
唐津の風には、どこか遠い日の記憶を呼び覚ますような、特有の匂いが混じっている。
なぎという少女に明確なモデルが存在するように、
栞という女性にもまた、確かなモデルがいる。
実際にはいくつかのかけがえのない記憶を重ね合わせた、精緻なシルエットのようなものだけれど、彼女たちが僕の中に確かに息づいているからこそ、その輪郭を言葉にしていく作業には、薄いガラスを扱うような神経のすり減りを伴う。
とりわけ、なぎの姿を文章として定着させようとするとき、僕はいつも、ひどく息苦しい思いをしている。それはまるで、新しく失恋をやり直しているかのような、鮮烈でどうしようもない痛みだ。僕はそれほどまでに、彼女の存在の深みへと身を投じてしまっている。
もしも、現実のこの世界で『なぎのえき』に描いたような再会が許されるとしたら。
僕は靴を履き、迷うことなくその場所へ向かうだろう。
もう一度だけ、彼女の目を見て、きちんと向き合いたい。
その静かで、けれど決して消えることのない切実な願いこそが、僕をこの物語へと向かわせるたったひとつのエンジンなのだと思う。
一つのエピソードを書き終えるたび、身体の芯から深い虚脱感が広がり、時には悲鳴をあげるような痛みを覚える。自分の魂を削り、削り出したものを言葉に乗せる。
もし、この途方もない行為を「創作」と呼ぶことが許されるのなら、僕はこの作品を通して、初めて本当の意味でのクリエイターになれたのかもしれない。
この小説の言葉たちは、閉ざされた机の上だけで生まれたものではない。何度も、何度もこの唐津の地を訪れた。山本駅のホームに立ち、この町を吹き抜ける風の温度や、光の角度、そして静寂の質を皮膚で感じながら、僕は物語を紡いでいる。
なぎという存在に息を吹き込んでくれる桜乃遥香さんもまた、目まぐるしい日々の中で、この作品のために丁寧に時間を割き、向き合ってくれている。
初めて彼女と共に、ロケハンで山本駅のホームに降り立った日のことは、きっと生涯忘れない。色褪せない駅舎のたたずまいと、彼女がそこに立つだけで生まれる空気感。そのふたつがあまりにも僕のイメージと完璧なピントで重なり合い、
僕は一瞬、声を失ってしまった。
これは、奇跡としか言いようのないめぐり合わせだ。
唐津・山本駅という特別な「場所」、僕の中に眠る捨てきれない「記憶」、そして素晴らしい「表現者」。そのすべてが、これ以上ないほど美しい形で結像した。
二度とは訪れない、奇跡のような作品が、いま、この静かな駅から始まろうとしている。



