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チャリティー絵本制作プロジェクト-福島の子どもに笑顔を

現在の支援総額

1,348,310

158%

目標金額は850,000円

支援者数

142

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2015/01/14に募集を開始し、 142人の支援により 1,348,310円の資金を集め、 2015/04/02に募集を終了しました

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チャリティー絵本制作プロジェクト-福島の子どもに笑顔を

現在の支援総額

1,348,310

158%達成

終了

目標金額850,000

支援者数142

このプロジェクトは、2015/01/14に募集を開始し、 142人の支援により 1,348,310円の資金を集め、 2015/04/02に募集を終了しました

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福島の子どもの側に立つとは、 未来を肯定的に語ることを意味します。 本の構成には、「若い男」と「若い女」を選び、 男女それぞれが6つのパートで希望を語る形をとりました。 ふたりの声が合わさるのは最後の結婚式のパート。 それは、ふたりが心待ちにする、もっとも大きな希望だからです。    語られるテーマは男女共にバラバラです。下にまとめてみます。  若い男 希望を探しに 運命への問いかけ シンプルないのち いのり      本から生まれるものは 今するべきこと  若い女 違いより共通点を 小さなことが大切 まわれば変わる      言葉の力 いのちをリレーする本 いつも晴れを求めて  上のテーマを読めばわかるように、 本については男女両方が語っています。 本を読むことは、 未来を肯定的に語ることと深くかかわるのだと、 私は主張したかったからです。


「ぼく、花に触っていいの?」  この痛切な言葉を耳にしたのは、2012年に実施した最初のキャンプのときでした。7歳の男の子の質問に母親はこう答えました。  「いいよ、どうして?」  「だけどぼく、放射能で汚れているんでしょ?」  「もしそうだったら、どうしたい?」  「それならぼく福島に帰る。きれいな花や土を汚したくないもん」  福島の原発事故を思うとき、この少年と母のやりとりが頭をよぎります。あれから3年。福島の子どもたちを招いて行なう私たちのキャンプも、2015年3月で6回になりました。しかし状況は何も変わっていません。相変わらず私たちが見聞きするのは、痛々しい同種のセリフであり、原発事故によって負わされた傷が、生々しくうずく様子なのです。   これまでのキャンプを通して、私は多くの福島の親子と接してきました。淡路島の豊かな自然に抱かれ、いつまでも外遊びする子どもたちに微塵の暗さもありません。しかしときおり(たとえばキャンプの恒例行事である健康診断を受けるときなど)、未来に心がかげるのが見て取れます。この絵本を私が作ろうと思い立ったのは、そんな健康診断の折でした。  健康診断を受けるのは、神戸の街中にある診療所です。そばには川が流れ、川沿いに大きな公園があり、神戸の少年たちが無邪気に遊びほうけています。キャンプに来た福島の子どもたちは、公園から届く夏の歓声を耳にしながら、エコー検査・血液採取、心電図から生活指導へと続く長時間の検査に耐えなければならないのです。公園でサッカーに興じる子どもには、道ひとつ隔てたところで、同年代の小学生が、放射能被ばくの恐れに耐えながら、つらい検査を受けている事態など想像外のこと。私はこの対比に、日本の亀裂を見る思いでした。そして、福島の子どもの側に立って、そこから見える未来が書けないだろうかと考えたのです。  


音楽と絵
2015/01/29 15:44

先日告知しましたように 25日の日曜日 十三のシアターセブンで 映画会とトークイベントがありました。   観客数は目標としていた100名に かなり届きませんでしたが、 とても暖かく有意義な会合になりました。 福島から映画の製作者の関さんが来てくださり 自作の詩の朗読がありました。   関さんの詩は原発事故を経験したあとの 福島の日常をうたった生活詩であり 平易で素朴な言葉づかいで 福島の日々を淡々とうたいながら 福島の厳しさ、そこで生きる悲しみ喜びが 聞くものの胸に迫ってくる力のある詩でした。   興味深かったのは 関さんの詩に即興で音楽をつけた だるま森+えりこさんの演奏です。 ふたりは才能に満ち溢れた 総合工作芸術家です。 いずれも自作のハープ・笛・数種の太鼓・鈴などを駆使し 詩の雰囲気を見事に演出していたのです。   「本から生まれるものでは愛」では 文と絵を使って表現をします。 私たちの基本的な約束事は 絵が本の内容の解説や説明とならないように しようというものです。 絵は文の説明をしようと思えば可能です。 しかし音楽の場合はどうするのでしょう? こんど知り合いであるだるま森さんに聞いてみます。   絵本の中で絵と文の関係はこんな風です。 文は祈りについて書いてありますが 絵は抽象化されているために ここから直接「いのり」に結びつくものを探すのは かなり困難ではないでしょうか?  


一昨日見ていただいた絵が 絵作りの転回点になった と私は言いました。 それよりだいぶ以前に描かれた絵と比べれば 私の言いたいことが きっとわかっていただけるでしょう。   これは表紙の第3案です。 色使いや象徴的な動物 本を読むさまざまな生き物たち。 藤井さんが創造した絵本の要素が ほぼ出揃っています。   見た目に美しく調和があり 落ち着いた感じがします。 この絵を前にして 私と藤井さんの間ではまず アジア風テイストが問題になりました。 何々風ということになれば それは当然意味をもってしまうからです。   その意味の是非を考えているうちに 敷物や衣服などに使われる 伝統的な模様あるいはパターン(図柄)は 確かに安定感があり親しみを感じさせるけれど それはすべての動的なものを 模様に封じ込めることによって 生まれたことに私たちは気づいたのです。   絵本作りにあたって 私たちは動いているものが止まった瞬間か 今にも動き出しそうな気配のある絵。 一言で表せば「動的平衡」の感じられるものを 無意識に求めていました。 それを実現したのが 前回見ていただいた絵です。 もう一度見ていただき 表紙の絵と見比べていただきましょう。    静的なものから動的平衡へ ミツバチは旋回し 月は読書する少年に語りかけ 鹿が今にも木のうしろから飛びでてきそうです。 これを私は転回点と呼びました。    


宮沢賢治の作品には 交響という言葉が時々出てきます。 ある意味で賢治のキーワードのひとつ と言えるかもしれません。   賢治の作品では異質なものが出会い それぞれが自分を失ったり 他の存在に従属したりすることなく あるがままで周囲を引き立て 自分のよさもそれによって輝いてくる。 このような作品が数多くにあります。 楽器の協奏を想像すればわかるように これを交響と呼ぶのだと思います。   交響の前提は すべてのいのちは 単独で存在するのではなく 共に支えあって生きるという事実です。 その上にそれぞれの存在は等価であり たがいに交換可能であり 人間は動物や植物ばかりでなく 星や海や山など自然のいのちともなり 全宇宙的な生命を生きる存在である。 いくつかの賢治の作品から感じ取れるのは このような彼の考えです。   私は賢治の「セロ弾きゴーシュ」が好きです。 セロの下手なゴーシュが 毎晩やってくる三毛猫やカッコウ、野ネズミなどと 等価の存在として接しているうちに セロはどう弾けばいいのか 音楽とは何なのかを学び 成長していくという話です。   絵本の20・21ページを見てください。 これは私が大好きな場面であり 交響という言葉が似合う絵です。 またここは絵本の転回点になったところですが この絵については次回に書きましょう。