2019/01/14 17:45

みなさんのご支援と応援のおかげで、先日、無事目標を達成できました!

ツアーの成功に向けて、引き続き頑張ります。

FOUR LEAF SOUNDの小さな一歩を共に歩んでいただき、ホントにありがとうございます。

ここ数日は連載記事を書く時間をとれなくて、連載の間が空いてしまいました。
1人操業の痛いところ。。

連載も後2回。
おつき合いください。


8回にわたって「リアルな等身大」の、めちゃ主観的な記事を書いてきた訳ですが、

自分なりにいろいろ考える中で、


「リアルな等身大」と「自分勝手に」生きることの違いって何なのかな。。と思った。

そこの境目って、すごく曖昧だし、
周りの人の受け止め方でも、随分変わる。。

私自身はアメリカナイズされているので、
周りからみると「自分勝手だ」と映る部分もあるのかもしれない。

でも、自分の中には、

「リアルな等身大」と「自分勝手」の境目は、結構はっきりとあって、


それは、

周りへの「思いやり」を持てているかどうか。。


その「思いやり」の示し方も人それぞれだから、また難しい訳だけど。。


「思いやり」

周りの人たちに自分の「心」を向けられているかどうか。。


「これが自分の等身大だから」と言って、周りの人に無関心に振る舞うことは、

FOUR LEAF SOUNDがプロモートしたい「リアルな等身大」とは少し違う。


かと言って、「空気を読みすぎる」振る舞いは、「リアルな等身大」から離れる訳で。。


自分の「心」に正直に在りつつも、

周りへの「思いやり」を持っていること。


このバランスはその時々で変わるし、

いつも「思いやり」を向けられる「余裕」がある訳ではないから、


難しいんだけれど。。



よく思うのは、「思いやり」を向けることと、

「気を使う」ことは違うなってこと。


「気を使う」動機は「どう思われるか」を気にした

「恐れ」のような気がして、

結局、「気を使う」行為の真ん中にいるのは、相手ではなくて、


「こう思われるのが嫌だから」っていう、


気を使ったその人自身のような感じがするのです。



でも「思いやり」を向けるとき、

真ん中には「相手」が据えられていて、


相手をリスペクトした上で、


その人のために、自分に何ができるかな。。っていう思考になる気がする。。


動機が「自分中心」か、「相手中心」か。。の違いかな。。

めちゃ勝手な主観だけど。。


そして、ただ、その人のことを「思っている」だけなので、

気疲れをしない。


「思いやり」を忘れず

「リアルな等身大」でいられたらいいな。。って思うわけだけど。。


この記事を書きながら、

自分にとって「リアルな等身大」でいることは、


周りへの「思いやり」の現れであることにも気づくのです。


1人の人が「リアルな等身大」「自分らしく」いる時、

周りにも「自分らしく」いられる「幅」を許すなって思う。


自分が「自分らしく」あることで、

相手にも、自分の「心」に正直にいていいんだよって、空気感を流す気がしていて。。

場が和むというか。。

「気を使わなきゃ」って緊張感から解放される感じがするのです。


逆に、あまり「等身大」でない人といると、

私も「いろいろ気を使わなきゃ」って思ってしまって、

「気の使い合い」でお互いが疲れてしまう気がする。


一緒にいる相手に、「自分らしく」自由に楽しくいてもらいたいから、

自分も「等身大」でいよう。。って思うのです。

またアメリカと日本の比較になっちゃうけど、

日本社会ではこの「自分らしく」いられる「幅」が、

アメリカと比べると、あまりなくて、だから疲れてしまう気がする。

アメリカは「みんな違う」前提から始まる国だから、

人の「価値観」や「生き方」に対して「それおかしいよ」みたいなことって、
(誰かを傷つけてる場合じゃない限り)
ほとんど聞いたことがないし、

程度の違いはありつつも、

基本「自分らしく」生きりゃあいいんじゃんって、


個人の在り方にリスペクトを持ってる。


渡米して、レストランとかで、サービスの悪さにビックリした日本人は多いかと思うんだけど、


日本のように、「自分」を低くしたり、
自分の「個性」を犠牲にしてまで働くっていう意識は、


アメリカの社会には基本ないので、


まぁ、いろいろ問題はありつつも、

日本で感じる「自分らしく」いることが難しいような、


精神的な疲労やプレッシャーはほとんどなかった。


FOUR LEAF SOUNDの活動を通して、

自分が帰国後「生きづらい」と感じたものを、少しでも変えていきたい。


普段の生活を、もう少し「自分らしく」のびのびと生きられたらいいな。。って思う。


「思いやり」「リアルな等身大」を通して、


「自分らしく生きていいんだ」と、

人それぞれが本来持っているはずの、「生き方の幅」を解放していきたい。

今からの時代は、「みんな同じように」ロボットみたいに働いて、大量生産をしていく時代ではないし、

そういうことは、本家のロボットにどんどん置き換わっていくから、


人間は、人間らしく。


敷かれたレールからはみ出しまくって、

不器用に生きていったらいいじゃないか、と自分自身にも思う。


それぞれが「リアルな等身大」で、多様な「幅」を持った生き方をして、


もっと自由に、
もっとクリエイティブに、

共存していけたら、


日本の社会はもっと豊かになるんじゃないか。。と思うのです。



愛の模様
「あなたのストーリーが聞きたい」その「ストーリー」が私にも必要だから。。っていう曲です。

みんなでお互いの「自分らしい」人生のストーリーを分かち合っていきたいな。。

https://fourleafsound.bandcamp.com/track/aino-moyo




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