も増えて、世界からいろんな物が入ってくるようになって、多くが中所得者層に移行する中で、使い捨てがどんどん増えてきています。昔は服や靴は直して使い続けるのが当たり前だったのが、最近は簡単に安いものが入ってくるようになったから、中古の服とか靴とかを直せる人がなかなか見つからなくなっています。「MOTTAINAIキャンペーン」をケニアでも広められたらと思っています。


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