ラオスの歴史後半になります!フランス領インドシナ連邦の一つとして、フランスの植民地支配を受けていたラオス。 第二次世界大戦中に日本軍が侵攻したことで一度独立を声明したが、日本軍が撤退するとただちにフランス軍が再植民地化されました。 その時民族自決を目指す「自由ラオス」(ラオ=イッサラ)が結成されました。ビエンチャンで樹立した臨時政府を弾圧されたが、彼らはタイに移って亡命政府となります。 対してフランスはルアンプラバンの王家を国王とするラオス王国に自治を与え、フランスとの協同国とし、ラオ=イッサラに対抗させました。 ラオ=イッサラはフランスから独立のため、「ラオス愛国戦線」と改称、戦闘部隊「パテト=ラオ」が作られました。 そのころ隣のベトナムとフランスが戦っており、ホー=チ=ミンに率いられたベトナムが優位になり、最後はディエンビエンフーの戦いでフランスが敗れました。その背景には、隣接するラオス北部をパテト=ラオが抑え、ベトナム軍の行動を支援したとされてます。 1954年にはジュネーヴ休戦協定に調印し、フランスのインドシナ支配は終わり、協定の内容からラオスの独立と中立を認めているが、アメリカは協定を無視。 東南アジア条約機構(SEATO)を発足させてラオスにも軍事介入し、ラオス王国政府軍を支援し、パテト=ラオの壊滅を図りました。 SEATOの首脳会議の様子 アメリカはパテト=ラオによる南べトナム解放民族戦線の支援を遮断する目的で、1971年ラオスに侵攻。 しかし鎮圧できず、逆に反米独立意識が高まり、1973年、ラオス政府とパテト=ラオの間で、臨時民族連合政府樹立の合意が成立、平和議定書が締結されました。パテト=ラオは首都ビエンチャンに10年ぶりに入り、1974年にはラオス民族連合政府が成立し内戦が終わりました。 事態が落ち着いたのは1975年、パテト=ラオがアメリカ支援の王国政府に勝利を収め、非軍事で政権が移譲。現在のラオス人民民主共和国が樹立され今のラオスに至る。 ラオスの国旗、赤は独立に流れた血、青は恵みのメコン川、白は月で共産主義を意味する 今では東南アジア最後の秘境と呼ばれるラオス。情報弱者を作らないために、今回図書館を作る意味もあります。ぜひ今後の活動もご期待を!(^^)!
こんにちは!International Volunteer –YUI-結ののりおです。僕からはラオスの歴史について前後半でご紹介します!現在は自由で穏やかな国ですが、実は他国に支配され続けた歴史があります。今の平和の背景を知ることでまたラオスの魅力に気づけるはずです。極力短く、わかりやすくまとめたので、是非覚えていってください!昔1353年、今のラオスの原型となる国は「ランサン王国」。「百万頭の象の国」という意味を持ち、ファーグム王によって統治されていました。その都の場所は私たちの支援地でもあるルアンパバン。この王国は300年以上続き、最大で東北タイにまで支配が広がるほど勢力があったのです。ビエンチャンに建造されているファーグム王の銅像国外支配が始まるのは18世紀から。内乱により、ランサン王国は3王国(ビエンチャン、ルアンパバン、チャンパサック)に分裂。 さらに隣国の勢力拡大で弱体化がすすみ、1770年代には3王国ともシャム(現在のタイ)の支配下となります。続く、19世紀後半には、フランスはナポレオン3世のインドシナ出兵により、ベトナム、カンボジアを侵略し、隣接する3王国をも狙い始めます。ついには3王国に宗主権を有していたタイも屈服し、バンコクで3王国の宗主権を放棄するフランス=シャム条約を締結し、1899年にフランス領インドシナ連邦に組み入れて植民地支配にします。この時にラオ族から名前をとり、ラオスという国名が付けられました。ラオスの主値ビエンチャンのパトゥーサイはフランスのシャンゼリゼ通りに影響を受けていると言われている。後半は次の投稿で!!
今回はコクサ村の日常について紹介します。最近村では、新築の家のお祝いが行われました。村では新しく家を建てたり、結婚や出産のお祝いの際に、バーシー・スークワンと呼ばれる、ラオスの人たちにとって大切な儀式を行います。この儀式は、身体の各部位に 宿る32の魂(クワン)が、身体から飛び出たり浮遊しないようにしっかりつなぎとめておくために行われるもので、ラオスでよく行われる、大切な儀式です。村の子供たちも準備を手伝っています。また、参加した人たち同士がお互いの安全と幸せを祈願し、紐を手首に巻きつけ合います。この儀式は精霊信仰からきているそうで、この紐を巻き付けておくことで、精霊の力によって招福攘災をおこなうことができるとされているそうです。参加者の手首に 白いを巻き結んでいく時に、「 良いことがやってきますように」「病気をせずに長生きできますように」「日本に帰ってもこの村のことを忘れないでいてくれますように」などなど、さまざまな願い事を唱えながら結んでいき、手首にはいくつもの糸をまいていただきました。日本のミサンガのようなもので、3日間くらいつけておくといいそうです。モン族の人たちは、山の自然とともに生きています。山の精霊や動物たちとともにずっと生活してきたため、私などには見えないモノを見たり、感じることができるそうです。そこに私たちは村の人たちと一緒に図書館を作り、新しい世界への窓を開こうとしています。けれど、モンの人たちが信じて守ってきたことを大切にする図書館したいと考えています。外から持ちもむだけでなく、モンの人たちがずっと昔から積み重ねてきて、長い年月に渡って伝えてきたものを集めて、さらに伝えていくことのできる図書館にしたいです。
初めまして。「国際ボランティア団体-YUI-結」と申します。私たちは、主に「日本人3人」と「ラオス人1人」の4人で活動している小さなボランティア団体です。私たちが集まったキッカケは、旅行先のゲストハウスで一緒に宿泊していたことでした。住んでいる地域はそれぞれ異なりますが、お互いに国際ボランティア活動をしていたことから意気投合し、この縁を大事にしたいと考え、活動をスタート致しました。【メンバー紹介】メンバー①:のりおサバイディー!(こんにちわ!)ラオス大好き、優しい顔が取り柄、のりおと言います。趣味は歌うことで、ギターも練習中です!そんな僕がラオスに出会ったのは、大学1年生の時に入ったボランティアサークルでした。サークルは学校建設を通してラオスの教育支援の底上げをする活動で、初めてスタディツアーでラオスに訪れてから、長期休暇のたびにラオスに行くほどのめり込みました。サークルの活動や個人での渡航を通じて、国の決めたラオス教育をだけでは不足ではないか?と疑問を持つようになり、より個人が自由に、かつ豊富な知識を取り揃えられる図書館建設というアイデアを思いつきました。知識を取り入れることは、自分の行動の選択肢が増えるきっかけになるため、自由に繋がると僕は思います。この活動で自分の知識とラオスの村の子供達の知識を拡げていく、そして自ら自由を獲得していく、そんな環境作りを目指してます!価値観を変えてくれたラオスに恩返しの意味も込めて、図書館の建設と発展に貢献します。メンバー②:東條 新はじめまして。東條新と申します。私は普段、東京で建設関係の仕事をしています。2015年のネパール大地震復興活動をきっかけに、同じ地震の多い国の人として何かできることはないかと考え国際ボランティア活動を始めました。これまでにネパールでの震災復興支援活動や、ネパールのシンドパルチョーク州リサンク村への教育施設建設を進めてきました。今回は、ラオスに図書館を建設することで、子供達の夢が広がるきっかけの場所を作りたいと考えています。私がなぜこのような活動を始めたかというと、災害支援の中で、「学校に行くために山道を数時間もかけて歩いて通学している子供」や、「家事等の手伝いにより、十分な勉強時間を確保できていない」という状況や、「学べる場所がないことから、将来の夢の選択肢が狭い子供たち」に出会い、全ての子供たちが、等しく教育を受けられて、自身の人生を切り開いて行けるべきだと考えたため、活動を始めました。子供達に将来の夢を聞いたときに、100人に聞いたら100通りの答えが返ってくる、そんな学べる環境作りを目指しています。そして私たちのような小さな団体でも、このような活動ができることを知ってもらい、子供たちへの支援仲間を増やしていき、支援活動自体を広めていきたいと考えています。メンバー③:戸田 康介ボランティア活動では、主にガレキの撤去や街の整備などを中心に行ってきました。様々な国、地域でのボランティア活動を通じて、1人でできることの限界を感じました。学びたくてもそれをさせてくれない環境。私達はそこでたくさんの風景を見ました。地域の文化やしきたりなどを考慮して、変えたい環境や変えてはいけない環境を目撃したつもりです。そこで、1人ではなく多くの人の力でボランティア活動が行えるようにボランティア活動で知り合った人とボランティア団体を立ち上げました。ボランティア活動を行う費用を安くするための、団体交渉や地元や行政との連携を通じ、ミャンマーのヤンゴン地区の北部でのガレキの撤去を行うことができました。これが我々の一番最初のボランティア活動です。そして、ボランティア活動を通じて、1人で動くことの限界、行動することの大切さ、チームワークの大切さ、連携の重要性などを痛感しました。ボランティア活動を通じて得た経験を、仕事、プライベートなど何処かで活かしたいと考えています。【現地のメンバー】メンバー④:Viengsavanh Ouansavad(ニックネーム:ブイ)私は現在ラオスで日本のツアーガイドをしています。私が子供の頃、あまり勉強する機会がありませんでしたが、今でも多くの子供たちが同じような状況にいます。現在も勉強しながら、農村部の子供たちをサポートする良い方法を探し続けています。そして、コミュニティの発展する唯一の方法は教育であると信じています。教育こそすべての発展の根源だと思います。【おわりに】困難なことも多々あり挫折しそうになることもありますが、私達がこの地でやることの意義を信じて、活動を続けていきたいと思います。 ご支援いただいたパドロンの方々も本当にありがとうございます。まだまだ目標金額達成には程遠いですが、引き続きご協力をお願いいたします。