
料理評論家の山本益博さんに『ラーメン全史』をご紹介いただきました。
YouTube「MASUHIROのうまいのなんの!」
実は、益博さんとは22年前にご一緒していました。
↑クラファンの始まる前に推薦分の依頼をさせていただくと、直ぐに益博さんのサイトでも紹介してくださいました。Web版LEONでの紹介、本当にありがとうございます!
↓そして、そこにはなんと!過去の私も掲載されていました。
益博さんのサイトに掲載してくださった記事の中に、なんと当時の私の写真が。2004年の新潟中越地震の震災支援で、山本さんが指揮する料理人部隊の一員に。当時は「麺屋武蔵」に在籍していた頃のことです。当時前職の「麺屋武蔵」時代の2004年新潟中越地震の震災支援を指揮していた山本さんのラーメン部隊の一員に選ばれていたのでした(写真の一番右が私。右から3番目が山本さん)。既に22年前の出来事とはいえ、勿論覚えておりました。バスの中で職人論、料理論を沢山伺ったことまで鮮明に覚えています。当時は野球選手のイチローさんの動きに、職人を見出しておられました。そしてその時の出来事から、何かできないか!?ということで、「ラーメン缶」が生まれました。そして「ラーメン凪」創業後は、2007年新潟中越地震、2011年東北大震災時は半年以上に及ぶ支援を続けるに至った。行動すれば何かできる。生きるために必要な食の尊さ。そしてラーメンでいえば、風呂はおろかシャワーすらなかなか入れないという、お湯がとても貴重なときに、麺を茹でる為だけにお湯が必要だという贅沢さに愕然としました。しかし、熱い食べ物の有難さも同時に感じました。食べるという行為は、やっぱりおいしいものがいいのですが、それを一部の人が享受するだけではなくて、みんなに美味しいを届けたい、改めてそんな風に思ったことも今のラーメンにつながっています。あの経験が今の自分のラーメンの根っこにあります。
そもそも、なぜ私は食の道に進んだのか。
単にスポーツしかしない若造で、いつもお腹を減らしていたからという、大した理由ではありません(笑)。ただ、20歳のとき叔父に連れて行ってもらった中国旅行が、大きな転機になりました。
中国は北京を起点に重慶、西安まで旅行し、あらゆる食体験をさせてもらいました。例えば、蛇料理の店では、生きている蛇を締めて、そこから唐揚げ、炒め物、蒸し物、汁物と1つの食材からあらゆる料理を作り上げる。八宝茶のように漢方の奥深さと、何度も楽しめること、季節の違い。世界一の北京ダック。数1000年継ぎ足しているというスープ(どろどろしていて気持ち悪かった!)など。運動ばかりしていて、食と言えば質より量だった私にとって、まさに衝撃の体験でした。そこから中国料理を食べ歩くようになり、やがて「作る側」に回りたいと、当時から好きだったラーメン屋の道へ進みました。
22歳の頃、古本屋で見つけた辻静雄さんの『フランス料理の手帖』を読んで、さらに料理への傾倒が深まりました。益博さんも同じく辻さんの本で食への道が始まったといいます。そんな共通点も、今回ご縁をいただけた理由の一つかもしれません。
益博さんといえば、おそらく日本で初めてのレストラン格付けをした方です。今日食べるものを3年で2000軒決めて、この週はラーメン、この週は天ぷら、この週はフランス料理、、、などとストイックなまでに食と、その職人仕事を表現してこられました。フランスからはフランス農事功労勲章シュヴァリエやオフィシエを叙勲。そんな益博さんは50年前のラーメンも知りながら、そして今のラーメンも注目してくださっている。辻さんも好きだったという当時の荻窪「丸福」のラーメン、食べてみたかったです。そして益博さんに応援していただけることに、とても嬉しく思っています。
クラファン、残り10日。現在92%まで来ています。
あと一息です。引き続き応援よろしくお願いいたします。
益博さんはとんかつもお好きとのこと。「とん勝つ」にあやかって、私も蒲田の『丸一』さんでとんかつを食べながら、最後まで走り抜きます。



