西田卓司です。東京付近に滞在しています。昨日は、中目黒蔦屋ひとり朝活からの武蔵新城へ。「新城テラス」で石井さんに久しぶりに会ってきました。その後、新潟・粟島のゲストハウス「おむすびのいえ」の花ちゃんと、新城が誇る名店「自慢亭」へ行き、タンワンメン。おいしそうに食べるなあ、花ちゃん。(笑)その後、定休日の「book & cafe stand shinjo gekijo」へ。マネージャーの真希ちゃんと3人で話をしてました。2時間半があっという間に過ぎていったのだけど、一番印象的だったのは、花ちゃんの一言。「場をつくるっていうことは未来を分からなくするってことだよね。」ゲストハウスをやっていると、いろんな人が来る。その出会いによって、人生が動く。だから、ずっとゲストハウスをやっていくのか?って聞かれても、わからないとしか答えられない。場をつくる、場を持つ。っていうのはそういうことなんだ、と思いました。そっか。そうだよね。「場」っていうのはそういうものなんだよね。ってすごく納得しました。そういう場が「一期一会」の空気をつくり(おそらくゲストハウスの最大の魅力はそこにある)、そういうのを大切にしたい人が集まり、人生が動いていくんだよね。それは、カフェでも本屋でも同じだと。夜は、「イナカレッジ・ラボ」。いま、湯島天神のすぐ下に、ラボをつくる構想中で、日曜日に小さな本屋をやり、昨日はイナカレッジ・ラボというイベント。新潟・飯塚商店の米を食べてからワークショップ。今回も前回に引き続き、「キーワード・カフェ」を行いました。時間が足りない。という声が続出。いい時間となりました。「キーワードカフェ」のいいところは、感性でキーワードを選んで、そのあとで理由をつけていく、そして何より、みんなが、それ、なんで?っていうように「問いから始まる」からではないかなあと思いました。昨年秋に茨城大学・「iopラボのための場づくりラボ」をやったときに、若松さんが「西田さん進行のワークショップはもやもやして終わる。スッキリしない。」って言われたのですが、それって、「問いが残る」っていうことなのではないかな、と思いました。「問い」って言っても、それが言語化されていないかもしれないのだけど。ああ、そうか。言語化されていない問いがある時の状況を「もやもやする」っていうのか。確かにそうだよね。「違和感」とかってまさにそう。それをもらうんだ。ワークショップっていう「場」によって。それはもちろんひとりの「人」の発言や発言を聞いた中で自分の中から立ち上がってくる感情なのだろうけど。「場をつくる」とか「場に参加する」「場の構成員になる」っていうのは、そういう問いをキャッチして、もやもやするっていうことなのかもしれない。そこから自分の内部で、問いが始まっちゃっているから、それによって、未来が変わっていくのだろう。花ちゃんが言ってた、「場をつくることは、未来を分からなくする方法」ってそういうことなのかもしれない。言語化できてない未来の種を手に入れる方法。それが「場」なのかもしれないなと思いました。本屋やライブラリーという「場」もきっと、そういう種を手に入れる「場」になっていく。
小田原・旧三福不動産の山居さんにお会いしました。つなげていただいた、後藤達哉さん、ありがとうございます。旧三福不動産サイトhttps://93estate.com/イベントスペースとコワーキングも見せてもらいました。めちゃ素敵な空間でした。なんかハードって大事だなあと。「なんか、楽しそうな場所だな」って感じられる空間ってとても大切だなと思いました。山居さんの「不動産屋ってリアルシムシティなんですよ」っていう言葉にビビっときました。「シムシティ」スーパーファミコンで1991年に発売されたまちづくりシュミレーションゲーム。90万本を売る大ヒット作。「リアルシムシティなんです」って聞いた瞬間に、あ、それ!って。僕が本屋やりたかった理由と同じだ、と。僕が本屋をやろうと思ったのは、福島県郡山市のヴィレッジヴァンガードのとある店長の一言でした。「郡山にカフェをつくろうと思っているんです。」一通り、営業を終えて、番線印(その書店を表すハンコ)をもらっているときに、店内を見渡していたら、「カフェをつくりたい人のためのコーナー」がめちゃめちゃきれいにディスプレイされていた。マグカップやランチョンマット、お菓子作りの本などと並んで、サンクチュアリ出版の名作「自由であり続けるために、僕らは夢でメシを食う」(夢メシ)もめちゃめちゃ積んであったので、僕は営業マンとして営業トークをかましました。「店長、このカフェのコーナー、いいっすね」そのあとに放たれた言葉が、僕を本屋に導きました。「郡山にカフェをつくろうと思っているんです。」え?は?本屋さんですよね、店長は?「僕がこのカフェの棚をきれいに作ることによって、本を読んだ人が、カフェを始めるんじゃないかと思って。」えっ?本屋さんってそんなことできるんですか?僕はただただ、ビックリしました。「僕、東京から異動で来たんですけど、郡山に行きたいカフェがないんですよね~」その4か月後。1年に3回ほどのペースで福島を回っていた僕がふたたびヴィレッジヴァンガードを訪れた時、店長が笑って言ったのです。「西田さん、カフェできましたよ。二軒できました。」衝撃だった。「シムシティじゃん!」って思いました。僕が本屋になった理由っていうのは、たくさんあるのだけど、一番夢のある理由はこれだなあと思います。「本屋でリアルシムシティ」ができるっていうこと。本棚に思いを、祈りを込めて本を並べれば、その思いを受け取る誰かがいて、カフェができたりする。本屋の一番の魅力ってそこにあるなあと思います。だから、昨日、山居さんの話に出てきた、「リアルシムシティ」にめちゃめちゃ興奮してしまいました。そういう意味において、不動産屋と本屋(本棚)の親和性はめちゃめちゃ高いのではないかと思います。もちろん、不動産屋さんというビジネスを考えても、そこに参加型の本屋(本棚)があることで、頻繁に人が訪れるようになることは、潜在顧客の確保という価値があるだろうと思います。「かえるライブラリー」は、人を循環させるプラットフォームとして、食えないけど、中学生高校生を含めて、人が集まる場、本を通じてつながる場を目指しています。でも、本質的なところでは、言語化しきれない情報を、本を通じて、本棚を通して、伝えていくような場になっていくのだろうと思います。そういう意味では、カタチの見える不動産屋と一緒に、まちの未来を考えていく、そんな本棚が作れたらめちゃめちゃ楽しいなあと思いました。思いのある、愛のある不動産屋さんと一緒に、いろんなものが詰まった本棚をつくりたいと思った小田原・旧三福訪問でした。山居さん、後藤さん、朝からお付き合いいただき、ありがとうございました。
あのNHKまでが「平成最後の」とか言っていて、ちょっとビックリします。「平成最後の」にどれほどの価値があるのでしょうか、僕には分かりません。そして、新聞や他メディアでは、新しい元号はなんだろう?みたいな特集。そんな問いでいいのか?と思います。僕だったら、来たるべき新しい元号になる1年をどんなふうにしたいのか?「あなたの〇〇元年を教えてください。」みたいな問いのほうがいいんじゃないかなと思います。ウチノ食堂藤蔵での野呂さん山田さんとのトークを思い出して、そんなことを思いました。2019年、どんな元号になったとしても、新たな元年になります。平成元年(昭和64年)だったみたいに、〇〇元年(平成31年)になるのです。1月1日からクラウドファンディングを開始しています。「バンド組もうぜ」みたいに「本屋やろうぜ」、と。「本屋元年」にしようじゃないか、と。2018年12月25日。ウェブマガジン「温度」に「2018年のあなたを表す1冊」の2人目として紹介されました。http://ondo-books.com/rensai/1335取り上げたのは、宮島達男「芸術論」(アートダイバー)この夏、能登・七尾にいった帰りに、金沢に寄って谷内くんに再会して、そのあとに21世紀美術館にいったら、カウンターはすさまじい行列でレアンドロのプールを上から見て帰ろうと思ったところでミュージアムショップで目にとまって、購入。シビれる1冊との出会いになりました。~~~以下、ウェブマガジン「温度」より引用「元来、アートは職業になじまない。職業とは誰かのニーズがあり、それに応えて初めて成立するものだ。ところが、アートには他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。(中略)私は、アーティストは自分の生活を自分で支え、なお、自らの思いを納得するまでカタチにし、他者に伝える人間だと考えている。こう考えていけば、アーティストとは職業ではなく、むしろ生き方になってくる。アーティストという生き方を選べば、じつはもっと自由になる。」(本文より引用)「アート」を「本棚」に「アーティスト」を「本屋」に替えても、同じだろうな、と。「本屋」っていうのはたぶんそういうことなんだ。7月、アルプスブックキャンプの前日、長野・伊那のとある本屋さんがこんなことを言っていた。「本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、誰かが買ってくれるのを待つ。それがいつなのかわからないけど。素敵だなあと思った。誰かのためにこの本をキープしなきゃと思える本に出会う瞬間を思い浮かべた。僕にとって、「本屋」は、「予測不可能性」にあふれた、「委ねられる」場である、ということ。目的とか目標とかではなくて、どうなるかわからない、というその不確実性が魅力であること。そこには、「手紙」のような何かが詰まっている。僕は心こめて、祈りを本に託すのだけど、その祈りが届くかどうかは読んだ本人に委ねられていること。それを繰り返していく「場」が僕にとっての本屋なのだろうと思う。1冊1冊の本の中に、目に見えない手紙を差し込んで、それが届く日、読まれる日を祈りながら、本を並べる。「本棚には他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。」僕にとって、本屋というのは、きっとそういうこと。本屋という生き方を選べば、じつはもっと自由になる。~~~ここまで引用「本棚には他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。」そうなんですよ。木曜日のイベントの時に思ったキーワードは、「つくる」と「届ける」でした。「つくる」と「届ける」の近さは、この一節にも現れているし、それは本屋にこそ、あるのではないかと思います。この本棚は、僕がつくった(並べた)。ここに「クリエイティブ」はあるのでしょうか?一方で確かに、僕は「届けたい」と思いながら、本を並べました。「つくる」と「届ける」。そのあいだに、本棚があるように思います。つくり手と受け手のコミュニケーションのあいだに、本棚があるように思います。そんな本棚をつくる人のことを、「本屋」と呼んでいいのではないかと僕は思うのです。もちろん、本以外のものを、そこにおいてもいいのだけど。職業になるか、ならないか。というのは、実はあまり重要ではないのではないでしょうか。「本屋という生き方を選べば、じつはもっと自由になる。」本屋元年。それは「つくる人元年」、「届ける人元年」になるのかもしれません。2019年をあなたの「本屋元年」にしませんか?
「にいがたイナカレッジ」での長期インターン生募集をテーマにした井上有紀さんとの交互連載「挑戦するな、実験しよう」の僕担当の最終回。(全8回中の7回目)タイトルは、「挑戦するな、実験しよう」https://inacollege.jp/blog/2019/01/17/nishida4/僕の茨城での3年間「水戸留学」がなんだったのか。そんな問いに答えるようなブログ。この記事にも入っている「チューニング」は、武蔵新城駅前のブックカフェ「shinjo gekijo」の前身である、「新城劇場」のミーティングで出てきた言葉だし。「予測不可能性」こそがエンターテイメントの本質であるっていうのに気づかせてくれたのは、法政大学長岡先生の「カフェゼミ」で出会った「カレーキャラバン」でした。カフェゼミの様子。赤羽岩淵のカレーキャラバンの時に少しだけ参加しました。そして、今年、にいがたイナカレッジとえぽっくの「チームひきだし」で「場のチカラ」という考え方に出会い、この連載ができています。何よりも、この10年、身近に大学生を見てきて、もっとも大きな課題は、アイデンティティ問題ではないかと思っています。連載中にも出てきますが、「自分に自信がない」とか「自分らしさとは何か?」とか就活のときに「やりたいことは?」とか「自分って?」っていってどんどん苦しくなっていく。そもそも、それ以前に、「自分はいまここに存在していいのか?」という存在の不安を抱えている、と感じてきました。何よりも、存在の承認されたい。しかし、それはじっと待っていても与えられません。SNSによる承認(のようなもの)の数値化は、さらに大学生を追い詰めていると感じます。「場」が必要なんだと思います。「実験」を始める場が。学校で「挑戦しろ」と言われ続けている彼らに、「実験」の場をつくる。「ツルハシブックス」や「暗やみ本屋ハックツ」が目指してきたのは、そういうことだったのかもしれません。「屋台」で何かを売ってみる。「商店街」で何か動いてみる。お兄さんお姉さんと一緒に「ハックツ」スタッフをやってみる。それは「挑戦」というよりは、「実験」です。実験のいいところは、成功も失敗もないことです。そこにあるのは「結果」だけです。「結果」を得るためにするのが実験です。予想外のことが起こることが楽しさ(エンターテイメント)です。僕は、「かえるライブラリー」がそういう場になればいいと思っています。「実験」が始まる場。本屋なのか、ライブラリーなのか。お店なのか、公共空間なのか。スタッフなのかお客さんなのか。そんなふうに境界をあいまいにして、気がついたら、何か「実験」が始まり、巻き込まれている、そんな空間。そんな「実験」を繰り返していくことで、変化しつつある動的な自分を実感すること。「自分らしさ」、とか「本当の自分」っていう問いを忘れて、いま目の前にある自分の役を演じること。そんなことが日々起こっている空間を「かえるライブラリー」で実現したいなあと僕は思います。
ウチノ食堂藤蔵の中にある「APARTMENT BOOKS」で一緒に出店している野呂さん、山田さんと公開ミーティング。山田さんが描いている「古本詩人ゆよん堂」のこれからも聞きたかったし、「APARTMENT BOOKS」がこれからどうなるかも考えたかったし、「かえるライブラリー」は全然伝わってないみたいだったので。公開ミーティングをしてみました。この夏、リアル店舗出店を構想中の「ゆよん堂」。山田さんの話はひとつひとつが響くなあと思いました。本を手元に置きながらのトーク。楽しかったなあ。冒頭から山田さんの問題意識。いつのまにか世の中は労働者と消費者になっちまった。誰かに作られた製品を買うのが当たり前になっちまった。つくる人がいないんだ。つくる人になりたいの?じゃあ、つくってみたら、やってみたらいいじゃん。本はそのつくり方を教えてくれる。そういう店をやりたいのだと。いやあ、それがもう、冒頭に話していた「オルタナティブ・アート」そのものだなと。「オルタナティブ」っていうのは解放っていうこと。アートを解放するんだ、素人に。芸大も美大も出なくてもいい。つくるんだ。君の作品を。そういうつくりたい人のための店、をつくる。詩でも音楽でも本棚でもいいんだ。あと、後半のハイライトは、「じかんどろぼう」。ミヒャエルエンデ「モモ」の話。六本木の「文喫」。入場料1620円の本屋が何を売っているか?野呂さんが言った。「あれ、時間泥棒だよね。」と。たしかに良質な時間を提供している。いい「じかんどろぼう」を、人は探して、求めているんだ。山田さんも言う。「文化っていうのは時間なんだよ。質の高い時間に人生を盗まれたいんだよ。」ほかにもいろいろ感じるところはあったのですが、僕がいちばんヒットしたのは、「つくる」と「届ける」でした。2人の話を聞いていて思ったことなのですが、今回プロジェクトを始めようとしている「かえるライブラリー」のテーマは、「本を届ける」。クラウドファンディングの本文ページにある、「かえるライブラリー」しくみ図には、最初、「本を売りたい人」と「本を読みたい人」ってなっていたのですが、それを「本を届けたい人」と「本を読みたい人」に変更しました。本を売りたい人じゃなくて、本を届けたい人が本屋をやる仕組み。それが「かえるライブラリー」なんです。そんな風に話していて、ふと思ったことがあります。「届ける」っていうのは、最初の「つくる」っていうことなんじゃないか。もっとも原始的な「つくる」なんじゃないか。あるいは、「つくる」と「届ける」は同時に起こっているのではないか。「暗やみ本屋ハックツ」では、本の表紙に、10代に向けてのメッセージを書きます。「10代に本を通して手紙を届ける」本屋。それがハックツのコンセプト。それって、最初のクリエイティブなんじゃないか、って野呂さん、山田さんの話を聞いていて思いました。「つくる」っていうのもモノに限らないと山田さんは言った。詩を書いてもいいし、歌を歌ってもいいのだと。それが誰かに届いたときに、アートと呼ばれるようになるんじゃないか。「つくる」と「届ける」が同時に起こる場。何かが創られたとき、何かが変わる。さらに自分も変わるし、本棚も変わる。そういう「場」が本屋なんじゃないか。いや、これ、自分でも全然何言ってるかわからないんだけど(笑)、今回のクラウドファンディングの下書きを何人かに読んでもらって、「わかりにくい」って言われた。もちろん「かえるライブラリー」システムの話もいまだにわかりにくいと言われるけど、「誰のために」「何を提供して」「何を解決するのか」が分からないと。なるほど。と思いました。同時に、その逆をいってみようと思いました。わかりやすくあることではなくて、「なんだかよくわからないけど、おもしろそうだな」って思ってくれる人がどれくらいいるか、知りたかったのです。バンドを始めるときに、何かを解決したくてやるわけじゃない。なんとなく、おもしろそうだったから。こいつらと音楽をつくってみたかったから。そういう理由で始まる本屋があってもいい。「つくる」と「届ける」が同時に起こっていくような場をつくりたいんだ。それが本屋なのかもしれないから。さて、この文章は、届けたい人に届くのでしょうか。