タモリさんが故赤塚不二夫さんの告別式で読み上げた弔辞の中に 「私もあなたの数多くの作品の一つです」 という一文があります。 7分56秒に及ぶ長文だったものの、手にしていた紙は白紙だったとも言われています。 まさに、弁慶の「勧進帳」さながらの神業。 そのエピソードもすごいですが、「自分を、誰かの作品と捉える」という視点に衝撃を受けました。 これってタモリさんならではの視点だと思っていたのですが、ある時「いや、これはすべての人はそうかもしれない」と認識が変わりました。 それは、先祖のお墓参りをしていた時のこと。 何気なく、墓石の側面を眺めていたんですね。 そこには、 「安達〇〇 享年〇歳」 と、ただ名前と亡くなった年が刻まれているのみ。 まぁ、当たり前といえば当たり前なんですが、それを見た時に、 「そうか、人生って、その中でどんなに色々なことがあったとしても、最後には“名前”しか残らないんだ…」 ということに驚いたんです。 「お墓」なら享年も書いているかもしれませんが、「家系図」だったら名前以外の情報は一切残りません。 逆に言うと、名前というのはそれだけ多くの情報量が詰まったものすごい言葉だということ。 改めて、名前こそ『世界で一番素敵な言葉』と言うにふさわしいと思うのですが、もうひとつ気づいたことがありました。 それは、 「その“名前”も、自分で生み出したものじゃない」 ということ。 つまり、 ・人生で何を成し遂げたとしても、最後に残るのは“名前”のみ。 ・その“名前”も、自分で決めていなくて、親から授かったもの。 ということなんですよね。 自分の人生が一つの作品だとするならば、その作品タイトルである“名前”をつけたのは親。 いわば、私の人生って親の作品なんだなと。 (「だから親のために生きる」というような意味ではありませんよー) 命は「バトンリレー」だとよく言われますが、名前というものの本質を見ていくと、余計にそう思います。 前の世代の作品として私が存在し、次の世代を私の作品として大切に育んでいく。 人間ってそんな営みをずっと繰り返してきているのかなと。 「命名」とは「名前に命を吹き込む」と書きます。 昨日、名前のことだま®のイベントがありましたが、その協会が「命名言霊学協会」という名前であることは余り知られていません。 でも、僕はここに「命名」という言葉が入っていることを誇らしく思っています。 子どもに名前をつけるだけが「命名」じゃない。 アーティストだったら、曲を生み出してタイトルをつけることも「命名」。 今までたくさんの曲を作ってきましたが、ある意味、たくさんの「命を生み出してきた」と思っています。 その曲がどんな命を生きていくか、作り手が決めることはできません。 でも、できるだけ我が子のように大切に育みたいし、出来れば良い服を着せたいし、出来れば多くの人に愛される存在になってほしい。 親心に似た気持ちが、そこにはあります。 7月30日まで実施しているクラウドファンディングは「キャンペーンソングをCDにしたい!」というもの。 今年生まれた、たくさんの我が子に光をあてたいと願っています。 それは、僕の子どもであると同時に、手紙を書いてくださった方の子どもでもあるから。 ありがたいことに、クラウドファンディングは現在98%まで来ました! 残すところあと2日間。 共感してくださる方と、今回のCDに一緒に命を吹き込めたらと思っています。
今日は「ひすいこたろう&山下弘司コラボ講演会 新元号とあなたの名前を予祝する~」にことだま師®としてスタッフ参加。 今でこそ協会のHPを任されたり、関東(というか東日本!)で唯一の50音を教えられる講師として活動している僕ですが、 僕が名前のことだまを学び、伝えるようになったきっかけは、1冊の本でした。 それが、2009年に発売されたひすい こたろうさんと山下弘司先生の共著『人生が100倍楽しくなる名前セラピー』。 https://www.amazon.co.jp/dp/4839929939 この本と出会ったことで、「山下先生に会いたい!」と思い、ひすいさんの講座に足を運んだ時に 「僕、山下先生と会いたいんです!」 と言ったら、「あぁ、山下先生なら今この上の階で講座やってるよ」と言われて、『マジか!?』と思い、あまりやったことのない“突撃名刺交換”をした(笑)のが最初のきっかけでした。 それから10年。 僕の人生の中で「名前のことだま®」の存在は自分を語る上で欠かせないものになりましたし、そこから『世界で一番素敵な言葉』や『お名前50音ソングレター』などの作品が生まれました。 1冊の本が人生を変えてくれた、と思ってます。 でも、山下先生がことだまの研究を始めたのは1999年。 ずっと地道に伝えたりされていて、知る人ぞ知る存在ではあったわけです。 だけど、僕がそこに出会うためには「本」という形が必要だったのだと思っています。 僕はこれが、「形にする」ということの一つの意味だと思っています。 どんなに素晴らしいことをしていても、目に見える形にしなければ、届く人は限られている。 逆に、形になることで、同じことをやっていても飛躍的に価値に触れられる人が増えるんですよね。 今回、クラウドファンディングでCDを作ることにしたのも、「形にする」にこだわってみようと思ってのチャレンジです。 ソングレターは2004年からずっとやってきて、今年で15周年です。 でも、今まで「ソングレターの世界観を表現したCD」というのは1枚しかなかった。 その時は、割と有名な人とのコラボで生まれた曲を作品にしていたのですが、今回はあえてその逆で「普通の人の手紙(想い)を曲にする」ということを目指しています。 そちらの方がソングレターの本質だと思っているから。 活動15周年になって初めて、自分の本命ど真ん中に挑んでいる感じがあります。 実はそういう流れを作ってくれた大きなきっかけは昨年参加させてもらったひすいさんの「ひすいラボ」。 合宿でマイソウルというのを曲にさせてもらったのですが、その時のことが原点回帰につながりました。 https://ameblo.jp/hisuikotarou/entry-12448011982.html (そのことをひすいさんがブログで書いてくれた時の記事です) ちなみに、そんな「こたろう」さんの“こ”の使命は「形にする」ということ。 山下先生は「本」という形に、僕は「CD」という形にするための大きなきっかけをもらっているので、それはひすいさんの使命なんだろうなと思っています。 そして、そんな僕(みつる)の“み”の使命は「人を輝かせる」ということ。 だから自分の想いを曲にするのではなくて「人を輝かせる音楽」で作るCDを今回形にしたいと思っています。 CD制作のためのクラウドファンディングも、あと3日。 おかげさまでほぼ80%のところまで来ました。 7月30日(火)までですが、最後の支援をお願いします! リターンの中には全10回のWeb講座というのも7種類用意していて、中には『名前のことだま講座』や『古事記(日本神話)入門』など、ことだま師としての集大成のコンテンツもあります。 ご縁のある方と、このCDを一緒に「形にできる」ことを願っています!
僕が名作だと思うマンガの一つに福本伸行さんの『天 ~天和通りの快男児~』という作品があります。 これ、全体的に面白いのですが、特に最終章が秀逸。 何がすごいかって、麻雀マンガなのに一切麻雀が出てこない!(笑) 麻雀が出てこないなら、何を描いているのかというと、“アカギ”というキャラクターの葬儀の模様がひたすら描かれます。 この“アカギ”こと赤木しげるがとにかくスゴイんです。 彼は並外れた度胸と強運の持ち主で、麻雀・ギャンブルの天才として描かれてます。 口数が少なく常に冷静で、自らの信念には命をも賭け、狂気じみた熱さを持ち、数々の修羅場をくぐりぬけた伝説の雀鬼。 最終章は、そんなアカギの葬式が催されると言うことで、以前彼と麻雀で戦った仲間や対戦相手たちが全員集まります。 しかし、一通り葬式が終わった後、驚くべきことに彼は平然と姿を現します。 そう、アカギは死んでなかったのです。 ところが、アカギは同時に「数時間後に死ぬ予定である」ことを明かします。 体は五十代で健康そのものでも、アルツハイマーにかかってしまい記憶がどんどん失われていっているとのこと。 何もわからない状況で生きながらえるよりも、最後の一瞬までアカギとして死ぬために彼は『安楽死』を選びます。 小さな部屋で、スイッチ一つで点滴から安楽死する薬剤が流れ込んで死ぬ仕掛けを整えたアカギ。 彼は、そこで集まった一人一人と順番に最後の会話を交わし、その後に死ぬと淡々と宣言します。 集まったメンバーとしては、言葉を尽くして止めようとするものの、逆にそれぞれが 「お前はなぜ生きる?」「お前にとって生とは何だ?」 ということを突きつけられ、一人ずつ説得に失敗していきます。 ・・・こう書いていくと、とっても暗い話のようですが、この話のラストはとても希望にあふれるもので、僕はとっても好きです。 最終的にアカギは死んでしまいますが、アカギ亡き後、仲間たちは生きてる時以上に 「アカギさんだったらどうしたかな…?」「アカギさんと比べたらまだまだだ…!」 とその存在を近くに感じていきます。 だから読み終えた後、不思議と悲しい印象は残りません。 『上を向いて歩こう』を作詞した永六輔さんはこんな名言を残しています。 「人って言うのは二度死ぬんだよ。個体が潰えたら一度目の死。そこから先、まだ生きているんだ。 死んでも、誰かが自分のことを思ってくれている。誰かが、自分のことを記憶に残している、時折語ってくれる。これがある限りは、生きている。 そして、この世界中で、誰一人として自分のことを覚えている人がいなくなったとき、二度目の死を迎えて人は死ぬんだよ」 これを『肉体の死』と『存在の死』と言うなら、『存在の死』を避ける方法が、僕は音楽であり作品だと思っています。 音楽で『肉体の死』は防げない。 でも「肉体亡き後も多くの人に自分の存在を留める力」として、音楽以上に大きな力を持ったものってないんじゃないか。 生きた証を、遺そう。 誰かの心の中で、生き続けよう。 音楽の使命はもっともっと大きい。 今回のキャンペーン、そしてCD制作を通してそんなことを感じてもらえたらと思っています。 ▼【15周年記念「手紙を無料で曲にする」キャンペーン】で生まれた曲をCDにしたい!クラウドファンディングも残り4日。おかげさまで73%まで来ました! 良かったら是非支援をお願いします!
クラウドファンディングが残り5日ということで佳境を迎えています。 (おかげさまで70%を突破しました!) そんなタイミングで今何をやっているかというと、アーティストフォーラム過去出演者の磯 敏則さんのCD制作のサポートの真っ最中。 音作りの仕上げは僕も今回のCDでお世話になる奥野 裕介さんにおまかせしているので、いまはイラストレーターを使ってジャケット制作。 締切直前なので結構いっぱいいっぱいなんですがこうして物事が形になるプロセスってワクワクしますね。 ふと磯さんから送られてきたプロフィールの一文を読んでしみじみと感じたことがありました。 「スポットライトを浴びてステージで歌うことが小さい頃からの夢で、人生の半世紀過ぎから歌い始め、歌を通して沢山の人に愛を届けたいと自分の夢と限界に挑戦中。」 僕は磯さんを知っているので、当たり前のように思ってましたが、これって凄いことだなぁと。 小さい頃からの夢が、半世紀過ぎてから動き始め、3回目の成人式(磯さん談)を迎えた今年、CDという形になる。 もしも20年前の磯さんに「将来あなたは自分のオリジナルCDをつくることになりますよ」と言っても信じなかったかもしれません。 でも、どんな人の人生もオリジナルソングになるし、CDアルバムになるだけの厚みがあると僕は思っています。 アーティストフォーラムの裏テーマの一つが『称賛されるべきすべての人生に、拍手を!』というもの。 どんな人の人生も、しっかりと表現したならばそこで拍手が生まれるくらいの価値があることを伝えたいという想いが根底にあります。 キャンペーンソングから10曲を収録。 アーティストフォーラムであれば「人前で歌う」というハードルを越える必要がありますが、今回は「想いを手紙に綴った」だけで、その人の作品がCDとして形に残ります。 「他人の人生の歌」として聴く人もいるかもしれませんが、もしその中の1曲でも心に響くものがあれば、それは素晴らしいこと。 「自分も同じように想いを表現したら、こんな風に人を感動させるような人生を生きているんだろうか?」 その問いの先には、ものすごいギフトが待っています。 音楽は、そんな扉を開くための最強のツールだと信じています。 7月30日(火)の締切まであと5日。 今回のCDが世に形になることで、多くの人の人生の扉が開きますように。 追伸:写真は今までサポートしてきたCDの一部です♪
「シンガーソングライターとして15年間活動してきました」と言うと、 「CDは何枚くらい出したんですか?」と聞かれることがあります。 ・・・実は、“たった1回”です。 2008年に出したアコースティック版のベストアルバム。これが唯一の作品です。 もちろん、ソングレターをCDで納品することは多くありますし、他のアーティストのCD制作のサポートはたくさんしてきました。 でも、「自分の作品集を形として残す」ということにはあまり興味がなかったんですよね。 それよりも「一期一会のライブが音楽の醍醐味!」そんな風に思ってました。 そんな自分がいま、クラウドファンディングで「キャンペーンソングをCD化したい」というプロジェクトをしています。 そのきっかけをくれたのは、昨年出会った山口久美子さんという女性でした。 ガンで入院中に「曲を作りたいんです!」と連絡をくださった久美子さんは、曲を作らせていただいてから2か月後に、旅立たれました。 生前に一度だけその曲を披露した動画がこちらで視聴できます。 作曲家という仕事柄、自分の曲で泣くことは余りありません。 でも、この動画に関しては、何度再生しても涙がとまりませんでした。 悲しみではなく、感動で、何度も心が揺さぶられるんです。 「今、入院中です。この出来事で、私なりに命と向き合い、今オリジナル曲を作りたい!という想いが沸き上がりました。 イベント出演が決まっていて、入院になってしまったので、キャンセルも考えたのです。 でも、今の私だから伝えられることがある。なんだかみなぎってきて。 対面は難しいと思うし、時間もないのもわかるし、もしかしたら体調次第では出演キャンセルになるかもしれないのですがそれでもやってみたいのです」 そんなメールをもらって、退院後にSkypeで作曲セッションして曲を作った時間のことを今でも覚えています。 曲という形にしたことで、彼女の素晴らしい想いを遺すことができた。 それができたことをとても誇らしく思いました。 さらにはその後、友人たちがそのオリジナルソングを合唱してCD化しようというプロジェクトが進行しているということを知りました。 CD化することによって、彼女が残したお子さんたちにCDの売上を渡したい、とのこと。 「CDという形があることで、目に見えない想いや愛が、そこに集まるんだ…」 それは、15年間活動してきて、僕が気づいていなかった音楽の価値であり可能性でした。 だから今回、CD制作にチャレンジしています。 ひょっとすると、自分一人で資金を用意して、自分のペースで形にした方が簡単かもしれない。 でも、「クラウドファンディングでCD化する」というやり方を選んだのはそれが理由です。 「CDというのは、目に見えない想いや愛を形にしたもの」。 10曲入りの予定なので、10人のキャンペーン応募者の想いが形となり、そこに愛が集まる。 7月30日(火)の締切まであと6日。 共感してくださる方と一緒に形にできることを心から願っています。