【災害緊急支援】ベネズエラ地震|ピースウィンズ・ジャパン

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日本時間の6月25日午前7時ごろ、南米ベネズエラ北西部を震源とする地震が発生しました。現地の甚大な被害の発生を受けて、ピースウィンズおよび空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”は、日本からの出動を決定、緊急支援を開始します。

現在の支援総額

604,104

20%

目標金額は3,000,000円

支援者数

107

募集終了まで残り

37

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支援者数107

日本時間の6月25日午前7時ごろ、南米ベネズエラ北西部を震源とする地震が発生しました。現地の甚大な被害の発生を受けて、ピースウィンズおよび空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”は、日本からの出動を決定、緊急支援を開始します。

2026年6月24日、ベネズエラで連続で発生した大規模地震は、多くの人の命、そして平穏な暮らしを奪いました。ピースウィンズおよび空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”では、発災直後から支援チームを派遣。臨時の診療所における医療支援、そして避難者への物資や炊き出しなどの支援を届けてきました。地震から1ヵ月以上が経った今も、被災地では今も厳しい生活が続いています。ピースウィンズは、発災直後の緊急支援対応については規模を縮小しながら、活動の方向性を中長期的な被災地支援にシフトしています。今回のレポートでは、ベネズエラでの活動を終えて日本に帰国した海外事業部の小林が、現地での活動を振り返ります。心に突き刺さった現地の悲惨な状況、ベネズエラの人びととの印象的なやり取り、そしてこれからの支援について語りました。被害も、支援も「圧倒的」 現場でこみ上げた想い私は先遣隊に続く第1陣として、7月1日に被災地入りし、避難所支援や物資支援を主導してきました。緊急災害支援への派遣要員として、これまで数々の被災地を経験してきましたが、被害の大きさも、支援規模も、今までにない規模で圧倒された現場でした。最大被災地のラグアイラ州では、通りの建物がすべて崩壊しているようなひどい状況があちこちで見られました。建物がどれもぺしゃんこで、ありとあらゆる壊れ方をしていて、まるでおもちゃの町が踏みつぶされたかのような、あまりに悲惨な光景。そのなかには、たくさんのご遺体が眠っています。現地の方とお話すると、家族や友人など身近な人を亡くしている人ばかりという状況です。疲弊しきった様子の警察官の男性が「あそこに妻と娘がいるんだ」と近くの潰れた建物を指さしたり、そういった場面に立ち会うたびに、胸を痛めはしても顔の見えない存在だった犠牲者の方々が、どんどん身近な存在になっていきました。ピースウィンズは地元の商工会の協力を得て支援を実施していたこともあり、私は特にベネズエラの方々とお話する機会が多くありました。これまでは、つらい現場でも支援に感情を持ち込まない、気持ちの切り替えに自信があった私ですが、今回は時にそれが難しく感じられるほど、大変な被害でした。「ありがとう」の裏に浮かんだ、あの日の情景そんななかで印象的だったのは、ベネズエラの人びとの前向きさです。もともと経済が破綻同然の状況となった国で、水が出ないなどの不便にも慣れ、苦しい生活を送っていたことと無関係ではないのでしょう。あるいは、まだこれからの困難を想像できる余裕がなかった面もあるかもしれません。それでも、苦境を苦境と思わないような前向きさで、瓦礫の山を前に「自分たちが何とかしないと」と未来を見る彼らの姿は、強烈に印象に残りました。たくさんの出会いにも恵まれました。商工会と、地元で日本食レストランを経営する皆さんとの出会いから実現したカレーライスの炊き出し支援は、その最たるものです。ベネズエラには各国からたくさんの支援チームが送られ、大国の軍用機による圧倒的な物量の支援も目にしました。そのような状況で、私たちのようなキャパシティの小さい民間のNPOが、彼らと同じことをやっても意味がありません。大規模な支援の文脈に含まれない分野、見過ごされている被災者に向けてできることをやっていこうとするなかで、同じ志を持つ仲間たちと多く出会うことができました。並行して活動していた医療支援チームも、信頼できるパートナーと出会い、協定を締結して診療を一緒に行う体制を整えることができました。空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”のプロジェクトリーダーである稲葉医師が「ことがうまく進みすぎて怖いくらいだ」と言ったとき、商工会の方が「みんなが同じ方向を向いていれば、物事が進んでいくのは当然のことだ」と口にしていたのが心に残っています。そんな風に、同じ方向を向く仲間たちと一緒だからやれたというシーンが、振り返るとたくさんありました。ベネズエラには親日の方が多く、滞在中たくさん「日本から来てくれてありがとう」と声をかけられました。お礼を言われ慣れてしまうほどでしたが、この言葉の重みをとらえ直すきっかけになった出来事があります。一緒に炊き出し支援をやっている方の一人が、被災直後のことを話してくれたとき、「最初の2日間は、本当に誰もいなかった」とおっしゃったんです。あれだけの大変な被害が出ているのに、助けに駆けつける人は誰もおらず、自分たちでやるしかないと素手で瓦礫を片付けていたと話してくれました。それまで彼も、私たちをベネズエラの他の方に紹介する際に「(発災から)72時間以内に到着した団体だ」と話してくれていましたが、その前にはそんな空白の時間があったということ。数えきれないほどの国際支援チームが現地入りしている現状とのコントラストもあいまって、とても衝撃を受けました。同時に、何度も聞いた「来てくれてありがとう」の裏には、被災直後の「誰もいない」絶望感を味わった経験があったのではと考えさせられました。「今だけの支援」で終わらせない日本に戻って3日間を過ごし、改めて認識したのは、物理的にも、精神的にも、ベネズエラはあまりにも遠いということ。日本にとってなじみ深いかと言われるとそこまでではないのが現実です。そんな中で強く思い起こされるのは、「一時は支援は盛り上がるけれど、みんなそのうち帰っていくから」ということを、最初のころからすでに理解できているベネズエラの皆さんの、少し寂しいような言葉です。外部の支援が無くなってからのこと、自分たちだけで何ができるかを、早い段階で見据えている現地の人々の姿がそこにはありました。確かに、外部からやってくる支援者にはそれぞれの持ち場があるし、他の仕事もあります。でもNGOだからできる中長期的な寄り添い方もきっとある。ピースウィンズだからできる支援がきっとある。既に十分、その可能性を現地で実感しています。私たちは、炊き出し支援の継続に加え、必ず必要となる心理社会的支援(MHPSS)を筆頭に、さまざまな支援ニーズに幅広く対応できるよう体制を整えています。引き続き、最新の状況を見極めて「やれることはなんでもやる」柔軟な支援を現地に届けていきます。細くても長く寄り添い続けたい。どうか、そんな私たちを引き続き応援していただけたら嬉しいです。


6月24日に発生した大規模地震がもたらした甚大な被害で、ベネズエラでは7月14日までに4,700人以上が亡くなり、1万6,000人以上が負傷。1万8,000人近くが自宅を失い、避難しているとされています。中長期的な復興への道筋がなかなか見えて来ないなか、日々の生活を支援に頼らざるをえない被災者たちの生活は、依然厳しい状況が続いています。ピースウィンズおよび空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”は、発災数日後に先遣隊が現地入りして以降、現在も緊急支援活動を続けています。医療支援チーム、物資支援チームがそれぞれ、現地のニーズを見極めながら支援を届けてきました。支援が届かない……内陸の集落でみた光景家を失った人びとの多くは、避難キャンプなどに身を寄せて屋外のテントで暮らしています。首都カラカス市内でも50カ所近くのキャンプが登録されていますが、最大被災地であるラグアイラで地元住民が自主運営するキャンプなどには登録されていないものも多く、その全貌は不透明なままだといいます。被災地で埋もれている支援ニーズはまだたくさんあると考えられます。ピースウィンズの物資支援チームが被災地域を巡るなか、たどり着いたある集落もそんな場所の一つでした。その日、私たちはある集落で被災世帯数に対してテントが不足しているという情報を得て、調達したテントを届けに向かっていました。しかし、現地にたどり着いたところ、すでにその集落には政府や海外からの支援を受けて立派なテントが立ち並んでいました。現地からは「まだテントが必要だ」という声もあったものの、調整員の小林の「本当にここが最も支援を必要としている場所なのかを考えるべき」という判断でいったんテントの支援は保留に。そこにちょうど入ってきたのが、近隣の集落の方からの情報でした。「私たちの避難所も見に来てほしい」——そう訴える住民の案内で訪れた集落は、海岸から少し離れた内陸部で、物資支援がまだほとんど届いていない状況でした。大規模な支援はどうしても幹線道路沿いの地域に集中しやすく、立地に恵まれないこの場所には、支援が行き届いていなかったのです。この様子を見た私たちは、このコミュニティに対して急きょ聞き取り調査を実施したうえで、持ってきたテント40張を支援することを決めました。これまでにいくつもの被災地で支援活動を行ってきた小林は、こう話します。「支援の現場では、どこでも物資の不足が叫ばれますが、情報が十分に整理されていないと同じ世帯に何度も支援が届いたり、逆にまったく届かない人が出たりと偏りが生まれてしまいます。だからこそ重複を避けて、本当に必要な人へ届けることがとても大切なんです」この偏りを避けるため、支援にあたってはきめ細やかなニーズ調査を実施し、集落の規模や何がどれだけ不足しているのかなどを一つひとつ丁寧に確認しています。物資を受け渡す際に、受領者の名前や連絡先、受領サインを記録するのも、同じ方に重複して支援を渡すことを避けるためです。「被災地の状況は日々変わります。その変化を把握しながら支援の内容を見直していくことも、支援のプロとして現地に入る私たちの大切な役割だと思っています」民間のNGOだからできる寄り添い方今回のテント支援でもう一つ気づいたことが、住民の年齢層の違いです。これまで、私たちが主に活動してきた診療所や避難所では子どもを含む若い人たちが多く、お年寄りを見かけることは多くありませんでした。しかし、この地域ではお年寄りの姿が目立ち、1人で暮らしている方も多数います。ベネズエラは国民の年齢中央値が29歳程度と日本より20歳ほど若く(2024年時点予測)、高齢者の割合が低いため、避難所などに若者が多いのは当然のことかもしれません。それ以上に、物資が集積する避難所などにアクセスすること自体が難しいという事実が、支援に取り残された高齢の被災者たちの姿を覆い隠しています。健康な若い人を前提とした支援の設計が進めば、この問題は一層悪化することも懸念されます。後日、私たちは同じ集落に、追加のテント支援に再訪しました。住民のなかには、支援に少しでもアクセスしやすくなるよう、街道沿いに移ってテントを張っている人もみられました。「物資を受け取りに来られた方の中には、移動の難しい高齢の方や妊婦さんの姿も見られました。さらに山間部には、ここまで来ることもできない高齢者の方がいるとの情報もあります。彼らが忘れられることのないよう、必要とされる地域にこそ支援を届けることが、臨機応変に活動できる民間NGOならではの強みなんだと思います」(小林)私たちピースウィンズは支援の届きにくい地域、届きにくい人びとの声にも耳を傾け、適切な支援を届けられるようこれからも力を尽くしてまいります。皆さまの温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。


以前の活動報告でご紹介したカレーの炊き出し支援について、YouTubeで動画公開中です!ベネズエラの首都カラカスでラーメン屋「NORANEKO」(野良猫)を営むホセ・モンサルべさん。今回の地震が発生してすぐ、自分にも何かができないかと、何度も大きな災害を経験してきた日本から学ぶことを考えました。もともと日本文化への造詣が深いホセさんが、災害時の日本の対応について自ら調べ、たどり着いたのが“炊き出し”の活動でした。ホセさんが発起人となった「タキダシ」プロジェクトは、現地の他の日本食レストランや商工会、そしてピースウィンズを巻き込み、早々に実現の運びとなりました。▶記事はこちらから「日本の「タキダシ」が被災者の心の拠り所に」ピースウィンズは引き続き、厳しい状況が続く被災地で必要とされる支援を見極めながら、1人でも多くの被災者を支えられるよう全力を尽くします。皆さまの温かいご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。


7日に訪れたのは、さまざまな団体が集まる避難者の支援拠点の一角です。診療所といっても屋外にテントを立てただけの場所。エアコンがないどころか、テント越しの直射日光にさらされながらの活動となりました。診療にあたっているうちに、医療チームのメンバーもすっかり汗だくに。薬剤を保管している箱の温度計は、45度を超える数値を指していました。 ▼動画はこちらから引き続き医療支援をはじめ、今必要とされる支援活動に取り組んでいきます。皆さまの応援は、私たちの活動の何よりの支えです。これからも、温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。


6月24日にベネズエラで発生した大規模地震によって、被災地のラグアイラ州などでは、大勢の住民が家屋の倒壊などで住む場所を失いました。政府は856の建物が被害を受けたと発表。しかし、衛生画像等の分析によると58,000棟が破損しているとの報道もあり、被害の全容はいまだ不透明です。そうした中、発災から半月ほどが経った今でも、避難者の数は1万8,000人に迫ります。避難生活の長期化が予想されるなか、先行きが見えない不安定な状態に置かれた人びとをどう支えていくかが喫緊の課題です。ピースウィンズおよび空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”は今、こうした人びとを医療支援、物資支援の両輪で支えています。さらに、厳しい状況下で1人でも多くの人に支援を届けるために、現地で活動する他の支援者の方とも連携して最善の支援の形を模索しています。今回のレポートでは、そんな協働から生まれた日本式「カレー」の絆をご紹介します。日本のカレーで「タキダシ」の温かさを届けたい「日本なら、こういう時にどうするだろう」。ベネズエラの首都カラカスでラーメン屋「NORANEKO」(野良猫)を営むホセ・モンサルべさん。今回の地震が発生してすぐ、自分にも何かができないかと、何度も大きな災害を経験してきた日本から学ぶことを考えました。もともと日本文化への造詣が深いホセさんが、災害時の日本の対応について自ら調べ、たどり着いたのが“炊き出し”の活動でした。「『タキダシ』の考え方にすぐ惹かれました。被災した人たちに必要なのは、カロリーや栄養だけではありません。”温かさ” が必要です。愛情を込めて作られた、きちんとした食事が必要だと思ったんです」ホセさんが発起人となった「タキダシ」プロジェクトは、現地の他の日本食レストランや商工会、そしてピースウィンズを巻き込み、早々に実現の運びとなりました。炊き出しのメニューは日本風の「カレー」。食料の支援に頼って暮らしている被災者が、温かい食事を食べられる機会は今ほとんどありません。とにかく温かい料理を提供したい、そして日本らしいおいしい料理の炊き出しで思いやりを届けたい、というホセさんたちの熱い思いを実現するためのメニューとして、カレーが選ばれました。ベネズエラではカレーは一般的ではなく、決して馴染みのある食べ物ではありません。しかし炊き出しが始まると、これが大ヒット。「地震後に食べたものの中で一番おいしい」と大好評で、「このおいしい料理は何?」「レシピを教えて」と声をかけてくれる人も続出しました。このカレーの炊き出しは9日までに2回実施し、それぞれで約200食を提供しました。被災者に日常が戻る、その日まで続けるために発起人のホセさんは、炊き出しの成功について「もちろん、とても嬉しく思っています」と話しながらも、その目はずっと先を見据えていました。「でも、一番大切なのは、この活動を続けていくことです。数日だけ来て帰るような、そういう炊き出しにはしたくないんです。本当に支援が必要な最後の一人が食事を受け取れるまで、そして皆さんが再び自分の家で暮らせるようになるまで続けたいと思っています」だからこそ、一番の課題は、この活動を長く続けられる体制をつくることだと言います。今の被災者支援の現場は、現地の一般の人たちによる寄付やボランティア活動が支えている面があります。助け合って難局を乗り切ろうとする姿に心を打たれる一方で、支援の継続性の担保や、被災地全体の状況を踏まえた効率的な支援の難しさなど、課題もあります。ピースウィンズの調整員としてこの活動を支援している小林は、被災地の現状について「被害の規模が広いので、情報がもう少し整理されれば、みんなもっと動きやすくなると思います」と話したうえで、この炊き出しの目指すものをこう説明します。「今は報道も加熱していて、いろんなところからフードパッケージ(食料支援)も入ってきています。でも、1ヵ月後、1ヵ月半後にも、完全に家を失った皆さんにそれだけの食料がちゃんとあるのかを心配しています。その先を見据えて始まったのが、この炊き出しのプロジェクトです。少なくとも半年くらいは続けられる目処を立ててスタートしていて、一回一回改善しながら、この先のビジョンも大きく描きつつ活動しています」実は当初は、日本のカレーライスを完璧に再現するために妥協を許さないホセさんたちのこだわりで、準備などがスムーズに進まない場面も。しかし、回を重ねるごとにみるみる改善しています。数々の緊急支援現場を経験してきた小林も、今回、現地主導で始まった日本食の炊き出し支援には、大きく心が動かされたと言います。「これだけ日本のことを思っている、こんなにかっこいい人たちが、『日本から来てくれてありがとう』と言って、一緒にやろうと声をかけてくれる。とても感動していますし、すごくいい活動になっていくんじゃないかなと感じています」ピースウィンズは引き続き、厳しい状況が続く被災地で必要とされる支援を見極めながら、1人でも多くの被災者を支えられるよう全力を尽くします。皆さまの温かいご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。


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