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「バンド組もうぜ」みたいに「本屋やろうぜ」と言おう。かえるライブラリー始めます。

「かえるライブラリー」は、本棚を設置する場所さえあれば、どんな地域でもできる参加・参画型の本屋×ライブラリーです。「本を届けたい」と思うメンバーが本を持ち寄り、「本を読みたい」人がそこに集まります。販売に伴い発行される「かえる券」で地域の若者ともつながることができるプラットフォームをつくります。

現在の支援総額

450,784

45%

目標金額は1,000,000円

支援者数

118

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/01/01に募集を開始し、 118人の支援により 450,784円の資金を集め、 2019/01/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

450,784

45%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数118

このプロジェクトは、2019/01/01に募集を開始し、 118人の支援により 450,784円の資金を集め、 2019/01/30に募集を終了しました

「かえるライブラリー」は、本棚を設置する場所さえあれば、どんな地域でもできる参加・参画型の本屋×ライブラリーです。「本を届けたい」と思うメンバーが本を持ち寄り、「本を読みたい」人がそこに集まります。販売に伴い発行される「かえる券」で地域の若者ともつながることができるプラットフォームをつくります。

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ウチノ食堂藤蔵の野呂巧です。僕が住む町は、新潟市内野町。ここには2016年までユニークな本屋“ツルハシブックス”がありました。県内の大学生が店員をしながら、同店の一つのミッション“地域の中高生に本を届ける”ことを通し、全国から多様な人が集い、人同士の関係性とカルチャーを深められる場所でした。(ツルハシブックスの詳しい話は他の寄稿に譲るとします。)待ち合わせをしているわけでもなく、そこに行けば誰か好きな人がいる場所、何かを生み出すカルチャーに包まれている場所、そんな“居心地の良さ”と“偶然性”がある場が 、少なくとも自分にとっては必要な存在でした。そんな本屋が閉店する。という出来事。好きな人たちが集まる場所がなくなるという出来事。それは大好きなバンドが解散するようなことだったように思います。・・・・・「バンドを組み直すように本屋を始める。」2019年8月4日“APARTMENT BOOKS”という本屋を始めました。各本棚を部屋に見立て、5人の書店主が選書する、書店主の想い住まう本屋です。メンバーは選書担当が5人とデザイン担当が1人。場所は内野町の“ウチノ食堂”という飲食店の壁を一つ、間借りする形です。《選書メンバー》・かえるライブラリー(新刊・古本)・古本詩人ゆよん堂(古本・アート・詩集)・古本雑貨べべる(古本・雑貨)・Books風見鶏(新刊)・APARTMENT BOOKS (ZINE・リトルプレス)なぜ、こんな本が売れない時代に“本”なのか?“本”とはなんなのか?“本を届ける”ってどんなことなのか?まだよくわからないけれど、僕の中の1つの答えは『本とは、作り手その人の“声”』だということです。きっと答えはたくさんあります。そして、その答えはこれからここに来る人と一緒に考えられたら良いと思っています。APARTMENT BOOKSのメンバーは、立場は違えどツルハシブックスに出入りしていた人たちです。『それぞれができることを持ち寄って、続けられるかたちを考えながら進めていく。』これって、なんだかバンドっぽくないですか?本を売るための本屋は生き残れない時代なのかもしれない。でも、本やその中の言葉、声を必要としている人はいるはずです。これを読んでいるあなたも、「バンド組もうぜ」みたいに「本屋やろうぜ」と言ってみませんか?


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2000年代の初め、「プロジェクトX」というテレビ番組があった。子どものころ大好きだったラグビー青春学園ドラマ「スクールウォーズ」のモデル、伏見工業高校ラグビー部、山口良治さんも題材となり、僕はおそらく10回以上見て、セリフを暗唱できるようになった。(ツッパリ生徒と泣き虫教師)「あのシンゴが、弥栄のシンゴが、伏工を受ける、伏工入ったらどないすんねーん。っていうシンゴが、いま学校の教師をしてくれてる・・・号泣」みたいな。(笑)いま、新潟市図書館で借りることができるので、たまに家族で見ているのだけど、やっぱ「プロジェクトX」めっちゃいいね。何作も見ていて思ったのは、伏見工業・山口先生のような、1人のリーダーをメインに取り上げた放送回は極めて少ないということだった。たしかに、プロジェクトリーダーはいたのだけど、ほとんどは、名もなきサラリーマン、技術者をメインに取り上げている。そして、その人たちのことは、いまの僕たちはほとんど何も知らない。昨日見たのは、「通勤ラッシュを退治せよ世界初・自動改札機誕生」。日本初めての自動改札機の導入。阪急・北千里駅。開発したのは、立石電機(現オムロン)。弱小メーカーだった。そんなこと知らなかったけど、まあ、テレビだからある程度大袈裟につくっているのだろうけど、でも、いいんだよ。困難に挑んだ、名もなきサラリーマンたちがいた。それだけは、よく分かる。今回の「かえるライブラリー」のクラウドファンディングで寄稿してもらった文。この8つを眺めてみると、あるキーワードがたくさん出てくることに気付く。宮本明里さん:「何者かになるための戦い」を続けるのではなく、自分の感覚を大切に、「何者でもないわたし」を受け入れる。 そんな空間を「本屋」でなら実現できるのではないか。 そんな「本屋」で出会った「何者でもないわたし」と一緒に、新しいことを始めてみよう。~大好きなバンドが、解散した~https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70335#main海津紗弥香さん:他者より違う、人に褒められるような「何者か」になりたくて、「何者か」にならないといけないのではと、もがいているように見えました。~何者かになりたいし、何者でもない自分も認めたい~https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/71278#main増川葉月さん:だから、大学生になって突然、大勢の自分と同じくらいの学力の人たちの中に入れられたとき、「わたしはだあれ?」という謎が生まれ、現代よく聞く大学生の悩みでもある、「自分のやりたいことが分からない」という悩みがわたしの中にも存在していました。~「問い」が始まる本屋~https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72004#main野島萌子さん:ツルハシブックスで出会ったみんなになら会えるかもと思ったのを覚えています。不思議だけど、きっとそれは自分のことを「何者でもない人」として捉えてもらえると思ったから。「勉強ができる」野島、「活動的な」野島、「何事も諦めない」野島、ではなく、「何者でもない」野島として見てもらえそうな気がしたから。~19歳で焦っていた自分、24歳でうつ病になった自分へ~https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72112#mainそして僕自身も昨日、書いてた。いつのまにか僕は、「ツルハシブックスの西田」になっていた。気持ち悪かった。初対面の人に、「あ、あの西田さんですか?」と言われた。~何者でもない大人に出会える場、何者でもない自分でいられる場~https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72205#main「自分は何者か?」という問い。「何者でもない自分」という不安。それってどこから来るんだろうって思った。この夏、「にいがたイナカレッジ」で思ったこと。ひとりの個人としてプロジェクトに参加するのではなく、場に溶けてしまえばいいって思った。場のチカラこそがアウトプットを出すんだと思った。「プロジェクトX」で表現されているのは、「あきらめないこと」だったり、「リーダーシップ」だったり、「チームワーク」だったりするのだけど、僕がいま見れば、それは「場のチカラ」を高めたことによって成果が出ているのではないか、と思った。名もなきサラリーマンや技術者が、場に溶けていたのではないか。おそらくは日本型の企業社会ってそういう社会だった。仕事が終わっても上司と飲みに行き、休みの日まで会社の人と一緒にレジャーを楽しんだ。それは「場のチカラ」にとって重要だった。(結果論でもあるが)「プロジェクトX」は2005年に放送を終了し、2006年からは新番組「プロフェッショナル」が始まった。プロジェクトではなく、「個人」に注目した。2002年には、学習指導要領が改訂され、「生きる力」を重視するようになった。いわゆる「ゆとり教育」である。「総合的学習の時間」が始まり、先生たちの裁量に任された。やれ、と言われるだけで何をやったらいいかわからない。現場は混乱した。「総合的学習の時間」とタイミングを同じくして始まったのがいわゆる「キャリア教育」である。(1999年の中教審答申に初めて登場)そんな空気の中で世に出たのが、「13歳のハローワーク」(村上龍 幻冬舎 2003年12月発売)である。その前の2003年3月にはSMAPの「世界に一つだけの花」(シングル)が発売。紅白歌合戦のラストを飾った。よく言われていることだが、「13歳のハローワーク」には、「サラリーマン」という仕事が出てこない。つまり、サラリーマンという大勢ではなく、何らかの「プロフェッショナル」であれ、というメッセージを含んでいるようにも感じる。いつの間にか、「キャリア教育」の名の下、全国の学校に「職場体験」、あるいは「インターンシップ」が普及していくことになる。この、「職場体験」の先進事例と言われる、兵庫県の「トライやるウィーク」(中学校2年生の5日間の職場体験)を調べていて、驚くことがあった。1998年から始まったこの取り組みの5年目の検証に以下のようなまえがきが記されていた。~~以下引用兵庫県では、阪神・淡路大震災および須磨区における小学生殺傷事件以来、教育の基調を「教える」教育から「育む」教育へと大きく転換し「心の教育」の充実を図るため、体験を通して子どもたちが自ら体得する場や機会を提供し、児童生徒一人一人が自分の生き方を見つけるよう支援することを目的とした地域に学ぶ「トライやる・ウィーク」推進事業を平成10年度(1998年度)から全県下公立中学校2年生を対象に実施してきた。 この事業は、学習の場を学校から地域社会へと移し、学校・家庭・地域社会の三者の密接な連携のもとに、生きる力の育成を図るものとして、兵庫県独自の取組として、文部科学白書にも取り上げられるなど、全国的にも高い評価を受けている。~~~以上、平成15年(2003年)3月「トライやる・ウィーク」評価検証委員会 委員長 横山利弘(西暦は後付け)より。・「教える」教育から「育む」教育へ。・体験を通して、子どもたちが自ら体得する場や機会の提供・児童生徒一人一人が自分の生き方を見つけるように支援すること・学校・家庭・地域社会の三者の密接な連携のもとに、生きる力の育成とあり、どこにも、職業観・就業観の醸成などというコンセプトは出てこない。「職場」という題材を通して生きる力を育むための学びの機会の提供がコンセプトである。ところが、全国は「トライやるウィーク」をモデルに、「キャリア教育」としての職場体験をするようになった。目的は、職業観・就業観の醸成であり、端的に言えば、「やりたいこと、なりたいものを見つける」ために行う職場体験である。学級文庫には、「13歳のハローワーク」が置かれ、カラオケでは「世界にひとつだけの花」が日本一歌われた。そうやって子どもたちは呪われた。プロフェッショナル、つまり何者かにならなければならないという呪縛だ。プロジェクトやチームワークにスポットを当てる「プロジェクトX」が放送を終え、個人や技術にスポットを当てる「プロフェッショナル」にシフトしたのは、時代の要請であるのかもしれない。それでいったい誰が幸せになるのだろう?って思う。キャリア教育が突きつけるのは、「プロフェッショナル」になるか、「奴隷」になるかという究極の二択だ。奴隷という言葉が乱暴すぎるなら、「ゆっくり、いそげ」(影山知明・大和書房)の言葉を借りて、操作者(オペレーター)と言おうか。その職場に、「あなた」という「個人」はいない。交換可能な「人材」としての自分がいるだけだ。それは苦しい。僕も2017年度は、そんな状況だった。交換可能であることを前提に、授業オペレーションのマニュアルを作っていた。それだけが人生であると、とてもつらい。ここ数年で出会った大学生を含む若者たちは、僕の心が動くキーワードを持っていた。・やりたいことがわからない・自分に自信がない・リーダーシップ・主体性がない・「就職したい」けど「就活」したくない。・「働きたい」より「暮らしたい」その違和感のすべてを肯定したいと僕は思う。・「場」のチカラを高める・ひとりひとりを大切にする・複数の自分を演じるこの3つを意識することで、もっと楽に生きられると僕は思う。やりたいことなんてなくても困らないし、自信もリーダーシップも主体性も不要だし、ただ、自分が溶け出せる「場」があればいい。自分という「ひとり」を大切にしてほしいし、それには「暮らし」という要素はめちゃめちゃ大切だし、本当の自分なんて、一つじゃなくていいと思う。「何者かにならなくてもいい」もちろん、何者かになってもいいんだけどね。それはあなたの一部の顔であって、本当のあなたの全てではないことを、僕たちは知っているから。そんな手紙が届くような本屋を、ライブラリーを、僕はつくりたい。クラウドファンディング30日目。素敵な思考の場と機会をありがとうございました。あと少し、よろしくお願いします。あなたもこの船に乗りませんか?


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「かえるライブラリー」クラウドファンディング残り2日。昨日の野島さんの寄稿は衝撃だった。「本屋、やりたい」って僕も思った。「読んだ人が本屋をやってみたくなるような原稿」というテーマで、8人の人が原稿を寄せてくれた。暗やみ本屋ハックツを2015年に東京・上石神井で一緒に立ち上げた宮本さん、原さん、海津さん。宮本さん「大好きなバンドが、解散した」https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70335#main原さん「気づいたら本屋になっていた」https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70679#main海津さん「何者かになりたいし、何者でもない自分も認めたい」https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/71278#mainツルハシブックスのお客さんで、テレビの特集に出てくれた笠原早希ちゃん。「自分の世界が広がるサードプレイス」https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70932#mainツルハシブックスの店員サムライで一緒だった有紀ちゃん、葉月ちゃん。有紀ちゃん「口から出る言葉以上のものを本に乗せて届ける」https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/71646#main葉月ちゃん「問いが始まる本屋」https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72004#main葉月ちゃんの妹で、2016年に長野県伊那市にカリカリブックス(仮)をつくった千晶ちゃん。「なぜ大学に行くんだろう?」https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72038#mainそして野島萌子。(なぜか野島だけフルネーム敬称略。笑)「19歳で焦っていた自分、24歳でうつ病になった自分へ」https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72112#mainこの8つのレポートが全部心に刺さる感じ。そして、最後にトドメ刺されたって。クラウドファンディングも「場」になるんだって思った。「場」によって引き出された「私も書きたい」っていう気持ち。それは、「参加のデザイン」であるかもしれない。ツルハシブックスのコンセプトは、「気がついたら私も 本屋という舞台の 共演者になっていました」劇場のような本屋ではなく本屋のような劇場を目指した。その瞬間瞬間に即興演劇が起こるような、そんな本屋さん。その本屋がピークを迎えたのが2015年12月だった。その映像がこちら。https://www.youtube.com/watch?v=bYq8iDb_ei4山田店長のラストの言葉、「これがツルハシブックスの日常です」に、シビれる。野島の言葉を借りれば、何者でもない大人に出会い、話をする中で、何者でもない自分にも出会える場所。でも、何者でもないからこそ、その場に与えられた状況に応じて店員を演じ、お客さんを演じ。師匠を演じ、また弟子を演じ。通りすがりのおじさんを演じてきたのだろうと思う。その一瞬一瞬がかけがえのない瞬間だった。僕は、2014年にツルハシブックスがソトコトの本屋特集を飾り、「地下古本コーナーHAKKUTSU」がNHK全国放送になったとき、なんとも言えない違和感を感じていた。いつのまにか僕は、「ツルハシブックスの西田」になっていた。気持ち悪かった。初対面の人に、「あ、あの西田さんですか?」と言われた。いや、僕は、「あの西田」ではない。目の前にたしかにいる普通のおじさんである。その頃読んでいた本。「40歳のためのこれから術~幸せな人生をていねいに歩むために」(松浦弥太郎 PHP研究所)「40歳はリセットすべし」って書いてあった。おお。マジか。って思った。僕は茨城に行って、40歳のただのおじさんになってみることにした。大学という場で自分が通用するのか不安だった。でも、実際は、通用した。(自称。「大学生」には通用したけど「大学」には通用しなかった。泣)それと同時に、東京に出ていく機会が増えて、素敵な同世代の活躍ぶりを目の当たりにした。クルミドコーヒーの影山さんもそのひとり。ちょうど2015年に「ゆっくり、いそげ」(大和書房)が発売されて、震えながら一気に読んだ。そんな人に何人も会い、何者でもない自分に気づかされた。「何者でもない自分」を受け入れるには時間がかかった。そして、2018年春、僕は大学を退職して、新潟に戻ることになった。新潟にいても仕事がないので、茨城や東京で少しずつ活動して、あとは旅に出ていた。6月には新潟から車で九州・津屋崎まで行くという2週間の旅に出た。「かえるライブラリー」システムをつくっていた、と言えば聞こえがいいのだが、野島萌子がわかりやすくうつ病になったように、僕は、わかりにくく依存症になった。旅依存症だった。退職し、無職となったサラリーマンがなると言われる「自分は世の中に必要とされてないんじゃないか?」と思うアレに僕自身もなっていた。たったの3年しかやってないのに。成果を残したともいえず、たくさんの周りの人に不義理をして茨城にいったのに、お客だと想定していた大学生にもたいしたこともできず、僕は新潟に戻った。「ツルハシブックス」は、2016年11月に閉店していた。昨年12月、僕はようやく元気になった。実は、旅依存症であることに、自覚症状はほとんどなかった。脱して初めて、自分が依存症だったことを知った。きっかけは、「まきどき村の米づくり」の発売記念トークイベント。20年前に人生を賭けて始めた畑サークル「まきどき村」。それをいま、豊かさだと感じる人たちがいることを実感した。かつての自分の感性を肯定できた。ツルハシブックスは、最初から不採算事業だった。大学生を地域企業に送り込む長期のインターンシップへ学生を呼び込む方法論のひとつだった。インターンシップ参加企業からの会員費や、大学へのプログラム提供、新潟市とのコラボ事業等によって、本屋の赤字をフォローするような運営だった。早朝にデスクワーク、午前中に外回り、午後からは本屋に立っている、そんな日々だった。本屋に立っているとき、一緒にインターン事業をやっていた高澤くんに言われたことがある。「本屋やっている時が一番楽しそうでいい顔してますね。」そうだった。僕は、本屋に立つのが好きなんだ。って今、思い出した。電車の空き時間に、はじめてお店にやって来るお客さんにとって、僕は「本屋のおじさん」に過ぎない。きっとそれが楽しかったんだ。「本の処方箋」だって、カウンセラーでもない本屋のおじさんが、ただ、本を選んでくれる。そんなことで悩みが解決するはずがない。だからこそ、本当の悩みが話せるんだ。そういうコミュニケーションを作るのが、ただ、好きなんだ。「みんな本屋をやりたくなるような」クラウドファンディング。誰もが、「どうして自分は本屋をやりたいんだっけ?」と考えるようなクラウドファンディング。そんな「場」が作れないだろうか?っていう実験。僕はただ、本屋のおじさんでいられる場を必要としているのだなあと、この場によって、思い出した。「何者でもない大人に出会える場、何者でもない自分でいられる場」そんな「場」を僕も必要としているし、あなたも必要としているんじゃないですか?本屋、やろうぜ。


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大学時代、新潟のツルハシブックスで店員サムライとしてお店に立っていた野島萌子です。もうすぐ27歳。時が経つのは早いな。何かの間違いでテレビの制作会社に転職してから毎日毎日仕事仕事仕事。飲み会。仕事仕事。そんな感じです。まさにブラック。働き方改革ってなんですか?(笑)そんなわけで、ツルハシブックスの西田さんから「野島も書いてくださいー」ってメッセージをいただいたとき正直、書けないなって思った。忙しいし、全然本を読んでないし。でも、ツルハシブックスって私にとってどんな場所だっけ?と考えていくうちに、ああ書いてみようかなと思いました。そこは、一言でいえば「何者でもない大人と話せる場所」でした。私はたぶん、他の店員サムライの子やツルハシブックスにくるお客さんと比べてみても、そんなに本を読む方ではなかった。でも、大学1年生でツルハシブックスを知り、卒業までの4年間、よく通わせてもらったなと思います。すべり止めの大学に入学した私は当時、悔しくて悔しくて。田舎の大学に入りたての19歳にしては変に意気込んでいた気がします。無名の大学だから、将来のことを考えて、「人脈をたくさん作っておこう。コミュ力で勝負できるようにしておこう。」みたいな。よくわからないけど、「第一志望に受かっていたであろう自分よりも充実した4年間を送るんだ!」って言い聞かせていた。まさに、意識高い系でした。今思えば、焦っていたんだと思います。スタートダッシュが遅れてしまった感覚だった。入学直後から、過剰なほどに、いろんなつながり、機会を求めて動いていた気がします。程なく、ツルハシブックスにも出会いました。今でこそ、ブックカフェ、コミュニティカフェというのは馴染みの言葉で、全国各地にいろんな形でそんなお店・取り組みはあると思いますが、当時、『購入前の本をソファに座ってゆっくり読める本屋』(=ツルハシブックス 寛容な本屋だなぁ)『お客さんがもってきたお菓子を店員も一緒になって食べちゃう本屋』(=ツルハシブックス もはや本屋じゃない①)『近所の中学生の宿題を親でも先生でもない大人が教えてあげる本屋』(=ツルハシブックス もはや本屋じゃない②)は初めましてだったので、面白い場所だなぁと思ったのを強く覚えています。意識が高かった私は、ツルハシブックスにくるいろんな大人に話しかけ、将来役に立ちそうな、ためになる話をたくさん聞きたいと思っていました。スポンジみたいに、いろいろ吸収するんだ!って。でも思い返すと、大した話なんてほとんどしなかったな。みんな、「何者でもない、ただの大人」だった。意識高い大学生が会いたがるような「〇〇の社長」「〇〇を成し遂げた人」なんてそうそういない。だけど、高校3年生まで、親・先生としか関わりがなかった私は「何者でもない大人」と話すことがどんどん面白くなりました。みんな、日々の暮らしに一生懸命で、悩んだり、落ち込んだり、小さい幸せを見つけたりしながら生きていた。当たり前だけど、10人と話せば10通りの生活、10通りの考え方がありました。そのうち、「今日は誰がいるんだろう?」ってワクワクしながら店を訪れるようになった。新潟の大学を離れると同時にツルハシブックスも卒業し、地元の千葉に戻ってきた私は、東京・新橋でサラリーマン生活を。社会に出て働ける喜びを噛み締め、キラキラした1年目を送っていました。でも、2年目に突入する頃、仕事量の増加に反して人は減り、働けど働けど目の前のタスクがなくならず、そんな自分を優秀な同期と比較して落ち込み・・・大変わかりやすく、「うつ病」になりました。24歳でした。3ヶ月間起き上がれない日々が続き、外にも出れず、正直、「人生終わったな」と思いました。こんなに若いのに、もう二度と働けないのではないか、何かを楽しいと思うことができないのではないか。。。もともと友達付き合いも、外に出かけるのも大好きでしたが「うつ病になったなんて知られたくない、言えない」という自分がいて本当に仲が良かった友人の誘いも全く受けられない状態でした。ただ、少し回復してきたころ、ふと、ツルハシブックスで出会ったみんなになら会えるかもと思ったのを覚えています。不思議だけど、きっとそれは自分のことを「何者でもない人」として捉えてもらえると思ったから。「勉強ができる」野島、「活動的な」野島、「何事も諦めない」野島、ではなく、「何者でもない」野島として見てもらえそうな気がしたから。実際に、何人かツルハシブックスでお世話になった方とお会いしたり電話で話した時に、「何者でもない」野島でいられたのを覚えています。そしてそのとき、自分の中に「立派な大人になりたい・ならなければならない」という気持ちがあったことに気づきました。ツルハシブックスで出会ったたくさんの「何者でもない大人」のことを思い出し、私は「立派にならなければ」の呪縛から解き放たれ、少しずつ少しずつ、元気になることができました。19歳の、第一志望に落ちて焦っていた自分24歳の、うつ病になり、人生に絶望していた自分今もし声をかけてあげられるなら「立派な大人なんていない。だから焦らないで。」と伝えたいです。でもそれって、誰かに言われても、体感しないとわからないことだと思います。だから私は、ツルハシブックスのような「何者でもない大人と話せる場所」を大事にしていきたい。自分も若い人たちにとっての、「何者でもない大人」になりたい。かえるライブラリーで、「本を届けたい人」「本を読みたい人」が本を通じて、「何者でもないどうし」のつながりを持てたらと思います。最後まで、応援よろしくお願いいたします。


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松本に行っていました。いつものモーニングは「栞日」。菊地さんいつも佇まいがかっこいい。好き。さて、そんな菊地さんと、移転前の栞日で、いまは岐阜「さかだちブックス」にいる杉田さんと雑談していて生まれたコンセプト。「内なる旅も売る旅行代理店」コスモツーリスト×ツルハシブックスで信州大学の前にある旅行代理店「コスモツーリスト松本支店」内に小さな本屋「本屋・宇宙旅行」を作りました。僕の屋号は「ぽてんしゃる。」にしました。金曜日に松本の某古本屋さんで糸井重里さんの「ぽてんしゃる。」に出会ってしまったところからです。内なる旅って感じがします。9人の店主が9つの縦横25㎝の小さな箱を担当して古本を販売します。会計は箱が置いてあるので、付箋を取って、代金と一緒に入れてください。と、いうことで1月26日(土)10:00オープンしました。ちょっとした取材を受けて、新潟へ移動。大雪が心配されましたが、順調に移動して、ウチノ食堂藤蔵でのゆよん堂「カレー祭り」と「本屋ライブvol.1」へ。やっぱり山田さんと話すと元気になるなあ。大切なものがそこにあるように感じられます。ライブではこの3冊をご紹介しました。「続・ゆっくり、いそげ」(影山知明 クルミド出版)「本を贈る」(三輪舎)「Life」(くすのきしげのり・松本春野 瑞雲舎)(ウチノ食堂藤蔵内「かえるライブラリー」にて販売中)昨日の本屋ライブのハイライトは、「ツイッター空間の中にも場は作れるのではないか。」「芸術の「芸」と「術」の両方を鍛錬しないといけない。」「予測不可能性が場に与える影響」の3つでした。特に山田さんが言っていた、「ゆよん堂はサーカスだから、そこでインパクトを出して、芸に目覚める人が出てくる」みたいな話はカッコよかったな、と。本屋をやるっていうことは、芸人になるっていうことなのかもしれない、と。「芸」とは、楽しませる、参加できる、承認されるっていうこと「術」っていうのは、スキル、役に立つ、評価できるっていうことなるほどね。世の中はあまりにも「術」にシフトしちゃったんだ。それを「芸」と「術」とのいい関係をつくろうというのが山田さんの本屋なのだなあと思いました。僕自身は、本屋を表現活動としてみんながやったらいいと思っていて。(それがバンドを組むように)「かえるライブラリー」を立ち上げようとしているのだけど。それはツイッターみたいに、「ひとりひとりが思ったことを話す」っていう「場」から始まるのかもしれないなと思いました。ツイッター上に「場」が構築されるのは、キーワードっていうか、脳内の、完全には言語化されていないものを共有していて、そこから生まれる予期しないコミュニケーションから「ひらめき」とかが出る、とそういうことなんじゃないかなと。もちろんそれは、リアルタイムのチャット(2人か複数かに関わらず)でも起こることなのだろうけど。おそらくは、先日茨城大学でやった「キーワード・カフェ」っていうのは、ツイッター空間に構築される「場」をリアルな場でも再現できるっていうことなのかもしれません。ツイッターとは、つぶやき単体ではなくて、つぶやき外(のニュアンス)の非言語メッセージを含めた「場」なのではないかと思ってきました。そういう「場」をつくることや仕組化することが、僕自身の「芸」であり、「術」なのではないかと思ってきました。言葉にするなら「フラットな関係性をつくるコミュニケーション・デザイン」だし、「ひとりにフォーカスした場のデザインとチューニングファシリテーション」だし、そのキーワードは「エンタテイメントとしての予測不可能性」です。エンターテイメントの本質は予測不可能性であり、それを本屋という「場」に作っていくこと。しかもそれを、僕がひとりでプロデュースするのではなく、誰かと一緒につくっていくこと。そんなツイッター空間のような本屋空間が、僕が「かえるライブラリー」で作りたいものなのかもしれません。