「本の声を聴け」(高瀬毅 文藝春秋)ブックディレクター幅さんの仕事について書かれた本。幅さんは本の声を聴きながら、本をセレクトしているんだと感じられます。ジブリ映画「耳をすませば」では図書館の本の貸し出しカードに書いてある同一の名前に胸がときめきます。ツルハシブックスオープンの数か月後にオープンした「地下古本コーナーHAKKUTSU」、そして、2015年9月から活動している10代しか入れない古本屋「暗やみ本屋ハックツ」は、暗やみの中で、寄贈者からのメッセージを頼りに、本を選び、購入するというもの。「暗やみ本屋ハックツ」では、「10代に手紙を届ける」というテーマで、寄贈本を紹介する読書会をやっています。だから、暗やみの中で、10代は、メッセージを読んでいるのだけど、幅さん風に言えば、「寄贈者の声を聞いている」し、耳をすませば風に言えば、「どんな人が前に読んだ人なんだろう?」って思いを巡らせます。そういう「はたらく」との出会いがあってもいいんじゃないか。それが、「新・OB訪問」です。本を通して企業と出会えないか。いや、企業というよりも、そこで働く「人」に出会えないか。そういう発想から生まれました。2006年12月。新潟市で行った「新潟の社長に出会う1日」(主催:スタイルキャラバン)は、大学生が経営者に出会い、1日密着するという企画。そこから始まって、大学生まわりで・企業と大学生の接点づくりのイベント・商店街、離島での短期インターンシップのプログラムづくり・企業での長期インターンシップのプロジェクトづくり・大学生×地域団体のプロジェクトづくり・取材型インターンシップの企画づくりなどをやってきました。新潟大学の近くで本屋を始めたのも大学生の地域活動や企業との出会いのプラットフォームを作りたかったという動機も大きいです。およそ12年。そこで感じてきたのは、「就活」というシステムへの「違和感」でした。いま、「にいがたイナカレッジ」で連載している「挑戦するな実験しよう」にも、https://inacollege.jp/blog/2019/01/08/nishida3/(1月8日更新分)「就活」の違和感について書きました。僕が、民間の活動として12年間、そして大学の「中の人」としては6年間(非常勤やスポットを含め)くらい活動しているのですが、少なくない大学生が「就活」に対する結構大きな「違和感」を感じていました。もちろん「違和感」であるから、それを言語化するのは難しいのですが。上記の連載記事にも書きましたが、その「違和感」は、僕の仮説では、「個人戦」、つまり「交換可能である」個人を前提としたシステムと、「個人」と「企業」をマッチングさせるという仕組みにあると考えました。つまり、自らを「道具化」して、「お宅の会社、こういうのつくりたいんすよね、だったらこの道具、使えまっせ」というような「就活」に対しての「違和感」なのではないか、と思います。(もちろんそれを演じきれる大学生が就活の勝者になっていくのでしょう)「違和感」を感じると語ってくれた大学生は、「何をしたいか?」「どこで働きたいか?」よりも「誰と働きたいか?」が大切だと言っていました。もし、「誰と働きたいか?」が最重要だとすると、現在の「就活」のシステムは、その人にとってはぜんぜん使えないということになります。「それを本でできないか?」と発想したのが「新・OB訪問」です。コードネームは「耳をすませば」(ジブリさんすみません。正式名称ではないです)。企業の経営者や人事担当者が、自分のこれぞ、という渾身の1冊を置いておきます。あるいは企業じゃなくても、インターンシップを募集している自治体や団体でもいいと思います。そこの1冊を読んだ大学生がその本に「共感」したらその人に会いに行ける、というものです。現在行われているいわゆる「OB訪問」は、いまだに卒業生名簿で会社名と学部と卒業年度だけを知らされ、連絡をとって会いに行く方式なのだと聞きました。それで、いったい何を聞くのでしょう?何を話すのでしょう?仕事の「what」や就活の「how」しか聞けないではないでしょうか。「誰と働きたいか?」を重視する人の就活には、ひとつの大きな罠があります。それは、人事部長や採用担当者は「この人と働きたい」と思わせる人がその役職についている、という罠です。実際入社してみたら、人事部に配属されない限り、その人一緒に働けることはない。そして、人間関係や社内の雰囲気が理由で3年以内に離職してしまう。仕事内容のミスマッチというより、人間関係のミスマッチが起こっているのです。もっと、「チューニング」できないでしょうか。そこで、本の出番です。本は、言語なのだけど、本から伝わる雰囲気は、非言語なものも多い。まあ、「就活前にやっておくべき50のこと」とかおススメされたら、そういう人なんでしょうけど。(笑)小説やエッセイを含めて、自分が大事にしているコンセプトのようなものが届けられるような本。たとえば僕だったら、ポールフライシュマンの「種をまく人」。この世界観を共にできる人がいたら、一緒に何かしたいなあと思います。そんな本たちが並んでいる本棚。そこから1冊の本を受け取り、購入し、読んで共感する。そこから始まるような「就活」が作れないでしょうか。学生という数字と、企業という組織体が「マッチング」する「就活」ではなく、ひとりの学生と企業人でありながらひとりの人である人が本という感性チューニングツールを使って出会う、そんな「就活」を「かえるライブラリー」から始めていきたいと思います。耳をすませば、本の声が、そして、それを届けたい人の声が聴こえてくる。そんな本棚、つくりませんか。
笠原早希です。今は看護師として働いています。新潟市西区の内野駅前にツルハシブックスがあったとき、わたしは大学生でお客さんでした。わたしはお店の近くの新潟大学ではなく市内の他の大学で看護の勉強をしていました。元々おとなしい性格で、あまり自分に自信がありませんでした。勉強そこそこ、運動もそこそこ。少し変わっているところと言えば岡本太郎が好きなところ。大学生になって自分の好きに旅行できるようになったら太陽の塔を見に行こう!と意気込んでいた大学生でした。友人の紹介でツルハシブックスを知り、ときどき通うようになります。初めはなかなか輪に入れなくて、まわりの会話に耳を立てながら本棚を眺めて帰る感じ…。でも少しずつ、イベントで自己紹介する機会があったり、店主の西田さんに話しかけてもらったりしてお話できる人が増えていきました。ツルハシブックスには様々な人たちが出入りしていました。出身地、学んでいること、職業が異なっている人たち。一言では説明できない職業…?をやっている大人たちなどなど。新潟市出身の両親のもと、新潟市で生まれ育ったわたしは、それまでは自分の家族、親戚、地元、クラス、同じ部活というような限られたカテゴリーのつながりしか知りませんでした。これまでに会うことのなかった多様な人が行き交う空間はかなり新鮮でした。それに大人って会社に勤めて給料もらって、家族を養うために生きていくものだと思い込んでいて、このことももちろん大事なことなのだけど、それだけじゃないんだということを知ったのです。いろんな生き方の人生の先輩たちに出会えて、自分の世界がぐわーっとすごい勢いで広がっていったのを覚えています。ツルハシブックスで出会う人は、わたしが「岡本太郎好きなんです」というといいねいいね!と言ってくれました。あまりわかってもらえないだろうなと心に秘めていた好きなものを受け止めてくれる人たちがいるということがわたしの自信にもなっていきます。学校や職場にはない、自分という人間を総体で見てもらえる感覚がありました。ツルハシブックスは本屋さんとしてありましたが、本を買ったのはほんの数回でした。いつもツルハシブックスや2階にあるイロハニ堂で行われるイベントに参加したり、店員さんであるサムライの人たちやお客さんとおしゃべりしたり、だべったりしていました。そんなやりとりがわたしにとってはとても心地よいものでした。また、テレビでツルハシブックスが取り上げられたときに利用者のひとりとして密着取材されたことも思い出です。保健室の先生目指して看護系大学に入学したものの、急速に広がっていった世界の中で他にも自分がやりたいことがあるのでは…?と苦悩してる姿が映ってます。看護系の学校では看護師の資格を取ることが必須です。でも当時のわたしは看護師という職業に強い憧れや関心があったわけではありませんでした。そんな自分が看護師という人の命に関わる仕事の勉強をしていていいのだろうかと悩んでいました。そんな悩みをツルハシブックスで出会う人や本に相談してぐるぐるぐるぐる考えながら生活してたように思います。人や本によって発信されることは違ってきます。たくさんのやりとりの中で自分はどうしたいかなって考えたり、わたしはこういうことをしてみたいと誰かにアウトプットすることで自分はこんなこと考えていたのかと気づいたりすることもありました。答えらしい答えは見つからないように思います。今社会人2年目であるので、まだまだ人生模索中です。ツルハシブックスのようなサードプレイスがあったらなぁと思いながら過ごしています。馴染みのお店とかもあるけれど、サードプレイスはいくつあってもいいかなと思います。まだまだいろんな人生の先輩たちに会いたいし、社会人になった今、高校生や大学生と影響し合えたら楽しいだろうなと思います。
ニシダタクジです。昨日に引き続き、かえるライブラリー実践編です。今日は「公開積読(こうかいつんどく)」について。昨日は「積読本棚(つんどくほんだな)」って書いてましたが、まだピンとくる名称がありません。考え中です。僕は旅の途中で、本を買うのが好きです。旅の最中に、本を10冊くらい背負って、各駅停車に揺られながら本を読むのが好きです。新幹線とか飛行機の移動は早すぎてむしろ体が疲れます。「この店で本を買いたい」と思う本屋さんがあります。あるいはこの本屋さんが推しているのなら、と思って買ってしまう本があります。大阪・心斎橋の「スタンダードブックストア心斎橋店」福岡・箱崎の「ブックスキューブリック箱崎店」東京・千駄木の「往来堂書店」あたりでよく本を買います。元日に読みはじめた三輪舎「本を贈る」も11月に「往来堂書店」で購入したものです。その他にも、1年に1度も行けないですが、岩手・盛岡の「さわや書店・フェザン店」と「ORIORI」、愛知・千種の「ちくさ正文館・本店」、東京・荻窪の「Title」も行くたびに「いま買わなければ!」と思う本に出会わせてくれます。昨年、いちばん衝撃を受けた本屋さんとの出会いは、4月に訪れた長崎・長崎市の「ひとやすみ書店」さんでした。1階入口の看板には、本から抜粋した「一言」がきれいな字で書いてあります。階段を上がっていく途中にも、「ひとやすみ書店」さんの哲学を感じる文章が並んでいます。そして、店内。てづくりの本棚に本が並んでいます。思わず記念撮影をしてしまいました。店内はカフェにもなっていて、コーヒーやソフトドリンクを飲むことができます。この空間にいることが、なんとも幸せな気持ちにさせてくれました。こんな本屋さんがあるまちに住みたいと思いました。聞けば、店主・城下さんは、本棚に並んでいるほとんどすべての本を「買い切り」で仕入れているのだということでした。「この本!」という渾身の1冊しか並んでいない、ということです。もちろん新刊書店のミッションとして、多様な人に多様な機会を提供する、ということも、とても大きいと思います。その場合は、「委託」(売れなかった本は取次(卸売)に返すことができる)という形で本を仕入れるということが必要になってきます。しかし、「ひとやすみ書店」さんの本棚には、圧倒的なパワーを感じました。「手紙」のような本が置いてある、というような感じです。だから、立ち読みをしていると、どんどん欲しくなってしまう、アブない本屋です。(笑)僕が新刊書店に足を運ぶのは、「何か面白い本出てないかなあ」っていう気持ちが大きいです。それは新刊書店のもっとも大切な機能の一つだと思います。そんな新刊書店の機能を「かえるライブラリー」のメンバーで実現できないか、と考えたのが「公開積読(こうかいつんどく)」です。たとえば、僕は昨年11月23日に往来堂書店で「本を贈る」を購入して、1月1日まで積読(読まずにそのまま積んである状態)していました。それを「かえるライブラリー」で公開してはどうか?というものです。そしてその上、それを見た人が代わりに(定価で)、購入してもいい、もし購入されたら、また新しい本を仕入れる、というものです。それを、本屋さんで普通に買って、定価で売るのではなく、(「本を届ける」という意味では、それもありなのですが)新刊書を仕入れる取次(卸売)と契約して、買い切りで仕入れれば、70~80%ほどの掛け率で入荷できますので、「かえるライブラリー」には収益として20~30%が入ってくることになります。つまり、今まで本屋空白地ではネット通販などで個人個人が購入していた本を、メンバーが購入(もちろん定価)を前提に本を注文し、一定期間、「かえるライブラリー」に積読しておく、そのあいだに、ほかの人がそれを買ってもよい、この仕組みが「公開積読(こうかいつんどく)」です。「公開積読」は、新刊書店の機能の一部である(僕にとっては最重要な機能です)「何かおもしろい本ないかなあ」機能を果たすことになり、その場に足を運びたくなります。一緒に本を選んでいるメンバーが魅力的であればあるほど、その人が次にどんな本を読もうと思っているのか気になります。「公開積読」は特に選書しているメンバー自身が足を運びたくなるような仕掛けです。「買い切り」の本ばかりが並ぶパワーのある本棚を、あなたも見てみたいと思いませんか?
カフェなどのお店、コミュニティスペースなどを現在運営されている方、これから運営しようと思っている方で「かえるライブラリー」に興味を持っている方へ。クラウドファンディングをスタートしてから何名かの方に質問いただいているので、こちらに、その疑問点について、現在のところ想定している範囲で回答したいと思います。0 運営チーム集めについて1 初期&運転資金について2 古物商取得について3 「かえるライブラリーシステム」の利用について4 新刊本の取り扱いについて5 今後のアクションについて本棚と本があればどこでも、だれでも始められる仕組み、それが「かえるライブラリー」です。それ、儲かるのか?って言われると、金銭的にはあまり儲からないと思います。ツルハシブックスは2016年11月に閉店しましたが、昨年12月には、スタッフだった「店員サムライ」たちが2年ぶりに集まりました。20名を超える人が集まりました。・本を通して人と人がつながる・地域の中高生に機会を届ける・小さな「やってみる」が起こる「暗やみ本屋ハックツ」もそうですが、キーワードで集まった人たちなので、いまでもつながりがあります。そんな風に、コミュニティデザイナーの山崎亮さんの言葉を借りれば、「人儲け」ができる仕組み、それが「みんなで本屋をやる」っていうことなのだと思います。(山崎さんは2013年寄附サムライになっていただきました)ということで、以下、回答していきます。0 運営チーム集めについて本棚があり、本を読む人が5人程度集まれば、「かえるライブラリー」はスタートできます。「本屋(古本屋)をやってみたい」という人は、潜在的にはかなり多いのではないかと思います。すでに「場」を持っている人であれば、そこに集まる人たちと一緒に始めることができます。小さな「読書会」などを開催したりして仲間集めを始めるのはいかがでしょうか。1 初期&運転資金について・本棚を用意する。・本を集めて、値段をつける。・レジ・料金箱を用意する。準備はこれだけです。運転資金については、売り上げの半分がライブラリーに入るので、そちらを活用して運用することになります。初期費用に関しては、集まった人たちでサークル的に会費をとってもいいし、本棚づくりカンパをお願いするのもいいかと思います。2 古物商取得について古本の販売に古物商は要らないのか?と聞かれます。「一箱古本市」のように、個人の蔵書を販売する分には、古物商は必要ありません。古物商は古本の買い取りの時に必要な資格です。しかし、ライブラリー側から見れば、「預かって、代わりに売っている」つまり、実質的に「買い取りをしている」と見られてしまうかもしれないので、古物商の取得について、相談・検討をされたほうがよいかと思います。3 「かえるライブラリーシステム」の利用について「かえるライブラリーシステム」の運用については、「ファンクラブ方式」を採用しようと思っています。個人は月額500円、1,000円、3,000円の、法人は月額5,000円、10,000円、30,000円の3種ずつの「ファンクラブ」をつくり、運用したいと思っています。利用する個人は必ずしもファンクラブに入る必要はないのですが、応援したい個人がファンクラブに入ってくれることを想定しており、法人については、「かえるライブラリー」を法人として運用する企業や団体、あるいは大学、「新・OB訪問」に参画する企業などを想定しています。詳細については、現在すでに手の上がっている人たちと相談・検討中です。4 新刊本の取り扱いについて「新刊本を取り扱いたい」という声も聞きます。こちら、買い切りであれば新刊本も70%前後で卸してくれる取次(卸売業者)がありますので、そちらと契約することになります。「本屋をやりたい」と集まった5人が今まではネット通販に注文してた本を一括でライブラリーから仕入れることによって、30%前後がライブラリーの収益になります。新刊本と「かえるライブラリー」については、後日、「積読本棚(つんどくほんだな)」という記事を書き、ご紹介しようと思います。5 今後のアクションについて「場」を運営されている方、される予定の方で「かえるライブラリー」を運用したい!という方は、お問い合わせください。・オリジナルのロゴをつくりたい!・立ち上げサポートをしてほしい!という方は、今回のクラウドファンディングへの「参加」をお待ちしています。「地方」「地域」には、本屋が必要です。しかし、本屋で食っていく(売り上げを上げていく)のは大変です。じゃあ、どうやって、「本屋で食える」よう売り上げを上げていくのか?という問いではなく、どうやって「食わない本屋」を成り立たせるのか?そんな仮説を検証するプロジェクトです。そして「食わない本屋」を作るとすれば、見方を変えれば、公務員の方も参加・参画ができる(副業にあたらない)地域ビジネスのプラットフォームができることになります。本を持ち寄り、売り上げた部分の半分もすべて「かえる券」として寄贈する。そんな本好き、本屋好きの熱い公務員の方の参画もお待ちしています。
ニシダタクジです。僕にとって本屋とは何か?1年間、考えてきました。「それを実現する方法として、なぜ、本屋なのか?」と何人かに聞かれました。いまも明確には答えられないのですが、ひとつ、たぶんこのあたりだろうなあと思うこと。それは、本屋は委ねられる、ということなのです。「この本を届けたい!」いや。もっと言えば、「この本を売らないと、世の中はダメになる。俺が売らないと」おせっかいな僕は、そんなふうに思える本に出会います。たとえば、この本。魔法のマーケティング(川上徹也 フォレスト出版)これを2012年の年末に読んで、衝撃を受け、すぐに著者の川上さんに連絡をとって、10冊直送してもらいました。それを1月5日に展開したのが上の写真です。1月5日の新年営業初日だけで10冊が完売しました。この本を買っていったのぞみさん(当時新潟大学農学部在学中)は、「この本1冊で就活は十分だった」と言ってました。でも。他にも9名の方が、この日、この本を買っていったのです。(7名の方は写真も一緒に撮ってました)のぞみさんのような熱烈なリアクションはほかにはありませんでした。もちろん、人生を揺さぶるほどの衝撃を受けた人もいるでしょう。(僕自身もめちゃめちゃ衝撃を受けまして、「LA宣言」しました。)※LA宣言については、本書「魔法のマーケティング」をお読みください。「本屋」であること。それは、「委ねる」ということです。「この本を必要としている人がいるだろうなあ。」と想像して、いままさに、それを手渡している、という実感はあるのですが、それが本当に届くのかどうか?の多くの部分をお客さん(読者)に委ねている。届くかどうか、分からない。そういうのがいいのではないかなと思います。カフェやレストランであれば、食べている最中からこの空間で、この料理で、お客様は満足してもらっているなあと体感することができます。しかし、本は、読んでもらわないと分からない。いや、もっと言えば、その本が、その人にとって価値があるかどうかは読んでいる最中、あるいは読んだ直後でも分からないかもしれません。「あの本で言っていたのは、こういうことだったのか!」と後から「!!!」と思うことがあります。たとえば、この年始に読んでいた「続・ゆっくり、いそげ」(影山知明・クルミド出版)前著の「ゆっくり、いそげ~カフェから始める人を手段化しない経済」も読んでいたはずなのですが、その時、「人を手段化しない」というキーワード。あれ、よく分かっていなかったなあって思います。僕は前著から3年の時を経て、自分自身もサラリーマンを経験して、「続・ゆっくり、いそげ」を読んで、やっと掴みとれたような感覚になりました。その時はなんというか、霧が晴れていくような気持ちになります。そういったことがよくあります。僕はそれが、本の魅力、本屋の魅力ではないかと思うのです。未来がどうなるか分からない。それと同じく、「この本イイ!面白い!!」っていうのは仮説に過ぎません。それを、本を通して、本を手渡して、本を届けて、相手に委ねる。本屋っていうのは、だからこそ面白いのではないか、というより、いいかげんな僕に向いているのではないかなと思います。「仮説」としての本を並べ、本棚という「場に委ね」、さらに、それを受け取った人の感性と未来に委ねる。本屋は「委ねる」だからこそ僕は「本屋」なのではないかなあと思います。