【活動停止の危機】託された気球を次世代へ!福岡大学熱気球部ハイエース購入に挑戦

創立4年、メンバー20名の福岡大学熱気球サークル。気球界の皆さんから託していただいた機材を飛ばし続けるために活動してきましたが、移動車(ステップワゴン)の走行距離が18万kmを超え、廃車も時間の問題です。このままでは活動が止まります。ハイエース購入に向けて、目標60万円のご支援をお願いします。

現在の支援総額

682,944

113%

目標金額は600,000円

支援者数

71

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2026/04/17に募集を開始し、 71人の支援により 682,944円の資金を集め、 2026/05/31に募集を終了しました

【活動停止の危機】託された気球を次世代へ!福岡大学熱気球部ハイエース購入に挑戦

現在の支援総額

682,944

113%達成

終了

目標金額600,000

支援者数71

このプロジェクトは、2026/04/17に募集を開始し、 71人の支援により 682,944円の資金を集め、 2026/05/31に募集を終了しました

創立4年、メンバー20名の福岡大学熱気球サークル。気球界の皆さんから託していただいた機材を飛ばし続けるために活動してきましたが、移動車(ステップワゴン)の走行距離が18万kmを超え、廃車も時間の問題です。このままでは活動が止まります。ハイエース購入に向けて、目標60万円のご支援をお願いします。

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ハイエース組は大会の2週間北海道大会が無事に終了しました。ハイエース組は大会の1週間前から北海道入りしていました。8月1日・2日で新潟港まで走り、3日の朝4時に小樽へ上陸。そのまま4日には旭川へ移動するという、出発からドタバタのスタートでした。実は今回、自前の気球を準備することができず、旭川バルーンチームの皆さんに気球をお貸しいただきました。突然のお願いにも快く対応してくださり、本当に感謝しかありません。こんなに温かい気球界の繋がりに、改めて支えられているなと感じました。今回の大会は、福岡大学熱気球サークルとして初めて学生だけで参加した大会でした。これまではずっと社会人チームにお邪魔する形での参加でしたので、これは私たちにとってとても大きな一歩でした。結果は、採点エリアにマーカーを投げることができず、順位は圏外。悔しい気持ちもありますが、それよりも大会に出られたこと自体が、素直に嬉しかったです。慣れないエリアでのフライト、チェイスカー3台の連携、離陸地の選定、地主さんへの対応。すべてが初めての経験で、自分たちの未熟さを痛感しながらも、上級生クルーとパイロットの連携でなんとか3日間を事故なく終えることができました。嬉しかったのは、参加部員21人がほぼ全員搭乗できたことです。2日目は3回ほど中着を繰り返しながらも、なんとか乗せることができました。3日目のフライインでは、ターゲットの田んぼに寄ることができて、マーカーをぶんぶん回して投げることができました。採点エリアには届きませんでしたが、それでも確実に手応えを感じた瞬間でした。ただ、ですが、その後、買ったばかりの高度計をなくしてしまいました…熱気球は本当に多くの方に支えられて飛ぶことができます。気球を貸してくださった旭川バルーンチーム、クラウドファンディングで支援してくださった皆さん、いつも応援してくださっている気球界の皆さん。改めて、ありがとうございました。これからもトトロン号で、全国の気球の大会に参加していきたいと思います。引き続き応援よろしくお願いします!福岡大学熱気球サークル 中川 


皆さん、ご報告が遅くなりました。7月27日、ついにハイエースが納車されました!クラウドファンディングで皆さんにご支援いただいてから約2ヶ月、ようやく手元に届きました。部長の提案で、このハイエースの名前は「トトロン号」に決まりました!これからよろしくお願いします納車時に車検の修理箇所が見つかったり、駐車場のトラブルが重なったりと、当初の予算より約10万円ほど追加費用が発生してしまいました。皆さんにご支援いただいた資金とサークルの部費を合算して対応しております。ご報告が遅くなってしまい申し訳ございません。納車から北海道出発まで5日間しかなく、コンパネを敷いたり機材を積んだり、ドタバタの準備になってしまいました。まず新潟港へ向けて出発し、フェリーで北海道を目指します。本来は敦賀や舞鶴からのフェリーを予約する予定でしたが、納期の遅れで予約が間に合わず、フェリー会社に無理をお願いして、なんとか対応していただきました。本当に感謝しかありません。皆さんのご支援で生まれたトトロン号で、後輩たちと一緒に北海道の空を飛びます。必ず良い報告ができるよう、全力で臨んできます!【筆者の個人的なひとこと】実は新潟に行くにあたって、ひそかに楽しみにしていたことがありました。8月2日の夜に長岡花火大会があるんです。せっかく新潟に行くなら、不幸中の幸いで見られたらなと思っていたのですが…フェリーは無情にも8月2日の12時出発。花火は夜なので、当然見られません。納車遅れの希望の花火になってほしかったのに、、、、優勝して、追加費用稼いできます!福岡大学熱気球サークル 中川p.sキーグラブレースの賞金は50万円!絶対とる!


2026年6月6日と7日に佐賀市長杯・若葉杯に参戦してまいりました結果としては、若葉杯の順位は、4人中、3位と結果でした。市長杯全体の順位は、40人中、29位でした。応援してくださった方々、応援ありがとうございました!新入生の部員たちは、人数が多かったので、競技参加のメンバーと観戦に分かれて、市長杯を楽しみました!それぞれが、気球に対する楽しいって思えたら、ぼくはよかったなと思います!そして、初めての、本格的な競技は、考えることが色々ありました。一番の敗因は、離陸地の選定に時間がかかったことでした。もっと早く飛んだ離陸地に行けていれば、会場のターゲットのフライインももっと近づけたかも知れませんでした。あと5分早ければ、逆転層が変わる前に近づけてれたかも知れない。もっと逆転層のブレイクのタイミングをわかっていれば、早く動けたかも知れないと、反省点が残る結果でした。ですが、競技に必要な連絡や、事故なく、無事に終われたことが、よかったです!若葉杯は、例年以上に競技としての複雑性も高く、風の運だけでは、勝てないことを学べました。次の北海道大会では、学生だけでの競技参加となります。競技の反省点を次に活かしつつ、チームとしてもより安全な飛行ができるように努めてまいります!P.S 市長杯で、声をかけてくださった方、ありがとうございます!応援の声がとても嬉しいです!中川


活動報告|私が気球を始めた理由小学生のころ、僕は毎年秋になると佐賀へ向かっていた。家族に連れられて、佐賀バルーンフェスタの会場へ。早朝の冷たい空気の中、色とりどりの気球が地面に広げられ、バーナーの炎で膨らんでいく。そして80機が一斉に空へ上がる瞬間。自分の何倍もある巨大な物体が、なぜ浮くのか。なぜあんなにゆっくり動くのか。言葉では説明できなかったが、目が離せなかった。僕はカメラを持って、その一瞬一瞬を撮り続けた。放送塔の下に陣取って、アナウンサーの実況を聞きながら空を見上げた。気球は遠くから眺めるだけのものではなかった。パイロットが操作すれば、観客席スレスレを飛んでくる。頭の上を巨大な気球がゆっくりと通り過ぎる。それでも決してぶつかることはない。子どもながらに、あの操縦技術の凄さが伝わってきた。気づいたら「将来の夢は熱気球のパイロット」と書くような子どもになっていた。---------------------------------------------------高校生になり、大学受験の志望校を考えるとき、僕の基準はひとつだった。「気球部があるか」。バルーンフェスタに出場している大学は、当時、佐賀大学と宮崎大学の2校だった。文系志望だった僕は、希望の学部もあった佐賀大学を第一志望にした。気球部に入るために、佐賀大学を受けた。それだけのことだった。結果は、不合格だった。福岡大学に入学したのは2021年、コロナ禍の真っ只中だった。リモート授業が続き、人と会えない日々が続いた。キャンパスに行けない。サークルにも入れない。フラストレーションだけが溜まっていった。ただ、気球への気持ちは消えていなかった。社会人チームで活動することも考えた。でも、やっぱり年の近い人たちと切磋琢磨したかった。また、気球を知らない人に気球の魅力を知ってほしかった。さらにサークルというものに憧れがあった。学生でしかできないことをしたいと思っていた。そんな野望を実現するには、ゼロから、福岡大学で気球サークルを作るしかなかった。そんな気持ちを抱えたまま、2022年1月、とりあえずTwitterのアカウントを作り、4人の友人と一緒にサークルを立ち上げた。ただ、正直なところ、その時点では気持ちが中途半端だった。「サークル」という形は作ったが、本気でやれるかどうか、自分でも確信が持てなかった。それが変わったのは、2022年11月のバルーンフェスタだった。---------------------------------------------------今度は観客としてではなく、ボランティアスタッフとして参加した。気球の設営を手伝い、バーナーの熱を肌で感じ、パイロットや運営のスタッフと同じ場所に立った。大会がどう動いているか、競技がどう成立するか、バルーンフェスタを内側から見た。そしてそのとき気づいたのが、各大学の気球部がチームとして競技に出場しているということだった。仲間と一緒に、楽しそうに気球で競い合っている。そういう世界が、大学生にも開かれていた。ボランティアでお世話になった方に、思い切って相談した。「パイロットになるには、どうしたらいいですか」。その方は丁寧に答えてくれた。話の最後に、僕は言った。「いつかパイロットになって、この大会に戻ってきます」。大会が終わって帰宅したあの夜、僕の中で何かが固まっていた。この景色をいつまでも近くで見たい。パイロットとして、気球サークルとして、またここに来る。中途半端な気持ちは消えていた。サークルを本気でやると決めた瞬間だった。アカウントを作ってすぐ、予想外のことが起きた。佐賀で気球をやっている方がリツイートしてくれた。それが広がって、気球界隈でかなり話題になった。複数のチームから「フライトにクルーとして来ませんか」と声をかけてもらった。気球人たちが、見ず知らずの福岡の大学生のアカウントを、温かく迎えてくれた。あの優しさは今でも忘れない。それが、僕の気球人としての活動の本当のスタートだった。---------------------------------------------------2022年だけでも、佐賀バルーンフェスタのボランティア、福岡県の小学校での係留体験、広島大学熱気球部との合同活動、栃木県渡良瀬遊水地での「渡良瀬バルーンレース2022」への遠征、吉野ヶ里ウィンターバルーンフェスタへの参加。人数は少なかったが、行けるところには全部行った。2023年に入ると、活動はさらに広がった。北海道バルーンフェスティバルへの遠征、宮崎での全日本学生選手権への参加、長野・佐久のバルーンフェスティバル、九州各地でのクルー活動。ただ、部員はなかなか増えなかった。2023年の新勧で6人が入り合計10人になったが、普段の活動に参加するのは僕含め三人。自分が思い描いていた福岡大学熱気球サークルの完成形ではなかった。そんな2023年に、大きな出来事が二つあった。ひとつは、気球「赤丸」との出会いだ。クルー活動を通じてBC防人の方々と繋がり、同じ福岡在住ということもあり、自然と距離が縮まった。ある日、機体を探していると相談したところ、ベテランの倉重さんの倉庫に眠っていた一つ前の機体を譲ってくれることになった。「使っていないから」という言葉だったが、それだけじゃないと思う。僕たちに期待を込めて、渡してくれたのだと思っている。部員たちと一緒に修理した。自分たちの機体が生まれた瞬間だった。もうひとつは、パイロット訓練の開始だ。チームブラックモンブランとのご縁から、2023年6月、Pu/t(パイロット訓練生)としてトレーニングを始めることになった。お願いしたところ、意外にもあっさり承諾してもらえた。たまたまチームにPu/tがいなかったタイミングだったこともあり、次の週からトレーニングが始まった。基本的に佐賀での訓練だった。---------------------------------------------------2024年3月、阿蘇バルーンミーティングにクルーとして参加した。宿泊先のバンガローで、隣が宮崎大学の気球部だった。夜、様子を見に行くと、宮大気球部たちがBBQをしていた。みんな楽しそうだった。気球の話をしながら、笑いながら、仲間と過ごしていた。その光景が、僕が目指していたものそのものだった。素直に羨ましかった。嫉妬に似た感情もあった。宮崎大学の同期とも話した。その会話の中で、背中を押された。まだ、気球サークルを完成させられていない。諦めきれなかった。帰り道、休学を決意した。もう一年、気球サークルをにぎやかにする。それだけのために、もう一年使うと決めた。2024年4月、その覚悟で新勧に臨んだ。4月27日、新入生が20人入部した。嬉しかった。本当に、心から嬉しかった。首に皮一枚繋がった気持ちだった。これでまだ続けられる。廃部しなくていい。休学してまで賭けた一年が、報われた。僕は新入生を、毎日のように遊びに連れて行った。新入生同士が仲良くなれば、辞めないだろうと思ったからだ。気球の活動以外でも、とにかく一緒にいる時間を作った。その年の新勧フライトは天候に恵まれず飛べなかったが、展開と回収は全員でやり遂げた。2023年に入ってくれた福大生1人も含め、今のサークルの活動基盤は、このメンバーで成り立っている。2024年秋、佐賀バルーンフェスタに参加した。チームブラックモンブランと世界日通のチームで参加し、台風の影響で大会の大半が中止になるという異例の状況の中、最終日の無観客での競技でも上位の成績を収めた。新入生には、無観客でも素晴らしいバルーンフェスタの景色を見せることができた。2025年2月、メンバー12人で北海道の上士幌へ合宿に行った。北海道ウィンターバルーンミーティングに参加し、5チームに分かれてそれぞれが競技を経験した。雪の中でバスケットを押さえ、吐く息が白い早朝に気球を膨らませた。気球サークルの中で一番の思い出だ。みんなからとても北海道は評判が良かった。2025年12月、パイロットライセンスを取得した。そして2026年3月、阿蘇バルーンミーティングで優勝した。取得からわずか3ヶ月だった。運よく読みが当たった、それだけのことだ。でも、あの小学生が夢に描いていたパイロットに、確かになれた。佐賀バルーンフェスタにパイロットとして立つ約束は、まだ果たせていない。今年も僕の役割は地上クルーだ。でも、着実に近づいている。---------------------------------------------------そして2026年、40人の新入部員が入ってくれた。サークルを立ち上げてから4年。最初は4人だった。廃部を考えた年もあった。休学してまで賭けた年もあった。それが今年、一度に40人が仲間になった。これは数字以上の意味がある。このサークルが、継続的に続いていける本当の基盤ができたということだ。今回のクラウドファンディングは、そんな福岡大学熱気球サークルの大事な一歩だ。40人の仲間を連れて動くには、機材を運ぶ手段が必要だ。気球を積んで、どこへでも行ける。そのためのハイエースを、みなさんの力を借りて手に入れたい。今年の夏、僕たちは再び北海道へ向かいます。今回のクラウドファンディングで購入したハイエースで、メンバー全員で乗り込んで行く。大会にも出場する。あの景色をもう一度、今度はもっと大きな仲間と、もっと本気で。僕たちにとって大事な大会にしたいと思っています。これからもご支援よろしくお願いします。


たくさんのご支援ありがとうございます。支援終了まで残り15日となりました。目標達成できるか正直不安ですが、支援してくださった皆さんに「支援してよかった」と思っていただけるよう、これからも活動を続けてまいります。温かく見守っていただけると幸いです。5月16日、熊本県山鹿市周辺でPu/tトレーニングを行いましたPu/tトレーニングとは、気球のパイロットになるうえで極めて重要な訓練期間です。基本的な操作や気球の知識をこの時期に集中して学びます。学生気球においてパイロットの存在は特別な意味を持ちます。パイロットがいなければ、大学の気球で大会や遠征に出ることができません。学生選手権への出場も、学生パイロットがいなければ叶いません。一般の気球クラブであれば、パイロットはそのクラブに在籍し続けます。しかし学生気球はそうはいきません。学生はいつか卒業します。だからこそ、毎年パイロットを輩出し続ける必要があります。しかしそれは簡単なことではありません。パイロットを目指すには時間もお金もかかります。その厳しいハードルを越えた先にも、大きな壁がいくつも立ちふさがります。学年によってパイロットが2人いたり、1学年飛んでいたり、各大学ごとに事情は様々です。私たちもまだ、明確なパイロット育成マニュアルは完成できていません。それも少しずつ整えていきたいと思っています。サークルを立ち上げるときに考えたこと気球サークルを立ち上げる際、ある大先輩にこんな言葉をいただきました。「気球という神輿を先に揃えるか、神輿を担ぐ人を先に揃えるか」どちらも正解だと思います。ただ私は、人が揃えばそこに組織が生まれ、知恵や仲間が集まってくると考えました。その原点の考えが、今回のクラウドファンディングにも生きています。私たちの活動は、人が集まることで続いています。アドバイスをくださる方、時には厳しい意見をくださる方、そして支援してくださる皆さんのお力添えがあって、今の活動があります。気球は決して一人ではできません。これからも、皆さんと一緒に気球を続けていきたいと思っています。▼ プロジェクトページhttps://camp-fire.jp/projects/931656/view福岡大学熱気球サークル 中川


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