2026年6月24日、ベネズエラで連続で発生した大規模地震は、多くの人の命、そして平穏な暮らしを奪いました。ピースウィンズおよび空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”では、発災直後から支援チームを派遣。臨時の診療所における医療支援、そして避難者への物資や炊き出しなどの支援を届けてきました。地震から1ヵ月以上が経った今も、被災地では今も厳しい生活が続いています。ピースウィンズは、発災直後の緊急支援対応については規模を縮小しながら、活動の方向性を中長期的な被災地支援にシフトしています。今回のレポートでは、ベネズエラでの活動を終えて日本に帰国した海外事業部の小林が、現地での活動を振り返ります。心に突き刺さった現地の悲惨な状況、ベネズエラの人びととの印象的なやり取り、そしてこれからの支援について語りました。被害も、支援も「圧倒的」 現場でこみ上げた想い私は先遣隊に続く第1陣として、7月1日に被災地入りし、避難所支援や物資支援を主導してきました。緊急災害支援への派遣要員として、これまで数々の被災地を経験してきましたが、被害の大きさも、支援規模も、今までにない規模で圧倒された現場でした。最大被災地のラグアイラ州では、通りの建物がすべて崩壊しているようなひどい状況があちこちで見られました。建物がどれもぺしゃんこで、ありとあらゆる壊れ方をしていて、まるでおもちゃの町が踏みつぶされたかのような、あまりに悲惨な光景。そのなかには、たくさんのご遺体が眠っています。現地の方とお話すると、家族や友人など身近な人を亡くしている人ばかりという状況です。疲弊しきった様子の警察官の男性が「あそこに妻と娘がいるんだ」と近くの潰れた建物を指さしたり、そういった場面に立ち会うたびに、胸を痛めはしても顔の見えない存在だった犠牲者の方々が、どんどん身近な存在になっていきました。ピースウィンズは地元の商工会の協力を得て支援を実施していたこともあり、私は特にベネズエラの方々とお話する機会が多くありました。これまでは、つらい現場でも支援に感情を持ち込まない、気持ちの切り替えに自信があった私ですが、今回は時にそれが難しく感じられるほど、大変な被害でした。「ありがとう」の裏に浮かんだ、あの日の情景そんななかで印象的だったのは、ベネズエラの人びとの前向きさです。もともと経済が破綻同然の状況となった国で、水が出ないなどの不便にも慣れ、苦しい生活を送っていたことと無関係ではないのでしょう。あるいは、まだこれからの困難を想像できる余裕がなかった面もあるかもしれません。それでも、苦境を苦境と思わないような前向きさで、瓦礫の山を前に「自分たちが何とかしないと」と未来を見る彼らの姿は、強烈に印象に残りました。たくさんの出会いにも恵まれました。商工会と、地元で日本食レストランを経営する皆さんとの出会いから実現したカレーライスの炊き出し支援は、その最たるものです。ベネズエラには各国からたくさんの支援チームが送られ、大国の軍用機による圧倒的な物量の支援も目にしました。そのような状況で、私たちのようなキャパシティの小さい民間のNPOが、彼らと同じことをやっても意味がありません。大規模な支援の文脈に含まれない分野、見過ごされている被災者に向けてできることをやっていこうとするなかで、同じ志を持つ仲間たちと多く出会うことができました。並行して活動していた医療支援チームも、信頼できるパートナーと出会い、協定を締結して診療を一緒に行う体制を整えることができました。空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”のプロジェクトリーダーである稲葉医師が「ことがうまく進みすぎて怖いくらいだ」と言ったとき、商工会の方が「みんなが同じ方向を向いていれば、物事が進んでいくのは当然のことだ」と口にしていたのが心に残っています。そんな風に、同じ方向を向く仲間たちと一緒だからやれたというシーンが、振り返るとたくさんありました。ベネズエラには親日の方が多く、滞在中たくさん「日本から来てくれてありがとう」と声をかけられました。お礼を言われ慣れてしまうほどでしたが、この言葉の重みをとらえ直すきっかけになった出来事があります。一緒に炊き出し支援をやっている方の一人が、被災直後のことを話してくれたとき、「最初の2日間は、本当に誰もいなかった」とおっしゃったんです。あれだけの大変な被害が出ているのに、助けに駆けつける人は誰もおらず、自分たちでやるしかないと素手で瓦礫を片付けていたと話してくれました。それまで彼も、私たちをベネズエラの他の方に紹介する際に「(発災から)72時間以内に到着した団体だ」と話してくれていましたが、その前にはそんな空白の時間があったということ。数えきれないほどの国際支援チームが現地入りしている現状とのコントラストもあいまって、とても衝撃を受けました。同時に、何度も聞いた「来てくれてありがとう」の裏には、被災直後の「誰もいない」絶望感を味わった経験があったのではと考えさせられました。「今だけの支援」で終わらせない日本に戻って3日間を過ごし、改めて認識したのは、物理的にも、精神的にも、ベネズエラはあまりにも遠いということ。日本にとってなじみ深いかと言われるとそこまでではないのが現実です。そんな中で強く思い起こされるのは、「一時は支援は盛り上がるけれど、みんなそのうち帰っていくから」ということを、最初のころからすでに理解できているベネズエラの皆さんの、少し寂しいような言葉です。外部の支援が無くなってからのこと、自分たちだけで何ができるかを、早い段階で見据えている現地の人々の姿がそこにはありました。確かに、外部からやってくる支援者にはそれぞれの持ち場があるし、他の仕事もあります。でもNGOだからできる中長期的な寄り添い方もきっとある。ピースウィンズだからできる支援がきっとある。既に十分、その可能性を現地で実感しています。私たちは、炊き出し支援の継続に加え、必ず必要となる心理社会的支援(MHPSS)を筆頭に、さまざまな支援ニーズに幅広く対応できるよう体制を整えています。引き続き、最新の状況を見極めて「やれることはなんでもやる」柔軟な支援を現地に届けていきます。細くても長く寄り添い続けたい。どうか、そんな私たちを引き続き応援していただけたら嬉しいです。




